帝銀事件とは?平沢貞通は冤罪で真犯人は731部隊?謎の真相とは

帝銀事件は終戦直後に起きた大量毒殺事件です。逮捕された男は無実を訴えるも死刑囚のまま獄死。真犯人は別に歯科医とも731部隊が関与したともいわれています。また別の場所でも同様の未遂事件が起きていました。映画の題材にもなった事件の跡地はその後どうなったのでしょう。

帝銀事件とは?事件の概要

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帝銀事件とは終戦間もない1948年1月26日に東京都豊島区長崎にある帝国銀行椎名支店で起きた大量毒物殺人事件です。容疑者は逮捕され死刑判決を受けましたが執行を待たずに死亡しています。

まだ戦争の混乱が残る荒れた時代でGHQの占領下で起きたこの凶悪事件は当初731部隊の関与が疑われましたが、その後部隊は捜査の対象から外され現在でも多くの謎が残されたままです。

1948年1月26日に帝国銀行で起きた毒物殺人事件

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1948年1月26日、閉店直後の午後3時過ぎに事件は起きました。帝国銀行椎名支店に厚生省技官を名乗る男が現われます。腕には東京都防疫班の腕章を着けていたので行員は信用しました。

男は「近くで集団赤痢が発生したのでGHQが消毒する前に予防薬を飲む様に」と行員に指示を出します。さらに男は「感染者が銀行を訪れている」と不安を煽り青酸化合物を飲ませました。

その後男は現金16万円と板橋支店の小切手を強奪して逃走します。この事件で12人が死亡しました。

犯人といわれた平沢貞通は犯行を否認、死刑が確定したが未執行のまま獄死した

事件から7カ月後の8月21日、類似の事件に使用された名刺の指紋から北海道小樽市に住む画家の平沢貞通が容疑者として浮上し逮捕に至ります。

裁判が始まると平沢貞通は名刺は財布ごと盗まれたと主張し無実を訴えますが死刑判決が下ります。その後も平沢は支援者の協力もあって無実を訴え続けますが、再審を叶えることなく獄中で死亡します。

太平洋戦争後のGHQ占領下で起きた事件、いまだに多くの謎が残る

帝銀事件では当初青酸化合物の扱いに精通した人物が犯人と見て、旧日本陸軍731部隊を捜査の対象に絞り、陸軍第9研究所所属の伴繁雄から重要な情報を入手し731部隊犯行説に傾きます。

ところが731部隊への捜査を本格化させようとした矢先GHQから突如として捜査をやめるよう圧力がかかります。その結果平沢貞通の逮捕に至りますが、現在でも多くの謎が残されたままです。

事件の目的も不明、捜査を731部隊に向けるためだったという説も

帝銀事件ではそもそも犯人がなぜ青酸化合物を使用して大量殺人を行ったのか、その理由がいまだに不明のままです。戦後の混乱が続いていた時代もあり精神的に荒んだ犯人の犯行ともいわれました。

また青酸化合物は入手してしまえば誰にでも犯行が可能であることから、真犯人の本当の狙いは世間の目を731部隊に向けて戦時中の悪行を白日の下に曝すためだったと考える人もいます。

逮捕後、平沢貞通だけでなく妻も自殺を図り孫は学校に行けないほどだった

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帝銀事件は大量毒物殺人事件という怪異性もあって大々的に報じられます。その結果平沢貞通が逮捕されると、平沢の家族に対する世間の目は冷たいものがありました。まだ冤罪を考える人もいません。

平沢の妻は夫の無実を信じつつも世間のバッシングに耐えることができずに自ら命を絶ってしまいます。その後平沢の孫は猟奇殺人犯の孫という理由から苛められ、学校に行くこともできませんでした。

師・横山大観からも見捨てられ、獄中で横山大観よりよい絵を残すことに人生を捧げた

平沢貞通にとってさらに追い打ちをかけたのが絵画の師匠だった横山大観からも見放されてしまったことでした。平沢は絵の才能を横山大観に認められて「大しょう」という画号まで与えられています。

ところが帝銀事件で平沢が逮捕されると横山大観は「そんな人は弟子じゃない。会ったこともない」と平沢を突き放します。絶望した平沢は獄中で2度の自殺を図りますが、いずれも未遂に終わっています。

事件現場となった帝国銀行椎名支店の写真

帝銀事件という世にも恐ろしい大量毒物殺人事件の舞台となった椎名支店には事件後、大勢の野次馬でごった返しました。当時はまだ現場検証も現在と比べると杜撰なもので、現場に立ち入る人もいました。

マスコミは現場周辺だけでなく現場となった銀行内に入ることもありました。また床に横たわる毒殺された被害者たちの遺体を撮影し、そのまま加工も修正もしないまま新聞に掲載することもありました。

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帝銀事件の詳細

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帝銀事件は青酸化合物を使用した特殊な大量毒物殺人事件として大きな注目を集めました。また犯人の用意周到な手口も話題になり数多くの映画やドラマのモチーフにもなっています。

ここからは帝銀事件の詳細について取り上げていきます。犯人がどのような方法を使って行員たちに巧みに青酸化合物を飲ませたのか、その犯行の手口を見ていきましょう。

また事件を受けたあとの被害状況や捜査の進展具合の遅れなども合わせて紹介していきます。

1948年1月26日午後3時過ぎ、帝銀に支店長を訪ねて男が入ってくる

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帝銀事件が起きたのは戦争の傷痕がまだ癒えない1948年1月26日。銀行閉店直後の午後3時のことでした。当時東京都豊島区にあった帝国銀行椎名支店に、40代半ばとみられる男が訪ねてきます。

男はビシッと背広を着用しており、腕には東京都防疫班の腕章を着けていました。男は行員に近づくと「厚生省厚生部員 医学博士〇〇」と書かれた名刺を差し出します。

男は集団赤痢の消毒だと行員らを騙し青酸化合物を飲ませた

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男は応対した行員に「この近くの井戸を使用している場所で4人の集団赤痢が確認された。そのうちの1人がこの銀行を訪れたので消毒する必要がある」と説明します。

男は持っていた鞄の中から医者が持ち歩く金属製の箱を取り出し「消毒する前にこの薬を飲む必要がある」と言って薬を取り出します。GHQから支持されたというので行員たちは誰も疑いません。

犯人は全員に飲ませられるように自ら飲んで見せたりと巧みな手口を用いた

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この事件の犯人は周到でした。行員たちが薬を飲みやすいようまず自ら薬を飲んで見せます。「薬は2種類あります。最初の薬を飲んで1分後に次の薬を飲んでください」と飲み方を解説します。

説明しながら男は湯飲み茶わんに自分と行員たちの分の薬を注ぎ、行員たちが見ている目の前で自ら薬を飲んで見せます。教わった通りに薬を服用した行員たちは次々に苦しみだし倒れていきました。

当時は上下水道が未整備の為、人々は伝染病を恐れていた

行員たちはなぜそこまで簡単に犯人の手口に引っ掛かってしまったのでしょうか。実はその背景にあるのは当時の日本が抱える公共設備の脆弱性でした。

戦争で焼け野原となった東京はまだ上下水道の設備も完全とはいえないものでした。汚染された井戸水を使用することで赤痢や感染症によって命を落とす人も珍しくなかった時代です。

そのため近所の井戸を使った人々から赤痢が確認されたとあっては皆が不安になって消毒することを受け入れてしまう、そういう時代だったのです。

犯人は16万円と小切手を奪い逃走した

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犯人の男は行員たちを巧みに誘導して青酸化合物を飲ませると、次々に倒れていく行員たちを尻目に現金16万円と安田銀行(現:みずほ銀行)板橋支店の小切手を強奪して現場から立ち去ります。

被害者の女性が失神しながらも外へ出て居合わせた人に事情を告げ、事件が発覚する

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青酸化合物を飲まされた被害者の女性が、何とか意識が朦朧とする中でも銀行の外へ出て、たまたま付近にいた人に助けを求めます。そしてのちに語り継がれる帝銀事件が発覚したのです。

11人が次々に死亡、搬送先の病院で1人死亡、生存者は4人となった

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この事件で現場となった銀行内で命を落とした人は11人。その後5人が病院へ搬送されたものの、うち1人は死亡。合計12人の犠牲者を出してしまいました。助かったのは4人だけでした。

運よく助かった被害者の証言によると、毒物はウィスキーのような味がして特に変だとは思わなかったと語っています。口をゆすごうと台所の水場へ行こうとしたところ皆が次々に倒れたと語っています。

現場の状況から捜査が遅れ、身柄確保も現場保存も出来なかった

戦後間もない頃の捜査は現在の警察の捜査とは違って規制線を張ったとしても警護はゆるく、誰でも自由に現場に出入りできる状態でした。事件後、現場には野次馬や報道陣が駆けつけます。

捜査も進まない中でも大勢の部外者に踏み荒らされたことで遺留品どころではありません。捜査は難航し犯人身柄の確保どころか現場の保存さえままならない有様だったといいます。

翌日に小切手は現金化するも発見が遅れる!当時の貨幣価値は?

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奪われた小切手1万7450円は事件の翌日には現金化されていましたが、発見されたことが遅かったこともあり犯人逮捕に結びつくことはありませんでした。

ちなみに戦後の混乱期に奪われた小切手1万7450円は、現在の価値に換算するとおよそ100倍ほどの金額になるといわれています。

帝銀事件までに起こった未遂の類似事件

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帝銀事件は12人の死亡者を出す最悪の結果となってしまいましたが、実は帝銀事件より以前にも類似の事件が2件発生していました。

いずれも未遂に終わっているため被害者は出ませんでしたが、犯行の手口や男の特徴があまりにも帝銀事件と酷似していることから、同一犯による犯行の疑いが指摘されているのです。

安田銀行荏原支店の未遂事件

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最初の類似事件は帝銀事件が起きる3か月前に遡ります。場所は安田銀行荏原支店でした。

1947年10月14日、男性が赤痢の消毒という名目で安田銀行を訪れる

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1947年10月14日のことです。銀行が閉店してすぐの午後3時ごろに1人の男が「厚生技官 医学博士 松井蔚 厚生省予防局」の名刺を持って現れます。

厚生省の人間を騙る手口は帝銀事件と一致しています。また帝銀事件と同じように行員に「近くで赤痢が確認されたから薬を飲むように」と指示を出しています。

薬は飲まれたが死者は出なかった

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安田銀行荏原支店でも、帝国銀行と同じように薬を飲むように指示を出しており、行員たちはその指示に従って飲んでいますが、幸い死に至ることはなく未遂に終わりました。

この時支店長が男の話をすぐには鵜呑みにせず、急いで交番へ駆けつけ確認します。巡査は「そんな話は聞いていない」と驚き、すぐに現場へ向かい確認。赤痢が嘘であることを確かめたのです。

その間銀行に残された行員たちは男の支持に従って薬を飲んでしまいますが、発見が早かったこともあって全員命に別状はありませんでした。

のちに犯人が差し出した名刺が帝銀事件の捜査の大きな手掛かりとなる

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この事件で使用された名刺がのちに捜査の大きな手掛かりになったと言われています。犯人が行員に見せた名刺には「松井蔚」とありましたが、この人物は実在していました。

ただし松井蔚本人は事件と直接関りがなかったことが確認されており、犯人は松井の名刺を何らかの形で入手し、それを犯行に使用したものだろうと考えます。

三菱銀行中井支店の未遂事件

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次に犯人が現れたのは三菱銀行中井支店でした。こちらの事件も支店長の機転により被害を事前に食い止めることができました。

1948年1月19日、男性が安田銀行の際と同じような手口で訪ねてくる

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1948年1月19日のことです。それは帝銀事件の一週間前の出来事でした。やはり安田銀行と同じ手口で「近くで赤痢が発生したから薬を飲む様に」と男は行員に支持を与えています。

ただしこの時使用された名刺には「松井蔚」ではなく「山口二郎」と表記されていました。のちに調べたところ「山口二郎」は厚生省防疫課に実在せず、架空の人物であると判明します。

不審に思った支店長により、男は小為替に液体を振りまいたら出ていった

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男は行員たちに薬を飲むよう促しただけでなく、金庫の現金も消毒する必要があると発言したことに不信感を抱いた支店長が「現金はもうない」と答えると、男は小為替に液体をまき散らし逃走しました。

帝銀事件より以前の類似事件はいずれも支店長がすぐに不審を抱いたことで最悪の事態を回避することができたのでした。

帝銀事件の捜査から逮捕、裁判

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死者12人という最悪の結果をもたらした帝銀事件はその後捜査が進められ、1人の人物が容疑者として浮上します。しかし裁判でその人物は容疑を否認。冤罪を訴えたのです。

またこの事件にはもう一つ不可思議なことがありました。警察は当初731部隊を捜査の対象にしてましたが、途中でGHQから捜査のストップをかけられてしまったのです。

帝銀の支店長の記憶、類似事件の名刺、生存者の証言などから捜査が進められる

帝銀事件が発生する以前に起きた類似の未遂事件は2件とも犯人の名刺が残されていました。実は帝銀事件でも犯人は名刺を渡していたのですが、支店長代理はその名刺を紛失していたのです。

結局、未遂事件2件の目撃証言や生存者の証言、犯人に渡された名刺などをもとに捜査は進められていきました。目撃者の証言をもとに似顔絵も作成され大々的に報じられていきます。

捜査の中心は青酸化合物の扱いに詳しい旧陸軍731部隊となった

遺体を調べた結果、犯行に使用された毒物は青酸化合物と判明。青酸化合物の扱いに慣れたものの犯行であろうと考えられたため、警察は当初旧日本陸軍731部隊に疑惑の目を向けます。

さらに陸軍第9研究所所属の伴繁雄が事件の真相解明に結びつく重要な情報を提供したことから、警察内部でも731部隊犯行説に焦点を絞り込んでいきました。

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