上尾事件とは?事件の概要とその詳細!国鉄VS乗客で大暴動に発展? 雑学・ライフスタイル

上尾事件とは?事件の概要とその詳細!国鉄VS乗客で大暴動に発展?

上尾事件とは1973年に高崎線の上尾駅で起きた、日本の鉄道史上に残る乗客の大暴動です。当初は国鉄の経営陣と職員の争いであったはずの順法闘争が、どうして乗客が駅に火をつける程の大暴動に発展したのか?当時の写真を紹介しながら上尾事件について紹介していきます。

目次

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上尾事件とは?事件の概要

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上尾事件とは、国鉄の職員がストライキの権利を主張するために選んだ行為がきっかけとなって、国鉄の駅を舞台に空前絶後の大暴動が起きたという事件です。

ここでは上尾事件がどのようにして起きたのか、その概要を紹介していきます。

1973年に国鉄高崎線上尾駅で乗客によって引き起こされた暴動事件

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上尾事件は1973年3月13日、鉄道の利用者数が急増していたベッドタウン、高崎線の上尾駅で起こった乗客の暴動事件です。

国鉄の職員が上層部に抗議する意味合いで列車の運行を遅らせたことがきっかけでダイヤが乱れ、ホームや列車内に溢れかえった乗客が激怒します。

結果的に暴徒化した乗客が駅構内を破壊する、駅長室に押し寄せる、列車の窓ガラスを割って運転手を引きずり下ろすと好き放題に暴れて、収拾がつかないほどの事態となってしまったのです。

事件によって7名の逮捕者が出た

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線路内への投石や放火発生した上尾事件では、地元の警察はもちろんのこと警視庁の機動隊も出動する程の騒ぎとなりました。

当時ベビーブーム世代が社会人となっていたことから、通勤・通学用途での鉄道の利用者は急増しており、上尾駅で立ち往生させらた乗客の数は6000人を超えていたとされます。

現代の感覚からすると、駅で暴動が起きて逮捕者と言うのはフィクションのようにも感じられますが、上尾事件では最終的に混乱に乗じて窃盗をした者など7名の逮捕者と、多数の負傷者を出すこととなりました。

事件の背景にあった「順法闘争」

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上尾事件の背景にあったのは、当時国鉄の当局と国鉄職員・労働組合の間で起きていた「順法闘争」というものです。

国鉄当局側は1964年以降、財政赤字が続いていたことから鉄道運営にかかるコスト削減をしたいと考えており、乗客の安全という面目を使って運転手の「二人乗務」を求める労働組合と対立していました。

このような要求を通すために国鉄当局に対して労働組合側が抗議として取った手段が、順法闘争であったのです。

ストライキ禁止を逆手に取った「順法闘争」

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現在はJRとして民営化されていますが、当時の主要鉄道であった国鉄は国有鉄道の名の通り実質的に国が運営しており、職員たちも準公務員と言う肩書でした。

公務員は法律で争議権を認められていないことから、ストライキをする権利を持たず、労働組合側は法に則った形で対抗手段「順法闘争」という手段をとることがあります。

上尾事件で国鉄職員たちはあくまでも乗客の安全のためと言う名目で、不必要な停車と徐行を繰り返し、意図的に大幅にダイヤを乱すことで鉄道当局に要求をのませようとしたのです。

国鉄動力車労働組合が出した要求①

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順法闘争で、国鉄の労働組合側は2つの要求を出していました。その1つが運転手の2人体制であり、名目上は乗客の安全のために深夜時間帯の運行など、一定の条件下での2名体制を求めていました。

しかし、蒸気機関時代は運転士と石炭をくべる機関助手の2人体制でしたが、鉄道では運転士2名体制である必要はないとして、国鉄当局はこの求めを拒否していました。

国鉄動力車労働組合が出した要求②

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2つ目の要求は、遮断機と警報器を全踏切に設置するというものです。これは踏切事故を防止するためのもので、当局も順次設置していくと回答したとされます。

その後、首都圏全土での「首都圏国電暴動事件」にまで発展した

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多くの被害を出した上尾事件の後も、順法闘争は終わりませんでした。上尾事件が起きた翌月の4月24日には主に帰宅時の乗客の足止めをする時間帯にダイヤが大幅に乱れ、再び暴動が起こったのです。

この暴動は1つの駅にとどまらず首都圏内の国鉄の複数の駅で発生し、首都圏国電暴動へとなったのでした。

上尾事件は前日から予告・脅迫されていた?

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上尾事件の前日には、駅員を脅すような人間の姿が見られたという話もあります。

一部の国鉄職員の中では、上尾事件は順法闘争を潰すために鉄道当局が仕組んだ作られた暴動であったという説もあり、順法闘争を止めないと酷い目に遭わせると当局に脅されていたと言うのです。

事件時、電話を借りるため駅前商店にまで人が溢れる騒ぎとなった

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ネットも携帯電話もない時代であったことから、暴動が原因で出勤できなくなった人々は勤務先に連絡するため、電話を探して駅周辺の商店街に向かって行きました。

そして商店街の店には、電話を借りる人が列を作ったそうです。上尾駅周辺に住んでいた人の話によると、自宅から暴動の様子が見え、駅のホームから火が上がっている様子も見えたと言います。

この光景は近隣住民に恐怖を感じさせ、暴徒化した乗客がなだれ込んでくることを想定してバットを持って警戒していた近隣住民もいたとされます。

現在、JRに不満を持つ人も多いが当時のような問題意識がないという指摘も

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乗車率100%を軽く超えている路線や、通勤・通学ラッシュの時間帯には毎日当然のように遅れる路線が複数存在することなどから、現在もJRに不満を持つ人は数多くいます。

しかし、仮に現在上尾事件のようなJR側の都合での電車遅延が発生したとしても、上尾事件のような暴動は起こらないという意見が大半を占めているのです。

それは国民の理性が高いというだけではなく、利用客が暴動を起こしても大企業は変わらないだろうという諦めや、無関心、無関動な国民性が原因だとも言われています。

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上尾事件の詳細は?事件の流れ

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上尾事件はどのように発生し、暴動がエスカレートしていったのでしょうか。ここでは上尾事件の詳細を時系列で紹介していきます。

高崎線は利用客増大のなかで増便せず、慢性的に混雑していた

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上尾事件が発生した当時、第一次ベビーブームで誕生した世代が社会人となっていたことで都市部の人口が膨れ上がり、千葉や埼玉に数多くのベッドタウンが誕生していました。

このことから鉄道の利用客も増え、ラッシュ時の混雑は現在を大幅に上回るものとなっていました。そのため電車の遅延は日常茶飯事、ダイヤ通りに運行されることなどは非常に稀だったのです。

しかし、国鉄側は混雑回避のために運行車両の本数を大幅に増やすことができませんでした。慢性的に赤字続きであった当時の国鉄にとっては、客の利便性よりもコストカットが第一だったのです。

通勤形や近郊形電車増便も不足、投入された急行形電車は2扉で通路が狭い

車両の不足を補うべく投入された列車も、上の写真のような165系と呼ばれるもので、2扉でボックスシートと言うラッシュの時間帯には適さない急行形電車でした。

このような車両では乗車できる人数も限られるため、混雑回避の有効策とはならなかったのです。

冬季は大雪により普通列車が遅延・運休になることも多かった

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高崎線の線路を走る日本海側をルートに含んでいる特急や急行列車の数は多く、これらの長距離列車が冬の時期に雪の影響で遅延することは多々ありました。

しかしダイヤの上では特急や急行車両を優先する必要があるため、遅れている特急などを待ってから発車することで普通車両はいっそう遅延。時には運休するようになっていたのです。

1973年3月12日から順法闘争が実施される

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そんな中3月5日から決行されたのが、国鉄労働組合による順法闘争でした。そして高崎線も3月12日から、順法闘争に参加することとなります。

ただでさえ電車の混雑と遅延が問題になっている状態で、さらに遅延を招く行動を起こすというのは信じがたい印象もあるでしょう。

しかし、当時は労働闘争が比較的メジャーな活動であったため、国鉄労働組合側も国民は自分たちの事情を理解してくれるはず、という驕りがあったと考えられています。

事件当日の3月13日は年度末・学校の試験期間で、より混雑する時期だった

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上尾事件が起きた3月13日、仕事が多忙を極める年度末でもあり学生にとっては学期末試験の時期でもあったため、上尾駅は非常に混雑をしていました。

会社や学校では交通機関でストライキが起きた場合は、欠勤、欠席が認められていますが、国鉄が行ったものはストではなく順法闘争であるため、社会人も学生も休むことができません。

ただでさえ遅延している電車がさらに無意味に大幅に遅れ、それでも会社や学校を休めないことから、乗客の怒りや苛立ちは増大していきました。

7時10分、上尾駅に14分遅延した普通列車832Mが到着する

上尾駅に上野方面に向かう普通列車の832Mが到着したのは、本来の到着予定時間から14分遅れた7時10分のことでした。

この時、ホームには既に3000人を超す乗客が電車を待っていたとされます。

順法闘争の影響で上尾駅は改札制限をするほどの混雑となっていた

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順法闘争の影響で、832Mが到着するまでに4本の列車が運休となっていました。

さらに先に上尾駅に到着しているはずの1830Mは832Mよりも遅れており、832Mが到着するまで、なんと1時間4分もの間上尾駅には列車が来なかったのです。

そのため駅構内にはどんどん人がたまっていき、上尾駅は改札制限を行うほどの混雑を見せていました。

832Mはすでに定員を大幅に超える乗客で、上尾駅では大半の客が乗車できず

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832Mは上野駅到着後は折り返して、新潟の直江津まで向かう特急列車になる予定でした。そのためグリーン車や食堂車までもが連結しており、普通車両に乗れる人数も少なかったのです。

定員が840名の832Mに対して5000人を超える乗客が詰めかけますが当然大半の客は乗車できず、ホームに残されることとなりました。

乗客と駅職員が小競り合いになり発車できない状態が続く

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散々待たされたのに乗車できなかった客は当然怒り、中には駅員に詰め寄る人も現れました。

乗客も列車が来ないのは人身事故や車両故障のせいでは無く国鉄側の勝手な都合だと分かっていたので、腹が立って当然です。

さらに定員の4倍を超える人数が乗っている列車にさらに乗ろうとする乗客と駅員の間でも小競り合いが発生し、列車はますます遅延していったのでした。

後続の1830Mも超満員状態で入線してくる

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そんな最中、2番線のホームにも前橋駅発の1830Mが到着しました。しかし上尾駅に到着した時点で1830Mは超満員の状態で、これ以上人を乗せる余裕はありません。

この車両にも定員の4倍以上の乗客が既に乗っていたのです。

1830Mを先発させて両列車を大宮で運行打ち切りにすると構内放送される

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そんな中、なかなか発車できない832Mよりも1380Mを先行発車させ、2つの列車を大宮で運行停止にするという構内放送が流れました。

大宮駅は2駅先であり、大半の乗客が都内まで通勤、通学する必要があります。大宮で降ろされても振り替え輸送などがあるわけではないため、当然乗客は激怒。遂にキレた乗客が暴動を起こしたのです。

乗客が怒り運転室の窓ガラスを割り、鉄道電話を破壊、駅長と助役が負傷する

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暴徒化した乗客が832Mの運転室の窓をたたき割ると、恐怖を感じた運転士は業務放棄をして駅長室に逃げ込んでいきました。

しかし乗客はそれを追って駅長室になだれ込み、鉄道電話を破壊。さらに中にいた駅長と助役が負傷しました。

832Mと1830Mは発車不能になり、入線できずにいた特急列車も壊される

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身の危険を感じた1830Mの運転士や車掌も列車を放り出して逃げ出したため、上尾駅に停車していた382Mと1830Mは運行できなくなりました。

さらには信号や分岐器などの駅の設備も壊され、近くに停車していたとき2号も石を投げつけらてヘッドマークや窓ガラスが破壊されたのです。

7時31分~8時35分 警察が出動、駅員は総退去、病院から救護班が派遣される

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駅員では収拾がつかない騒ぎとなったことから、7時30分には埼玉県警が出動し、上尾駅を中心に桶川駅や熊谷駅といった高崎線の各停車駅に警察が向かいました。

暴動が起きていたのは上尾駅だけではなかったのです。そして8時半には高崎線が乗り入れる駅では乗車券の販売を停止し、救護隊が到着すると駅員は全て避難をしました。

8時50分~9時00分 普通列車が高崎折り返しで発車、沿線の乗客が3万人にも

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8時50分に高崎線の上り列車を、群馬県の水上駅で全車両停止することが決定。信号保安要員を派遣したうえで、普通列車のみ水上と高崎の間を折り返しで運転することとなりました。

しかしながらこの時間帯に高崎線を利用する乗客の大半が埼玉から東京の間の駅を利用するため、沿線の駅ではどんどん電車を待つ乗客が膨れ上がっていきます。

この時すでに、上尾駅には6000人以上、熊谷駅には1万人以上、沿線合計で3万人を超える乗客が立ち往生していたとされます。

9時10分 機動隊などが到着、700人にまで増員される

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9時10分には公安員や機動隊も現地に到着しました。この時暴動に参加していたサラリーマンたちの中には、学生運動、安保闘争経験者も数多く存在しました。そのため暴動に慣れている乗客が多かったのです。

当初は550名の人員が警察から派遣されましたが、機動隊と殴り合うことも辞さない乗客も多かったことから警察側の人員は増え続け、最終的には700名が派遣されたと言います。

NEXT:9時45分 上尾駅の乗客は1万人になるが、機動隊の整理により破壊行為が収まる
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