三助とは?江戸時代の銭湯で客の背中を流す仕事は現在もある?

三助とは、銭湯の労働者で男性や女性の背中を流す仕事をしていた人を意味する言葉です。三助という仕事について詳しく調べてみました。三助は今でもいるのでしょうか。三助は差別用語なのでしょうか。また、槍魔栗三助など、三助がつく芸名の芸能人についてもまとめました。

男の憧れ三助とは?三助の意味や仕事について

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三助とは、銭湯でお客の背中を流したり、お湯の準備などの仕事をする男性のことです。三助という名称の由来や、詳しい仕事内容についてまとめました。

三助は銭湯の男性労働者、男女の背中を流すサービスも行った

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三助は、江戸時代の中期から現代においての銭湯で働いていた男性の労働者です。風呂を焚いたり、下駄係、男女関係なく入浴している客の背中を流すなどの仕事をしていました。

三助の由来・語源は?

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三助の「三」には、炊爨の「さん」の意味があり、炊爨と他の雑用などの仕事をしたことによります。銭湯の労働者を指す言葉になったのは、享保もしくは化政期からです。それ以前は下男、小者の通称でした。

また、かま焚きと湯の温度の調整、番頭という三つの仕事をかけ持つため、三つを助けるということで三助になったという由来もあるようです。

越後から、江戸にやって来た三人の兄弟の名前に「助」の字がついていたことが、三助の由来という説もあります。三兄弟は、銭湯で働き者だったため人気があったそうです。

下積みから一人前になるまでに10年はかかる

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三助を志望し、風呂屋に雇われると、まずは見習いとして、かま焚きのための木を拾う仕事から始めます。夕方は、入り口で客の履物の出し入れ、管理をする下足番をします。

見習いを2年から3年ほどして、かま焚きを始めます。かま焚きを経て、入浴する客の体を洗う「流し」をするようになると、三助を名乗ることができるようになります。

湯の温度調整をすること、洗い場の様子にも気を配ることなどの仕事ができるようになってから、一人前の三助と認められます。一人前になるには、約10年働かなければなりません。

「流し」の仕事内容

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流しとは、浴室で三助が客の体の垢すりをしたり、体を洗ったりするなどを行う接客のことです。三助は、番台から、流し希望の客の連絡を受けたら、桶に湯を汲み、流し場に用意します。

そして、桶の所に来た客に流しを行います。客が複数人いる時は、待ち時間や順番を間違わないようにしたり、要領よく流しをしていかなければなりませんでした。

客から札を貰って、流しのサービスが終了

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流しが終わった後、客から流しの札を貰うことで、流しの接客が終わります。その札の数の多さで、給料の他に、歩合給がつくことになっていました。三助の給料は、銭湯の男性の被用者の中で一番高かったそうです。

三助は、性別問わず流しをしており、たくさんの裸の女性がいる中で流しをするため、その環境に耐久がないと、三助の仕事はできなかったそうです。

男性の憧れの仕事だったが実際はすることが多く大変

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三助や番台の仕事は、男性の憧れでした。なぜかというと、女性たちの裸があらわになるところを見られるのではと思ったからだそうです。

しかし、楽な仕事ではなく、番台はお代を貰ったり、手ぬぐいや櫛などの貸し出し、楊枝の販売など忙しかったそうです。流しを希望する客には、札を渡し、拍子木を打って三助に知らせました。

拍子木は、男性の時は1回、女性の時は2回と決まっていました。三助はその音を聞くと、湯が入った桶を3つ用意します。お客が来たら、垢すりなどで体をよく擦ってから、湯で洗い流して、数回背中を叩きます。

閉店後も仕事がある

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客が帰ってからも、仕事があります。店を閉めた後、浴槽と洗い場の掃除がありました。お客が滑って転ばないように、念入りに掃除をしていました。

江戸時代初期までは女性「湯女」が流しをしていた

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江戸時代の初期までは、女性「湯女」がこのような流しのサービスを行っていました。しかし、だんだんと性的サービスに変化していき、当時の政治を行う者により、禁止になりました。

それに代わって男性の三助が流しの業務を行うようになりました。三助は、銭湯の男性の被用者で最高位にあたります。

男女混浴が禁止になったきっかけは「湯女」?

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湯屋で働いていた湯女と呼ばれる女性は、男性の体を洗うという仕事だけでなく、春を売っていました。実態は遊女でした。遊女商売が許されていたのは吉原だけなので、吉原からすると、湯女は業務妨害でした。

幕府は湯女を禁止し、湯女がいる湯屋の取り締まりを厳しくしましたが、湯女の活動を完全になくすことはできませんでした。客に給仕するという口実で女性を雇うことまでは、取り締まれませんでした。

男女混浴が多くみられたのも、風紀の取り締まりができなかった理由ではないかということで、混浴を禁止しました。しかし、寛政の改革が破綻してしまうと、また男女混浴に戻ってしまいました。

銭湯好きな客は垢すりをしてもらいすぎて肌が薄くなり光るほどだった?

江戸時代は、家に風呂がなく、皆当たり前のように銭湯に行っていました。薪に燃やして風呂を沸かすことへの危険性から、風呂を持たなかったようです。

江戸の人は銭湯がとても好きと言われていますが、1日に4~5回も銭湯に入りに来る人がいたそうです。江戸のお湯はとても熱く、銭湯が好きな人はそのお湯に何度も入っていました。

ですから、江戸の人は肌が薄くなり、テラテラして脂気が抜けた独特な肌をしていたそうです。三助に背中を流して貰っていたのかもしれません。

三助は「子宝の湯」でも一役買っていた?

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三助は、女性の体を洗ってくれて、見た目もなかなか良かったそうです。さらに交渉で売買が成立すると、女性と二人で消えていくことがあったそうです。恥ずかしがることでなく、堂々と交渉があったそうです。

子宝の湯は日本各地にありますが、三助が女性と性行為をして妊娠させていたからという説があるそうです。

こういうことをしてまで妊娠しなければならなかったのは、江戸時代は現代とは違う倫理観があり、家を守ることが重要とされていたという事情があります。

三助の画像

三助の画像です。女性の中に混じって、流しの仕事をしている三助がいます。

外国人の画家、ジョルジュ・ビゴーが三助の絵を描いていました。

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三助は今も実存している?

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流しを行う三助は、現在も存在しているのでしょうか。銭湯の衰退や、日本最後の三助についてまとめました。

昭和後期以降、銭湯の衰退で三助の需要は激減した

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近代以降では、流しは昭和時代の中期頃に隆盛し、入浴の時の贅沢と捉えられていました。東京都内に銭湯が2600軒以上あり、高い煙突を目指して歩くと、風呂屋に着くと言われていました。

しかし、一般家庭に浴室の普及が進んでいくにつれ、三助の需要がなくなっていきました。それに伴って、流しというサービスもなくなっていきました。

東京都荒川区の「斉藤湯」には日本最後の三助がいたが2013年に高齢のため終了

東京都荒川区にある銭湯「斉藤湯」には、日本最後の三助がいました。50年流しをしてきた橘秀雪さんです。橘さんは、高齢のため2013年12月29日に流しを廃業しました。

流しの料金は1回400円。休日は流し目当てで斉藤湯にくる人もおり、北海道や九州など遠い所からくる人がいたそうです。2010年頃は1日5人程度、多くても10人くらいの客が来ていたそうです。

日本で最後の三助・橘秀雪の経歴

日本最後の三助の橘秀雪さん。橘さんは富山県氷見市出身で、農家の四男です。15歳で中学を卒業し、いつか自分の銭湯を開くという決意を持って東京に出て来ました。

当時、銭湯業界は大盛況だったので働き口はたくさんあり、いくつもの浴場で番頭をしていました。橘さんが最後に勤務した銭湯が斉藤湯です。山手線日暮里駅から歩いて5分の場所にあります。

BOSSのCMが放送された後、遠方の銭湯ファンが流しをしてもらいに斉藤湯に来たそうです。2013年12月29日、橘さんは高齢のため三助を引退しました。後継はいませんでした。

全国から流しを目当てに来客があり、現在も問い合わせの電話があるという

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BOSSのCMで、北海道から九州まで、三助に流しをしてもらいたいという人が斉藤湯に来たそうです。廃業した今でも、流しをして貰いたいという人から問い合わせの電話があるそうです。

近年では銭湯文化自体が滅びの道を進んでいる

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昭和40年頃は東京都内に銭湯が2600軒以上ありました。しかし、平成になると、毎年100軒ずつほど減っていっています。今、東京に銭湯はおよそ620軒あり、減っているそうです。

風呂付きの家が一般的になったこと、スーパー銭湯などの他の営業形態が多くなったことで利用客が減り、軒数も減っているようです。

銭湯が激減しているのは、老朽化で建物の建て替えをしなければならないのですが、その予算が出せないという問題が多いからだそうです。

2009年にはBOSS贅沢微糖のCMにも出演して三助の姿を披露した

2009年、サントリーのBOSSのCMに、日本最後の三助である橘秀雪が伊藤淳史さん、北島三郎さんと出演しました。このCMがきっかけで三助が日本全国に知れ渡りました。

現在イベントやサービスなどで三助を復活させる動きがある?

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橘さんが三助引退したことにより、三助はいなくなってしまいましたが、イベントやサービスで復活する動きもあるようです。

各地の銭湯でイベントとして三助を復活している

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神勝寺温泉・昭和の湯では、2016年3月に背中流し師三助さんというイベントを開催しました。好評だったため、4月にも開催されました。

他にも、岐阜県の各務原・恵みの湯で、イベントが開催され、三助の復活の動きがあるようです。

「みどり湯」の現代版Sansuke

2018年2月6日の風呂の日に、自由が丘のみどり湯で、三助が復活しました。月1回、こういったイベントを開催していくそうです。

現代版「Sansuke」とは、按摩マッサージ指圧師・月足さんのプロの指圧と、元三助の方から教わった技をミックスしたものです。流しとマッサージの両方が体験できます。

「楽天地スパ」の背中流しサービス

東京都墨田区にある天然温泉・楽天地スパが、背中流しのサービスを行っています。流し、上半身の垢すり、体洗い、シャンプーと、痒いところまで手が届くサービスです。

楽天地スパは、男性専用のスパとサウナの施設です。女性と小学生以下の人は利用できません。

「薬石の湯 瑰泉」の三助隊

薬石の湯・瑰泉でも、三助が復活しています。2017年、父の日にお父さんへの感謝を込めて、瑰泉の男湯で、三助隊と称し、シャンプーと背中流しのサービスを行いました。

父の日限定で、午前は10時から11時まで、午後は16時から17時まで、三助隊が流しサービスを行いました。

健康センターでは無料三助サービスも

都内近郊で、全国で初めて健康センターを営業した、湯の泉・草加健康センター、相模健康センター、東名厚木健康センターが三助サービスを行っています。無料のサービスです。

ドラマ「神の舌を持つ男」で向井理が三助の孫を演じた?

神の舌を持つ男というドラマで、向井理さんが三助の祖父の弟子という役を演じました。そのドラマについて調べてみました。

「神の舌を持つ男」は各地の秘湯で起こる事件を解決していくコミカルミステリー

神の舌を持つ男は、2016年にTBSで放送されたオリジナルドラマです。演出は堤幸彦さんで、構想に20年も費やし、ギャグ要素が多くある作品です。サスペンスドラマの常連の女優が多く出演しています。

ドラマの最終回が放送された後、2016年12月3日に映画化することが発表されました。TBSは映画の制作に携わっておらず、松竹側の企画と制作になっています。

ドラマの舞台は全国各地の秘湯です。温泉芸者のミヤビを探し求めて、温泉宿を巡る3人が温泉地で事件に遭遇し、蘭丸の物質の成分分析ができる舌の能力で事件を解決していく、コミカルミステリーです。

主人公は伝説の三助の孫であり弟子という役どころ

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主人公の朝永蘭丸は、大津温泉に勤めていた伝説の三助「大津のヘースケ」の孫で、弟子です。高い技術を継いでおり、容姿も良い三助と業界で知られています。温泉宿で宿代の代わりに三助の仕事をしています。

蘭丸は、さまざまな物質を舌で味わい、瞬時に成分を分析することができる能力を持っています。これは、父からいろんな薬草などを食べさせられたことで身に付いた能力です。

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