
シティポップが世界中で大人気なのはなぜ?必聴の名盤も一挙紹介!
80年代に流行した日本のシティポップが、今なぜか海外で注目されています。洋楽版シティポップ・ミュージシャンまで現れてブームが止まりません。そこで、名曲、名盤、女性ボーカルなどシティポップのおすすめ曲を紹介しつつ、今回のブームの背景を紐解きたいと思います。
目次
[表示]なぜ今世界中で空前のシティポップブームが起こっている?
80~90年代の日本の音楽界を席巻したシティポップ。再び海外で再評価されたきっかけとなったのが、ネットで流行ったVapor Wave(ヴェイパーウェイブ)という音楽ムーブメントでした。
未完成ソフトを表す「Vapor Ware」をもじったVapor Waveは、ネットで拾った音楽・映像をつないで作る未完成音楽です。サンプリング素材に日本のシティポップが多く使われました。
この音楽素材に目をつけた海外アーティスト達がシティポップをリミックスしはじめます。さらに海外音楽レーベルが日本の80年代音源を復刻するといった連鎖が生まれ、現在のブームが生まれます。
そもそもシティポップとは?邦楽?
シティポップのジャンルに明確な定義はありませんが、当時全盛だったアイドル歌謡曲やフォーク、ニューミュージックとは違う、洋楽に強く影響を受けた、都会的で洗練された大人のロック、ポップスが総称されます。
シティポップは80年代に流行すると、あっという間に国内の音楽シーンを席巻していきました。
シティポップの誕生はシュガー・ベイブが元祖と言われている
https://www.youtube.com/watch?v=WfaJCG4pTjs
シティポップの元祖は山下達郎や大貫妙子を擁したシュガーベイブ(72~76年)だと言われています。当時は珍しかったテンションコードを多用する複雑なサウンドやコーラスの美しさで異色を放ちました。
しかし、70年代半ばの日本音楽界は昭和歌謡、フォークソング、ハードロックなどが主流であり、逸脱したサウンドが大衆に受け入れらず、セールス的には成功しませんでした。
バンド解散後の山下達郎や大貫妙子の活躍により、80年代のシティポップの先駆けだったとして再評価されることになりました。
寺尾聡の「ルビーの指環」が大ヒットし1980年代が黄金期となる
しかし、シュガーベイブ解散後も、その音楽的なムーブメントは周辺の実力派ミュージシャンたちに受け継がれていきました。
例えばキャラメル・ママ(荒井由実、松任谷正隆、鈴木茂、細野晴臣、林立夫)がシティポップのサウンドを完成させます。後にティン・パン・アレイと改名し、様々なアーティストをサポートしました。
その後、山下達郎、竹内まりや、南佳孝らが、じわじわとファンを集めていく中、寺尾聰の「ルビーの指輪」がレコード大賞も受賞したことで、一躍シティポップが日本のメジャー音楽としてブレイクしました。
2010年代にDJが発掘し大ブレイク
そして90年代の渋谷系を経て、2010年代に再び巻き起こったのが「ネオ・シティポップ」ブームです。その背景にはVaper Waveと同時に、クラブDJからの再評価の動きがありました。
世界的なディスコ・ブギーの潮流の中で、日本の80年代シティポップが盛んにサンプリングされました。その結果、シティポップが海外でブレイクすることになりました。
それ以降、日本のシティポップ音源を求めて、世界各地からわざわざ日本へとレコードを買いに来るマニアが急増し、ブームが加熱していきました。
日本のアニメからシティポップを知ったという海外ファンも多い
このようにyoutubeやクラブなどでシティポップと出会ったコアな音楽マニアがブームを作った一方、今や世界中で親しまれる日本のアニメ作品のサントラでそれを知った人も少なくありません。
例えばフランスでは。毎年開かれる「ジャパンエキスポ」で日本のアニメと出会い、youtubeで検索して主題歌を聞き、アニメだけでなくシティポップにハマった人も続出したそうです。
細田守監督は「サマーウォーズ」と「未来のミライ」でそれぞれ山下達郎の「僕らの夏の夢」と「ミライのテーマ」を、ジブリの「風立ちぬ」ではユーミンの「ひこうき雲」が主題歌になりました。
清涼感のある新鮮なコード進行や構成力の高さも魅力
では、海外のリスナーがハマってしまった80年代シティポップの魅力とは何だったのでしょう。楽曲のクオリティが認められたのですが、何がそれほどまで彼らの心を掴んだのでしょう。
80年代直前の海外音楽シーンには、後に大ブームになるAORが登場し、日本のシティポップにも強く影響しました。そのため海外リスナーにも当時を思い起こさせる懐かしさがあると言われます。
しかし、海外AOR勢とは違う日本独自の新鮮な楽曲構成も人気の原因でした。メジャーとマイナーを曖昧に行き来するコード進行や、日本的なメロディラインと清涼感あるアレンジもシティ・ポップの魅力です。
熱狂的なファンからの支持は厚いが音源入手が難しい
SNSやクラブDJを中心に、ますますシティ・ポップブームは加速し、世界各地で日本のレコードが復刻、再発売されるようになりました。
シティポップファンの情報ソースは、レコードに入っているライナーノーツの解説です。どのミュージシャンが誰と関わっているかを読み解く重要資料として、それがネットやクチコミで伝わりました。
これまでブラジルやアフリカの音楽を発掘していた海外コレクターが、いま日本のレコードに注目しています。しかし、現地で音源を入手するのは、まだまだ難しいようです。
海外で人気になった理由①言葉の壁がシティポップの世界中な流行を遅らせた
日本の80年代音楽は、最近まで全く知られていなかった宝の山だった。海外からはそんな声も聞こえてきますが、当時は広がらなかった理由があるようです。
ネット上では、当時、世界で流行らなかったのを不思議に思う、といったコメントもある中、単純に言葉の壁があったから、とも指摘されています。
今ではyoutubeの日本語字幕は各国語へ自動翻訳されますので、80年代と比べて言葉の壁がなくなったことがボーダレスな流行の背景になったと言えます。
海外で人気になった理由②シティポップは時代を先行していた
youtubeや音楽SNSに投稿された、海外のシティポップ・ファンからの反応は、30年が過ぎた今でも、古臭さを感じないというコメントが多く見られます。
日本の独特な楽曲作りや、トップミュージシャン達の技術レベルの高さがブームの理由ではないかと語られています。
80年代にリーリスされた曲なのに、古さがないんだよ。編曲が優れてるからなんだろうと思ってる。00年代初期の曲に聞こえるくらい現代的なんだ。 国籍不明
(引用:5ちゃんねる)
海外で人気になった理由③流行はYoutubeのおすすめ機能によってつくられた?
日本の、しかも1980年代の音楽が、それまでまったく知識も興味もない海外の人達の耳に届くということが、いま実際に起きています
ネット・サーフィンしている世界中の人に、youtubeが竹内まりやの「プラスティック・ラブ」をリコメンドしているのです。これは80年代には考えられなかったことです。
YouTubeがやたら「プラスチック・ラブ」を勧めてきてたんだよ。何で昔の日本の曲を俺に勧めて来るのか理解出来なかったんだけど、渋々ながら重い指先を動かしてみて本当に良かった。
(引用:5ちゃんねる)
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必聴!シティポップの名盤・名曲を大紹介!【女性ボーカル編】
海外のリスナーは、日本人の私達も知らない昔の曲で盛り上がっているようです。どんな感想が語られているのかも気になりますね。
そこで、あらためて日本のシティ・ポップの名盤・名曲を集めてみました。まずは女性ボーカル編です。世界からのコメントと併せてお届けします。
石川セリ「ときどき私は…」1976年
石川セリのセカンド・アルバムにして代表作である「ときどき私は……」のタイトルナンバーです。松任谷由美、松本隆らの都会的な作品をアンニュイながら伸びやかな歌声で聴かせています。
石川セリは同時期デビューの松任谷由実がライバルであると公言していたとおり70-80年代のシティポップの代表的女性シンガーです。あまり知られていませんが井上陽水夫人でもあります。
「寒い夜にキャンドルを置いたまま座って聴くのに最適な曲 オーケストレーションはまたしても息を呑みます〜」
(引用:YouTube)
ICE「spirit」2002年
洗練された大人のポップスを凝縮したミニアルバム「SPIRIT vol.1」からのシングル曲。ダンサブルでありながらも切なさと浮遊感が同居する90年代シティポップの隠れた名曲です。
故・宮内和之を中心に、コーラスをしていた国岡真由美をメインヴォーカルに迎え、1990年に結成されたユニットです。宮内はウルフルズ松本や斉藤和義などからも兄貴と慕われる存在でした。
microstar「夜間飛行」2012年
microstar は1996年に佐藤清喜と飯泉裕子によって結成されたポップユニットです。結成当初のテクノポップ・サウンドから、徐々にシティポップ路線へと変遷していきました。
「夜間飛行」は2012年の7インチシングルで、1stアルバム「microstar album」、シングル「夕暮れガール」に続き、インディーズシーン、クラブDJから絶大な支持を集めました。
「良い声、良いメロディー」
「なんて美しい歌!大好きです」
(引用:YouTube)
竹内まりや「プラスティック・ラブ」1984年
竹内まりや作詞作曲、山下達郎プロデュースのアルバム「VARIETY」からのシングルカット。発売時は1万枚以下のセールスでしたが、この曲が海外シティポップブームの火付け役となりました。
2007年YouTubeにアップされてVaperWaveの定番素材として世界中へ伝搬し、何度も削除された今でも視聴回数2,600万回を数え、日本のシティポップの代表曲とされています。
YouTubeの字幕も英語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、ベトナム語など全世界対応の人気を誇ります。あまりの人気にワーナーがリリース35年目で初めての公式MVを製作し、一部を公開しました。
「人気が高まり、消えた後に復活し、さらに人気が高まり、再び消え、そして再び復活した曲、Plastic Love。」
「25Mのプラスチックラブのビデオが帰ってきて、ワーナーが公式ミュージックビデオを発表。なんて週なの!」
(引用:YouTube)
大貫妙子「都会」1977年
シュガーベイブ解散後、1977年のソロアルバム「SUNSHOWER」に収録。編曲は坂本龍一、ベースが細野晴臣です。セールスのことは考えなかったというサウンド指向シティポップの傑作です。
テレビ東京「YOUは何しにニッポンへ」で、海外からこのアルバムを買いに来たDJの男性スティーブさんに密着しました。お茶の間が初めて、海外で80年代日本のシティポップがブームだと知った瞬間でした。
「この曲が1977年にリリースされたことに気づいたとき、この曲のアレンジは私の心を完全に吹き飛ばした。」
「どうやって彼女は悲しみ、清潔感、暖かさ、憂鬱、そして太陽の光をこの歌に込めているんだろう? これは間違いなく才能です。」
(引用:YouTube)
松原みき「真夜中のドア~stay with me」1979年
https://www.youtube.com/watch?v=k-KAY_Glmn4
アルバム「POCKET PARK」に収録された松原みきのデビュー・シングルです。オリコン最高28位でしたが、今では竹内まりやと双璧を成す定番のシティポップ・シンガーとされています。
大橋純子、竹内まりや、稲垣潤一などに楽曲提供していた林哲司が作曲を担当。後藤次利、林立夫、松原正樹、穴井忠臣ら豪華ミュージシャンが洗練されたサウンドメイクを支えています。
「これと「プラスチックラブ」は私には起こらなかったことを懐かしくさせます。説明するのは難しいです。」
「この曲は1980年に発売され、38年後の今、メキシコ人男性がこの素晴らしい曲を聴いています。」
(引用:YouTube)
亜蘭知子「浮遊空間」1983年
3rdアルバム「浮遊空間」からのタイトルソング。長戸大幸、織田哲郎と共にBeingを創業した亜蘭知子は、「渚のオールスターズ」のメンバー、作詞家でもありました。
外国人がディスクユニオンで必ず漁るレコード・タイトルと言われるほど人気が高く、このブーム再燃を受けて、このアルバムも2018年8月22日に再発されました。
「和ものレアヴルーヴの中でも亜蘭知子とかは海外のDJも注目してる作品だね」
「亜蘭知子が海外で(小規模に)バズっているので、あらためて聴いてみたところ超超超超超Vaporwaveでした」
(引用:twitter)
大橋純子「テレフォンナンバー」1981年
「たそがれマイ・ラブ」や「シルエット・ロマンス」のヒットで知られる大橋純子。1977年の第6回東京音楽祭世界大会ではその抜きん出た歌唱力で外国人審査員を虜にしたという超実力派シンガーです。
「テレフォンナンバー」は、1981年のアルバム「Tea For Tears」収録の大人のシティポップです。伸びやかな高音域が心地よい大橋純子に、海外DJからの注目が集まりました。
「これは絶対に素晴らしい、シティポップサウンドの典型的な例です。」
「この曲にもう2、3ヶ月与えれば、Youtubeのアルゴリズムが魔法を働かせるでしょう」
(引用:YouTube)
間宮貴子「Love Trip」1982年
1982年発表の間宮貴子、唯一にして最高傑作と呼ばれる「LOVE TRIP」のタイトルソング。清涼感あるメロディラインと都会的な歌詞はザ・シティポップです。
椎名和夫プロデュース、山下達郎バンドという豪華サポート陣が脇を固めました。しかし、この作品を最後に彼女は音楽界から姿を消して伝説の人となりましたが、世界各地で人気が再燃しています。
「City-Popジャンルを発掘しています。 これは、70年代後半から80年代後半にかけての都市の現代的な雰囲気を非常によく感じさせます。」
「過去の人生の中で80年代の一時期、私は日本人だったように感じていると誓います…」
(引用:YouTube)
国分友里恵 「 スノッブな夜へ」1983年
シティポップ・ファン必聴のソングライター国分友里恵のデビュー作。林哲司プロデュースによる1stアルバム「relief 72 hours」の1曲目を飾るソウルフルでアップテンポな名曲です。
高まる海外評価の波に乗って、レコード初発から35年を経た今、初めてCD化されました。
「秘宝。」
「素晴らしい声 !」
(引用:YouTube)
荒井由実 「中央フリーウェイ」1976年
荒井由実が1976年に発表した4枚目のアルバム「14番目の月」の収録曲。国民的スタンダードですが、今や海外の人にも聴かれています。(動画のジャケ写が違うのも言葉の壁ですね)
制作陣は今でや考えられない程の超豪華メンバーでした。演奏に松任谷正隆、細野晴臣、鈴木茂など、コーラスパートだけでも山下達郎、吉田美奈子、大貫妙子、尾崎亜美などが参加しています。
「素敵な歌」
「うわー、私はそれが1976年からであると信じることは本当に難しいと思います。とても新鮮に聞こえます!」
(引用:YouTube)
山根麻衣「WAVE」1980年
数々の大物アーチストをサポートした超実力派シンガー山根麻衣。1980年発売の1stソロ・アルバム「たそがれ」に収録されたこの曲は、疲れた大人を癒やしてくれるメロウ・グルーヴの名曲です。
サウンド・プロデューサーは当時AB‘Sで活動中だった松下誠で、スタジオには国内の超一流ミュージシャンが集結しました。
「スムーズで官能的でセクシー。シティポップの私のプレイリストを構築し始めたところです。ありがとう。」
「これは私をある天国へ連れて行ってくれる」
(引用:YouTube)
いしだあゆみ&T・P・A「アワー・コネクション」1977年
「ブルーライト横浜」をヒットさせたいしだあゆみが、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆らの音楽ユニット、ティン・パン・アレイと共同制作したアルバム「アワー・コネクション」の1曲です。
コーラスには矢野顕子、吉田美奈子、山下達郎らが参加し、昭和歌謡とシティポップスが交錯した時代を象徴する作品となりました。
「これは素敵なアルバムです。Tin Pan Alleyはとても優秀で才能がありました!」
「なんて素晴らしいアルバムでしょう。しかし、私は彼女の他の作品を見つけるのに苦労しています。」
(引用:YouTube)
吉田美奈子「頬に夜の灯」1982年
1982年に発表された吉田美奈子9作目のアルバム「Light’n Up」に収録。グルーブ感あふれる本作の中でも「頬に夜の灯」は、海外DJイベントではトリを飾るほどの人気曲です。
吉田美奈子は大滝詠一の名曲「夢で逢えたら」を最初に歌いました。しかし他人の作った曲が代表作になるのは嫌、という理由で自分の曲としてはシングルカットしませんでした。
「素晴らしい声と素晴らしいプロダクション!あのサックスはやばい!」
「ああ、なんていい曲、いい演奏、気持ちいい。」
(引用:YouTube)
中原めいこ「プライベート・ビーチ」1990年
アルバム「ダイヤモンド見分けなさい」の収曲です。1984年の「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」がヒットして以来、学園祭の女王と呼ばれました。
1982年デビュー時のキャッチフレーズ「第二のユーミン」について、気に入らなかったと語っています。92年の最後のライブ以降は作詞家として活動しました。
「インターネットがなければ、このような宝を見つけることは不可能です。インターネットありがとう」
「80年代の日本人は今以上に音楽の趣味がいい」
(引用:YouTube)
杏里「ラスト・サマー・ウィスパー」1982年
杏里4枚目のアルバム「Heaven Beach」に収録のナンバーです。ブレッド&バター、小林武史、神田広美、角松敏生が楽曲提供し、シティポップ色を明確に打ち出しました。
このアルバムが、それまでのニューミュージック路線からシティポップ路線へのシフトを決定づけ、夏の海辺で聴きたいポップスのイメージを確立しました
「ありがとうございます。初めてのプラスチックラブ、松原美希、大橋純子、今これ」
「この曲は私が宇宙空間に浮かぶ柔らかいふわふわの雲の上に乗っているような気分にさせてくれます」
(引用:YouTube)
八神純子「黄昏のBay City」1983年
「みずいろの雨」や「パープルタウン」がヒットした八神純子の1983年のシングル曲。全体にシティポップ色が際立つ、7作目のアルバム「FULL MOON」に収録されています。
この曲のリリース後、全曲英語のアルバムを発表しましたが、それでも満足できずに渡米し、以来、ロサンゼルスに在住しています。
「この曲が大好きです、私がそれについて見つけたvaporwaveに感謝します」
「あなたがこれを偶然見つけたなら、おめでとう!あなたは選ばれた人です」
(引用):youtube )
菊池桃子「OCEAN SIDE」1984年
菊池桃子といえば80年代を代表するアイドルでした。なぜ菊池桃子が?と感じるかも知れませんが、彼女はいま海外ではシティ・ポップス・シンガーとして認知されているのです。
人気の秘密は、1984年のデビューアルバム「OCEAN SIDE」の制作陣でした。林哲司が楽曲提供し、林立夫、青山純、村上秀一、富樫春生、斉藤ノブなどがバックを固めました。
このアルバムはシティポップの隠れた名盤だと言われています。
「サウンドのクオリティが凄い」
「後ろでパーカッション演奏してるのは、元ウェザーリポートのアレックス・アクーニャ!」
(引用:YouTube)