田村英里子の現在はハリウッド女優?結婚は?レイプ事件の真相は? エンタメ

田村英里子の現在はハリウッド女優?結婚は?レイプ事件の真相は?

目次

[表示]

ハリウッドで活躍した「ナンシー梅木」とはどんな人物?

「ナンシー梅木」こと梅木美代志さんは1929年に北海道小樽市で9人兄弟の末っ子として誕生します。1945年の第二次世界大戦終戦後、兄が連合国軍の通訳だった関係で多くの米兵が実家にきたそうです。

この時に米兵たちと交流する中でアメリカの歌に興味を持つようになったといいます。その後、将校クラブで芸能担当だった永島達司さんに「ナンシー梅木」の芸名をつけてもらいます。

1948年に上京したナンシー梅木さんはジャズ歌手としての活動を本格始動し様々なコンサートやラジオ番組に出演するとともに「青春ジャズ娘」などのミュージカル映画にも出演しました。

1955年に渡米、着物姿で英語曲を歌い話題に

vinsky2002 / Pixabay

ナンシー梅木の名付け親である永島達司さんが、アメリカの芸能界と繋がりがあったことがきっかけとなり、1955年にナンシー梅木さんは渡米し、活動の拠点を日本からアメリカのLAに移しました。

アメリカで音楽の勉強しながらクラブで歌う日々を送りつつ、「ジョセフィン ベイカー・ショウ」や映画「インターナショナルレビュー」に出演しています。

ナンシー梅木さんの名を一躍有名にしたのは、1956年アーサー・ゴッドフリーの「タレントスカウト・ショウ」に出演したときで、着物姿で英語曲を歌ったことが大きな話題となりました。

1957年映画「サヨナラ」に出演、アカデミー助演女優賞を獲得

Schanin / Pixabay

1957年には、アメリカの軍人と日本人女性の悲恋を描いた映画「サヨナラ」に出演し、アメリカでの映画デビューを果たしたナンシー梅木さん。

この作品はアカデミー賞にノミネートされ、ナンシー梅木さんは『アカデミー助演女優賞』に輝きました。

これは東洋人の俳優では初の「アカデミー賞受賞」という快挙であるとともに、助演女優賞においてもアメリカ・イギリス人以外の俳優では初受賞となり称賛を呼びました。

1958年映画「芸者ボーイ」の報酬は5万ドル?

geralt / Pixabay

アカデミー賞助演女優賞を獲得した翌年、1958年の映画「ゲイシャボーイ」にもナンシー梅木さんは出演しています。

この映画はジェリールイスが主演を務めた、日本を舞台に描かれたコメディ映画で、ナンシー梅木さんは5万ドルという高値の報酬額で迎え入れられたといいます。

ブロードウェイでも活躍した?

SPOTSOFLIGHT / Pixabay

ナンシー梅木さんの活躍はハリウッド女優としての映画出演だけにとどまらず、1958年に開園したブロードウェイミュージカル「フラワードリームソング」でメイ・リー役で主演を務めました。

このミュージカルでのナンシー梅木さん好演はタイム誌などでも大絶賛され、更にトニー賞の『ミュージカル部門・最優秀女優賞』にノミネートもされています。

1961年に映画化された時にも、ナンシー梅木さんが主役として映画に出演し、ゴールデングローブ賞の『ミュージカルコメディ部門・主演女優賞』にノミネートされています。

その後も数多くの映画・テレビドラマに出演している

その後も10本以上のハリウッド映画に出演し、テレビドラマでのレギュラー出演をし、数多くの雑誌でも紹介される程となり、日本から遠く離れたアメリカで一流スターとして輝き続けました。

日本でジャズ歌手としてスタートしたナンシー梅木さんの芸能人生は、オスカー賞を獲得した有名ハリウッド女優という誇らしいキャリアへと繋がっていきました。

数々の偉業を成し遂げた昭和の大女優・ナンシー梅木さんは、2007年にミズーリ州で癌のため死去されています。

田村英里子は自分の夢を叶え、自分らしくアメリカで暮らしている

elaly / Pixabay

日本で歌手・女優として着実に実績を積んでいた田村英里子さんは、そのキャリアを全て捨て、幼いころからの夢であった「アメリカの映画に出る」夢を叶えるために渡米していました。

一部ネットでは「レイプ事件」が原因で芸能界を引退した・渡米したという噂もありますが、実際は『自己実現への道』という本に出会い、夢を追う選択をしたようです。

苦労の末、ハリウッド映画に出演し更には実業家としても成功を収めた田村英里子さん。現在は少し休養しているようですが、また田村英里子さんの歌や演技を観られる日が来ることを期待しています!

関連する記事はこちら

3/3