ウィノナライダーの可愛かった若い頃から現在の完全復帰まで全紹介! エンタメ

ウィノナライダーの可愛かった若い頃から現在の完全復帰まで全紹介!

目次

[表示]

加護亜依がパーティーで話したときは穏やかだったという

しかし、元・モーニング娘の加護亜依さんがアメリカのホームパーティでウィノナ・ライダーさんに会ったときは、気さくに会話してくれたという話もあります。

加護さんが「自分は煙草を吸って解雇された」と打ち明けると、ウィノナさんは「私は万引きしたのよ。アイ、気にすることないよ」と、励ましてくれたそうです。

ウィノナ・ライダーが反日かどうかは謎

日本嫌いだと発言した雑誌の発信源も定かではありませんし、気さくに日本人と会話したこともありました。必ずしもウィノナ・ライダーさんが反日で差別主義者とは決めつけられないかもしれません。

「ヘザーズ/ベロニカの暑い夏」に熱い想いを抱いていた?

彼女の出演作の中でも、特にウィノナ・ライダーさんが入れ込んでいた作品が、1989年の「ヘザーズ/ベロニカの暑い夏」でした。この作品には演技ではないウィノナ個人が登場していると言われます。

スクールカーストに君臨する3人の女子高生の手下にされていたベロニカ役を演じたのがウィノナさん。クリスチャン・スレーター演ずる転校生と出会い、3人の女子を次々に殺していくダーク・コメディです。

実際に高校時代にいじめられて学校に行けなかったウィノナさんは、脚本を読んでベロニカは自分にしか演じられないと思い、監督を脅迫して出演予定の女優を交代させ、役を手に入れたとも噂されました。

昔溺れた記憶から水が怖くて撮影でNGを連発したことがある?

ウィノナ・ライダーさんは12歳のときに溺れた経験があります。そのトラウマで、今も水恐怖症だそうです。そのため「エイリアン4」の水中シーンではNGを連発してしまったそうです。

ウィノナ・ライダー若い頃のから現在までのかわいい画像集

ウィノナ・ライダーさんの美貌とファッション・センスは、ビューティー・アイコン、ファッション界のイットガールとして注目を集めました。一体どれほどかわいかったのか、若い頃から現在までの姿をご紹介します。

若い頃のウィノナ・ライダーのかわいい画像と髪型まとめ

映画デビューしたてで初々しかった15歳の頃。

新人女優のポートレイトをライフワークとした写真家・アンドリュー・ブラッカーさんが撮影した1986年のウィノナさん。

個性的な着回しがファッション誌でも話題になりました。ちなみに彼女の地毛はブロンドだそうです。

少し髪を伸ばしただけで随分と印象が変わります。

ウィノナ・ライダーといえばベリーショートがしっくりきます。

現在も綺麗でかわいい!最新の画像は?

大ブレイクした「ストレンジャー・シングス」で、ウィノナさんは主演女優賞にノミネートされました。ヴィクター&ロルフのシックなドレスに身を包み、久しぶりにレッドカーペットを踏みました。

年齢を重ねたことで、若い頃とは違う大女優の風格と優雅な美しさを手に入れました。

ウィノナ・ライダーの生い立ちと経歴

憂いを帯びた大きな瞳とパンキッシュなベリーショートヘアがトレードマークとなったウィノナ・ライダーさん。

ファッション・アイコンとしても評価された個性的なセンスはどのようにして培われてきたのでしょう。彼女の生い立ちと経歴を振り返ってみましょう。

両親は東欧ユダヤ系のヒッピー、11歳の時に父親が再婚する

アメリカ・ミネソタ州ウィノナに生まれたウィノナ・ライダーさんの両親は東欧系のユダヤ人でした。両親ともにヒッピーだったため、幼少期からコミューンで育ちました。

後見人はヒッピー、カウンターカルチャーにおける、サイケデリック体験やサイバーパンク思想の伝道師と呼ばれた心理学者のティモシー・リアリーさんでした。

ウィノナ・ライダーさん11歳のとき、父親が再婚しました。そして、両親、継母の連れ子、異母弟の4人兄弟と、6人家族として暮らすことになります。

高校は酷いイジメに遭っていた

中学1年の頃からショートヘアで男の子の古着を着ていたウィノナさん。当時では個性的だった服装が原因で、女みたいな男だとバカにされ、入学して3日でいじめのターゲットになりました。

ある日、トイレでいじめグループから暴行されました。ロッカーに頭を叩きつけられ、床に倒れたところを殴られて何針も縫う大怪我を負います。しかし、学校はグループではなくウィノナさんを退学処分にしました。

後に、この経験を活かして熱心に取り組んだ映画作品が「ヘザース/ベロニカの熱い日」でした。

境界性パーソナリティ障害と診断され精神病院に入院したことも

こうした人間関係のストレスが原因となり、ウィノナ・ライダーさんは精神を病んでしまいます。10代の終わりに境界性パーソナリティ障害を患い精神病院に入院したこともあったと、後年になって明かしています。

12歳でオーディションに合格、1986年「ルーカスの初恋メモリー」で映画デビュー

高校ではイジメ被害にあっていたウィノナ・ライダーさんですが、12歳のときに舞台でデビューして以来、着実に女優としてのキャリアを重ねていきました。

そして1986年、14歳の時、映画「ルーカスの初恋メモリー」で遂に念願だったスクリーンデビューを果たすことになります。この作品では若き日のチャーリー・シーンとも共演しました。

以後、多くの映画で主要な映画賞の受賞・ノミネートを重ねる

毎年1本のペースで映画出演をこなしていったウィノナ・ライダーさんは、デビューから4年後の1990年の「恋する人魚たち」で、初めてのゴールデングローブ賞・助演女優賞にノミネートされました。

1993年には「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」でゴールデングローブ賞・助演女優賞を受賞し、アカデミー助演女優賞、英国アカデミー賞・助演女優賞にもノミネートされます。

こうしてウィノナ・ライダーさんは、ハリウッドでトロフィーレースの常連へと、着実にキャリア・アップしていくことになりました。

映画「17歳のカルテ」ではプロデューサーとしても活躍した

1999年、若干22歳だったウィノナ・ライダーさんは、アンジェリーナ・ジョリーさんと共演した映画「17歳のカルテ」で主演兼プロデューサーとして製作総指揮を勤めました。

患者の視点で精神病院を描いた原作に惚れ込んで自ら映画化権を買い取り、自身の精神病院入院の経験をもとに主演と製作総指揮に取り組みました。

そのテーマは、ジャック・ニコルソン主演の「カッコーの巣の上で」と比較されることもありますが、「17歳のカルテ」はノンフィクション作品であることで一線を画しています。

2000年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに功績を称えて名が刻まれた

そして2000年、エンターテインメント界での活躍が認められたウィノナ・ライダーさんは、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの「星」の一つに名前が刻まれ、ハリウッドスターとしての功績を讃えられました。

2016年「ストレンジャー・シングス」でゴールデングローブ賞にノミネートされる

1994年の「若草物語」でアカデミー主演女優賞のノミネート以降、映画賞には恵まれませんでしたが、2016年に主演した「ストレンジャー・シングス」がゴールデングローブ賞にノミネートされました。

同作品は2017年のゴールデングローブ賞の受賞は逃したものの、ウィノナ・ライダーさんにとっては実に18年ぶりの主演女優賞ノミネートとなりました。

ウィノナ・ライダーの主な出演作品

デビュー以来、1994年に主演女優賞にノミネートされ、2000年にハリウッドスターの仲間入りを果たし、2016年「ストレンジャー・シングス」のヒットで再び人気女優に返り咲いたウィノナ・ライダーさん。

これまでに出演した作品数は50本にもおよびます。その中でも、彼女の代表作と呼べる映画作品を6本ご紹介します。

映画「ビートルジュース」

鬼才ティム・バートン監督作品に初めて出演したのが、1988年の「ビートルジュース」でした。主人公のバイオ・エクソシスト「ビートルジュース」の毒々しいユーモアに彩られた、異色のホラーコメディです。

ウィノナさんは、ビートルジュースが待ち構える家に引っ越して来た風変わりな一家のひとり娘・リディア役を演じます。孤独なリディアは幽霊と仲良くなりますが、ホームパーティの日に大騒動が巻き起こります。

この作品ではリディア役として、ジェニファー・コネリー、サラ・ジェシカ・パーカー、ダイアン・レインなど、多くの人気若手女優が候補になっていましたが、ウィノナさんが大抜擢されました。

映画「シザーハンズ」

1990年、再びティム・バートン監督作品「シザーハンズ」に出演します。純真な人造人間エドワードと少女キムのプラトニック・ラブを描いたダーク・ファンタジーです。

ティム監督は、彼女のダーク・ビューティなキャラクターをよほど気に入ったらしく、この後もたびたびティム・バートン作品への出演オファーを受けることになります。

この映画でウィノナさんとジョニー・デップさんの交際が始まりましたが、当初、エドワード役はトム・クルーズさんの予定でした。もしその配役ならウィノナさんはトム・クルーズさんと付き合っていたかもしれません。

映画「ドラキュラ」

1992年、巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督のゴシック・ホラー「ドラキュラ」では、名優ゲイリー・オールドマンさん、アンソニー・ホプキンスさんらとの豪華共演となりました。

ウィノナ・ライダーさんは、ドラキュラ伯爵の最愛の妻・エリザベータと、妻亡き後の生き写し・ミナを一人二役で演じています。

この作品が、お互いに盟友として認め合うキアヌ・リーブスさんとの初共演作でした。この後、二人の共演は「スキャナー・ダークリー」、「50歳の恋愛白書」、2018年の「おとなの恋は、まわり道」へと続きます。

映画「若草物語」

1994年、ルイーザ・メイ・オルコットの名作小説「若草物語」を、ジリアン・アームストロング監督が映画化した文芸大作。南北戦争化で様々な試練に晒されながらも、力強く生きる4姉妹の成長物語です。

ウィノナ・ライダーさんは主役である4姉妹の次女ジョーを演じ、念願の第67回アカデミー主演女優賞にノミネートされました。演技派女優として認められた重要作品となりました。

映画「ブラック・スワン」

2010年のサイコスリラー「ブラック・スワン」(ダーレン・アロノフスキー監督)では、ナタリー・ポートマンさん演じる若手バレリーナに主役を奪われ、引退に追い込まれる一座の看板プリマドンナ役を演じます。

かねてからナタリー・ポートマンさんは若き日のウィノナさんに似ていると言われていました。映画公開後、ウィノナさんは「役柄と現実の自分の立場について考えざるを得なかった」とコメントしています。

侮辱・裏切り・失恋・ウィノナ・ライダー失意の秘話

意地が悪い、切れやすい、薬物中毒などウィノナ・ライダーさんをめぐるトラブルの裏側には、常に彼女の精神不安定感がつきまといました。

しかし、華やかなスポットライトの舞台裏には、表に出ている事実だけでもこれだけの辛いエピソードがありました。ウィノナさんの失意の日々を覗いてみましょう。

ハリウッドから受けた侮辱

「インタビュー」誌に辛い思い出を語っています。デビュー時の15歳の頃に受けたオーディションで、キャスティング・ディレクターがセリフを喋っていたウィノナさんを制止して、こう言い放ったそうです。

「よく聞いて。あなたは女優になるべきでない。そこまで美しくないから。学校へ戻ったほうがいいわ。女優は無理よ」この言葉を受け入れていたら私の女優人生はスタートしなかった、と振り返りました。

また、「ブラック・スワン」主演後のパーティでメル・ギブソンから「オーブン・ドジャーズ(オーブンから逃れた者)」だと侮辱されます。その言葉は、ホロコーストで焼却を免れたユダヤ人を示す酷い差別用語でした。

女優仲間の裏切り

ウィノナさん製作総指揮の「17歳のカルテ」で共演したアンジェリーナ・ジョリーさんがハリウッド3大映画賞を受賞しました。しかしアンジェーリーナさんからウィノナさんへの感謝の言葉は一度もないそうです。

「恋に落ちたシェイクスピア」の主役を奪う、当時大親友だったグウィネス・パルトロウさんは、ウィノナさんの家で留守番をしていた時に届いた脚本を勝手に見て、知らない間に映画会社と出演交渉をしたそうです。

配給会社の大宣伝の甲斐もあってグウィネスさんはアカデミー主演女優賞を獲得し、キャリア飛躍の足掛かりとしました。直後、ウィノナさんは彼女と絶縁し、今でも許していないそうです。

デップと結婚できなかった本当の理由

ジョニー・デップさんと破局した当時のことをウィノナさんが振り返っています。「仕事は順調で、あの頃が自分のキャリアのピークだった。でも心はボロボロで何も手につかなかった」

分刻みのスケジュールに加え、恋人を失った喪失感から、ウィノナさんは鬱病、不安性発作、境界性人格障害などを患い危機的状態でした。諸悪の根源となった婚約破棄は、実は両親の反対が理由でした。

ヴォーグ誌の父娘インタビューで、ウィノナさんが「結婚を止めたよね」と言うと、父親マイケルさんは「ジョニーは好きだったが、ウィノナはまだ17歳だった。ジョニーは怒ってた?」とあっけらかんと応じました。

女優ウィノナ・ライダーの完全復活に期待しましょう

学生時代のいじめ、大失恋、精神疾患、万引事件と、10代20代でお騒がせ女優のレッテルを貼られてしまったウィノナ・ライダーさん。毎年小さな作品に出演を続けながらも浮かばれない年月を過ごしてきました。

しかし、今回の「ストレンジャー・シングス」のブレイクをきっかけに再ブレイク。充電期間を経て47歳を迎えた今、若かった頃の輝きは失いましたが、あらためて個性派女優としての評価が高まっています。

これからも映画館のスクリーンで、ウィノナ・ライダーにしかできない演技で魅了してくれることを期待しましょう。

2/2