
横浜バラバラ殺人事件とは?犯人、動機は?犯人の一人は今も逃亡中?
目次
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横浜バラバラ殺人事件とは?事件の概要は?
- 01.1.
2009年に神奈川県横浜市で発生した殺人事件
- 01.2.
被害者は歌舞伎町で麻雀店経営をしていた男性2人
- 01.3.
被害者を監禁した後生きたまま電動ノコギリで切断し殺害
- 01.4.
殺害後は横浜港などに遺体を遺棄された
- 01.5.
主犯格は2人で8人の犯行グループによって行われた
- 01.6.
裁判員裁判で初めて死刑判決が言い渡された
- 01.7.
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- 02.
横浜バラバラ殺人事件の詳細
- 02.1.
2009年6月に被害者二人が千葉県のホテルにAさんが監禁される
- 02.2.
翌日被害者Bさんをホテルに監禁
- 02.3.
被害者の男性二人は元暴力団組員だった
- 02.4.
Aさんは神奈川県在住の会社員36歳の男性
- 02.5.
Bさんは当時麻雀店を経営していた28歳の男性
- 02.6.
被害者二人と犯行グループは麻雀店のことで以前からトラブルがあった
- 02.7.
池田はホテルに対し「ドラマの撮影の為に使用したい」と宿泊の申し込みをしていた
- 02.8.
池田がホテルに予め話しをしていたためホテル側に不審がられることはなかった
- 02.9.
犯行グループは8人グループでベトナムなどから覚醒剤の密輸を行っていた
- 02.10.
池田は被害者を殺害する前にチェーンソーを見せつけ恐怖を煽った
- 02.11.
被害者の指を数えながら切り落とした
- 02.12.
被害者男性二人は酷く怯え「首を切断するなら殺害してからにしてほしい」と訴えた
- 02.13.
池田は被害者の訴えを無視し被害者が生きたまま首を切断
- 02.14.
「動いちゃ駄目だろう」と生きたままチェーンソーで首を切断
- 02.15.
共犯者に「人形見たいでしょ」と平然と会話をしていた
- 02.16.
首を切断したあとさらに刃物などで遺体をバラバラに切断
- 02.17.
切断された遺体はスーツケースにいれ横浜港、山梨県の山間部に遺棄
- 02.18.
犯行グループは被害者から約1300万円を奪った
- 02.19.
横浜市で遺体の一部が発見される
- 02.20.
横浜港では切断された頭部、下半身、拘束されたままの両手首が発見された
- 02.21.
その後山梨県富士山のふもとで胴体を発見
- 02.22.
池田ら犯行グループは覚醒剤取締法違反で逮捕
- 02.23.
10月15日殺人容疑で再逮捕される
- 02.24.
被害者の一人から1300万円を奪っていた為強盗殺人容疑で再逮捕
- 02.25.
2009年12月15日国外に逃亡している近藤に強盗殺人容疑などで国際手配
- 03.
事件の主犯格・池田容之の生い立ち
- 03.1.
兵庫県出身、横浜市で育つ
- 03.2.
父親は銀行員で裕福な家庭だった
- 03.3.
中学時代は生徒会長を務めた
- 03.4.
高校卒業後職を転々とする
- 03.5.
一時期は暴力団にも所属
- 03.6.
22歳で結婚、娘が生まれる
- 03.7.
離婚し妻と娘に養育費を約束通り支払っていた
- 03.8.
事件当時は岩盤浴店の店長をしていた
- 04.
事件のもう1人の主犯格・近藤剛郎の生い立ち
- 04.1.
近藤剛郎は元早稲田大学の学生だった
- 04.2.
大学では法学部に在籍
- 04.3.
親が権力者という噂も
- 05.
横浜バラバラ殺人事件の犯行動機
- 05.1.
近藤は以前経営していた麻雀店の経営権を被害者男性に奪われていた
- 05.2.
近藤は麻雀店を被害者男性から取り戻したいと考えていた
- 05.3.
被害者男性の一人に「覚醒剤の密輸の件を告発する」と言われた
- 05.4.
焦った近藤は池田に二人の殺害を依頼
- 05.5.
池田は被害者を監禁し殺害する実行犯の役割
- 05.6.
近藤は殺人事件を計画し指示する役割だった
- 05.7.
池田より近藤の方が年下だが近藤の方が大きな権力を持っていた
- 05.8.
近藤は東南アジアから覚醒剤を密輸し転売していた
- 05.9.
池田は近藤に誘われ覚醒剤密輸グループに所属
- 05.10.
近藤と池田の運び屋グループは一時期30人以上が所属していた
- 05.11.
池田は覚醒剤で得た金で生活をしていた
- 05.12.
池田は映画『アメリカン・ギャングスター』の主人公に憧れていた
- 05.13.
近藤に覚醒剤密輸に誘われ「神に選ばれた」と思った
- 05.14.
池田は近藤の依頼を受けることで犯罪組織の中の地位を得ようとしていた
- 06.
横浜バラバラ殺人事件の判決
- 06.1.
主犯格の池田は9つの罪に問われた
- 06.2.
2010年10月14日横浜地方裁判所は覚醒剤密輸事件について有罪を言い渡した
- 06.3.
11月4日公判で池田は殺害動機を「私利私欲の為」と述べた
- 06.4.
弁護側は近藤からの指示で殺害し従属的な立場であったことを強調
- 06.5.
検察側は殺害の残忍性から「死刑は免れない」ことなどを強調
- 06.6.
判決は「永山基準」に沿って行われた
- 06.7.
11月10日残虐性、悪質さなどから死刑を求刑
- 06.8.
裁判員裁判における死刑求刑は2件目
- 06.9.
裁判員を務めた男性は「すごく悩み何度も涙を流した」と会見で述べた
- 06.10.
池田は「控訴はしない」と伝えたが弁護士に説得された
- 06.11.
2010年11月29日判決を不服をして控訴
- 06.12.
2011年6月16日池田が控訴を取り下げ死刑が確定
- 06.13.
裁判員裁判で初めての死刑確定となった
- 07.
横浜バラバラ殺人事件におけるその他の加害者への判決
- 07.1.
宮原直樹、伊吹真吾、三田恭志郎が逮捕される
- 07.2.
被害者とは面識はなかった
- 07.3.
遺体の遺棄を手伝ったことで逮捕された
- 07.4.
3人は懲役3年執行猶予5年
- 07.5.
2019年現在ではすでに釈放され社会復帰
- 07.6.
強盗致死と死体遺棄、逮捕監禁の罪に問われた男は懲役15年を求刑
- 08.
横浜バラバラ殺人事件が世間に与えた影響
- 08.1.
裁判中に遺体の写真が配布された
- 08.2.
首を切断するために使ったチェーンソーが証拠品として提出された
- 08.3.
裁判員にかなり精神的負担を与えた
- 08.4.
裁判員裁判で死刑が下され世間の注目を集めた
- 08.5.
裁判員裁判について疑問を感じる声もある
- 09.
横浜バラバラ殺人事件のその後!池田や近藤の現在は?
- 09.1.
池田は現在も東京留置所に収監されている
- 09.2.
2019年現在も近藤は逃亡中
- 09.3.
近藤はタイに潜伏している?
- 09.4.
潜伏先のタイでも犯罪に手を染めているという情報もある
- 10.
その他の国内でおこった凶悪犯罪
- 10.1.
鈴鹿女子中学生バラバラ殺人事件
- 10.2.
女子高生コンクリート詰め殺人事件
- 10.3.
広島LINE殺人事件
- 11.
近年犯人の死刑が執行された事件とは?
- 11.1.
オウム真理教事件
- 11.2.
岡山元同僚女性バラバラ殺人事件
- 11.3.
コスモ・リサーチ事件
- 12.
池田容之は現在死刑囚として収監、近藤剛郎は逃亡を続けている
その後山梨県富士山のふもとで胴体を発見
もう1つの遺体遺棄場所である山梨県の山間部、富士山のふもとでは胴体が発見されています。
池田ら犯行グループは覚醒剤取締法違反で逮捕
池田容之と共犯者たちの犯行グループは、殺人事件の前に覚せい剤取締法違反で逮捕されています。この時逮捕されたのは近藤剛郎以外の犯人で、近藤剛郎は警視庁によって指名手配されました。
10月15日殺人容疑で再逮捕される
10月15日に池田容之がバラバラ殺人事件の犯人であることを自供したため、殺人容疑で再逮捕されました。
警察の捜査線上には池田容之ら犯行グループが、殺人事件に関与しているという事はすでに浮上していたため、裁判でも自供した事の意味は薄かったとされています。
被害者の一人から1300万円を奪っていた為強盗殺人容疑で再逮捕
11月11日にはAさん宅から1,300万円相当を奪っていたため、強盗殺人の容疑で再逮捕されています。
2009年12月15日国外に逃亡している近藤に強盗殺人容疑などで国際手配
近藤剛郎は殺人事件発覚後、国外に逃亡している事が分かったため、神奈川県警は12月9日に逮捕状を請求し12月15日に国際手配されました。
近藤剛郎の逃亡先はタイで、現在も潜伏しているとされています。おそらく麻薬の売買に関わっているのでは、と言われています。
事件の主犯格・池田容之の生い立ち
凶悪な事件の犯人は過去にいじめや貧困で悩まされていたり、両親によって虐待されていたなど、家庭環境に問題があったり辛い生活を送っていたという事が多々あります。
人格を形成する時期にそのような環境で育ったため歪んでしまったり、人から暴力的な行為を受けてきたため、社会を憎んだり、暴力を振るう事に抵抗が無くなってしまったりするのです。
裁判で犯罪者の生い立ちが悲惨すぎたため、事件を起こした際に減刑されるというケースもあります。主犯格で殺害実行犯の池田容之の生い立ちはどのようなものだったのか、まとめました。
兵庫県出身、横浜市で育つ
池田容之の出生は兵庫県で、その後横浜市で育てられています。遺体を遺棄したのも横浜で、ある程度土地勘があったため遺体遺棄場所に選んだのではと言われています。
父親は銀行員で裕福な家庭だった
父親は銀行に勤めており、経済的に裕福な家庭でした。池田容之も特に何不自由なく、幸せな家庭で育てられています。両親によって虐待を受けていたという事もありませんでした。
幼少期の池田容之は明るい性格だったと、当時を知る人たちから言われています。しっかりと愛情を注がれて育っていたようです。
中学時代は生徒会長を務めた
小学生時代も問題のない生徒で、中学生時代には学校の生徒会長を務めていました。素行の悪い生徒や不良とは真逆な生徒で、優等生と言ってもいいタイプだったようです。
ここまでは全く問題なく、しっかりとして人望のあるタイプだった事が分かります。ここからなぜバラバラ殺人事件を起こす凶悪犯になってしまったのかと、当時の池田容之を知る人たちから驚きの声が上がっています。
高校卒業後職を転々とする
中学卒業後は私立高校に進学し、高校も無事卒業しています。大学には進学せず就職するのですが、定職にはつかず転々としています。
造船工場や工事現場の仕事をしたり、ホストや出会い系サイトでの仕事もしていたようです。そのため将来についてあまり考えておらず、短絡的な思考をしていたのでは、という意見もネット上で上がりました。
また様々な仕事を転々としている中で、電動ノコギリを使用した事もあり扱いに慣れていたようです。
一時期は暴力団にも所属
様々な職をフラフラしていた池田容之は、一時期暴力団に所属しており、その繋がりから横浜バラバラ殺人事件において主犯格で計画犯の近藤剛郎と出会ったとされています。
暴力団から繋がり当時すでに麻薬密輸・密売グループとして活動していた近藤剛郎に出会い、組織に誘われた事がきっかけで犯罪組織の一員として活動するようになったのです。
暴力団に所属していた頃から、すでに犯罪行為に対しては抵抗が無かったとされています。
22歳で結婚、娘が生まれる
池田容之は22歳で結婚しており、娘も1人生まれています。事件当時にはすでに離婚していました。
離婚し妻と娘に養育費を約束通り支払っていた
離婚後、池田容之は娘の養育費を約束された期限通り支払っていました。支払いを滞らせる事もなく、毎回しっかり払っていたようです。
定職につかずとも期限通り払い続けており、誠実な対応をしていたと言えます。養育費を払うために稼ぐ事を常に考えてもいたとされ、麻薬密売グループに入ってからはその報酬で養育費を払っていました。
事件当時は岩盤浴店の店長をしていた
事件当時、池田容之は麻薬密輸・密売グループの活動をしつつ、そこで得た金銭を利用して岩盤浴店の店長を務めていました。
事件のもう1人の主犯格・近藤剛郎の生い立ち
横浜バラバラ殺人事件の主犯格で殺害計画を立てた近藤剛郎は、現在も捕まっていませんが警察の捜査によってその生い立ちがある程度割れています。
しかし生い立ちの情報が少なすぎるという声が多く上がっており、近藤剛郎の関係者に情報規制をできるような人物がいるのではないかという噂も出てきています。
近藤剛郎は元早稲田大学の学生だった
近藤剛郎は元早稲田大学の学生で、かなり頭の切れる人物だとされています。犯罪グループを指揮して池田容之を上手く利用できていた事からも、狡猾な人物像が浮かび上がります。
大学では法学部に在籍
近藤剛郎は早稲田大学で法学部に在籍していました。そのため法律に詳しく犯罪に知識を生かす事が出来たとされています。早稲田大学は卒業しておらず、除籍扱いになっています。
親が権力者という噂も
凶悪な事件の主犯格であるにもかかわらず、近藤剛郎の生い立ちは早稲田大学法学部を除籍した、という事以外分かっていません。この事に対して、ネット上などでも疑問を抱く人が多数存在します。
もしかすると近藤剛郎の親族に権力者がいるため、情報が漏れないように圧力をかけているのではないかとも言われています。
真相は分かりませんが、他の凶悪犯などに比べて情報が少なすぎる事は、様々な人から疑問の声が上がっています。
横浜バラバラ殺人事件の犯行動機
横浜バラバラ殺人事件の犯行動機は主犯格の1人である近藤剛郎にあり、池田容之はその指示に従って犯行に及びました。
指示に従ったといっても、実際に凶悪な犯行に及んだ事には変わりなく、指示に従う事によって自身が受けるメリットについて考えての犯行だったとされています。
近藤は以前経営していた麻雀店の経営権を被害者男性に奪われていた
被害者のBさんが事件当時経営していた麻雀店は以前近藤剛郎が経営していた店で、元暴力団だったAさんとBさんによって、強引に奪われていました。
近藤剛郎は麻雀店の経営権を奪われた際に、自身が麻薬の密輸・密売で稼いでいた資金も同時に奪われており、被害者男性2人を相当恨んでいたようです。
近藤は麻雀店を被害者男性から取り戻したいと考えていた
近藤剛郎は元々自分の店だった麻雀店を取り戻したいと常々考えており、麻薬の密輸をしつつもその機会を伺っていました。店を取り戻すついでに、奪われた資金も取り返そうと考えていたようです。
被害者男性の一人に「覚醒剤の密輸の件を告発する」と言われた
近藤剛郎のかけてくる圧力や存在が今後商売の邪魔になると感じたのか、被害者男性は「覚せい剤の密輸の件を告発する」と脅しをかけていました。
この言葉がきっかけとなり元々怨みのあった近藤剛郎は、殺害計画を立て実行させたのです。
焦った近藤は池田に二人の殺害を依頼
脅しを受けた近藤剛郎は、告発される前に2人を殺害してしまおうと考え、ついでに元々取り戻そうとしていた麻雀店の経営権を取り戻し、現金も奪う計画を立てました。
計画を立てた近藤剛郎は、自身の手先となって動いていた池田容之に2人の殺害を依頼しました。
池田は被害者を監禁し殺害する実行犯の役割
池田容之は計画内容を聞いて、実際に犯行に及ぶ役割を担っていました。被害者2人を監禁し殺害した後バレないように遺棄するという役割です。
殺害実行グループのリーダーとして、近藤剛郎に指示を仰ぎ他の共犯者を指揮していたのが池田容之です。生きたまま首を切断するといった殺害方法について指示を受けていたのかは分かっていません。
池田容之自身は特に怨恨が無かった点や、かなり細かく近藤剛郎の指示を仰いでいた点、近藤剛郎は被害者2人を恨んでいた点から、指の切断などの拷問や殺害方法も指示していたとされています。
近藤は殺人事件を計画し指示する役割だった
近藤剛郎は殺人事件を計画し、それを伝え指示する役割でした。自分の手は汚さず、裏で人を操っていたのです。被害者男性2人に直接怨恨があったのも近藤剛郎で、残虐な殺害方法を指揮したとされています。
そのため横浜バラバラ殺人事件で一番凶悪な犯人は、近藤剛郎だという声も多く上がっています。
池田より近藤の方が年下だが近藤の方が大きな権力を持っていた
事件当時、近藤剛郎は26歳で池田容之は32歳と6歳離れていました。年下でしたが、組織のトップに君臨していた近藤剛郎の方が権力は上で、池田容之はそれに従うように活動していました。
近藤は東南アジアから覚醒剤を密輸し転売していた
近藤剛郎は池田容之と出会う以前から麻薬を密輸・密売していました。東南アジアから麻薬を密輸していたとされており、かなりの件数に関わっていたようです。
様々な事件に関わっていた近藤剛郎ですが、狡猾に立ち回っていた事や、自身は直接行動せず組織の下の者を使っていたため、逮捕されなかったようです。
池田は近藤に誘われ覚醒剤密輸グループに所属
池田容之はすでに麻薬密輸グループを指揮していた近藤剛郎に誘われ、行動を共にするようになりました。丁度池田容之は定職につかずフラフラしており、養育費を払うために金を欲しがっていたのです。
そうして池田容之は近藤剛郎の麻薬密輸グループに加わり、犯罪行為に手を染めていく事になったのです。
近藤と池田の運び屋グループは一時期30人以上が所属していた
近藤剛郎率いる麻薬密輸グループは一時期は30人以上所属しており、大規模な犯罪グループでした。池田容之はそのグループで、運び屋のリーダーに選ばれ、近藤剛郎の指示に従い指揮をとっていました。
池田は覚醒剤で得た金で生活をしていた
運び屋のリーダーとして活動していた池田容之は、麻薬の密輸・密売で得た金で生活しており、養育費もその金から払っていました。当然妻子には何も言わず、支払っていました。