坂上忍の若い頃の年収は?天才子役時代とイケメン時代の画像も!

現在たくさんのレギュラー番組を持ち、マルチで活躍している坂上忍さん。そんな坂上忍さんは3歳で芸能界デビューして、天才子役といわれました。天才子役時代とイケメンだった頃の坂上忍さんの画像をチェックしながら、若い頃の年収についても調査しました。

坂上忍の若い頃の年収は?

毒舌タレントとして、数多くの番組に出演されている坂上忍さん。実は子供の頃、祖母が亡くなったショックで引きこもりがちになってしまいました。そのため劇団で友達を作ったら変わるのではないか、と3歳から劇団若草に入団して芸能界へデビューしました。

坂上忍さんが若い頃、坂上忍さんの父親は1億円もの借金を作ったそうです。その借金を返済するため、坂上忍さんと母親は懸命に働いたとのこと。坂上忍さんが25歳の頃に借金を全額返済したそうなので、坂上忍さんの年収ははっきりとは分かりませんが、若い頃からかなりの年収を稼いでいたと予測できます。

天才子役だった!坂上忍のプロフィール

坂上忍さんは1967年6月1日生まれで東京都出身の現在51歳です。4歳上のお兄さんがいます。デビューすると演技力が優れていたため、たちまち天才子役として有名になりました。しかし、競艇狂いの父親が出版社経営に失敗し倒産、坂上家は借金を抱えることになりました。

父親の借金により、坂上忍さんが小学校高学年時から中学校時代にかけて、借金の取立てに暴力団が自宅まで押しかけてくるような環境で育ちました。坂上忍さんが15歳の時には、ついに両親が離婚してしまいます。

借金返済のために子役を続けた坂上忍

両親の離婚後、坂上忍さんは母親に引き取られました。しかし母親が父親の連帯保証人だったために、坂上忍さんは中学までで芸能界を引退する予定でしたが、借金返済のために子役の仕事を続けざるを得ませんでした。坂上忍さんだけではなく、母親も仕事を3つ掛け持ちして、昼夜問わず働いたそうです。

坂上忍は若い頃イジメにあっていた!?

天才子役として人気があった坂上忍さんですが、その人気さゆえに有名人というだけで学校でたびたびイジメを受けたそうです。イジメのために「いなくなりたい」と自殺を考えたことが100回以上もあったとか。壮絶な子役時代だったのですね。

坂上忍さんは、14歳の時に個人事務所を立ち上げます。そして中学卒業後もテレビや映画、舞台などで活躍し続けました。高校にも入学しましたが、初日に体育館で取っ組み合いの喧嘩をして退場させられ、そのまま自主退学をしてしまったそうです。

坂上忍は子役でレコードデビューしていた!

坂上忍さんは子役として、1973年10月から1974年3月までバラエティ番組「マチャアキのシャカリキ大放送!!」に出演していました。その頃、同じように子役だった松村みゆきさんと一緒に、なんとシングルレコード「小学一年生」「じゃまするぞ!」をリリースしています。

テレビ番組とタイアップした坂上忍さんのレコード!

1977年、坂上忍さん10歳の頃には坂上忍&しーちゃんブギ・ウギ・バンドとして「ブギ・ウギ・しーちゃん」のレコードもリリースしました。また1965年から1980年まで、朝の子供向けテレビ番組「おはようこどもショー」の歌コーナーで、坂上忍さんが歌った「BIG1/王貞治」がレコードとして1977年にリリースされています。

山口百恵と共演!坂上忍の子役時代

天才子役として有名になった坂上忍さん、当時から大物俳優や大物女優と共演をしています。1975年のテレビドラマ「赤い疑惑」では、当時8歳だった坂上忍さんは山口百恵さんと共演しました。白血病に侵された主人公の女子高生役を山口百恵さんが演じ、病院で出会った白血病の少年役を坂上忍さんが演じました。

また1979年頃、12歳だった坂上忍さんは、芸能界の大御所である高島忠夫・寿美花代夫妻が司会を務める料理紹介番組にゲストとして出演しています。高島夫妻と坂上忍さんは、まるで親子のように見えたでしょうね。

11歳で主役に抜擢!坂上忍の子役時代

1978年に放送されたドラマ「ふしぎ犬トントン」では、坂上忍さんは若干11歳にして主役を演じました。また1984年放送のドラマ「もう高校はいらない~THE MODS バラッドをおまえに」では、16歳の坂上忍さんは主役である高校生を務め、父親役の大御所・菅原文太さんを相手に好演しています。

坂上忍は若い頃に岩下志麻とラブシーン!

1985年に公開された映画「魔の刻」で、当時17歳だった坂上忍さんは26歳年上の大女優・岩下志麻さんを相手にラブシーンを演じました。映画「魔の刻」の制作スタッフは、日本の映画界を代表する一流人が揃っていたようで、坂上忍さんは緊張感マックスで撮影に臨んだそうです。

岩下志麻さんとのベッドシーンでは、坂上忍さんは制作スタッフに「そんなんじゃ見えねえよ!」「もっと動け!」と怒鳴られたといいます。そのため、坂上忍さんは撮影中にもかかわらずパニックになってしまったと振り返っています。

坂上忍は若い頃歌手活動もしていた!

坂上忍さんは若い頃、歌手デビューもしていました。1980年代にアイドル歌手として活動をスタートしました。バラエティ番組「あのニュースで得する人損する人」では、坂上忍さんのシングルで、坂上忍さん自身が日本語詞を担当した「MIDNIGHT DANCE」が取り上げられました。

1984年にはファーストアルバム「DRAMATIC 1ST SHINOBU」がリリースされています。1984年9月1日ににリリースされた「さよならマンディ」はオリコンチャート39位を記録しました。また翌年の1985年5月22日にリリースされた「悲しみのモノクローム」はオリコンチャート61位を記録しています。

若い頃のイケメン坂上忍の画像

1987年、坂上忍さんはファッション系雑誌のモデルをつとめ、表紙を飾りました。この頃から坂上忍さんはイケメンと評判になっていきます。もともと黒めの肌の色をしていましたが、爽やかさも加わりカッコイイとファンが急増。鋭いまなざしとシュッとした顎のラインもキレイで、相当モテただろうなという印象を受けます。

坂上忍の役者低迷期

天才子役として名を馳せた坂上忍さん。1985年に放送のドラマ「ポニーテールは振り向かない」では、バンドのベーシスト役で出演。人妻と不倫する役を演じたそうです。また1987年に公開された劇場版「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」に出演した時には、南野陽子さんと共演しました。

次々と作品に出演していた坂上忍さんですが、天才子役というイメージからなかなか抜け出せず、子役から脱するのに相当苦労したそうです。ところが、1988年に公開された映画「クレイジーボーイズ」のヤクザ役でようやく転機を迎え、子役イメージから脱却できたそうです。

坂上忍の熱愛スキャンダル

1995年1月14日の深夜1時30分、坂上忍さんは仕事仲間の俳優宅でのパーティーから自家用車で帰宅する途中で事故を起こします。飲酒した状態で運転をした挙句、道路脇の電柱に激突して、コンクリートの電柱を根元から折るという器物損壊事件を起こしてしまいました。

山本未来との熱愛が発覚した坂上忍!

坂上忍さんが車で道路脇の電柱に激突した時、物凄い音に驚いた近隣の住民が家から出てきて見ている中、坂上忍さんは車中から一度外に出て姿を現しますが、傍から見てもすぐに泥酔状態と分かるほどの千鳥足だったらしいです。

しかし坂上忍さんは、大破した車に再び乗り込んで走り出そうとしたため、駆けつけたパトカーに追跡されてしまいます。酒気帯び運転で警察に現行犯逮捕された坂上忍さん。この時、車の中には女優の山本未来さんが同乗していたために、恋愛スキャンダルとして大々的に報じられました。この後、坂上忍さんは半年間謹慎をすることになります。

坂上忍はバツイチだった!

坂上忍さんは2001年、元客室乗務員の女性と結婚します。ですが、仕事の忙しさによるすれ違いや、坂上忍さんの過剰なまでの潔癖症、また10代の頃から競艇場通いを続ける坂上忍さんのギャンブル好きが原因で、2003年に離婚しました。

結婚当初、坂上忍さんは奥様にベタ惚れだったので、奥様が欲しいと言った物は値段を考えずに全て買ってあげていたそうです。ところがある朝、坂上忍さんがリビングへ行くと、高級家具に囲まれてブランド品のカタログを眺めていた奥様の姿を見て、「この人は違う世界で生きる人間なんだ」と目が覚めたそうです。

坂上忍さんには欠陥がある?

離婚を経験したことによって、坂上忍さんは「離婚する人間には、自分も含めて欠陥がある」との持論を持つようになったみたいです。坂上忍さんの父親がギャンブルで離婚したのを間近で見て育ったにもかかわらず、同じ過ちを繰り返してしまうなんて、やはり親子なんですね。

子役養成所を立ち上げた坂上忍

坂上忍さんは2005年6月に演劇集団「コントレンジャー・オニオンライス」を旗揚げしました。そこで構成・演出家としても携わるようになり、俳優業のかたわら指導者として後輩を養成することも始めました。また劇団旗揚げから4年後には、芸能スクールアーティストの発掘・育成プロダクション・キッズアクタープロダクションも開校しました。

坂上忍さんはネオモデルタレントスクールの特別講師を担当するなど、多方面にて講師として活躍しています。坂上忍さんは子役だった自身の経験を生かして後進の指導にあたる一方で、2017年2月に坂上忍さん自身が監督・脚本・編集を手掛けたDVD映画「John and Jane Doe~戯れる唇、交われない性~」を発表しています。

タレント・司会者として活躍

坂上忍さんは、2012年に出演したバラエティ番組で「ブスは嫌い」と毒舌を吐いた事がきっかけとなり、その後バラエティ番組へオファーが相次いだといいます。2014年には、長い歴史に幕を閉じた「笑っていいとも」の後番組である「バイキング」にて、月曜MCに抜擢されました。

その1年後の2017年3月には、「バイキング」総合MCに大抜擢され、現在も大活躍されています。天才子役からイケメン歌手またイケメン俳優として著しく成長し、近年では毒舌キャラクターとしてバラエティ番組で引っ張りだこの坂上忍さん。子役時代に辛く苦しい日々を過ごしてきたからこそ、今の素晴らしい活躍があるのでしょうね。