【深川通り魔殺人】川俣軍司の生い立ちと現在は?事件は祖父の怨念? 社会

【深川通り魔殺人】川俣軍司の生い立ちと現在は?事件は祖父の怨念?

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川俣は1歳の男児、3歳の長女を連れている母親を見て殺害を決意

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川俣軍司は、犯行後に「子どもを持つヤツらが羨ましく、手当たりしだいうっぷんを晴らしてやった」と言っていて、二人の子供を連れた母親を見て殺害を決意し犯行におよびます。

走りざまに柳刃包丁で正面から男児の腹を2回刺す

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川俣軍司は、乳母車に乗っていた長野博明ちゃん(当時1歳)を手にかけます。走りざまに持っていた柳刃包丁を使い、正面から博明ちゃんの腹部を連続して2回突き刺しています。

悲鳴をあげ逃げようとした母親を背後から二回突き刺す

我が子を刺されたことを見た母親の長野るみ子さん(当時27歳)は、ショックで悲鳴をあげながら逃げようとしますが、逆上した川俣軍司は興奮状態にもありました。

先に刺した博明ちゃんが乗った乳母車を吹っ飛ばし、母親目がけて走りより、容赦なく母親の後ろから背中を2回突き刺しました。

付近にはおびただしい血が飛び散り、生き地獄を見るような惨状だったといいます。

その場に立っていた3歳長女の腹を4回刺す

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そして今度は、母親と弟の悲しい現実を目の前にして立ち尽くしていた、長女の統子ちゃん(当時3歳)の胸部を4ヶ所にわたって滅多突きにして殺害しました。

最後に男児の胸部を刺した

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この時まだ息のあった、乳母車に乗っていた博明ちゃんの胸部を包丁で突き、最後のトドメを刺しています。

その後、たまたま買い物帰りの33歳女性の腹部を刺す

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これでも収まらなかった川俣軍司は、なおも凶行を続けようとし、たまたま商店街で買い物をした帰りに路上に出てきた二本松美代子さん(当時33歳)を確認します。

二本松さんが、この惨状を見て立ちすくんだのを見た川俣軍司は、二本松美代子さんの上腹部を突き刺して殺害しました。

近くのバス停でバスから下車した77歳の女性を刺す

その後も川俣軍司の犯行は続き、近くのバス停留所でバスから下車してきた加藤貞子さん(当時77歳)を認めると、正面から突進するようにして大腿部を1回突き刺します。

加藤さんはバスから降車したばかりの突然の出来事で、自分に何が起きているのか理解できなかったといいます。

店舗内から外に出てきた39歳の女性の腹を刺す

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この時点で既に5人の女性と子供が刺されていますが、川俣軍司は満足いかなかったようです。

今度は、騒ぎを聞きつけて商店街の店舗内から表に出てきた吉野千鶴子さん(当時39歳)を見つけると、彼女の腹部めがけて突きかかり重傷をおわせました。

それぞれに重症を負わせ4人死亡、2人重症

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ここまでの犯行によって、既に4人の命が奪われ2人が重傷を負うという大惨事になっています。

柳刃包丁が5ミリほど欠けた為これ以上の殺人は無理と考える

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犯川俣軍司は、なおも殺戮を続けようとしたが、柳刃包丁の刃先が重ねられた凶行によって、5ミリほど欠けていることに気づきました。これ以上の犯行は物理的に無理だと考えて次の行動に移ります。

偶然通りかかった33歳女性を見つけ包丁を喉元へ突きつける

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その時、たまたま付近を通行中の石塚真里さん(当時33歳)を認めると、すれ違いざまに彼女の頸部に左腕を回し、右手で柳刃包丁を喉元に突きつけます。

「オレはいま人殺しをしてきた、お前も逃げようとしたら殺すぞ」

(引用:matome.naver)

こんな言葉で彼女を脅迫し、持っていた柳刃包丁で首や肩、背中などを37箇所にもわたって傷つけたうえに監禁したのです。

川俣はその後通行中の女性と中華料理店へ入り店員、家族などを人質とった

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川俣軍司は、通行中であった石塚真里さんを連れて中華料理屋「萬來」に入り立て籠りました。石塚さんや中華料理店の家族や店員などを人質にして篭城する行動に出たのです。

人質となった石塚さんは、身体中を傷つけられながらも、川俣軍司の言葉を書くように指示されました。

「それまで自分を解雇したすし店や水産会社の社長らを連れて来い。みんな電波でひっついてるから悪い。」

(引用:alpy)

書かされた内容は上記のようなものでした。その後も籠城は約7時間にもおよび、人質となった男女は生死の境をさまようことになります。

籠城中に川俣軍司は今まで自分を不採用にした経営者やその妻を呼びつけようと考えました。

事件を中継するテレビカメラの前に自分を不幸にした者たちを引っぱり出して、カメラの前で謝罪させ責任をとらせることで、それらの店を潰そうとしたとのことです。

家族は裏口から逃げ無事だった

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当時、中華料理店は営業時間前だったため客がいなかったのは不幸中の幸いです。また、店の中にいた中華料理店の家族は裏口から逃げて難を逃れました。

警察が店を包囲し説得するが川俣は応じなかった

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警察はすぐに中華料理店を包囲して川俣軍司を説得に試みます。

「何人殺してもおなじだ」、「俺には電波がついている」

(引用:alpy)

川俣軍司は怒鳴るように話し続け、説得に応じることはありませんでした。

午後6時50分、人質の女性が逃走

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篭城から7時間が経過した午後6時54分頃、川俣軍司の様子をうかがっていた人質の石塚さんは、女性でありながら勇気を出して一瞬のスキを突き、中華店から外に脱出しました。

警察が突入し川俣を現行犯逮捕した

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人質の石塚真里さんが店の外へ出るのと入れ替わるようにに警官隊が突入し、川俣軍司は必死に柳刃包丁を振り回して抵抗しましたが、複数の刑事に取り押さえられ現行犯で逮捕されました。

事件を目撃した人の証言

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事件の現場には大勢の買い物客等がいたようで、一部始終を目撃していた主婦の方が証言しています。

3歳の長女はお腹から腸が飛び出していた

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腹部を滅多突きされた3歳の長女は、仰向けに倒れて苦しがっていました。刺されたお腹から腸が飛び出し、それを両手でつかんで身をよじらせていたそうです。

母親は隣に倒れており何かを訴えているようだった

喫茶店『ロアール』の前に仰向けに倒れていた母親は、子供たちが気になるのか「痛い痛い」と苦しみながらも、何かを訴えているようだったといいます。

目撃者女性が「お子さんは大丈夫」と声をかけると母親は動かなくなった

母親を元気づけようと、「すぐ助けがくるからね」、「お子さんは大丈夫よ」と声をかけてあげると安心したのか、その言葉を聞いたとたんに動かなくなったそうです。

赤ちゃんは両手を前に突き出し目を開けたまま死亡していた

乳母車に乗っていた1歳の赤ちゃんもまだ息があり、診療所の先生が必死に介抱していたそうです。

しかし、先生は赤ちゃんの死を悟ったようで、「まもなく死ぬ」と呟きました。すると赤ちゃんは両手を前に突き出し、目を開けたまま息を引き取ったと、目撃した主婦は語っています。

川俣軍司が深川通り魔殺人事件起こした犯行の動機とは

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警察によって、犯人がなぜ犯行に及んだのか捜査が始まりますが、深川署へ連行された川俣軍司は、犯行動機についてすらすらと供述したそうです。

寿司職人になろうと面接を受けたが断られた

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彼の証言によると、1981年(昭和56年)6月17日の昼頃、職を転々としていた川俣軍司(当時29歳)は、タバコハウスと呼ばれていたドヤを出ました。

前日に面接を受けた築地にある寿司店の結果を聞くために、新大橋通りにある電話ボックスに向かったといいます。このとき彼が持っていたのは、現金180円とカバンひとつでした。

カバンの中には、すし職人として使用するはずの「柳刃包丁」が一丁入っていました。電話での返事は彼の期待を裏切るもので、「不採用」のひと言だったといいます。

子供を持つ家庭が羨ましかった

就職を断られた川俣軍司は、かなり苛立っていたようです。

「犯行の前に、すし店に就職を申し込んだが、断られたため、カッとなって次々に襲った。おれには電波がひっついているので、黒幕をあばく目的で人質を取った」

「子どもを持つヤツらが羨ましく、手当たりしだいうっぷんを晴らしてやった。死んだ人に気の毒とは思わない。子どもの父親が来たら、いつでも会って怨みを晴らさせてやる。おれの腹を刺せばいんだ」

「死んだ人間は、これも運命だ。おれはサムライだから、殺された人たちも幸せだろう。刺したときは気分がスッとして、うまく殺せたと思う」

(引用:matome.naver)

彼の供述の言葉ですが、意味不明な部分や、支離滅裂なことも言っています。

幸せそうな子供を持つ家庭が羨ましかったというのが、この時の本人の心境であり、自分の不幸に腹を立てていた川俣軍司は、2人の子供を連れた幸せそうな母親を見て犯行を決断したようです。

覚醒剤を使用していた為

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川俣軍司が覚醒剤の前科がある事は警察ももちろん調べはついており、事件における覚醒剤の使用も疑われました。まして、逮捕された時の姿が特別だった事もあり正常ではないと考えたのでしょう。

「去年の七月に道交法違反で捕まるまでは覚せい剤をやっていた。今は使っていないから、おれは正常だ。今度のことは真剣な気持ちでやったんだ」

(引用:candy)

川俣軍司は警察の調べに対して、このように語っており、覚醒剤の使用を否定しています。しかし、尿検査ではハッキリと陽性の反応が出ており、事件が起きる2、3日以内に使用した事が立証されました。

この「深川通り魔殺人事件」を起こしたには、府中刑務所から出所して2か月たらずのことであり、刑務所から出てすぐに覚醒剤に手を出していたことになります。

「深川通り魔殺人事件」の犯人である川俣軍司は、傷害事件等で7回に及ぶ逮捕歴があり、覚醒剤の常習者であったことは事実です。そして、この事件の前にも覚醒剤を使用していたことが明らかになりました。

深川通り魔殺人事件の世間の反応

深川通り魔殺人事件は、日本中の注目を集めた特殊な殺人事件です。無差別に目の前に現れた人を切りつけ、更には籠城して人質まで抱えます。

しかし、犯行は短絡的な動機から起きた事件で、全く計画性のないところが庶民に大きな恐怖を与えました。

そして、「薬物中毒」の怖さを教示する大きな事件と世間も受け止めています。

川俣が「電波」という言葉を何度も使った為この言葉が広く知られた

川俣軍司が、この事件の中で「電波」という言葉を何度か使っており、それが悪い事や悪い人間に浴びせる言葉のように使用しています。

また、犯行の動機ともなる核心の部分でも使われています。かなり強い印象を与えていますが、本当の意味は誰にもわかりません。

しかし、同じ覚醒剤の常習者からは理解を得られているのも不可思議で、日本中にこの言葉が知られたはずなのに、時間が経過した今も意味不明とされています。

当時覚醒剤の第二次乱用期で社会問題となった

戦後の荒廃期にヒロポンが大流行し、昭和30年を過ぎると収束します。その後、昭和45年位から覚せい剤の使用が目立つようになり、事件当時は「覚醒剤の第二次乱用期」と言われる真っ只中でした。

中毒患者によって引き起こされる凶悪な事件が多発するようになり、大きな社会問題ともなっていました。

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