横浜バラバラ殺人事件とは?犯人、動機は?犯人の一人は今も逃亡中?社会

横浜バラバラ殺人事件とは?犯人、動機は?犯人の一人は今も逃亡中?

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その後山梨県富士山のふもとで胴体を発見

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もう1つの遺体遺棄場所である山梨県の山間部、富士山のふもとでは胴体が発見されています。

池田ら犯行グループは覚醒剤取締法違反で逮捕

池田容之と共犯者たちの犯行グループは、殺人事件の前に覚せい剤取締法違反で逮捕されています。この時逮捕されたのは近藤剛郎以外の犯人で、近藤剛郎は警視庁によって指名手配されました。

10月15日殺人容疑で再逮捕される

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10月15日に池田容之がバラバラ殺人事件の犯人であることを自供したため、殺人容疑で再逮捕されました。

警察の捜査線上には池田容之ら犯行グループが、殺人事件に関与しているという事はすでに浮上していたため、裁判でも自供した事の意味は薄かったとされています。

被害者の一人から1300万円を奪っていた為強盗殺人容疑で再逮捕

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11月11日にはAさん宅から1,300万円相当を奪っていたため、強盗殺人の容疑で再逮捕されています。

2009年12月15日国外に逃亡している近藤に強盗殺人容疑などで国際手配

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近藤剛郎は殺人事件発覚後、国外に逃亡している事が分かったため、神奈川県警は12月9日に逮捕状を請求し12月15日に国際手配されました。

近藤剛郎の逃亡先はタイで、現在も潜伏しているとされています。おそらく麻薬の売買に関わっているのでは、と言われています。

事件の主犯格・池田容之の生い立ち

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凶悪な事件の犯人は過去にいじめや貧困で悩まされていたり、両親によって虐待されていたなど、家庭環境に問題があったり辛い生活を送っていたという事が多々あります。

人格を形成する時期にそのような環境で育ったため歪んでしまったり、人から暴力的な行為を受けてきたため、社会を憎んだり、暴力を振るう事に抵抗が無くなってしまったりするのです。

裁判で犯罪者の生い立ちが悲惨すぎたため、事件を起こした際に減刑されるというケースもあります。主犯格で殺害実行犯の池田容之の生い立ちはどのようなものだったのか、まとめました。

兵庫県出身、横浜市で育つ

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池田容之の出生は兵庫県で、その後横浜市で育てられています。遺体を遺棄したのも横浜で、ある程度土地勘があったため遺体遺棄場所に選んだのではと言われています。

父親は銀行員で裕福な家庭だった

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父親は銀行に勤めており、経済的に裕福な家庭でした。池田容之も特に何不自由なく、幸せな家庭で育てられています。両親によって虐待を受けていたという事もありませんでした。

幼少期の池田容之は明るい性格だったと、当時を知る人たちから言われています。しっかりと愛情を注がれて育っていたようです。

中学時代は生徒会長を務めた

小学生時代も問題のない生徒で、中学生時代には学校の生徒会長を務めていました。素行の悪い生徒や不良とは真逆な生徒で、優等生と言ってもいいタイプだったようです。

ここまでは全く問題なく、しっかりとして人望のあるタイプだった事が分かります。ここからなぜバラバラ殺人事件を起こす凶悪犯になってしまったのかと、当時の池田容之を知る人たちから驚きの声が上がっています。

高校卒業後職を転々とする

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中学卒業後は私立高校に進学し、高校も無事卒業しています。大学には進学せず就職するのですが、定職にはつかず転々としています。

造船工場や工事現場の仕事をしたり、ホストや出会い系サイトでの仕事もしていたようです。そのため将来についてあまり考えておらず、短絡的な思考をしていたのでは、という意見もネット上で上がりました。

また様々な仕事を転々としている中で、電動ノコギリを使用した事もあり扱いに慣れていたようです。

一時期は暴力団にも所属

様々な職をフラフラしていた池田容之は、一時期暴力団に所属しており、その繋がりから横浜バラバラ殺人事件において主犯格で計画犯の近藤剛郎と出会ったとされています。

暴力団から繋がり当時すでに麻薬密輸・密売グループとして活動していた近藤剛郎に出会い、組織に誘われた事がきっかけで犯罪組織の一員として活動するようになったのです。

暴力団に所属していた頃から、すでに犯罪行為に対しては抵抗が無かったとされています。

22歳で結婚、娘が生まれる

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池田容之は22歳で結婚しており、娘も1人生まれています。事件当時にはすでに離婚していました。

離婚し妻と娘に養育費を約束通り支払っていた

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離婚後、池田容之は娘の養育費を約束された期限通り支払っていました。支払いを滞らせる事もなく、毎回しっかり払っていたようです。

定職につかずとも期限通り払い続けており、誠実な対応をしていたと言えます。養育費を払うために稼ぐ事を常に考えてもいたとされ、麻薬密売グループに入ってからはその報酬で養育費を払っていました。

事件当時は岩盤浴店の店長をしていた

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事件当時、池田容之は麻薬密輸・密売グループの活動をしつつ、そこで得た金銭を利用して岩盤浴店の店長を務めていました。

事件のもう1人の主犯格・近藤剛郎の生い立ち

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横浜バラバラ殺人事件の主犯格で殺害計画を立てた近藤剛郎は、現在も捕まっていませんが警察の捜査によってその生い立ちがある程度割れています。

しかし生い立ちの情報が少なすぎるという声が多く上がっており、近藤剛郎の関係者に情報規制をできるような人物がいるのではないかという噂も出てきています。

近藤剛郎は元早稲田大学の学生だった

近藤剛郎は元早稲田大学の学生で、かなり頭の切れる人物だとされています。犯罪グループを指揮して池田容之を上手く利用できていた事からも、狡猾な人物像が浮かび上がります。

大学では法学部に在籍

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近藤剛郎は早稲田大学で法学部に在籍していました。そのため法律に詳しく犯罪に知識を生かす事が出来たとされています。早稲田大学は卒業しておらず、除籍扱いになっています。

親が権力者という噂も

凶悪な事件の主犯格であるにもかかわらず、近藤剛郎の生い立ちは早稲田大学法学部を除籍した、という事以外分かっていません。この事に対して、ネット上などでも疑問を抱く人が多数存在します。

もしかすると近藤剛郎の親族に権力者がいるため、情報が漏れないように圧力をかけているのではないかとも言われています。

真相は分かりませんが、他の凶悪犯などに比べて情報が少なすぎる事は、様々な人から疑問の声が上がっています。

横浜バラバラ殺人事件の犯行動機

横浜バラバラ殺人事件の犯行動機は主犯格の1人である近藤剛郎にあり、池田容之はその指示に従って犯行に及びました。

指示に従ったといっても、実際に凶悪な犯行に及んだ事には変わりなく、指示に従う事によって自身が受けるメリットについて考えての犯行だったとされています。

近藤は以前経営していた麻雀店の経営権を被害者男性に奪われていた

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被害者のBさんが事件当時経営していた麻雀店は以前近藤剛郎が経営していた店で、元暴力団だったAさんとBさんによって、強引に奪われていました。

近藤剛郎は麻雀店の経営権を奪われた際に、自身が麻薬の密輸・密売で稼いでいた資金も同時に奪われており、被害者男性2人を相当恨んでいたようです。

近藤は麻雀店を被害者男性から取り戻したいと考えていた

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近藤剛郎は元々自分の店だった麻雀店を取り戻したいと常々考えており、麻薬の密輸をしつつもその機会を伺っていました。店を取り戻すついでに、奪われた資金も取り返そうと考えていたようです。

被害者男性の一人に「覚醒剤の密輸の件を告発する」と言われた

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近藤剛郎のかけてくる圧力や存在が今後商売の邪魔になると感じたのか、被害者男性は「覚せい剤の密輸の件を告発する」と脅しをかけていました。

この言葉がきっかけとなり元々怨みのあった近藤剛郎は、殺害計画を立て実行させたのです。

焦った近藤は池田に二人の殺害を依頼

脅しを受けた近藤剛郎は、告発される前に2人を殺害してしまおうと考え、ついでに元々取り戻そうとしていた麻雀店の経営権を取り戻し、現金も奪う計画を立てました。

計画を立てた近藤剛郎は、自身の手先となって動いていた池田容之に2人の殺害を依頼しました。

池田は被害者を監禁し殺害する実行犯の役割

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池田容之は計画内容を聞いて、実際に犯行に及ぶ役割を担っていました。被害者2人を監禁し殺害した後バレないように遺棄するという役割です。

殺害実行グループのリーダーとして、近藤剛郎に指示を仰ぎ他の共犯者を指揮していたのが池田容之です。生きたまま首を切断するといった殺害方法について指示を受けていたのかは分かっていません。

池田容之自身は特に怨恨が無かった点や、かなり細かく近藤剛郎の指示を仰いでいた点、近藤剛郎は被害者2人を恨んでいた点から、指の切断などの拷問や殺害方法も指示していたとされています。

近藤は殺人事件を計画し指示する役割だった

近藤剛郎は殺人事件を計画し、それを伝え指示する役割でした。自分の手は汚さず、裏で人を操っていたのです。被害者男性2人に直接怨恨があったのも近藤剛郎で、残虐な殺害方法を指揮したとされています。

そのため横浜バラバラ殺人事件で一番凶悪な犯人は、近藤剛郎だという声も多く上がっています。

池田より近藤の方が年下だが近藤の方が大きな権力を持っていた

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事件当時、近藤剛郎は26歳で池田容之は32歳と6歳離れていました。年下でしたが、組織のトップに君臨していた近藤剛郎の方が権力は上で、池田容之はそれに従うように活動していました。

近藤は東南アジアから覚醒剤を密輸し転売していた

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近藤剛郎は池田容之と出会う以前から麻薬を密輸・密売していました。東南アジアから麻薬を密輸していたとされており、かなりの件数に関わっていたようです。

様々な事件に関わっていた近藤剛郎ですが、狡猾に立ち回っていた事や、自身は直接行動せず組織の下の者を使っていたため、逮捕されなかったようです。

池田は近藤に誘われ覚醒剤密輸グループに所属

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池田容之はすでに麻薬密輸グループを指揮していた近藤剛郎に誘われ、行動を共にするようになりました。丁度池田容之は定職につかずフラフラしており、養育費を払うために金を欲しがっていたのです。

そうして池田容之は近藤剛郎の麻薬密輸グループに加わり、犯罪行為に手を染めていく事になったのです。

近藤と池田の運び屋グループは一時期30人以上が所属していた

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近藤剛郎率いる麻薬密輸グループは一時期は30人以上所属しており、大規模な犯罪グループでした。池田容之はそのグループで、運び屋のリーダーに選ばれ、近藤剛郎の指示に従い指揮をとっていました。

池田は覚醒剤で得た金で生活をしていた

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運び屋のリーダーとして活動していた池田容之は、麻薬の密輸・密売で得た金で生活しており、養育費もその金から払っていました。当然妻子には何も言わず、支払っていました。

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