尼崎事件をわかりやすく時系列で解説!加害者達が語った証言は?

「尼崎事件」みなさんの記憶に残っているでしょうか。2012年10月に発覚した殺人事件です。兵庫県尼崎市で起きた尼崎連続変死事件。主犯角田美代子の虐待の数々、サザエさん一家に例えられた擬似家族の真相、被害者親族のその後など詳しく解説していきます。

尼崎事件(尼崎連続変死事件)の概要

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この事件は、一人の主犯女Xが25年以上もの間、血縁関係のない人物を多く集め、擬似家族を築きながら共同生活を営んでいたところから発生します。

主犯女Xの周辺では、同居女性の失踪から始まり複数の不審死などが発生していましたが、長年にわたり事件は表面化しませんでした。

監禁された女性が警察に駆け込んだことで事件が発覚!全貌が見えてくる!

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長年の監禁状態の中、2012年11月、監禁されていた40歳代の女性が警察に助けを求めた事でやっと事件があかるみになり、警察の捜査が入りました。

その後監禁されていた女性の母親の死亡事件が発覚しました。傷害容疑で逮捕されたのが主犯女X「角田美代子」だったのです。

死亡者8名・逮捕者書類送検者17名・行方不明者3名

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この事件により逮捕、書類送検された者は17名もおり、その中には被害者の近親者もいるのです。さらに行方不明者3名、死亡者は8名にも及びました。

主犯女X一人はどうやって大勢の人間を洗脳、支配していったのでしょう。洗脳された人間は自分の肉親の命を奪うことも命令であれば実行してしまう恐ろしさが分かります。

主犯格・角田美代子の自殺により事件の謎は残されたままに

尼崎事件は2012年10月に発覚し、主犯格として逮捕された角田美代子は同年12月に留置所で自殺してしまいました。美代子は布団の中で長袖のTシャツを首に巻きつけていたそうです。

発見後すぐ病院での手当を受けましたが死亡、これにより事件の真相は探れず闇の中となってしまいました。

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約25年間という長期間にわたる尼崎事件の真相を順を追って見ていきましょう。

2011年11月大江家(以降F家)長女による警察への駆け込みで事件が発覚

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2011年11月に監禁されていた40歳代女性(F家長女)が監禁状態から抜け出し警察へ駆け込んだ事で事件は発覚しました。次いでこの女性の母親(F家母)の死亡事件が発覚します。

更に捜査は進み、2012年10月に別件(C家長男・C家母年金窃盗事件)で逮捕されていた従犯者が事件について全面自供し、一連の事件が明るみになったのです。

さらに詳しく事件を解明していきましょう。

2012年10月事件の全体像が明るみに

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C家長男の自供で事件の全体像が明るみになったわけですが、これまでの殺人事件とは異なる点がいくつかあります。加害者の多さ、事件発覚までの期間の長さ、などです。

死亡事件として特異な点は、住田美代子による洗脳です。些細な弱みにつけ込み威圧的に家族を支配します。飲食・睡眠を制限する虐待、財産を奪われ、家族崩壊に追い込まれるなどの被害を受けます。

そういった事情から、角田美代子の擬似家族の一員となったり、そのことで否応なく事件に関与せざるを得なくなった加害者が多くいるのです。

角田美代子らが住んでいたマンションの場所は?

角田美代子が生活の拠点としていた兵庫県尼崎市にあるマンションは「アービング尼崎」でした。この近隣にある飲み屋街(五色横丁)の関係者とも繋がりがあったそう。

「角田のオバハン」としてこの界隈では有名だったそうです。

ここからは遡って時系列で解説!

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それではここから25年間もの間表面化しなかった監禁殺人事件を時系列に沿って解説していきます。

1987年、角田美代子に間借り・同居していた橋本家(以降A家)の母が失踪

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A家母、長女、長男、次男という家族です。角田美代子との接点は、30年以上も前にA家母と子供3人が角田美代子の実家に間借りしていた時期があります。

供述によるとA家母は1987年頃角田美代子宅などで家族らから暴行を受けて死亡、尼崎市の海に遺体を遺棄されました。その10年後に長女が失踪しました。

2005年には角田美代子ら8人の集団と訪れた沖縄で長男は崖から転落死しています。2009年、角田美代子と生活していた次男が行方不明となっているのです。

1988年〜猪俣家(以降B家)乗っ取り事件発生

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B家は祖母、長男、角田健太郎、健太郎の兄という家族です。

乗っ取り事件は1988年3月、角田美代子の遠縁にあたるB家母の姉の葬儀に関して、参列していた角田美代子が「段取りが悪い」など難癖をつけてきた所から始まります。

その問題解決のため、滋賀県や京都府にすんでいたB家母の親族を頻繁に尼崎市内のB家母宅に集め、威圧的に会議を取り仕切ります。一方で借金の相談に乗るなど親身になる一面も見せ影響力を強めました。

最初の虐待被害者

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集めた親族間で言い争いをするよう仕向けた角田美代子は、やがて虐待をするよう指示を出しました。最初に被害を受けたのはB家母で、実の息子達から叩く、長時間の起立、飲食の制限など虐待を受けました。

その後B家母の孫らも角田美代子に呼び出され親しくするようになると、孫は自分の親(B家息子夫婦)に反抗的になりました。孫を人質にとられた格好になり一層隷属的な関係になりました。

B家親族らが角田美代子の支配を受けているさなか、2名が不審死しています。1名はB家母、表向きは病死だが暴力・虐待が原因の可能性あり、B家母の孫の1人が飛び降り自殺しています。

1999年、B家母不審死事件発生

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B家母の不審死に関して、1988年から角田美代子の指示で息子達から暴行などの虐待を受けていたという話があり、1999年の病死はこうした虐待が原因だったのではと言われています。

監禁され、飲食制限で体力を奪われた高齢者が暴力をふるわれ精神的にも追い詰められていた様子が想像できます。例え風邪でも栄養が取れず薬もなければ弱ってしまいます。

このような状況が長期間続けば、死因はやはり虐待が原因だと言えるのではないでしょうか。

1999年、B家長男の長男転落し事件が発生

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同じく1999年、B家長男が飛び降り自殺をしています。

当時は角田美代子のマンションに軟禁状態にあり、角田美代子による「親族会議」の最中に突然走り出し、飛び降りたという証言もあります。

自分の実母を虐待し死亡させ、息子は角田美代子に人質にとられて、かなり精神的に追い詰められていたということでしょうか。発作的に飛び降りてしまったようですね。

2003年〜皆吉家(以降C家)、谷本家(以降D家)乗っ取り事件発生

2003年になると、C家、D家の乗っ取り事件が発生します。

C家は父親と母親皆吉ノリ、長男、長女、次男、次女という家族です。D家は、谷本明、皆吉(谷本)初代、仲島(谷本)茉莉子、角田(谷本)瑠衣という家族です。

C家の長男が後に角田美代子の叔父の養子となる李正則の母親と再婚。長男以外は全員死亡しています。D家の2人の遺体はこのC家の人々が暮らしていた家から見つかりました。

C家・D家の接点

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C家長男が角田美代子の内縁の夫と中学の同級生だったことが、角田美代子と関わるきっかけとなりました。またC家母の長女は高松市のD家に嫁いでいました。

まず、D家と角田美代子は「実家であるC家から甥っ子を預かってくれと頼まれた」ことが接点となります。その甥っ子というのが角田美代子の義理のいとこの李正則でした。

この李正則の扱いをめぐり、D家は4000万円もの大金を角田美代子に吸い上げられたのです。

2003年3月、C家母死亡・死体遺棄事件発生

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C・D家乗っ取り事件の最中の2003年3月に、角田美代子のマンションで、飲食制限や暴行など虐待を受けた末に死亡しています。死亡前の2月にもD家で虐待された事が判明しました。

遺体は高松市のD家の家屋に隣接する倉庫の床下地中に遺棄されました。2012年12月に逮捕者の供述から遺体を発見しました。

2004年1月、D家父の兄死亡・死体遺棄事件発生

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2004年1月に角田美代子のマンションで、食事制限や暴行の虐待を受けて死亡しています。遺体はC家母の床下地中に遺棄された。2012年10月に逮捕者の供述から遺体が発見されました。

2005年7月1日、A家長男転落死・保険金詐欺事件発生

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角田美代子のマンションで同居していたA家長男は、2000年にこのマンションの名義上の所有者となっており、2001年には角田美代子の義理の妹と形式上の結婚をしています。

この結婚は角田美代子の指示によるもので、2005年に沖縄で転落死、当時は事故で処理されました。転落は角田美代子を含め総勢8名で沖縄を訪れ、記念撮影中に起きた事故でした。

事件発覚後の捜査で、保険金目当てで自殺を強要された疑いがある事が発覚しました。死亡数ヶ月前から執拗に自殺するよう迫られ、死亡前夜は「お別れ会」まで開かれていました。

下りた多額の保険金

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A家長男には多額の保険金がかけられており、形式上の妻(角田美代子の義理の妹)に複数の保険会社から計約7700万円が支払われました。

また、A家長男が形式上マンションの所有者となっていた角田美代子のマンションの残りローン約3000万円も完済されたのです。

2007年12月、D家母連れ去り事件発生

D家母は当時D家に嫁いでいたのですが2003年のC・D家乗っ取り事件の際夫とは離婚においやられてしまいます。しかし2003年8月、共に虐待を受けていた元夫の助けで単独逃亡に成功します。

その後約4年間和歌山のホテルで住み込み仲居の仕事をしていましたが2007年末に車を購入する為住民票を移した事で角田美代子らに居場所を特定されてしまいます。

勤務先のホテルに角田美代子らが現れ、再び尼崎市へ連れ戻されてしまったのです。

2008年11月、主犯格角田美代子の同居人安藤みつゑ死亡・死体遺棄事件発生

角田美代子の兄と交際したことがきっかけで同居していた安藤みつゑさんは、2008年11月角田美代子の孫を強く叱った事で怒りを買い、角田美代子に暴行されました。

一週間ほどマンションバルコニーに設置された物置小屋に監禁され、食事は与えられていたものの睡眠制限の虐待がありました。安藤さんには高血圧症や心臓肥大などの持病があったのです。

安藤さんの死は病死の可能性が高いとの理由から逮捕者の罪状は監禁罪のみとなりました。遺体はC家母の家の床下地中に遺棄され、2012年10月に逮捕者の供述で発見されました。

2008年12月、D家長女死亡・死体遺棄事件発生

D家父と母は離婚させられましたが、角田美代子の元に残っていたD家長女と次女が尼崎で挨拶をしなかったと言いがかりをつけ、美代子の指示でD家長女と次女が両親を暴行しました。

そのままD家に居座った角田美代子はC家一家も高松に呼び寄せます。2003年8月、D家父は監禁の隙をついてD家母とD家長女を逃がしましたがD家長女は途中で発見され連れ戻されました。

その懲罰として2ヶ月以上もの間、角田美代子のマンションバルコニーに設置された物置に監禁されたのです。飲食制限や暴行などの虐待を受け2008年12月に死亡しました。

監視カメラで衰弱する様子を確認

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D家長女に対する虐待は激しいもので家財道具で暴行、数日間絶食させたり、一度に大量の食事を無理やり食べさせた後排泄を我慢させたり、などです。

物置に設置した監視カメラでその様子を室内モニターで見て笑っていたのだと言います。虐待にはD家長女の夫、D家次女も加わっていたそうです。

D家長女の遺体はC家母の家の床下地中に遺棄されました。2012年10月に逮捕者の供述から遺体を発見しました。

2009年4月〜川村家(以降E家)、大江家(以降F家)乗っ取り事件発生

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2009年4月、角田美代子が「孫の乗ったベビーカーが車両のドアに挟まれた」と鉄道会社にクレームをつけました。これに対応したのが当時その鉄道会社に勤めていたE家父だったのです。

E家父は謝罪のため何度も美代子のマンションへ足を運びました。話し合いの場に美代子の義理のいとこ男性Tを同席させ「この子は元やくざ。何するかわからんで」と脅しをかけました。

一方でE家父の誠実な態度を褒め、徐々にE家父を取り込み、やがて家族ぐるみで付き合いをする仲になっていったのです。

退職と離婚を迫るように

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E家父に退職をさせるため会社に乗り込みまでした美代子に、2010年4月にとうとうE家父は退職してしまいます。その後E家父と母に離婚を迫りF家一族を集め家族会議をしたのです。

そしてE家父と母は離婚しました。美代子の干渉はさらに続き、何度も家族会議で両家一族を集め、暴力を振るわせるようになりました。

その間にE家長女と次女は美代子に懐き美代子のマンションで同居。美代子のマンション横のワンルームマンションにE家父と母、F家母、F家長女、E家父の次女を住まわせました。

虐待がエスカレート

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美代子による睡眠制限、食事制限の他、暴力も振るわれ互いに監視し合うようになります。やがて虐待はF家母に集中し、2011年9月11日にF家母は死亡しました。

遺体はE家父といとこTでドラム缶にコンクリート詰めにされ、貸倉庫に放置。今度はF家長女に虐待が集中していき10月30日未明に車の中で激しい暴行を受けました。

手足をテープで縛られワンルームマンションに閉じ込められたのです。このままでは殺されると思いF家長女は、監視役のE家父の隙を見てテープを噛み切って脱出しました。

無事に警察へ

テープを噛み切り2階の窓から飛び降りて脱出したF家長女は大阪市内のホテルに数日間宿泊し、11月3日に大阪市内の交番に駆け込みました。

F家長女の自身に振るわれた暴力や、F家母の死亡した話を警察は信ぴょう性があると判断し、兵庫県警へ連絡しました。

2009年6月、D家母不審死事件発生

D家母は、2008年3月に意識不明の状態で病院へ運ばれました。急性くも膜下血腫と診断され、そのまま意識は戻ることなく2009年6月に肺炎で病死しました。

当時は事件性はないと判断されたのですが事件発覚後の捜査で、病院に運ばれる直前2008年2~3月に、頭を強く揺さぶられるなどの激しい暴行を受けていた事が分かりました。

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