伝説の暴走族・ブラックエンペラーとは?歴代総長は?映画化された? エンタメ

伝説の暴走族・ブラックエンペラーとは?歴代総長は?映画化された?

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1982年、ドキュメンタリー映画「俺たちの生きた時間」制作

ブラックエンペラーのドキュメンタリー映画「俺たちの生きた時間」は1982年に制作されています。

「俺たちの生きた時間」は千葉ブラックエンペラーや茂原ブラックエンペラー「赫夜姫(かぐやひめ)」のドキュメンタリー映画です。当時のツッパリブームで一般劇場でも公開されました。

ブラックエンペラーだけじゃない?元ヤンの芸能人は?

ブラックエンペラー出身の元ヤンキーの芸能人以外にも、元ヤンではないかといわれている芸能人がいますが、そんな人達を紹介します。

織田裕二

織田裕二さんは、1967年12月13日生まれの51歳で、俳優・歌手です。1987年4月に公開された「湘南暴走族」にデビューし、江口洋介さんと共演しています。

ヤンキー時代は「3倍返しの織田」といわれていたそうで、喧嘩で織田に一発パンチすると3発返って来るとヤンキーの間では有名だったといわれています。

江口洋介

江口洋介さんは、1967年12月31日生まれの俳優・歌手で東京都豊島区出身です。

湘南暴走族の総長だったという噂がありますが、1987年に出演した映画「湘南暴走族」の影響も大きいようです。

的場浩司

的場浩司さんは、1969年3月28日生まれ、埼玉県上尾市出身の俳優・タレントです。

的場浩司さんは、バリバリの暴走族だったことは有名です。暴走族だった18歳の頃に、テレビ番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の草野球コーナーに出演しています。

その後1988年の映画「首都高速トライアル」で本格デビューしました。

バッドボーイズ 佐田正樹

バッドボーイズの佐田正樹さんは、1978年9月13日生まれ、福岡県粕屋郡出身のお笑い芸人です。

佐田正樹さんは、福岡の暴走族「幻影」の元総長でした。学生時代に修学旅行の当日、福岡県警に対して迷惑行為を行ったとして逮捕された経験があります。

暴走族の総長として福岡で名を売っていた佐田さんを警察署で連行した時は、署内でお祭り騒ぎだったといいます。

品川祐

品川祐さんは、1972年4月26日生まれのお笑い芸人です。不良漫画に憧れて優等生の私立から公立へ転向しています。

自身の半生を描いた漫画「ドロップ」によると、学生時代はヤンキーグループとつるんで別のヤンキーと抗争していたといいます。

土田晃之

土田晃之さんは、1972年9月1日生まれ、東京都練馬区生まれで埼玉県大宮育ちのお笑いタレント・司会者です。

土田晃之さんは、ヤンキーでも喧嘩や集会は面倒くさいというタイプだったそうで、どちらかというとサッカーとかテレビが好きな喋り専門のヤンキーだったようです。

赤井英和

赤井英和さんは、1959年8月17日生まれ、大阪府大阪市出身の俳優・タレントで元プロボクサーです。

学生時代は「浪速のロッキー」と呼ばれ、赤井さんが登校時に乗る電車の車両には、怖くて誰も近づかなかったそうで、赤井さんの乗る車両は貸切状態だったといいます。

渡瀬恒彦

渡瀬恒彦さんは、1944年7月28日生まれの俳優・歌手で2017年3月14日に亡くなっています。兄は俳優の渡哲也さんで、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦さんです。

渡瀬恒彦さんの武勇伝は、芸能界でもかなり有名ですが、彼を古くから知る芸能関係者は「渡瀬さんが一番」と口を揃えていうほど、その強さは伝説として語り継がれています。

松方弘樹さん、梅宮辰夫さん、安岡力也さんら強面役者も「恒彦とは喧嘩しない」と言っていたそうです。

岸谷五朗

岸谷五朗さんは、1964年9月27日生まれの俳優で、妻はプリンセルプリンセスの岸谷香さんです。

岸谷五朗さんは、本格的なヤンキーだったそうで、喧嘩が恐ろしく強く東京都三多摩地区では「三多摩の五朗」と恐れられていたそうです。本人も当時は喧嘩っ早くてキレやすかったと話しています。

真木蔵人

真木蔵人さんは、1972年10月3日生まれの俳優・プロサーファーです。父親はマイク眞木さんで、母親は前田美波里さんです。

湘南系チーマーで喧嘩も相当強かったといわれています。十代半ばにサーフィンをするようになり、先輩から「サーファーとヤンキーとどっちをやるんだ」と聞かれサーフィンを選んだそうです。

ブラックエンペラーの関連商品

ブラックエンペラーの関連商品であるステッカーやTシャツなどが、ブラックエンペラーの公式サイトから販売されています。

ブラックエンペラーのステッカーなどの商品も売られている

ブラックエンペラーの関連商品には、ステッカーやTシャツ、キャップ、ポスターなどの商品も売られています。

ステッカーも定番ステッカーから、ドラゴンステッカー、漢字ステッカーなど多くの種類が揃っています。

暴走族の歴史とその関連事件とは?

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暴走族の始まりは、昭和30年から40年代にカミナリ族と呼ばれていた若者たちでした。当時彼らはヘルメットもかぶらず水平乗りで夜の高速道を飛ばすなどしていました。

カミナリ族は、雷のような爆音を響かせて車の間を縫うようにオートバイで走行していたため、そう呼ばれるようになりました。

その後、カミナリ族は規模や行動範囲が拡大し、サーキット族と呼ばれるようになり、1970年代半ばには暴走族と呼ばれるようになりました。そうした暴走族による事件をまとめてみました。

1969年5月17日

名古屋のテレビ塔付近でカミナリ族が群衆2000人を巻き込んで暴れ、愛知県警機動隊が出動しています。こうした事件は1968年から頻繁に起こっています。

1971年11月8日

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警視庁少年1課は「志竜会」を結成、オートバイや自動車を無免許で乗り回し、恐喝、暴行を繰り返していた非行高校生206名を補導しています。

1972年6月17日~18日

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1972年4月頃から富山駅前の繁華街を走り回っていたサーキット族のうち1台が6月17日に乗用車に衝突し、8人が重軽傷を負いました。

この事故により警察の規制がありましたが、これに反発し100台以上のサーキット族が暴動を起こした「富山事件」が起こりました。

1974年9月28日

六本木で「ブラックエンペラー」40人と「みなごろし」20人による乱闘騒ぎが起きました。

1975年1月18日

湘南の片瀬海岸で暴走族7グループ700人による大乱闘が発生し、放火、凶器準備集合罪などで5人を逮捕、17人が補導されました。

1975年5月17日~18日

「神戸まつり」に暴走族が侵入し、警察官44人が負傷、見物人4人が負傷、横浜、東京、愛知でも暴走族による事件が続発しました。

1977年9月17日

「大井ふ頭乱闘事件」が起きました。大井ふ頭に集結した「スペクター」約1300人に対し、「極悪」約100人が襲撃し、機動隊が出動しています。

1978年以降は、道路交通法の改正などにより、暴走族による集団事件は徐々に減少し、解散する暴走族も出てきました。

その後暴走族は、運転技術を競う「街道レーサー」や「走り屋」と呼ばれるスタイルに変化しました。

芸能人や有名人を排出しているブラックエンペラー

ブラックエンペラーは、1960年代末から1992年までに活動した暴走族で、1970年代の暴走族最盛期に連合組織「関東連合」を結成し、総メンバーが2,000人を超える巨大な暴走族グループとなりました。

歴代総長には、創始者である泉輝雄総長、芸能人になった3代目総長の本間優二さん、三多摩支部長から7代目総長になった宇梶剛士さんらがいます。また、初代レディース総長は山田加奈さんでした。

宇梶剛士さんはその後菅原文太さんに拾われ、俳優としてデビューしました。ブラックエンペラーは今でも公式サイトが存在し、ステッカーやTシャツなどのグッズを販売し、その伝説は語り継がれています。

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