上尾事件とは?事件の概要とその詳細!国鉄VS乗客で大暴動に発展? 社会

上尾事件とは?事件の概要とその詳細!国鉄VS乗客で大暴動に発展?

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9時45分 上尾駅の乗客は1万人になるが、機動隊の整理により破壊行為が収まる

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9時45分になり、機動隊の整理によって投石などの破壊行為はようやく鎮静化していきました。この時上尾駅には、1万人を超える乗客がいたとされます。

10時07分 宮原駅長と助役を乗客が拉致して乗客とともに大宮駅まで歩かせる

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騒ぎが沈静化を見せた陰で、一部の乗客は上尾駅の駅長と助役を拉致し、大宮駅まで線路沿いを歩かせていました。

この時、駅長は拉致される前にハンマーで頭を殴られており、全治5日の軽傷を負っていたことが分かっています。

10時10分 対策本部が設置される、乗客の投石で川越線も不通になる

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上尾駅から逃走した駅員たちは熊谷通運の上尾支店内に集まり、その場で事件の対策本部を設置しました。これとは別に埼玉県警は上尾警察署内に対策本部を設置し、隣県の群馬県警にも応援要請します。

一方で高崎線とは別に川崎線内でも乗客の投石があり、運転士と車掌が国鉄の大宮工場へと避難し、この影響で川越線も不通となりました。

10時30分~10時40分 東北本線下り急行に投石、東北・高崎・川越線が全面休止

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10時半には東北本線の急行・まつしま1号に対して投石が行われ、旅客局戸川調査役と国鉄本社公安本部長が現地の対策本部長として対策本部に派遣されました。

これにより高崎線だけではなく川越線、東北本線も全線運休となりました。

10時45分 大宮駅運転事務室の占拠、上尾駅の乗客を輸送するバスが手配

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上尾駅の混乱は終結しましたが、大宮駅では高崎線のホームは乗客であふれかえっていました。

これを解消するために国鉄は代行輸送としてバスを7台手配、他に上尾駅にも大宮まで乗客を輸送する目的で民間バスなどを20台から30台手配しました。

11時07分~11時30分 大宮駅の混乱が収束し東北本線と川越線が運転を再開

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11時を過ぎて大宮駅の混乱は収束し、東北本線、川越線の運転が相次いで再開されました。しかし高崎線については復旧のめどが立たず、運転再開がされたのはこの日の17時20分のことでした。

11時50分 上尾駅の乗客が6000人になる

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11時50分、一時は3万人はいたという上尾駅内の旅客は6000人にまで減っていました。暴動開始から4時間以上が経って、徐々に上尾駅も落ち着きを取り戻してきたのです。

しかし夜間になってもダイヤが正常に戻ったわけではないため、この日、上尾から都内に出勤して帰宅するのに合計で9時間もの時間を要した人さえいたと言います。

暴動により高崎線の大宮-高崎間が不通、周辺の駅も被害を受けた

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この暴動の結果、高崎線は大宮から高崎の間で全線運行停止となり、周辺の熊谷駅や桶川駅などでも駅長室が荒らされる、駅舎の窓が割られるなどの被害が発生しました。

上尾を発端として暴動が発生したことから上尾駅と名付けられましたが、暴動が起こったのは上尾一駅ではなく、順法闘争に怒りを感じていた乗客の数は相当数存在したのです。

混乱に乗じて7名の逮捕者を出した

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上尾事件では混乱に乗じて駅長室から現金20万円を盗んだ者もおり、これらの者は逮捕されています。他にも取材に来た朝日新聞の記者に暴力を振るった者など、あわせて7名の逮捕者が出ました。

上尾事件当日の順法闘争が与えた甚大な影響

暴動が起こったのは上尾駅を中心とする高崎線沿線の駅でしたが、3月12日には順法闘争の影響は全国規模で発生否定ました。

ここでは上尾事件の当日、全国的には遵法闘争でどのような影響、被害が出ていたのかについて紹介していきます。

国鉄運行の遅延

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3月12日、暴動は起こらなかったまでも首都圏を運行する列車を中心に高崎線以外の路線でも多くの遅延や運休が相次いでいました。当日の首都圏の主な路線の運行状況は以下の通りです。

  • 貨物列車における運転本数 : 平時の60%
  • 中央快速線の運行状況 : 40本が運休
  • 南部線の運行状況  : 32本が運休
  • 京浜東北線 の運行状況  : 30本が運休
  • その他の首都圏本部管内列車の運休:合計220本

これにより影響を受けた人員は約71万人に上り、関西でも大阪環状線が午前中だけで合計66本が運休になっていました。

運転休止・影響人数・負傷者

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また3月5日に開始された順法闘争の3月12日時点での影響は、以下の通りです。

  • 運転休止(全国合計) : 約35000本(うち旅客列車 : 約12000本、貨物列車 : 約21000本)
  • 影響を受けた人員数 : 延べ約8400万人
  • 負傷乗客者数 : 92名

当時の国鉄総裁であった磯崎叡氏は、この被害について「国鉄始まって以来の不祥事」と述べています。

上尾事件が起こった原因【国鉄側の業務態度の問題】

上尾事件で乗客の怒りが爆発した背景には、鉄道の運行状況に加えて当時の国鉄職員の横柄な勤務態度にもあったと言われています。

ここでは上尾事件当時の国鉄職員に寄せられていた、勤務態度についての問題点を紹介していきます。

国鉄職員の横柄な態度・服装の乱れ

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国鉄の職場は1960年後半から、生産性が下がって荒廃化が進んでいました。

現状を憂いた国鉄当局は生産性アップのために「丸セイ運動」という取り組みを開始したのですが、国鉄労働組合は共産党などの力を借りてこれに反抗。丸セイ運動は頓挫しました。

結果、国鉄職員の勤務態度はますます悪化し、乗客に対する態度も横柄になり、準公務員と言う立場でありながら服装の乱れも目立つようになっていたのです。

国鉄職員による試運転列車の私物化

最も非難を集めたのが、「国鉄職員専用列車」とまで呼ばれた国鉄職員による列車の私物化です。

これは高崎線で起きていたことで、朝のラッシュの時間帯に試運転をしている車両を踏切付近で停車させ、近隣に居住している国鉄職員の通勤の足に利用していたのです。

日頃からこのような状態であったからこそ、乗客の利益や安全を全く無視した順法闘争に舵を切ることができたのだと批判する声も多く上がっています。

乗務員への順法闘争に対する間違った指導

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そもそも順法闘争をするにしても、ラッシュの時間帯くらいは通常運行するべきではないのか?という疑問を持つ方もいるでしょう。

しかし、後の調べで敢えて「影響力が大きく、効果がある」との理由から、ラッシュの時間帯を狙ってダイヤを乱していたことが判明したのです。

これについては国労宣教部が、各駅の職員に指導していたことが分かっています。

首都圏本部長や全国サラリーマン同盟代表の発言からわかる当時の状況

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1975年時に首都圏本部長の役職にあった工学者の尾関氏は、失墜した国鉄の信頼回復のため、乗客の声掛けには笑顔で応える、地道な努力でイメージの回復を図るべきという意見を述べています。

また全国サラリーマン同盟代表委員は上尾事件を受けて、ストライキの権利はあってしかるべきだが、やり方に疑問を感じる、これでは同情も共感もできないと述べました。

さらに、事件当初ガラスを割られたからと乗客を説得することも、周辺の無関係な乗客の安全確保をすることもなく逃げ出した運転手や駅員に対して、職業意識が感じられないと切り捨てています。

上尾事件が起こった原因【情報共有不足の問題】

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上尾事件が起きた理由として、鉄道局はダイヤの乱れがあった際の情報伝達がなされていなかったことなども原因として挙げられています。

ここでは鉄道局が後の改善点として挙げた、上尾事件の原因についた紹介していきます。

輸送障害が起こったときの対策がなされていなかった

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当時は普通車両内ではアナウンスなども流れておらず、電車が遅延していても、どのような理由で何分遅れる見通しなのか乗客には知る術がありませんでした。

そのため自分たちがどのような状況にあるのか分からないまま時間だけが経つという焦燥感が、乗客を暴徒化させた一因と指摘されたのです。

有線通信システムへの依存

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鉄道局の尾関首都圏本部長は、このように伝達が上手くいっていな問題について、国鉄が有線通信に依存しすぎているという原因を挙げました。

そのため上尾事件を受けて、警察無線を参考に国鉄も無線システムを整えることで、よりスムーズな伝達配信を目指すこととなります。

また、当時は駅構内で騒ぎがあると高確率で通信設備が破壊されており、上尾事件の際も破壊されています。これを防ぐためにも、無線の整備は必要との意見もありました。

部外に向けた情報提供への認識不足

設備が整っていなかったことももちろんですが、当時の国鉄は乗客に対して情報提供をしなければいけない、と言う意識そのものが薄かったとも指摘されています。

首都圏の交通網は綿密に絡み合っているため、1つの車両が遅延すれば他の複数の車両にも影響が出ます。

にも関わらず乗客は他車線の情報などが一切得られないことから、どんなに急いでいる時でも、漫然とホームで電車を待ち続けなければいけなかったのです。

輸送力の増強だけで解決する問題ではない

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このようなことから混雑を回避するために普通車両を増強するだけでは対策は不十分であり、異常事態が発生した際には速やかに情報を収集、乗客に提供することが重要とされました。

さらには群衆の心理も研究することで、不測の事態が起きた時にどのように対処すれば早期に騒ぎを収束できるかも考える必要があると指摘されたのです。

上尾事件が起こった原因【急激な都市化と人口増加の問題】

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上尾事件が起きた1973年、高度経済成長期の只中にあった日本で、都市部は姿を変えつつありました。このことが、上尾事件が起きた要因の1つであったとされます。

直接的な原因は団地の建設

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上尾市は、1967年に行われた第22回国民体育大会の開催地の1つでした。そして国体の開催後、選手村であった場所には団地が建設され、わずか6年の間に上尾市民は7万人から13万人へと急増したのです。

しかしこれに鉄道の増強が追い付かず、遅延と異常な混雑が慢性化していました。

事件前から国鉄は人口増加問題を認識していた

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事件の前年である1972年に高崎鉄道の管理局長は業界紙のインタビューに対して、混雑の解消は必須と言う認識を語っていました。

利用客数が多く収益を出している区間だからこそ、車両の増強はもちろんのこと、将来的には複々線にする計画があるという見解を上尾事件の前から示していたのです。

上尾事件が起こった原因【不適切な運行車両の問題】

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また上尾事件が起きた当時、高崎線で使われていた車両についても問題視されています。ここでは上尾事件の当時、どのような車両がラッシュの時間帯に運行していたのかについて紹介していきます。

使用されていた急行列車は乗り降りに時間がかかるタイプだった

国鉄は長らく慢性赤字の状態に陥っていたことから、高崎線の混雑が異常なレベルになっていることが分かっていても、最新の急行車両を増やすことができませんでした。

増強されたのは「近郊形車両」と呼ばれるもので、ボックス席でデッキスペースが付き、上の写真のようにドアも1車両に2つしかついていないものがラッシュの時間帯に走っていたのです。

このように輸送能力が低く、乗り降りにも時間がかかる車両を使用していたことも、高崎線が慢性的に混雑していた一員とされています。

順法闘争がなくても事件が起きていた可能性もあったという声も

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乗客の怒りが爆発したきっかけは順法闘争でしたが、日頃から国鉄の利用者は運行状況や職員の態度など、国鉄に対して不満を溜めていました。

そのため順法闘争が無かったとしても、いつかは暴動が起こった可能性は高かったのではないか?とも考えられているのです。

上尾事件が起こった原因【国鉄の陰謀説】

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上尾事件の暴動は自然に、偶発的に発生したものではなく、仕組まれたものだったという説も存在します。ここでは上尾事件にまつわる陰謀説を紹介していきます。

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