トーヨーボール殺人事件の概要と犯人の詳細まとめ!主犯は関東連合? 社会

トーヨーボール殺人事件の概要と犯人の詳細まとめ!主犯は関東連合?

目次

[表示]

石元太一は住吉会を破門になっていた?

石元太一は、住吉会系青田会に所属していたとされています。武闘派とも言われる組織でした。

しかし、石元太一は「関東所払い」という処分を受けています。詳細な経緯は不明ですが、このことにより破門となったようです。

トーヨーボール殺人事件の主犯・石元太一のその後、現在は?

3839153 / Pixabay

トーヨーボール殺人事件の主犯であった石元太一は、事件後に自叙伝を発売したり、ジムを設立したりしています。

しかし、六本木クラブ襲撃事件を起こしたことによって逮捕され、現在も服役中の身となっています。

石元太一は「不良録 関東連合元リーダーの告白」を出版

石元太一は、雑誌「実話時報」にエッセイを連載するようになりました。そして、それをまとめて「不良録 関東連合元リーダーの告白」を出版しています。

この本には、石元が関わった事件をことや、関東連合の実態について描かれています。

トーヨーボール殺人事件についても触れている?

「不良録 関東連合元リーダーの告白」には、石元太一が関わった様々な事件について描かれています。石元が主犯とされている、トーヨーボール殺人事件のことも振り返って描かれています。

その内容は?事実と違う?

lil_foot_ / Pixabay

「不良録 関東連合元リーダーの告白」の中では、被害者となった小笠原一也さんのことは、あくまでも全狂連のメンバーとして扱っています。

無関係な人物を殺害したにも関わらず、石元は敵対する全狂連のメンバー殺してしまったのだという態度をとっています。報復のために襲撃したが、やりすぎて殺してしまったとしています。

実際には被害者の小笠原一也さんは全狂連とは無関係の人物でした。その点で、事実とは異なる表現がされている部分もあるようです。

その後、ジム「SOUL MATE」を設立

Pexels / Pixabay

石元太一は、2012年にジム「SOUL MATE(ソウルメイト)」を設立しました。代官山のビルの一室で、総合格闘技を扱ったジムでした。

山本KID徳郁や佐藤豪則といった格闘家が、ジムのトレーナーとして所属していました。有名人を起用した格闘技ジムとして当時は話題となりました。

しかし、石元太一はこのジムのオーナーではなかったようです。出資していたのは、その後に起こる六本木クラブ襲撃事件に関与していた、関東連合のメンバーであったと言われています。

映画主演で俳優デビューも決まっていたが詐欺で逮捕

Free-Photos / Pixabay

石元太一は、映画の主演として俳優デビューの話が決まっていました。しかし、デビュー目前の2012年9月に、石元は詐欺容疑で逮捕されることとなりました。

その後も石元太一は事件を起こしていて、逮捕と服役を繰り返しました。そのため、結局は映画俳優デビューの話は立ち消えとなりました。

六本木襲撃事件にも関与していた?

石元太一は、2012年に発生した六本木クラブ襲撃事件にも関与していました。これは、六本木のクラブに客としてきていた一般の男性が、集団から暴行を受け殺害されてしまった事件です。

殺害された男性は人違いであったことが分かっています。この人物を敵対人物として「発見した」と犯行メンバーに誤った情報を発信したのが石本太一であったとされています。

石元は現場で暴行には参加していませんでしたが、事件を画策した首謀者として逮捕されることとなりました。

石元太一は上原美憂の元彼でもある?交際中に自殺?

石元太一は、2011年に自殺したタレントの上原美優さんと交際していたとも噂されています。石元は、「不良録 関東連合元リーダーの告白」の中で、上原美優さんのことに触れていました。

上原美優さんの所属していた芸能プロダクションは、関東連合のメンバーである川名毅が設立したものでした。上原さんたちは枕営業を強要され、自殺に追い込まれたのではないかという憶測がされていました。

また、石元と交際していたのに、振られたことで自殺を図ったのではないかとも言われていました。しかし、石元は上原さんの自殺について詳細な発言はしておらず、真相は明らかになっていません。

石元太一は現在、服役中

Pavlofox / Pixabay

石元太一は、六本木クラブ襲撃事件の現場にはいなかったので、共謀罪に問われることとなりました。そして、懲役11年の実刑判決を受けています。

現在も横浜刑務所に収監され、服役中です。今回の服役が、石元太一にとって初めての長期の服役となりました。

石元太一は2023年に出所予定?

石元太一は六本木クラブ襲撃事件によって、現在服役中です。刑期が終わるのは2023年なので、2023年には出所予定だと言われています。

石元太一は出所後に殺される可能性も?

Alexas_Fotos / Pixabay

石元太一は、出所後には殺されるだろうと述べています。六本木クラブ襲撃事件で石元は、誤った情報を発信してメンバーに襲撃を行わせました。

石元の情報がきっかけとなり、関東連合のメンバーを含む多くの逮捕者を出したので、石元の責任は重大だと考えられています。

また、この事件によって関東連合は弱体化して、壊滅状態に追い込まれました。そのため、石元に恨みを持っている人間も多いと考えられています。2023年に出所したあとは、命を狙われる可能性もあると言えます。

トーヨーボール殺人事件の加害者・柴田大輔の生い立ちや経歴は?

トーヨーボール殺人事件の加害者であった柴田大輔は、東京都杉並区で育ちました。幼少期からグレていき、関東連合の幹部として活動するようになっていきました。

柴田大輔は日本人と在日韓国人とのハーフ?

8minwoo / Pixabay

トーヨーボール殺人事件の加害者であった柴田大輔は、1979年に日本人の父親と在日韓国人の母親との間に生まれました。生まれたのは東京都調布市で、小学校3年で杉並区に移っています。

杉並区で育ったことからも想像されるように、柴田大輔の家庭も比較的裕福な家庭であったと言われています。

柴田大輔の両親は夫婦仲が悪かった

杉並に住んでいたことからも想像されるように、柴田大輔が育った家庭はそれなりに裕福であったようです。しかし、両親の夫婦仲が悪く、柴田は小学校高学年頃から素行の悪さが目立ち始めることとなりました。

柴田大輔は暴走族の「宮前愚連隊」に入り総長に

柴田大輔は不良として成長していき、暴走族である「宮前愚連隊」に入っています。そこで柴田は、15代総長となりました。この宮前愚連隊は、後に関東連合に連なっていくこととなります。

その後、柴田大輔は関東連合の幹部になっていった

FotoArt-Treu / Pixabay

柴田大輔は宮前愚連隊の総長として、関東連合の中心メンバーであった石元太一らと知り合うこととなります。

また、14歳の時には8ヶ月間、少年院に入るなどして確実にアウトローの道を進んでいきます。そしてその後、関東連合の幹部となっていきました。

傷害罪や器物損壊罪で補導委託の判決を受けたことも

stevepb / Pixabay

柴田大輔は、少年期から数々の事件に関与してきました。敵対するチームとの抗争によって、傷害罪や器物損壊罪で試験観察処分の補導委託の判決を受けたこともありました。

柴田大輔は預けられた配管工の親方にも手に負えなかった?

柴田大輔は傷害罪や器物損壊罪で補導委託となり、配管工の親方に預けられることとなりました。補導委託とは、民間ボランティアに非行少年を預けて、生活指導を行うものです。

しかし、柴田の暴言や暴力は収まることはなく、あげく飲酒運転までしていたとされています。結局手に負えないと判断されて、1ヶ月程度で在宅試験観察に変更されて自宅に戻されています。

柴田大輔は、少年時代からなかなか更生の難しい状態であったのかもしれません。

柴田大輔は川奈毅に習いビジネスを始めた

柴田大輔は、1996年に関東連合の川奈毅に接触するようになりました。川奈毅は、AVプロダクションなどのビジネスを展開している人物でした。柴田大輔は、川奈毅に習ってビジネスを始めるようになります。

川奈毅は政財界にパイプを持っているとされていて、柴田大輔もそのパイプを活用してビジネスを広げて行きました。このことで関東連合は、活動拠点を広げることができたのだとも言われています。

柴田大輔は一時は、AV女優のスカウトを行う会社を経営して、規模を大きくすることに成功したようです。売上40億もの規模になった時期もあったと言われています。

トーヨーボール殺人事件後、関東連合を引退

柴田大輔は、トーヨーボール殺人事件によって約2年間少年院に入り、2000年に出所しました。この時すでに成人していたこともあり、関東連合を引退しています。

しかし、この出処から2ヶ月後には、一般人を殴って逮捕されています。

柴田大輔は「六本木クラブ襲撃事件」の犯人・見立真一に狙われている?

柴田大輔は、六本木クラブ襲撃事件の犯人である見立真一に狙われていると言われています。見立真一は事件後、後輩に罪を被せて逃亡することを柴田太輔に提案していました。

しかし柴田は納得できず、この案に乗ることはありませんでした。そのため、柴田は見立てから裏切り者とされて恨みを買っているようです。

見立は事件以降、海外に逃亡していて国際指名手配されています。逃亡先のフィリピンから、柴田を殺すように指示を出しているとも言われています。

現在は工藤明男と名乗り、執筆活動中

柴田大輔は現在、工藤明男と名乗って執筆活動を行っています。工藤明男の名前で、「いびつな絆 関東連合の真実」を出版して、関東連合の内情を描いています。

当初は柴田大輔の名前を伏せて執筆活動を行っていましたが、現在では本名も公にして活動しています。

また2016年にはAmebaTVの動画に出演して、関東連合についてのコメントをしています。

トーヨーボール殺人事件の加害者・伊藤リオンの生い立ちや経歴は?

トーヨーボール殺人事件の加害者であった伊藤リオンは、杉並区出身の心優しい少年であったようです。しかし、石元太一との出会いをきっかけとして、アウトローへの道に進んで行きました。

伊藤リオンは母子家庭で育った

greissdesign / Pixabay

伊藤リオンはパナマ人の父親と日本人の母親の間に生まれました。出身は東京都杉並区で、実家は立派な一軒家で、伊藤リオンも比較的裕福な家庭に育ったと言われています。

伊藤リオンが育ったのは母子家庭であったようです。しかし、父親や兄弟などの情報はなく、詳細な家庭事情は明らかではありません。

とても優しい少年時代だったとされていて、兄弟などの影響があったのではないかとも言われています。

心優しい少年として知られていた

AdinaVoicu / Pixabay

伊藤リオンの幼少期は、心優しい少年であったと言われています。高い身体能力を持っていたようですが、暴力的に使われることはなかったようです。

伊藤リオンの優しい一面は、その後も垣間見られることがありました。伊藤リオンは暴力団や敵対するグループと喧嘩をすることはあっても、決して一般人とは喧嘩しなかったと言われています。

また、トーヨーボール殺人事件の後も、伊藤リオンは賠償金をきちんと払った上で、被害者に謝罪したと言われています。非常に凶暴な面が知られていますが、元は心の優しい人物だったようです。

少年時代はサッカーのヴェルディジュニアに所属

bottomlayercz0 / Pixabay

伊藤リオンは、少年時代サッカーのヴェルディジュニアに所属していました。恵まれた身体能力を持っていて、周囲と比べてかなり上手だったとされています。

ヴェルディジュニアに所属した2年後には、ジュニアユースに移っています。そこでレギュラーとなっていることからも、伊藤リオンのサッカーの技術が高かったことが分かります。

石元太一と出会いアウトローへ?

Myriams-Fotos / Pixabay

伊藤リオンは心優しく、サッカーで活躍する少年でした。しかし、石元太一と知り合うことで、アウトローの道に引き込まれていきます。

石元太一は伊藤リオンの先輩にあたり、相当に慕っていたと言われています。石元太一から誘われるようにして、暴走族の世界に足を踏み入れることとなりました。

宮前愚連隊に所属していた

伊藤リオンは、暴走族である宮前愚連隊に加入していました。宮前愚連隊は後に関東連合に関係していく暴走族で、トーヨーボール殺人事件の加害者であった柴田大輔も所属していた集団です。

宮前愚連隊に加入したことで、後の事件に関わる人物たちと知り合っていったようです。また、心優しい少年であった伊藤リオンは、非常に凶暴な面を見せるようになっていきました。

その後関東連合に加入

PrintMart / Pixabay

伊藤リオンは宮前愚連隊に所属していたことで、関東連合に加入することになりました。そして、トーヨーボール殺人事件などの刑事事件にも関与していくこととなります。

NEXT:関東広域アウトロー連合に所属
3/4