酒鬼薔薇聖斗の現在と神戸連続児童殺傷事件の詳細や手記絶歌を解説!社会

酒鬼薔薇聖斗の現在と神戸連続児童殺傷事件の詳細や手記絶歌を解説!

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6月4日、神戸新聞社に第二の犯行声明文が届けられる

6月4日に酒鬼薔薇聖斗は神戸新聞社に第二の犯行声明を送ります。これは酒鬼薔薇聖斗の名前を鬼薔薇という様に読み間違えていたことに対して怒りを覚え、犯行声明を出しました。

犯行声明を出すことで、自身の事を読み間違えないように脅しを掛けたつもりでしたが結果として自身の首を自ら占めることに繋がってしまいます。

後に逮捕後も少年Aは「調子に乗ってしまった」という様な内容の供述を行っています。

第二の犯行声明文の内容

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第二の犯行声明の文書はまず自身の名前が間違えて報道されている事に対しての怒りが書かれていました。、また酒鬼薔薇聖斗という名前が本名であり、国籍がないと言った内容が書かれていました。

続けて、殺人を犯したのは自身の存在証明を行うための方法であり、復讐のために行ったという内容が書かれています。この復讐相手は義務教育とそれを生み出した社会に対して行うものであると記載されていました。

さらに自分自身に対して執着心が強く、間違えられることに対して怒りを覚えるということや警察にしっかり自分自身を操作するようにといった挑発的な内容まで記載されていました。

声明文を書くにあたってイメージした犯人像

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声明文を少年Aが書いているときにある人の事をイメージして書いたという様に後に語られています。

これは『未解決 —封印された五つの捜査報告—』という作品に登場する人物で、30代男性で、自分の育った環境から義務教育やそれを生んでいる社会を憎んでいるとい登場人物です。

この作品に出てくる男性と、少年Aは境遇も近いこともあり、この人物を創造して犯行文を書きました。

極秘で専属チームが結成され捜査が続けられる

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第二の犯行声明が出された後、少年Aの報告書を知っている何人かの捜査官は幹部に報告書を極秘に提出します。

そして極秘に結成された操作チームが誕生します。そして少年Aについて捜査が進められます。そこで少年Aは不審者リストにも載っていたため、捜査線上に浮上します。

少年Aの通う学校に作文などの情報提供を求め、さらに最初の事件の被害者の少女にも写真で確認したところ、少年Aが犯人であるという結論に至りました。

6月28日、酒鬼薔薇逮捕。通り魔事件の犯行も認める

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6月28日の朝、少年Aは殺人、死体遺棄の容疑で警察から任意同行を求められます。

その後警察署で取り調べを受けた際に、筆跡鑑定の結果同一人物であるということを少年Aに捜査員が伝えると、声をあげて泣きだしました。そして自身が犯人であるということを認めました。

そして同日午後7時5分頃、少年Aは殺人、死体遺棄の罪で逮捕されます。また、通り魔についても自身が行ったことだと認め自供しました。

同日、酒鬼薔薇自宅の捜索も行われた

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同日に少年A宅に捜査官が家宅捜査が行われました。家宅捜査では、犯行声明文に使われていたと思われる茶封筒や、小刀、さらには犯行メモや自身のシンボルマークである風車の絵も出てきました。

さらに父親が天井裏を外すとそこには何日も前に乾いた赤茶色のシミのようなものが発見されました。これは頭部を隠した際についたと思われる血痕でした。

これらの状況証拠や、少年Aの自供もあり、少年Aは有罪判決を受けることになるのです。

逮捕後から少年院出所までの酒鬼薔薇

逮捕後に酒鬼薔薇聖斗はあ少年員に送還されます。残虐な事件であり2人を殺害したものの、14歳以下であったため、少年院に入院となりました。

そのため、少年院に搬送さえてからは精神鑑定を受け、更生プログラムが組まれました。しかし少年院でも様々な問題が起こりました。

今回は酒鬼薔薇聖斗が少年院に入院してから出所するまでの事を紹介していきます。

6月29日、神戸地検へと送致される

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6月29日に少年Aは神戸地検に送致されます。神戸地裁は地検に少年Aを10日間を拘留することを許可しました。

少年Aは拘留されているときに、弁護団を付けました。また弁護団の人数も最初は3人であったものの、5人、8人と増員されていきました。

これは、少年Aが少年であるために、毎日接見する必要があるという考えがあり裁判所に弁護団側から申し立てがあり受理されました。

懸命な捜査で金槌、ナイフなどの証拠品が次々と発見され事件も明らかになっていく

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少年Aが逮捕後に捜査を懸命に行うことで、少年Aが犯行に使った凶器などの証拠品が次々に発見されました。

また事件後も取り調べを行い、男児の殺害以外にも通り魔の犯行を行ったなど、事件の全体像が見えてきました。

発見された犯行メモの内容とバイモドキオ神

事件の証拠品として回収された犯行メモに「バモイドオキ神」という神に対して書かれた内容のものが書かれていました。

これは、事件の内容が書かれていて最初の女児の事件や2件目の女児を刺殺しようとした事件など事件について詳細に書かれていました。

そして、このメモの内容でバモイドオキ神に対して、感謝をするといった内容や自身を守るようにということを書かれていました。

精神鑑定の結果、性的サディズムと診断される

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少年Aは脳の検査を行いました。精神障害の可能性があったため、脳をレントゲン検査やCT検査、MRI検査などの脳の検査を行いました。またホルモン検査なども行いました。そのため障害はないと考えられました。

また、知的障害もなく意識も清明であり精神疾患や解離性同一障害ではないと判断されました。

そして、少年Aの行動から性的サディズムであるという診断を受けます。少年Aは最初はナメクジなどが相手でしたが、対象が猫などの小動物になり最後は人という様になっていきました。

同年10月13日、精神鑑定の結果に基づき関東医療少年院に移送

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少年Aは精神鑑定後に家庭裁判所が判断し、第三種少年院と言われる関東医療少年院に収容されることになりました。

この第三種少年院と言われる施設は、心身に著しく障害のある12歳から26歳未満のものが収容される施設であると言われています。

この施設は全国で2か所のみ存在しています。一つ目は少年Aが入院したこの関東医療少年院でもう一つは、京都医療少年院の二つになります。

関東医療少年院では治療の為、疑似家族という治療体制が取られた

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関東医療少年院に入院した後、少年Aは治療を行っていくことになりました。この治療では疑似家族と言われる治療方法を行っていくことになりました。

少年Aの事件を受け、法務省はG3と言われる収容期間を2年以上に延長した更生プログラムを構成しました。この中で少年Aの疑似家族というプログラムが含まれていました。

理想の母と称した女医の悪口を言われ豹変

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疑似家族の更生プログラムを実施していく中で、少年Aと関わり続けていた女医が少年Aの中では理想の母親としての立ち位置を確立していきました。

少年Aは女医の事を慕っていました。しかし、この女医を別の院生が「い色っぽい白い豚」と悪口を言った際に初年Aは激怒し、その院生に向かってボールペンを突き刺そうとしました。

このことで、少年Aの殺人衝動の引き金を引いてしまい、この一件でここまでの強制プログラムが振り出しに戻ってしまいました。

2001年、東北中等少年院に移る。そこではいじめも

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2001年に少年Aは東北中東少年院に移送されます。移送後、少年Aは他の院生からいじめを受けます。

さらに院生の中の一人が共感の書類を盗み見ることがありました。すると少年Aの名前が偽名であるということを知ります。そこで少年Aが酒鬼薔薇聖斗であるということが知れ渡ります。

そのことでさらに少年Aに対していじめが過激化していってしまいます。そして少年Aは奇行を働いたりしてしまいます。

2002年、カッターナイフを振り回すなどの奇行が見られた

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2002年の夏に少年Aは奇行を行っているところを発見され、院内の職員によって止められます。この機構とは半裸でカッターナイフを振り回しているといったことでした。

これはいじめがさらに過激化したことでフラストレーションがたまり起こってしまったと考えられています。

またカッターナイフを振り回している際、自分の性器を切りつけるなどの自傷行為も見られました。そのため少年Aは個室に軟禁されました。しかし、動揺が冷めず危険行為も続いていたため奇行であると判断されました。

上記の騒動を受けて神戸家裁は2004末までの収容を決定

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少年Aは奇行を行ったため、神戸家庭裁判所は2004年待つまで少年員に収容されることになりました。

これは少年Aが奇行を行っていることなど危険性が高く精神的にも安定していないため、拘留機関を長くするという対応を取りました。

しかし2003年に一度関東医療少年院が少年Aの仮退院を求めていました。しかし被害者らが少年Aが更生していないのではないかという批評の声や疑問の声が上がっていました。

2004年、酒鬼薔薇は少年院を仮退院する

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2004年に少年Aは少年院を仮退院します。そして仮退院を行った後は、ある団地の一室で生活していました。この時は少年Aは法務省関係者と同居し、生活していました。

また仮退院してから数日後に工場に就職し、仕事を行っていました。仕事もまじめに行っていました。さらに炊事や買い物など仕事以外の事も行うことになっていました。

さらに精神科の職員とカウンセリングを行うなどのフォローも行われていました。少年Aは身元を隠すために偽のプロフィールや学歴なども用意されていました。

仮退院の理由なども公表。少年事件では異例!

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少年Aの仮退院の理由を法務省が公表しました。少年事件の中で仮退院の理由を公表したケースは異例でした。

この少年Aの事件では前例のない事件であったため、この事件は様々な対応が初めてのケースになっていました。

仮退院中の酒鬼薔薇の様子

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少年Aの仮退院中の様子は真面目に働いていたと言われています。初年Aは工場で溶接工として働いていたと言われています。また仕事をまじめに行っていました。

さらに、炊事など火事モ行うなど私生活もまじめでした。筋トレやランニングなども行うことで身体を鍛えることも行っていました。精神的なフォローもカウンセリングなどで行っていました。

少年Aは母親にも何度か会うなど、実際の家族との交流を行っていました。2005年、1月1日、少年院を退院しました。

2005年、1月1日、少年院を退院

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2004年末まで荘園Aは保護観察期間でした。そのため2005年1月1日から少年Aの保護観察期間は終了し、少年Aは少年院を本退院したことになりました。

そのため、同居人も居なくなり少年は一人で生活することになります。また生活する中でも大きな制約もなく飲酒が可能であったり、ゲームを行ったりもできました。

本退院にあたっては各所より疑問の声が寄せられる

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少年Aが本退院する際に各所から疑問の声や、批判的な声がありました。被害者、被害者家族らからは、この短い期間で少年Aが返信したのかといった批判や疑問が上がりました。

さらに一橋文哉も法務省に対して批判していました。法務省は少年Aの奇行を有耶無耶にしたまま、退院を許可している事から、法務省の面子のためや保身のために退院を決めたということで批判しています。

酒鬼薔薇の所在について様々な憶測や噂が飛び交った

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少年Aは退院後の所在や今後どのような動きが起こるのかなど様々な憶測が飛び交いました。

事件が起こった神戸市では住民が少年Aが家族を連れて戻ってくるのではないかといった不安の声も聞こえました。また住んでいるところも関東圏にいるのではないかなど少年Aの所在に関しても噂や憶測が出ました。

本退院後の1月20日発売の週刊新潮について

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本退院後に発売された週刊新潮では退院前に女性医師を少年Aが襲ったという内容の記事が書かれていました。

この記事では、退院まじかの2004年12月にカウンセリングを行っていた精神科医の女性に対して暴行しようとした暴行未遂が起きていたと書かれています。

しかし、この事件が公になってしまうと、法務省の面子がつぶれてしまうため有耶無耶になり、少年Aが本退院しているため、本当に更生、完治しているのか疑問であると言った内容が書かれています。

酒鬼薔薇は更生してないとの指摘が多数

少年Aは現在も更生していないのではないかといった指摘が数多く存在しています。まず最初に少年Aが本退院までの奇行があったことです。

また、仮退院中にも女性医師に対して暴行未遂を働いているなど行動を制御できていないことです。

また事件の事に関する自伝を出版しており、被害者家族にも相談せずに独断で行っているということから、更生していないのではないかという指摘があります。

酒鬼薔薇の家族とその後

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酒鬼薔薇聖斗を名乗っていった少年Aは逮捕後少年院に入院し、その後本退院した後は、一人で生活を行っていました。

しかし、少年Aの家族は事件後様々な変化が起きました。少年Aの両親は事件後離婚し、周囲の人からも罵倒されたり、批判的な言葉を浴びせられたりしていました。

今回はそんな少年Aの家族がどのような変化をしていったかを紹介していきます。

事件後、酒鬼薔薇の両親は離婚している

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事件後少年Aの両親は、世間からもバッシングを受けました。さらに両親の身元がばれてしまっているため、父親も仕事を辞職してしまいました。

そして、父親は少年Aの弟二人の親権をどちらにするかを通学問題なども考え妻と協議し離婚します。

子煩悩だが仕事が多忙、感情的な父親

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少年Aの父親はもともと仕事がかなり多忙でした。そして休日も自宅で過ごすことも少なく、ゴルフに行くなどして過ごしていたため家で過ごすことが少なかったのです。

少年Aの父親は当時勤めていた会社は神戸市にある会社で働いていました。そして会社自体も大手有名メーカーであったと言われています。

そのため仕事に対しても真面目であり、仕事熱心な性格でした。そのため少年Aに対しても感情的に怒コルことも多かったようです。

異常に躾に厳しい父親

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父親は長男である少年Aに対して以上に厳しい躾を行っていました。父親は大手有名メーカーで働いており、仕事も真面目に取り組むような性格でありました。

そのため子どもたちに対する躾も厳しく行っていました。特に長男である少年Aに対しては、他の子ども以上に叱られるということが多かったのです。

少年Aたちに対して暴力を行ってはいけないという躾を行ってたものの、叱られているときは体罰もありました。

両親とも子供の変化に鈍感だったと称される

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少年Aの両親は子どもの変化に対して鈍感であったと周囲からも称されていました。普段使わない衣装ケースからナイフを発見したときもナイフを使った児童殺傷事件後も少年Aを疑わなかったのです。

あらに少年Aが男児の頭部を切断した後、少年Aは友人たちと遊びに行くために集合場所に直行します。その時周囲の友人から見ても居ような状態でした。しかしその時も母親も疑わなかったのです。

このように事件後に自身の子どもである少年Aの異常な行動があったのにも関わらず、一度も疑うこともなく、有耶無耶にしているということから子どもに対しての意識が薄く、鈍感であったと言われています。

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