【北九州監禁殺人事件】松永太の現在は?息子はテレビに出演? 社会

【北九州監禁殺人事件】松永太の現在は?息子はテレビに出演?

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松永は今も無罪を主張している

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2011年に死刑判決が確定した松永太は今も自身の『無罪』を主張しています。自ら手を下すことなく、あくまでもアドバイスや助言をしただけで殺人は犯していないと言いたいのでしょう。

共犯である緒方純子が全てを自供しなければ『遺体なき殺人事件』を立件することも、松永太に死刑判決が下ることもなかったかもしれません。

自身の私利私欲のために多くの尊い命を奪い、その亡骸さえもこの世から消去った鬼畜・松永太は、死刑になりたくないという一心で無罪を訴え続けているようです。

松永と純子の息子は出生届けが出されていなかった

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フジテレビ系列の「ザ・ノンフィクション」に出演した松永太と緒方純子の長男は、インタビューで自分に戸籍がなかったことを明らかにしています。

当時、松永太は緒方純子に息子の出生届を役所に提出させていなかったのです。出生届を提出しなければ、生まれてきてもこの世に存在していないことになってしまいます。

そのため、息子2人は保育園・幼稚園は愚か小学校に通うこともなく、外出することもほとんどない、アパートの一室という閉鎖的空間だけで保護されるまでの時を過ごしていたのです。

事件現場から5分ほどの場所で二人だけで暮らしていた

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松永太と緒方純子の2人の息子は、監禁殺人事件のマンションから5分ほどの距離にあるアパートに兄弟2人だけで暮らしていたそうです。

しかし、いつの頃からかは不明ですが、双子の兄弟も同居するようになっています。この事実があまり公になっていないのは、この双子の兄弟が松永太や緒方純子の実子ではないからでしょう。

保護されたとき、松永太の息子は9歳と5歳で、双子の兄弟は6歳だったそうです。

二人の住むアパートには監視カメラが設置されていた

息子たちが住むアパートの部屋には監視カメラが設置されていて、松永太は監禁部屋にいながらも自分の子供たちを監視していたようです。

部屋には南京錠、窓にはカーテンが二重に付けられ、自由に外出することが出来ないように『軟禁』していたと考えられます。

しかし、外部との接触がなく、友達や他の家庭を知らずに育った息子たちにとっては、その異様な空間が『普通』であり、何の疑問も持たなかったそうです。

息子たちの食事は純子が運んでいた

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息子たちの普段の食事は、母親である緒方純子が一週間分の食料をビニール袋に入れてまとめて運んでいたようです。

食べ盛りの子供たちのお腹を満たすだけの食事量があったわけではなく、緒方純子が運んできた食糧で何とか一週間をもたせなければならない日々だったそうです。

子供たちはいつもお腹を空かせ『飢えていた』といいます。母親が食事を運んできてくれなかったらどうしようという不安も常に抱いていたようです。

食事は松永の命令で一日食パン一枚

父・松永太の命令で『1日食パン1枚』ということもあったといいます。食パン1枚で1日をどのように乗り切るかを息子に考えさせたそうです。

普通の家庭であれば、温かい母親の手料理をお腹いっぱいになるまで食べているはずの子供に、まるでサバイバル生活を生き抜くための試練のように食パンを与えているのです。

そして飢えている息子たちを目前に、父・松永太は寿司やステーキを見せつけるようにして食べていたといいます。実の息子にまで何故このような仕打ちができるのか理解不能です。

二人の面倒は脱走したA子が見ていた

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監禁場所とは離れて暮らす息子たちは、松永太に子供たちの面倒を見るように命じられていた少女A子が世話していたといいます。

母である緒方純子は、短大を卒業後幼稚園の先生となるほど子供好きだったので、子供の世話をさせるのであれば、息子たちの母親であり、子供の扱いにも慣れている緒方純子の方が適任だったはずです。

しかし松永太は緒方純子が母親として子供に愛情を傾倒し、その母性から洗脳が解けてしまう可能性を考慮し、敢えて雑用係として使っていた少女A子に子供の世話をさせたのではないでしょうか。

事件発覚後、二人の息子は養護施設で暮らした

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事件が発覚後少女A子の証言により、息子たちは子供たちだけで生活していたアパートから身柄を保護され、一度北九州市内にある児童相談所に身を置いた後、兄弟揃って児童養護施設に入所しました。

そして9歳にして初めて小学校に通うことになった長男は、本来であれば小学校4年生なのですが、学力不足のため小学校3年生として登校し始めます。

当時は読み書きもほぼ出来ないどころか、クラスメイトから『おはよう』と言われてもその言葉の意味さえもわからなかったといいます。

息子たちは学校へ行くと死刑囚の息子と白い目で見られた

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小学校に通い始めた当初は、それまで親からの愛情も教育もなく閉鎖的空間に閉じ込められていたことで、学力不足や初めての集団生活に苦悩する日々が続いたそうです。

しかし小学校に通うことで教育を受け、友達に囲まれ、最初の頃は楽しい事もあったようですが、そのうちにこの兄弟が養護施設で暮らしていて父親が死刑囚の松永太だということがバレてしまいます。

父親が犯罪者だとわかると友達たちは白い目で見るようになりからかってきたのです。その仕打ちに耐えてきた長男ですが小学5年生の時、遂に耐え切れなくなり椅子を投げつけたこともあったそうです。

息子は事件後里親に引き取られるも上手くいっていなかった

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中学校に進学すると、長男は不良少年になってしまったといいます。暴力を振るうことで周囲は黙り、自身の感情を爆発させると気持ちがスッとすることを知ってしまったのです。

一方で自身の力を鼓舞するために暴力を正当化することは、父親の血を受け継いでいることを自覚する行為でもあり恐怖も感じたといいます。

高校進学前に里親に引き取られ定時制高校へ進学した長男は、自立に向けバイトに励み学業を疎かにしたことで里親の元に居づらくなり、何も言わず突然家出してしまうのでした。

殺害現場を見ている為、今も逃げ場のない明るい部屋が苦手

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事件発覚前、監禁部屋に出入りすることもあった長男は、当時浴槽にいつも誰かがいたことや、意味も分からずに遺体の処理を手伝わされていた記憶とその時に強烈な臭いを鮮明に覚えているそうです。

そして亡くなった被害者らと同じように父親から通電や暴力、浴槽に頭を鷲摑みにされて顔を水につけられるなどの虐待を受け続けたことはトラウマとなり、現在も長男を苦しめ続けています。

保護以降も病院に通うことはなかったようですが『PTSD』を患ってしまったのでしょう。長男は逃げ場のない明るい部屋や光、無音が苦手で、現在も部屋を暗くし何かしらの音がある生活をしているそうです。

息子は現在結婚しているが子供はいない

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里親の元を飛び出し高校も中退となってしまった息子は、その後職を転々としながらも人の温かさに触れる出会いなども経験し、現在は一般企業の正社員として働いているそうです。

テレビ番組の取材当時は24歳でしたが、この時既に小学校の時の幼馴染みの女性と結婚しています。妻となったこの女性もまた、母親が薬物により逮捕・収監され身寄りがなく孤独だったそうです。

恋愛感情よりも彼女の保険や生活を考え入籍したそうですが、子供に関しては育て方・愛情のかけ方がわからず自分のような思いをして欲しくない気持ちが強いため、子作りには消極的です。

息子は現在も肉体的にも精神的にも苦しんでいる

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壮絶な幼少期を過ごした松永太と緒方純子の長男は、中学生時代多少荒れていたようですが、地に足をつけしっかりと「今」を生きています。

しかし、幼き頃父親から受けた虐待により現在もそのトラウマを内に秘め葛藤しているのです。通電を受けたことで現在も雷は苦手だといいます。

浴槽に顔を沈められた際に水を飲んでしまった経験から、無味なミネラルウォーターを飲むと気持ちが悪くなるそうです。トラウマは『いつかよくなれば良い』と語る長男は今も心身ともに苦しんでいます。

北九州監禁殺人事件の詳細と経緯まとめ【虎谷父娘監禁及び殺人編】

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ここからは北九州監禁殺人事件の詳細とその経緯についてご紹介しますが、とても複雑に絡み合ったこの殺人事件は幾つかに分けて事件の詳細を語る必要があります。

死亡した被害者は7名ですが、共犯である緒方純子を含め監禁されていた被害者は総勢9人となります。まずは最初の監禁・殺人の被害者は、松永太の知人である虎谷父娘です。

松永太自身は口を出すだけにとどまり、被害者同士が虐待し合い殺害し、解体・遺棄するまでに至ってしまった凄惨な事件を順を追って見ていきましょう。

1993年に小倉に転居した際に知り合った不動産会社の虎谷久美雄に出会う

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脅迫・詐欺罪で指名手配され石川県に共犯・緒方純子、男性社員とともに逃亡した松永太は、男性社員に金を工面させていましたが、この社員が虐待に耐え切れず逃亡します。

その後は結婚詐欺で女性に金を貢がせていましたが、逃亡の翌年1993年1月に緒方純子が1男を出産すると、土地勘のある北九州市の小倉に転居します。

松永太は住居を決めるために訪れた不動産会社で営業担当となった虎谷久美雄と知り合い、この不動産会社を介していくつかのマンションの部屋を契約しました。

松永は虎谷へ競馬予想のビジネスを持ちかけ仲良くなる

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虎谷久美雄が務める不動産会社で複数のマンションを契約した松永太は、虎谷久美雄にとっては『上客』だったのでしょう。虎谷自身が連帯保証人になった契約もあったようです。

そんな松永太から、コンピューターでの競馬予想ビジネスの共同出資話を持ち掛けられた虎谷久美雄は、連日のように松永太と酒を酌み交わすようになり親交を深めていくようになりました。

松永太を信頼し心を開いた虎谷久美雄は、酒の席で過去に『物件の部屋を消毒せずに、消毒代を着服した』ことに得意気に話しました。松永太は「弱み」となるこの話を聞き逃しませんでした。

虎谷は内縁の妻と別居し娘のA子を引き取る

この頃、虎谷久美雄には保険外交員の女性と内縁関係にあり、実娘A子と3人で暮らしていましたが、松永太から誘われた儲け話に目が眩んだ虎谷久美雄は、内縁の妻との同棲を解消し別れをてしまいます。

松永太は言葉巧みに松永太を誘導すると、実娘A子は緒方純子が養育することになりA子は松永太が所有するマンションに移り住みます。

虎谷久美雄は、会社の社宅で一人暮らししながら、娘A子が住むマンションへ通うことになったのです。

その後A子に「父親に性的イタズラをされた」と嘘の証言をさせ虎谷を奴隷状態へ

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実質的な人質となってしまったA子がいるマンションに通う虎谷久美雄に対し、松永太は以前掴んでいた弱みを虎谷久美雄に突きつけるようになります。

「消毒代金着服の犯罪の事実を証明します」といった内容の『事実関係証明書』を作ると強弁・詭弁を繰り返し弱みを突き、長時間拘束・眠らせない興奮状態にし、それを書面にサインするまで続けたのです。

その後も娘A子に「父親に性的イタズラをされた」と嘘の証言をさせるように仕向けると、これもまた「娘A子に頻繁に性的なイタズラをした」という『事実関係証明書』を作りサインさせました。

弱みを握り「書面化」し、弱みを「実体化」させる

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松永太はこの事件で虎谷久美雄以外の被害者にも同様の手口を度重なり使っています。まずは相手の懐に入り込み安心・信頼させ、どんな些細なことでも弱点となりそうな『弱み』を引出します。

弱みを握ると次の段階「弱みを書面化」させます。これをする事により些細な出来事が実体化し、もし警察に駆け込んでも自分には「事実関係証明書」があるので無駄だと思い込ませます。

更に虎谷久美雄の場合は娘A子に嘘の証言をさせるなどし、弱みをでっちあげると強弁・詭弁、拘束・睡眠不足を繰り返しそれを書面化させ【弱みを拡充】することで逃げられない状況に追い込んでいくのです。

虎谷は通電などの虐待や借金をさせられていた

嘘の事実をでっちあげられ、仕事が終わる度に書面にサインするまで拘束、睡眠不足の日々を送っていた虎谷久美雄は会社へ出社できなくなり退職し、娘のいる松永太のマンションへ移り住みます。

「緒方純子に強姦未遂を犯しました」という『事実関係証明書』を作り顔写真を撮ると、逃走できないように「証明書と写真を警察に提出する・ヤクザを使って追いかけまわす」と脅し虎谷を服従させました。

そして口止め料・慰謝料などの名目で金を要求されると、虎谷久美雄は実家から1500万円以上を63回に分けて送金させられ、それが出来なくなると虎谷名義で多額の借金を背負わされました。

金銭の要求に応じなければ虐待されていた

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松永太からの金銭の要求を虎谷久美雄が拒むと『通電』などの虐待が繰り返し行われました。

このとき共犯・緒方久美子も通電などの虐待に加担しており、松永太が不在であっても緒方純子は虐待の手を緩めることはなかったといいます。

娘A子を人質に取られ「事実関係証明書」の存在により逃亡することも助けを求めることも出来なくなってしまった虎谷久美雄は、松永太の要求に従う従順なロボットのようになってしまったのでしょう。

A子も松永に虐待されていた

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虎谷久美雄よりも先に松永太所有のマンションへ移り住んだ当時10歳だった娘A子もまた、虎谷久美雄と同様に『通電』や『食事制限』などの虐待を受けていました。

A子の全裸写真を撮り逃亡した場合はネットや雑誌に写真をばらまくと脅すと、これに同意する書面にサインさせ、父・虎谷久美雄の監視を命じサボった時には通電しました。

父親が死ぬ間際にはA子に父親の腕に歯形が付くほど強く噛ませ、その歯型の写真を撮ると「殺意を持って父を殺した」という内容の『事実関係証明書』を作りサインさせ逃げないように洗脳しました。

1996年2月衰弱した虎谷が死亡

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虎谷久美雄から金を引出せなくなると、松永太にとって虎谷久美雄は「役立たずで不要」となりそれまで以上に虐待を本格化させていきました。

虎谷久美雄を浴室で寝起きさせ『通電』以外に『食事制限』『トイレ制限』『睡眠制限』『長時間の蹲踞姿勢』『厳冬期の水シャワー』『排便・嘔吐物を食べさせる』などの虐待を続けたのです。

これらの虐待により衰弱した虎谷久美雄は、1996年2月26日に風呂場の掃除をする娘A子を前に浴槽で衰弱死しました。

死亡3か月前には精神的に異常をきたしていた

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連日続く虐待により、精神的に異常をきたした虎谷久美雄は死亡3ヶ月ほど前になると「エンマ大王がやってくる」「壁に引き出しがある」と話すようになったといいます。

緒方純子が通電した際には「A子がお世話になっております。自分とA子がここまで来れたのは松永様のお陰です」と純子に土下座したそうです。

亡くなる1か月前には呂律が回らなくなり、発語も出来なくなり、死の直前になると常に無表情だったそうです。死に追い込まれていく父親を、娘A子はどのような思いで見続けていたのでしょう。

純子とA子に遺体の処理を命じた

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虎谷久美雄が死亡すると、松永太は共犯・緒方純子と娘A子に遺体の処理を命じました。松永太はあくまでも【指示】するに留まり、2人に鋸・包丁を数本と大鍋・消臭剤などを準備させます。

解体は浴室で行われ、首・手首の血管を切り、血抜きしたあとに首を切断し、緒方純子は下あご部分を切ると頭部を逆さにして脳を取り出し、側で見ていた松永太に取り出した脳の状態まで報告しています。

次に頭皮を剥ぎ、身体の内臓を取り出すとポリバケツへ入れ、包丁を使い肉・骨を分断します。肉は細かく刻み内臓と一緒に大鍋でドロドロになるまで煮込み、頭骨・骨は煮込んだ後に粉砕しました。

煮込んだ「もの」は、海・公衆便所へ捨てる

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煮込んだ肉片・内臓は、お玉と漏斗を使いペットボトルなどに移し替えて海・公衆便所まで運び捨て、粉砕した頭蓋・骨は海に捨てたそうです。全ての処理を終えるのに1ヶ月近くかかったといいます。

松永太は死体の一部である『頭髪』を保存し記念品のように残していましたが、6人殺害後に6人分の頭髪をまとめて排水管用の洗浄剤を使って溶かし、下水へ流したそうです。

虎谷久美雄の死体解体が北九州監禁殺人事件で最初の解体で、これ以降に殺害された被害者の死体解体も殆ど同じ手順でおこなっていますが、後に肉片の処理にはミキサーを使用するようになっています。

北九州監禁殺人事件の詳細と経緯まとめ【狙われた主婦編】

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松永太は虎谷久美雄を信用させ娘A子を養育する名目で引き取ると、A子をマインドコントロールし、虎谷久美雄を監禁すると娘と弱みを盾に金銭をむしり取りました。

虎谷久美雄は虐待と娘を守りたいという一心から金策に走りますが、金を用立てることが出来なくなると松永太は虎谷を【用済み】とし虐待を強めて衰弱死に追いやりました。

虎谷が死ぬと、松永太は次のターゲットを虎谷久美雄の友人の妻にしたのです。この主婦は虎谷の娘A子のように、後に逃げ出すことに成功しています。

虎谷の友人の妻にエリートと虚言を吐き近づく

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松永太は虎谷久美雄から金を引出せなくなると、今度は虎谷の親友の妻である当時36歳の主婦を金ヅルのターゲットに選びました。

この女性とは松永太が虎谷久美雄に紹介することを強要したことで知り合い、京都大学を卒業し物理学を研究しているエリート・村上と名乗り近づきます。

女性の信頼を得るために、外国の学者が講義しているようなビデオを女性に見せると、その講義の解説をするなどして相手を安心・信用させたのです。

言葉巧みに誘惑し夫と離婚させ金を貢がせるように

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松永太は更なる信用を得るため、共犯・緒方純子を姉と偽り女性に紹介し、完璧な『エリート・村上』を演じると、女性から夫に対しての不満や悩みを聞き相談に乗りつつ口説き始めます。

松永太はこの女性に結婚の約束をすると、エリートで誠実そうな『村上』という男性に心を奪われた女性は、夫との離婚を決意し、松永太にも金を工面するようになります。

長男を夫に引き渡し、長女を実家に預け、3歳の次女を連れて松永太・緒方純子と同居するようになります。この時点で560万円もの金を松永太に貢いでいました。

虐待をするが主婦は窓から飛び降り逃げ出すことで死を逃れた

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女性は同居を開始した1996年12月30日から3歳の次女とともに松永太が所有するアパートの4畳半の和室に監禁され職場を辞めさせられると、連日のように凄まじい暴力・通電を受けるようなりました。

松永太に命じられ3歳の娘に通電することもあったといいます。しかし1997年3月16日の未明に松永太と緒方純子の隙をついて、アパート2階の部屋の窓から飛び降り脱出・逃亡に成功します。

女性が逃亡すると、松永太は足がつかないようすぐさまアパートを引き払い、取り残された次女を女性の元夫の家の玄関先に置き去りにすると行方を晦ましました。

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