遠藤誠一(オウム真理教の元幹部)はどんな人?関わった事件は? 社会

遠藤誠一(オウム真理教の元幹部)はどんな人?関わった事件は?

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遠藤誠一は出家後イニシエーション開発を行った

遠藤誠一は出家後、麻原からバイオテクノロジーの応用研究を任されました。遠藤誠一の初めの仕事はCMIでのイニシエーションの開発とAFIでの食料品開発でした。

これにより、遠藤誠一はオウム真理教の布施獲得から得る収益基盤を作るのにかなり貢献しました。そして、麻原からの出家したら研究室を贈与するという約束は実現し、ビルの一角に専用研究室を与えられました。

イニシエーション開発ではシークレットイニシエーションと愛のイニシエーションの開発を主に行いました。

遠藤誠一はAFIの責任者も務めた

遠藤誠一はAFI、アストラル・フード・インスティチュートという食料を統括するところでも責任者を任され、

健康食品を製造・販売し資金稼ぎにも貢献

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アストラル丹、ソーマ、サットヴァレモンなどの健康食品を製造販売し、さらなる教団の収益獲得に貢献しました。

教団には「えんじょい・はぴねす」という女性向けの刊行誌があり、そこではクッキングコーナーを担当しました。

遠藤誠一は麻原の主治医や陸上競技部のコーチ等も務めた

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遠藤誠一は医師の資格は持っていなく、獣医の資格しか持っていなかったが、麻原の主治医になり、教団の陸上競技部のコーチも務めました。

麻原の寵愛をものにし4女・松本聡香を出産で取り上げ許嫁に

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麻原に信頼され、教団の中で様々の役割を果たした遠藤誠一は、麻原から麻原の四女の松本聡香の許嫁になり、将来麻原の義理の息子になることを約束されます。

そして、1989年、四女の出産に立会い、取り上げました。そして寝ている四女を見たとき、青い光が彼女から出て自分の胸に入って行く体験をし、恋心を抱いたと語っていました。

四女は遠藤誠一のことを子供っぽい人だったと語っており、遠藤誠一は逮捕された当時、もう一度四女とババ抜きをしたかったと語っていたそうです。

真理党から選挙へ出馬するも落選し、その後は生物兵器の開発へ

1990年にオウム真理教は政界進出を計画し、真理党を結成。第39回衆議院議員総選挙に立候補します。この選挙にて渋谷周辺の地区の選対リーダーを遠藤誠一は任され、旧千葉4区から出馬もします。

しかり、見事に落選しました。さらに、これにより母親が遠藤新一の入信を知ることになり、周囲の人に息子とは縁を切ったと話したとのこと。

真理党が落選したことにより、麻原は大量殺人のための生物兵器の開発を計画し、遠藤誠一に開発を任せます。

生物兵器の開発は成功しなかった?教団は化学兵器の開発へ

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麻原は、遠藤誠一にボツリヌス菌、ペスト菌や炭疽菌の培養を指示しますが、遠藤誠一は遺伝子学が専門だったため、細胞学に詳しくなく、失敗に終わりました。

その後、化学兵器の開発へと方向転換しました。

遠藤誠一は中川智正を追い出し土谷正実を部下にした

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遠藤誠一は、土谷正実を自分の部下にするために中川智正を無理やり追い出し、土谷正実とともに幻覚剤LSDの合成を成功させます。

土谷正実への嫉妬心で部下に八つ当たりし孤立していく

幻覚剤LSDを合成させた時は、土谷正実と遠藤誠一はとても仲がよかったですが、その後二人の仲は悪くなります。

遠藤誠一は土谷が正式に部下になると、麻原との接触を禁止するようになります。原因は、遠藤誠一が生物兵器の開発に失敗し続けたための土谷への嫉妬心と考えられます。

遠藤誠一の態度は悪化し、機嫌が悪い時は部下にものを投げたり罵ることもありました。そして孤立するようになってしまい仲がよくなることはありませんでした。

遠藤誠一と土谷正実の不仲により第一厚生省、第二厚生省ができた

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土谷正実によると、遠藤誠一はかなり嫉妬深く、他人の手柄を自分のものにすることもあったそうです。

そして、二人の不仲が原因で遠藤は厚生省は第一厚生省と第二厚生省に分裂することになりました。

遠藤誠一の担当は第一厚生省でしたが、なぜか土谷が責任者の第二厚生省のメンバーに指示を出すこともあったとのこと。そして第二厚生省は第一厚生省の下請けのような存在になりました。

遠藤誠一の逮捕までの足取りや公判は?死刑のその後は?

遠藤誠一は逮捕される前に一度逃走し、豪遊します。しかし、最終的に潜伏中逮捕され、死刑判決を受けます。

こちらでは逃走、逮捕から死刑判決までまとめました。

遠藤誠一の逃走・逮捕までの足取りは?

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遠藤誠一は、証拠隠滅の工作を強制捜査される前にあらかじめ行い、資金3,000万円を持って他信者9人と九州方面に逃亡しました。その時は持っていたお金で温泉街で豪華に過ごしていたとのこと。

しかし、村井秀夫からの指示で教団施設に戻り違法薬物なども警察に見つからないようにしました。そして、第二サティアンの隠し部屋に土谷正実などとともに隠れ、4月26日に迷走している最中に逮捕。

遠藤誠一は当初の公判では反省し教団も脱会

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遠藤誠一は、逮捕後、取り調べなどでは反省した様子を見せ、罪も認めたとのこと。さらに、オウム真理教に協力したことを反省し、1995年11がつには末教団を脱会しました。

遠藤誠一は麻原から直接指示を受けていたことも警察に話し、麻原の罪を立証することになりました。その時、遠藤誠一は自分が麻原を裏切っていることに罪悪感を感じていました。

オウム真理教では、裏切ると来世がなく、地獄や天国もなく、無が待っているとのことで、死刑を恐るよりも無になってしまうことが怖かったとのことです。

麻原彰晃の態度を見て弁護士を解任

遠藤誠一は、麻原の初公判で、麻原が起訴内容を否認したら麻原への信頼を無くし、諦めることができるが、もし認めた場合は麻原のことをまた見直すことができると考えていました。

しかし、初公判では麻原は「お話しするつもりはない」と、どちらとも言えない態度をとりました。それにより、遠藤誠一は自分が起訴内容を全て認めようと思っていたが、わからなくなってしまうことに。

そして、弁護士と方針が一致しなくなり、1996年6月に弁護士を解任しました。

遠藤誠一はその後は無罪の主張に切り替えた

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遠藤誠一は今まで全て認め、反省した態度を見せていましたが、弁護士を解任させてからは、弁護人が勝手にやったことだったと今まで自分が認めたことを全てなかったことにすると主張。

そして無罪を主張し、サリンの危険性を知らなかったことや、自分は中心人物ではなかったと主張するようになりました。

遠藤誠一自分の役割を矮小化し法廷でも孤立化してった

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その後、遠藤誠一は死刑になるのを恐れ、自首を主張。さらに、麻原の隠し部屋をバラしたのは自分であるのにもかかわらず、麻原の逮捕に関して悲しいと証言しました。

不仲の土谷からは「ウソ吐き」と言われ、批判されました。

遠藤誠一の判決は死刑

2002年2月12日遠藤誠一は死刑を求刑されます。求刑の理由は下記の通りでした。そして、2002年10月11日に死刑判決を受けました。

  • 松本サリン事件で多数の死傷者が出たことを知りながら、地下鉄サリン事件ではサリン生成の責任者を務めたこと
  • 自らの意思で積極的に教団の違法行為に関与してきたこと
  • 一連の犯行の動機は教団内での昇進にあたり、情状酌量の余地がまったくないこと
  • 公判において虚偽の否認を続けたこと

(引用:Wikipedia)

遠藤誠一の現在は死刑執行、その後遺体はアレフへ

遠藤誠一は2018年7月6日に死刑が執行されました。当時58歳。遠藤誠一の遺体は、アレフの新保木間施設へ搬送され、埼玉県内で火葬されました。

遺骨は本人の意向に従い日本海に散骨

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火葬の際は、オウム真理教の宗教服の赤いクルタを着せられ、「正悟氏」の階級で葬送。その後、本人の以降により日本海に散骨されました。

遠藤誠一と土谷正実は麻原に対する感情も違った?

遠藤誠一は麻原のことを強く信じ、敬っていましたが、土谷正実は遠藤誠一とは全く違う考えを持っていました。

土谷正実は、遠藤誠一から麻原と直接接触することを禁じられていましたが、麻原のことを詐病と言い、怒りを感じていました。

さらに、サリンを何に使われるのかも知らないまま加担することとなってしまい、死を持って償うと述べていました。

遠藤誠一のその他の話題は?

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遠藤誠一は大学在学中にプロポーズ大作戦に出演歴があります。さらに、気になる遠藤誠一の最後の言葉についてまとめました。

遠藤誠一はプロポーズ大作戦に出演したこともあった?

遠藤誠一は、帯広畜産大学在学中、朝日テレビのプロポーズ大作戦の「フィーリングカップル5vs5」という番組に出演した経験があります。

その番組では、学生選択チームの一人として出演し、柏原芳恵とカップルになりました。

遠藤誠一の最後の言葉については明らかになっていない?

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遠藤誠一は、松本元死刑囚の死刑執行後、命乞いのようなことは自分はしたくないと語り、自分が人に迷惑をかけたことを悔やむ発言をしたそうです。

また、遠藤誠一の死刑執行前の最後の言葉は公表されていなく、明らかになっていません。

オウム真理教の魅力や入信理由

多くの死者や負傷者を出してしまったオウム真理教ですが、なぜ多くの人が入信したか、その魅力は何だったのかについて、考察、まとめました。

最初はヨガサークル

1984年に初めに麻原が始めたのは「オウムの会」というヨガサークルで、多くの人はそこでヨガをすることによって健康を維持したいという目的で参加しました。

しかし、その後麻原は「空中浮遊」で雑誌に掲載され、超能力を身に付けたい者が入会するようになりました。しかし、実際はジャンプだったようですが、会員は超能力と思い込み惹かれていきました。

宗教法人オウム真理教へ

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その後、1989年に宗教法人オウム真理教となり、仏教やキリスト教を交えた宗教になり、入信する人々がさらに増えました。

信者の生い立ちの傾向

信者は両親と不仲な人が多く、それが理由で麻原のことを父親のような存在と感じ、親からの愛を受けれなかった人々がその愛を求めて入信する傾向があったようです。

さらに、反抗期や社会性の欠如が見られ、その理由として人に対して対抗心がない性格であると考えられます。それにより、入信してしまったのかもしれません。

他人事ではない

このように、優しく真面目な人が入信してしまう傾向があり、これに加え、家族との不仲が頼る存在を求め、宗教に走るきっかけとなりやすいと考えられます。

オウム真理教に入信した誰もが殺人をしたいと思って入信したのではなく、最終的にマインドコントロールによって犯すこととなったと言えます。

他人事と思わずに、誰でもこのような事件に巻き込まれる可能性があると言えます。

オウム真理教の今後

遠藤誠一はサリン事件の中心人物として多くの人の殺人に関わり、死刑判決を受けました。

その後、宗教団体オウム真理教はなくなりましたが、今でもオウム真理教を受け継ぐアレフという宗教団体があります。今後アレフがどうなっていくか、ニュースなどで見る機会があるかもしれません。

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