八甲田雪中行軍遭難事件はなぜ起きた?青森第5連隊の生存者は?

八甲田雪中行軍遭難事件の後に語られた話とは

八甲田雪中行軍遭難事件の直後、第5連隊の駐屯地である怪談話が広まったそうです。その内容というのは、夜な夜な八甲田山の方角から200名近い集団の足音が響き渡り段々と近づいていくるというものでした。

駐屯地は恐怖に駆られ、兵達の多くが動揺したそうです。事態を重く見た連隊長は、足音を聞くと門の前まで飛び出し、整列する亡霊達に対してお前達の犠牲は無駄ではなかったと説得したそうです。

そして、連隊長が「回れ右!進め!」と号令をかけると、亡霊達は整然と命に従い、回れ右をして八甲田山の方向へと帰っていったという事でした。

八甲田山にドライブ中に起きた悲劇

青森県内の大学に通う学生達が深夜に八甲田山をドライブしていたそうです。突然車がエンストし、暗闇の中から多数の足音が響きわたり、気がつくと車を旧軍の無数の兵士達に取り囲まれていたそうです。

なんとかエンジンを掛け直し、必死に自宅へと逃げ帰り全員で寄り集まって震えていると、再びどこからともなく集団の足音が響き渡り、部屋の中へと兵士達が入ってきたそうです。

兵士達は口々に「わしはこの男の腕が欲しい」「わしはこいつの脚が欲しい」などと口にし始め、その瞬間に学生達は気を失ったそうです。体験者の1人はその後退学してしまったそうです。

八甲田山ドライブで公衆便所に入ったカップル

あるカップルが八甲田山でドライブデートをしていました。カップルはトイレに行きたくなり、後藤伍長の銅像の近くにある公衆トイレに立ち寄ったそうです。

すると、どこからともなく無数の足音が響き渡り、段々とトイレに向かって近づいてくるようだったそうです。男の方が恐怖に駆られて女を置き去りにして車で逃亡してしまいます。

翌朝男が女を迎えにきてみると、女は公衆トイレの中にいましたが、髪は真っ白になり老婆のような姿に変わり果てていたそうです。精神も崩壊しておりブツブツと訳の分からない言葉を繰り返していたそうです。

自衛隊訓練でも怪奇な報告が語り継がれている

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自衛隊では現在も、当時の教訓を忘れない目的も兼ねて八甲田山で訓練を行っているようです。

その訓練での野営中、テントを突然叩かれた、大勢の集団が山の方から近づいてくるといった奇怪な報告が多数上がっているとの噂が存在します。

軍隊は今も山中を行進しているのか

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こうした怪現象が多数報告されているため、八甲田山の中では、今でも第5連隊の犠牲者達があてのない行軍を続け彷徨い歩いているのではないか?との不気味な噂が語り継がれているのです。

八甲田雪中行軍遭難事件を元にした作品も多数製作された

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八甲田雪中行軍遭難事件は、そのあまりにも劇的で悲惨な展開から、それをモチーフにした数々の作品が製作されています。

小説「八甲田山死の彷徨」

八甲田雪中行軍遭難事件を一気に有名にした作品が、作家の新田次郎が1971年に刊行した小説「八甲田山死の彷徨」でした。

これは取材した史実を元に書かれたフィクションでしたが、かなり詳細に八甲田遭難事件の内容が描かれているため、事実を忠実に描いたノンフィクション作品だと勘違いした人も多かったようです。

第5連隊指揮官達の愚かさと第31連隊の指揮官の優秀さが極端な対比で描かれており、第5連隊に対して批判的で第31連隊を賞賛するという、現在多くの人が抱くイメージの根本原因となった小説だとされています。

映画「八甲田山」

上で紹介した「八甲田山死の彷徨」を原作に映画化した作品です。八甲田山といえばこの映画を思い浮かべる人がかなり多いのではないでしょうか?

第31連隊を率いる優秀な指揮官を高倉健さんが演じ、第5連隊の指揮官神成文吾大尉をモデルとする神田大尉を北大路欣也さんが演じました。また山口少佐をモデルとした山田少佐を三國連太郎さんが演じています。

内容はやはり、第31連隊リーダーを演じる高倉健さんを英雄化して描き、対する第31連隊の指揮官らを無能な愚か者の様に描くという原作に沿った内容となっています。

記録小説「八甲田連峰吹雪の惨劇」

こちらは、大ヒットを記録した「八甲田山死の彷徨」の1年前1970年に刊行された記録小説です。作者のジャーナリスト小笠原狐酒は、綿密な取材をし真実に極めて忠実な記録小説として本作を描いています。

同時期に刊行された「八甲田山死の彷徨」が劇的な演出を数多く取り入れヒットしたのに対して、真実に忠実に描くことをコンセプトに描かれた本作はあまりヒットしませんでした。

ドキュメンタリー映画「ドキュメンタリー八甲田山」

2014年に公開された「ドキュメンタリー八甲田山」は上で紹介した「八甲田連峰吹雪の惨劇」を原作に、事件の真実を追求したドキュメンタリー映画です。

ロケは実際の遭難現場で同じ遭難日時に行われ、撮影は実際に耳が凍傷にかかるほどの過酷な環境下で行われるなど、できる限り史実に近づけて再現するという事にこだわり抜いた作品として話題を集めました。

青森第5連隊指揮官は本当に愚か者だったのか?

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ここまで見てきたように、八甲田雪中行軍遭難事件は、第5連隊の指揮官達が無計画で無能であったために発生したかのような見方が優勢となっています。

しかし、実は近年の一部の研究においては、この第5連隊を擁護する意見も出てきているのです。ここではこうした第5連隊の指揮官達を擁護する声を見ていきたいと思います。

青森第5連隊が地元民の案内を断ったのは研究が目的だったから

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青森第5連隊の指揮官達は、地元民からの案内するという申し出を断り、結果的に部隊壊滅を引き起こしたと言われてきました。しかしこれを断ったのは、部隊の任務からして当然という見方があるのです。

青森第5連隊の八甲田行軍部隊の目的は、そもそも訓練ではなく雪中行軍の実戦的な研究だったため、露営地の探索や目的地へのルートを探す事も含めて重要な研究課題でした。

そのため、地元民の助けを借りてしまうと、その研究課題を果たせなくなってしまうと考え、最初から地元民の案内を受け入れる余地はなかったのではないか?と指摘されているのです。

緊急時に最も階級が上の山口少佐が指揮をとるのは軍隊では当たり前

八甲田雪中行軍中に第5連隊は指揮系統が混乱して、兵達が誰の命令に従えば良いのかわからなくなって部隊が崩壊したとの見方が有力になっています。

山口少佐が勝手に神成大尉から指揮権を奪って、勝手な行動を繰り返したため遭難につながったとの説がありますが、緊急事態の時に部隊で最も階級が高かい山口少佐が指揮をとるのは軍隊では当たり前です。

下士官達が上官に様々な進言をし、それが優柔不断な指揮につながったとの指摘も、軍隊ではそもそも下士官による反論が推奨されており、上官がそれを踏まえて判断を下すのは当たり前だと指摘されています。

その他の批判にも多くの反論が出ている

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その他の第5連隊指揮官に対する批判に対しても、多くの反論的意見が出ています。

例えば、2度目の露営時に当初の予定を変更して吹雪の中の行軍再開を決断した事については、このまま雪壕の中に留まっていれば凍死者を増やさずに済んだとの意見への反論です。

これは、このまま雪壕の中に留まっていては凍傷者が続出するというリスクを見越しての判断であり、こうした積極的な行動に出られる事こそが指揮官がリーダーシップを発揮していた証拠だと指摘されています。

八甲田雪中行軍遭難事件の原因として様々な説が挙げられている

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今回は、明治時代に発生した歴史に残る悲惨な遭難事故「八甲田雪中行軍遭難事件」について詳しく書いていきました。

八甲田雪中行軍遭難事件が発生した原因の定説として、事件に巻き込まれた青森第5連隊の指揮官達が、冬の八甲田山の過酷な環境を軽視し、装備や訓練計画が稚拙だった為という説が有力です。

近年の研究では、第5連隊の指揮官達を擁護する意見なども出てきており、その評価については意見が分かれています。何れにしても2度とこのような悲惨な事故が発生しないよう後世に伝えていく事が大切かと思います。

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