遠藤誠一(オウム真理教の元幹部)はどんな人?関わった事件は?

遠藤誠一はオウム真理教で麻原に目をつけられ、中心人物となった信者の一人で、2018年に死刑実行されました。彼の生い立ちや両親や実家について、教団内での役割、さらに土谷正実との仲、サリン事件の詳細、遺体のアレフ搬送についてまとめました。

遠藤誠一とはオウム真理教の元幹部?教団での役割や関与した事件まとめ!

遠藤誠一はオウム真理教の中心人物の一人で、元死刑囚です。もともととても真面目な性格で、動物好きの優秀な青年でした。彼の関与した事件や学歴についてまとめました。

遠藤誠一のプロフィール!オウム真理教の厚生省大臣

遠藤誠一のプロフィールは以下の通りです。

  • 生年月日:1960年6月5日
  • 死刑執行日:2018年7月6日
  • 実家があった出身地:北海道札幌市
  • ホーリーネーム:シーヴァカ
  • 教団内ステージ:正悟師
  • 役割:厚生省大臣

遠藤誠一は北海道出身で京都大学の博士課程に進学?

遠藤誠一は北海道出身で、高校2年生の時に愛犬を亡くし、それがきっかけで獣医を目指します。そして、帯広畜産大学畜産学部獣医学科に進学。

その後、大学2年生の時に分子生物学の講義を受け、分子生物学こそがが究極の学問であると感じ、遺伝子工学を独学で勉強し、遺伝子工学の研究室に配属。

獣医を目指していましたが、獣医は飼い主の依頼でペットを毒殺することもあると知り、研究者へ夢が変わり、京都大学大学院医学研究博士課程にてウィルス学、遺伝子工学を研究しました。

遠藤誠一はオウムのトップでボツリヌス菌や炭そ菌などを培養していた

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オウム真理教の教祖であった麻原彰晃は政界進出を狙うため真理党を結成し、選挙戦に出馬。しかし、見事に落選。

そこで、「オウム主宰の祭政一致国家の樹立」という願いを叶えるため、教団進出のための殺人教義「ヴァジラヤーナ」を作り、教団武装化へと進みました。そこで、遠藤誠一も生物兵器開発の指示を受けました。

しかし、もともとウィルスの研究者で、オウム真理教内でも今までは食品開発を任されていた遠藤誠一は、細菌学は専門ではないため、ポツリヌス菌、炭疽菌、ペスト菌の培養に失敗してしまいました。

LSDや覚せい剤などの違法薬物の製造にも関わっていた

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遠藤誠一が生物核兵器の作成を失敗したため、麻原彰晃は化学兵器を作るよう指示します。そこで、遠藤誠一は末端信者の元理系大学院出身の土谷正実に目をつけます。

土谷正実さんを自分の部下にするため、当時部下出会った中川智正を研究施設からむりやり追い出しました。そして、土谷正実を強引に出家させました。

その後ついに土谷正実と遠藤誠一は覚せい剤LSD の合成に成功します。そのほか、遠藤誠一は覚せい剤、メスカリン、チオペンタールナトリウムなどの違法薬物の製造も行なっていました。

遠藤誠一は地下鉄サリン事件のサリンの生成にも関わったことで有名

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遠藤誠一はサリン事件において、実行犯と製造両方で関わりました。

製造を主体となって行なったのは地下鉄サリン事件で、その前の滝本弁護士サリン襲撃事件、池田大作サリン襲撃未遂事件、松本サリン事件では実行犯として関与しました。

関与した事件①:松本サリン事件

松本サリン事件は1994年6月27日に長野県松本市で起きたオウム真理教によるテロ事件で、サリン散布により死者が8人、600人の負傷者が出ました。

遠藤誠一は松本サリン事件の計画の段階から関与していて、遠藤誠一は中川智正とともに下見をし、犯行を実行しました。遠藤誠一は犯行ではメンバーが被爆した時のために医療役として同伴しました。

犯行実行後は犯行にしようしたワゴン車を故意に接触させ事故を起こし、証拠隠滅を計りました。

関与した事件②:地下鉄サリン事件

遠藤誠一は、1995年3月17日に麻原彰晃からサリンを作る依頼を受け、経験はなかったものの、土谷の助手が作っていたことから自分もできると読んで中川智正とともに製造します。

しかし、遠藤誠一は松本サリン事件により、サリンがどれだけ強い毒物か知っていたため、サリン製造をやりたくない気持ちが強くなりました。

しかし、土谷のサリン生成するにふさわしい建物が撤去されてしまったため、遠藤誠一自身が製造しなくてはならなくなり製造し、最終準備作業まで関与し、3月20日にほかメンバーにより実行されました。

関与した事件③:VX襲撃事件

1994年12月2日に東京都中野区でVX襲撃事件は起きました。当時オウム真理教から逃げ出した1人をかくまっていたとして、82歳の駐輪場の経営者を殺人しようとし、未遂で終わりm最多。

被害者の逃げ脱した知人は、布施があまりにも高額だったため逃げ出したとのこと。1994年11月に麻原はVXガスを使用して被害者を殺すよう指示。

しかし、作ったVXガスが塩酸塩であることが発覚し、遠藤誠一に土谷に指示をさせ、サイドVXガスを生成。再度殺人を企み、12月2日に再度実行。しかし、被害者が病院に搬送され未遂で終わりました。

関与した事件④:弁護士サリン襲撃事件

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滝本太郎弁護士がオウム真理教信者により1994年5月9日にサリンにより殺されそうになり、未遂に終わった事件です。遠藤誠一は実行犯として関わりました。

滝本太郎弁護士じゃ当時失踪した坂本堤弁護士の代わりにオウム真理教被害者対策弁護団の中心として活動していました。オウム真理教信者のカウンセリングも行い、受けた信者は退会していきました。

殺人未遂が起きた日程は、オウム真理教の民事訴訟の日で、その日、麻原の愛人、マハームドラー・ダーキニーと富永昌宏により裁判所の駐車場にてフロントガラスにサリンを30ccほどかけられました。

関与した事件⑤:池田氏サリン事件

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池田氏サリン事件は、1993年、11月と12月18日にオウム真理教信者により池田大作が殺人未遂された事件です。

オウム真理教の教祖、麻原にとって同じ新しい宗教の創価学会は敵であったため、自分の妨害をされていると感じ、創価学会名誉会長である池田大作を殺人しようと計画しました。

第一次池田事件

村井秀夫は11月中旬に遠藤誠一、中川智正、新實智光、滝澤和義にサリンをかけるよう指示。同月中旬に車の後方からサリンをかけ、池田大作の警備員などにサリンがかかりましたが、影響はありませんでした。

池田大作らに影響はなかったが、実は噴射機が逆流していたようで、車内にいた村井などが息苦しさや手の震えを感じました。その後もう一度試しますが噴射機が壊れほとんどかからなかったようでした。

第二次池田事件

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二回目の計画では、サリンを気化させて噴霧することにしましたが、実際噴霧しようとしたところ、ガスバーナーが噴射機に燃えうつり、トラックの荷台が燃えてしまいました。

それにより、警備員がかけつけ、計画は中止。新實はかなりの量のサリンを浴び、重体となってしまいました。

金子昇さんに関する記事はこちら

 

遠藤誠一の生い立ちから出家までの詳細まとめ!

遠藤誠一は北海道出身で、幼い頃から宗教に触れて育ちました。優秀ながらにひょうきん者な性格で、大学院では研究に没頭します。

そんな遠藤誠一の生い立ちから出家までの流れをまとめました。

遠藤誠一の実家や両親は?

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遠藤誠一の父は室内装飾会社の役員、母親は世界救世教の信者でした。また、姉も一人いたとのことです。

幼少期から宗教に触れており左耳は難聴だったが動物を愛する活発な子供だった

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遠藤誠一は幼稚園がキリスト教系の幼稚園だったため、幼い頃から宗教に関わる機会が多く育ちました。

遠藤誠一はクラスで一番背が低く。さらに左耳が難聴でした。しかし、社交的な性格で、スポーツはサッカーやスキーなどを好み、活発な子供だったようです。

幼い頃から動物が好きで、犬を飼った時は自分が一人で世話をすると責任感が強く、動物好きな一面もありました。

遠藤誠一は優等生だがひょうきんな一面もあり!周りからの評価は?

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中学に上がると遠藤誠一は学級委員長をつとめ、三年生では当時の担当教諭によると全教科優秀な成績で、特に理数系が得意だったようです。さらに、真面目なだけでなく、ひょうきんな面もありました。

高校2年生の時に愛犬が病気になったのをきっかけに獣医を目指すように

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家族で飼い始めた犬を可愛がっていた遠藤誠一ですが、高校二年生の時に愛犬が病気に。それをきっかけに獣医を目指すことを決意し、帯広畜産大学畜産学部獣医学科に進学します。

遠藤誠一は当初獣医を目指していたが遺伝子工学の道へ進むことにした?

遠藤誠一は、獣医を目指していましたが、獣医が飼い主の依頼によりペットを殺すことがあることを知り、夢が崩れていきます。

そんな中、父親を肝臓がんでなくすことになり、遺伝子工学の研究者になることを決意します。

1986年に獣医師の資格を取得

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1986年に帯広畜産大学院畜産学研究科獣医学専攻を修了し、獣医師の資格も同時に取得しました。

修士論文では、「各種のアデノウイルスDNAの牛腎臓株の核I因子の結合に関する研究」を書きました。原文は全て英語でした。

京都大学大学院医学研究科博士課程に進学し研究に没頭する

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そして、同年現役で京都大学大学院医学研究科博士課程に進学。博士課程では遺伝子工学、ウィルス学を専攻しました。このことを母親はひどく喜んで周りに自慢したそうです。

そして、研究では成人T細胞白血病ウイルスとエイズウイルスの遺伝子解析などを行いました。とても研究熱心で深夜の2時3時まで研究室にこもることも多かったようです。

遠藤誠一は遺伝子工学より精神世界に興味をもつように

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遠藤誠一は、麻原の本に出会い、精神世界へ興味を持つようになります。そして、実際に神秘体験を幾度も体験し、入信することになります。

遠藤誠一の入信、出家までの気持ちの変化の流れをまとめました。

麻原彰晃の著作に出会い麻原彰晃にエネルギーの注入をされる夢を見る

遠藤誠一は遺伝子学を研究していましたが、その中で「遺伝子とは生命の根本であるが。生命の本質ではない」ことに気がつき、「生命の神秘」へ疑問を感じるようになります。

その疑問から精神世界に興味を持ち始め、1986年に麻原の著書@超能力秘密の開発法」に出会います。その本を札幌へ帰省する時に読んで、そのまま寝てしまった時に麻原の夢を見ました。

夢では麻原にエネルギーを注入され、引いていたはずの風邪の熱が目覚めると下がっていました。それにより、さらに興味を持ち始めます。

1987年に自ら大阪支部を訪ね入信

1987年、エネルギー注入の夢からさらに何度か神秘体験を繰り返し、麻原へ興味をもち、オウム神仙の会の大阪支部を訪れます。オウム神仙の会はオウム真理教の全身で、ヨガサークルでした。

ヨガサークルだったため、遠藤誠一は宗教団体という認識はないまま入信。にゅう鎮護は幽体離脱を体験します。その後、神秘体験を重ね、理系で超能力など信じなかったはずだったがどんどん入り込みました。

オウムに傾倒していき大学では次第に浮いていく

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1988年には麻原が著書の「マハーヤーナ・スートラ 大乗ヨーガ経典」の広告にて、京都大学の大学院生として推薦文を寄せました。

その後大学にはインドにヨガをしに行くというていで3ヶ月ほど来なくなったり、当時のアルバイトも、仲間に仕事を押し付けては来ないことも増え、人間関係は悪化しました。

遠藤誠一は麻原彰晃から目を付けられていた

麻原はテロ目的などで高学歴の理系信者を探し求めていたため、遠藤誠一を狙っていたと考えられています。

オウム真理教の高学歴理系信者の獲得のため麻原らから説得されて出家

麻原は「愛のイニシエーションとして」血液の培養を遠藤誠一に依頼します。すると、遠藤は血液自体はできないけれども、リンパ球からDNAを取り出して増やすことができる胸を伝え、実行します。

遠藤誠一は大学の研究室で隠れて抜いた麻原の血から培養をしました。麻原は遠藤誠一に、出家したら専門の研究室の贈与を約束しますが、遠藤誠一は出家を躊躇していました。

しかし、半ば強制され、最終的に1988年11月9日にオウム真理教に出家します。家族には出家したことを伝えられなかったようで、インドに修行に行くと嘘をつく手紙を送り、大学では休学し姿を消しました。

遠藤誠一の出家後のオウム真理教での仕事は?

遠藤誠一は様々の役を麻原から任されます。麻原から信頼され、四女との許嫁も確約され、オウム真理教の中心人物となります。

こちらでは遠藤誠一の教団内での役割や人柄をまとめました。

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