附属池田小事件の概要や宅間守の生い立ちは?逃げた教師もいた? 社会

附属池田小事件の概要や宅間守の生い立ちは?逃げた教師もいた?

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母も心をやみ精神病院に入院していたが2016年末に死亡

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宅間守が25歳の頃、母親が急激に無気力になり、何もせずにぼんやりと宙を眺めているだけの時間が増えるなど、精神病の症状を見せるようになりました。

その後およそ10年もの間、宅間守の父親は病気の妻を家庭で介護しましたが、1999年に遂に精神病院に入院。2016年には入院先の病院で死亡しています。

父親は事件後酒乱となり入院

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実家で1人で暮らしていた宅間守の父親は、附属池田小事件の後、アルコールに溺れるようになり入院したことが分かっています。

家族の中でも特に父親のことを激しく憎んでいた宅間守は、「宮崎勤の父のように潔く自殺すればよいものを」と、獄中で父親への恨みを口にしていたそうです。

宅間守がこれまで起こした事件

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宅間守には附属池田小事件の前にも前科があり、起こした事件の数は10件を超えていたと言います。しかし、なぜそのような状態であったのに宅間守は野放しになっていたのでしょうか?

ここでは宅間守の前科と、附属池田小事件まで自由に振舞っていられた理由について紹介していきます。

宅間は15回の逮捕歴がある

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高校を中退して以降、宅間守は15回もの逮捕歴があったことが分かっています。その大半が暴行事件や強姦事件であり、元結婚相手が被害に遭うこともありました。

家出少女に対する強姦未遂

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パイロットを志して入った航空自衛隊を除隊させられる原因となったのが、未成年の家出中の少女を下宿に連れ込み、強姦しようとしたという事件です。

この件では逮捕には至らず、宅間守本人は後の精神鑑定で同意のうえで性交渉をしたと語っていたようです。

車のライトが眩しいと相手の車を破壊

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1984年、21歳の宅間守は交通事故を起こすのですが、その際に「ライトがまぶしかった」として対向車を襲撃。

相手の車の天井を破壊したうえで、何故か車内にあったというキリを振りかざして対向車の運転手を追いかけ、逮捕されました。

検問を突破し高速道路を逆走

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自衛隊除隊後、宅間守は阪神高速道路を車で逆走、逮捕されています。これに関しては他に逮捕、起訴されていた事件で無罪を勝ち取るべく、精神病と偽るためにやったという可能性も示唆されています。

結婚相手へ暴行

1997年に3回目の結婚をした宅間守は、新婚旅行中にスーツケースの鍵が見当たらないことに激高し、妻を殴りつけるという暴行を働きました。

結婚直後にこの女性は宅間守の子供を身ごもるのですが、その後も暴力は続き、後に女性は子供を堕胎しています。

実兄の高級車を角材で破壊

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また宅間守は、真面目に会社員として働いていた実の兄がアウディを購入すると、「サラリーマンの分際で!」と難癖をつけて、角材で車の窓を叩き割ったと言います。

身内での出来事のため逮捕も起訴もされませんでしたが、このようなことの積み重ねで宅間守の兄が追い詰められていったのは、想像に難くありません。

1984年家賃の集金と称し女性の部屋へ入り強姦

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1984年11月、大阪市内にあるマンション管理会社にて勤務していた宅間守は、仕事中に家賃の集金という名目で女性宅に押し入り、強姦事件を起こしました。

そして、この事件で無罪を獲得するために精神病を詐称しようと画策を始めたのです。

強姦事件後精神科に入院するが5階から飛び降り重傷を負う

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上の強姦事件を起こした直後、宅間守は自ら伊丹市の精神科を受診しています。そしてこの病院で入院をする運びとなりました。

附属池田小事件後の精神鑑定で宅間守は、この入院は強姦事件を無罪にするために計画したものであり、診察に同行した母親も共謀していたと述べています。

しかし入院が2週間を過ぎると、抑圧された生活に耐えきれなくなった宅間守は、病棟の5階から飛び降りて自殺未遂を図ります。しかし落下地点が車庫の屋根であったため、命は助かりました。

精神科では「統合失調症」と診断された

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自ら入院を希望しておきながら、入院が長引くと自殺未遂を起こすという奇行を見せた宅間守に対し、病院側は統合失調症(当時は精神分裂病と呼ばれていた)という診断を下しました。

また宅間守は自殺未遂後、母親に対して「あんたが入院を長引かせて自分を苦しめたに違いない。こんなことになった責任を取って慰謝料を払え」という内容の手紙を送っていたことが明らかになっています。

強姦事件では懲役3年の実刑判決が確定

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1985年11月、前年11月に起こした強姦事件で起訴、拘留されることとなった宅間守。

大阪地方検察庁の嘱託医の精神鑑定の結果、「性格異常であって、精神異常ではない」と診断され、懲役3年・執行猶予なしの実刑判決が下されました。

そして1986年8月から、奈良少年刑務所への収監。この時、宅間守は22歳でした。

1989年出所した際に父親から勘当

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1989年8月、25歳で出所した宅間守でしたが、息子が戻ってきてから母親は精神を病んでしまい、父親から勘当を言い渡されます。伊丹市の実家を追い出された後、宅間守は大阪の豊中市に転居しました。

1999年4月小学校教諭が飲むお茶に精神安定剤を混入

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1999年3月、伊丹市立池尻小学校で用務員をしていた宅間守は、教員が飲むお茶に精神安定剤を入れたとして逮捕されました。

前日に用務員室でアダルトビデオを見ていたところ、たまたま部屋に入ってきた教員に対して恥ずかしさと憎しみを覚えたことが、この事件の動機であったとされます。

「責任能力なし」として刑事処分は受けなかった

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お茶への薬物混入で傷害罪の容疑で逮捕された宅間守でしたが、幻聴が聞こえたなどと嘘を言って精神病患者を装い、不起訴処分となっています。

しかし、この事件が原因となって伊丹市の職員を免職。この後は精神病(詐病)で傷病手当金を要求し、毎月20万円の手当金を頼りに生活するようになります。

強姦事件以外は精神科通院歴が理由で不起訴

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この後も、暴行や威力業務妨害といった様々な事件を起こした宅間守ですが、起訴されそうになると精神病を装って病院に逃げ込み、のらくらと起訴を躱してきました。

しかし附属池田小事件の直前に起こした事件に関しては、検察も流石に精神病を疑っており、数件の暴行事件が起訴される予定でした。

附属池田小事件を起こした動機

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宅間守が暴力的で、衝動を抑えられない性格であったことは、附属池田小事件の前の犯罪歴などからも明らかですが、どうして小学生をターゲットに選んだのでしょうか?

宅間守が附属池田小事件を起こした動機を紹介していきます。

大量に人を殺せば前妻が自分と知り合った事を後悔する

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4度の結婚と離婚を繰り返した宅間守でしたが、3回目に結婚した女性に対する執着は度を越しており、離婚後も復縁を迫って暴行をするなどの事件を起こしていました。

しかし元妻は宅間守への気持ちは全くなく、彼女への暴行事件で宅間守が起訴されることも決まっていました。宅間守はこのことを逆恨みし、何とか元妻に嫌がらせをしたいと考えたと言います。

そして自殺をしても元妻が喜ぶだけと考え、彼女を追い詰めるためには犯罪史上に残るようなことをして、自分と婚姻関係にあったことを悔やみ続けるように仕向けようとしたのです。

自分の苦しみを多くの人に分からせたい

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未成年の家出少女に手を出したことがきっかけとなり、宅間守はなんとか軌道修正できそうであった道を踏み外してしまいました。

そしてその苦しみを社会や世間への怒りに変えるようになっていき、自分が味わった挫折や絶望を不特定多数の人間に味あわせてやろうと思ったのです。

出来るだけ多く殺す為に子供を狙った

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元妻と世間へ与える衝撃の大きさを考え、宅間守は「とにかく大量に人を殺そう」と計画を立て、力もなく逃げ足も遅い子供をターゲットにすることを思いつきました。

そして、かつて自分も通いたい、その仲間に入りたいと思った幸せな家庭の子供が多く通う、大阪教育大学附属池田小学校に目的を定めたのです。

逮捕後の様子

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附属池田小事件で逮捕された後も、宅間守は精神病を騙って減刑や責任能力の無さを主張する構えであったと言います。ここでは、逮捕後の宅間守の様子について紹介していきます。

逮捕当初、宅間は精神障害を装ったが「精神障害はない」と診断された

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これまでも精神病を詐称して罪に問われずに済んだことから、逮捕直後は精神病患者を装う言動をしていた宅間守ですが、精神鑑定の結果、責任能力は有ると断定されました。

社会への適応力の低さは指摘されましたが、それは統合失調症によるものではなく、刑の減免などの酌量をすべき事情はないと判断されたのです。

宅間は逮捕直に「薬を十回飲んだ」と供述

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逮捕時、宅間守は精神病で処方された薬を10回分飲んできたなどと発言していました。逮捕された直後から正気ではなかったことを印象付けるために、薬のせいでしんどいなどとアピールしていたのです。

向精神薬、抗うつ薬、睡眠薬の三種を飲んでいた事が判明

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宅間守が通院していたという仁明会病院に照会した結果、犯行時に飲んでいた薬は「パキシル」という抗うつ剤、「セロクエル」という抗精神病剤、「エバミール」という睡眠薬であることが判明。

しかし、この薬には幻覚や幻聴を起こすような副作用はなく、多量に摂取しても眠くなる程度の症状しか見られないことから、薬のせいで犯行に及んだという主張も認められませんでした。

宅間の自宅でも大量の薬が押収された

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当時宅間守が借りていたマンションを家宅捜査したところ、約200錠の睡眠剤や抗精神病薬が発見されました。

これは精神病を詐病するために通っていた病院から処方されたもので、飲む必要が無かったためにそのまま放置していた薬がたまったものであることが、後の調べで判明しました。

附属池田小事件では逃げた教員がいた?

附属池田小事件が起きた時、襲撃されたクラスの担任教師たちは自分達も怪我を負ったり危険な目に遭いながらも、果敢に刃物を持った宅間守に向かい、児童を守ろうと懸命に戦いました。

しかし、その最中に1人だけ児童を見捨てるといっても過言ではない状態で逃げた教師がいたのです。ここでは、事件後に行動が問題視された教師・岩崎真希について紹介していきます。

附属池田小事件で「逃げた教師」と避難された人物がいる

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平日の午前中、子供にとって最も安全な場所の1つであるはずの小学校で起こった附属池田小事件。この事件では児童のみならず、宅間守を取り押さえようとした教師たちも体を切りつけられて大怪我を負いました。

宅間守に立ち向かった教諭の中には、事件後に自分がもっとうまく立ち回れれば教え子を守れたとサバイバーズギルドに悩まされていた人もいました。

しかしその一方で、宅間守に襲われる教え子を教室に残して逃げ出したと非難された教師がいたのです。

教師の名前は岩崎真季、2年西組の担任教師だった

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児童を置いて逃げたと非難された教師は、2年西組の担任であった岩崎真希という女性教諭です。

岩崎真希は当時28歳で、前年に研修を終えて着任したばかりの新人教諭でした。つまり、被害が起きた2年西組が初めて担任したクラスであったのです。

岩崎は宅間が事件を起こす前に学校内ですれ違った

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事件発生直前、岩崎真希教諭は校内で宅間守とすれ違っていたという話もあります。

ただ事件発生時に彼女は自分のクラスにいたことから、宅間守とすれ違ったのは襲撃時に校庭にいた2年南組の教諭であり、情報が錯綜するうちに教師の名前がすり替わったという可能性もあります。

いずれにしても宅間守は校内に侵入した時、凶器をビニール袋に入れて持ち運んでいたこともあり、この時は誰かの保護者なのだろうと思い会釈をして2人はすれ違ったことが分かっています。

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