

渋谷区短大生切断遺体事件の概要と武藤一家の家族関係の詳細まとめ!
その猟奇性から社会を震撼させた渋谷区短大生切断遺体事件についてまとめます。兄が妹を殺害しバラバラにするという事件の猟奇性に加え、その後の裁判で両親や長男が被害者の妹よりも、加害者の次男ををかばった事でも物議を醸しました。事件の概要から判決までをまとめます。
目次
[表示]- 01.
渋谷区短大生切断遺体事件の概要は?兄が妹を殺害してバラバラに?
- 01.1.
渋谷区短大生切断遺体事件とは?兄が妹を殺害してバラバラに解体した事件
- 01.2.
事件が起こったのは2006年12月30日、東京都渋谷区の自宅
- 01.3.
当日、両親と長男は帰省中で亜澄さんと武藤勇貴の二人きりだった
- 01.4.
武藤勇貴は亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉に逆上
- 01.5.
武藤勇貴は亜澄さんを木刀で殴りタオルで首を絞めて殺害
- 01.6.
武藤勇貴は遺体をのこぎりで15箇所切断
- 01.7.
武藤勇貴は人体解剖の知識があった?
- 01.8.
翌日武藤勇貴は予備校合宿に参加
- 01.9.
合宿に出発前に帰宅した父親に部屋を開けないよう隠蔽工作をした
- 01.10.
2007年1月3日、母親が武藤勇貴の部屋で亜澄さんの遺体を発見
- 01.11.
父親が通報して事件発覚
- 01.12.
武藤勇貴は事件の直前、新型の抗うつ薬(覚せい剤類似物質)を摂取?
- 01.13.
関連する記事はこちら
- 02.
渋谷区短大生切断遺体事件が起こった家族・武藤一家の家族関係まとめ
- 02.1.
事件が起こった家族は武藤衛さん一家で歯科医の家系だった!家族構成は?
- 02.2.
長男は歯学部に進学
- 02.3.
殺害された被害者は妹の武藤亜澄さん!
- 02.4.
殺害した犯人は武藤勇貴!歯学部に入るため3浪していた
- 02.5.
両親は事件後、武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判するような手記を発表した?
- 02.6.
両親は裁判でも武藤勇貴の弁護側についた?
- 02.7.
亜澄さんと武藤勇貴はそれぞれ悩みを抱えていた?
- 02.8.
ネットでは家族関係がどうだったのか話題に?亜澄さんは孤立していた?
- 03.
渋谷区短大生切断遺体事件の被害者・武藤亜澄さんについて
- 03.1.
亜澄さんは我が強い性格だった
- 03.2.
亜澄さんは「高峯駆(たかみね・かける)」という芸名で女優活動をしていた
- 03.3.
亜澄さんの主な出演作品は?
- 03.4.
ドラマやグラビアのオーディションに挑戦し地道な努力を重ねていた
- 03.5.
亜澄さんには家出の経験もあった
- 03.6.
亜澄さんは援助交際をしていたという噂も
- 03.7.
亜澄さんは「反抗挑戦性障害」だった?
- 03.8.
亜澄さんは精神科に通いたいと両親に打ち明けたこともあった?
- 03.9.
亜澄さんはプレゼントやお年玉が貰えなくなった時期に関する不満を明かしていた
- 04.
渋谷区短大生切断遺体事件の加害者・武藤勇貴について
- 04.1.
武藤勇貴は小学校受験で挫折を味わう
- 04.2.
公立学校の高卒の学歴だった?両親の期待に応えて日大歯学部を目指していた
- 04.3.
日大歯学部の偏差値は?
- 04.4.
武藤勇貴は大人しい性格だった
- 04.5.
武藤勇貴はアスペルガー症候群だった?発達障害の説も?
- 04.6.
武藤勇貴はうつ病になっていた?抗うつ薬を飲んでいた
- 05.
渋谷区短大生切断遺体事件の犯行動機は何だったのか?不仲が原因?
- 05.1.
妹の一言が犯行動機?当時受験失敗のプレッシャーを抱えていた?
- 05.2.
武藤勇貴は一人前に扱ってもらいたかった?
- 05.3.
動機の一つは武藤家の特殊性か
- 05.4.
第2回公判で武藤勇貴は受験で悩んだことはないと発言
- 05.5.
武藤勇貴と亜澄さんは仲が悪かった?3年会話なし?
- 05.6.
高校時代の友人は武藤勇貴と亜澄さんの関係は不仲ではななかったと言っていた
- 05.7.
事件1年前までは誕生日やクリスマスプレゼントを買いゲームをする仲だった
- 06.
渋谷区短大生切断遺体事件では犯人・武藤勇貴の猟奇性が話題に?
- 06.1.
メディアでは武藤勇貴の猟奇性が報じられた
- 06.2.
木刀で殴られた時点ではまだ生きており「寒い」の発言を無視していた武藤勇貴
- 06.3.
木刀で殴り首を絞め、水が溜まった浴槽に沈め確実に殺しにかかっていた
- 06.4.
武藤勇貴は遺体の一部を生ゴミ処理機へ、その他はビニールに入れて隠した
- 06.5.
内臓はタッパーに入れていた
- 06.6.
乳房や性器を切り取っていた
- 06.7.
武藤勇貴は亜澄さんの下着を合宿に持って行っていた
- 06.8.
自宅内は徹底的に掃除されていた
- 07.
渋谷区短大生切断遺体事件の裁判の判決は?
- 07.1.
裁判では武藤勇貴の責任能力が争われた
- 07.2.
第1審では懲役7年の判決
- 07.3.
第2審では武藤勇貴の多重人格を否定し懲役12年の判決
- 07.4.
解離性障害じゃなかった?公判が進む中で武藤勇貴は動機や発言が変わっていった
- 07.5.
最高裁では上告を棄却し懲役12年で確定
- 07.6.
最終陳述での内容に不気味という声も上がっていた
- 07.7.
バラバラ殺人なのに短縮された刑期に疑問の声も
- 07.8.
警察は凶器を含む重要証拠品を紛失していた?裁判では代替品を使った?
- 08.
渋谷区短大生切断遺体事件のその他の噂は?近親相姦?虐待?
- 08.1.
武藤勇貴と亜澄さんの禁断の愛を疑う報道も
- 08.2.
武藤亜澄は父や兄に家庭内暴力を受けていたという説もあった
- 09.
渋谷区短大生切断遺体事件のその後!武藤勇貴の現在は?
- 09.1.
武藤勇貴は現在も服役中
- 09.2.
武藤勇貴の出所はいつ頃?
- 09.3.
武藤勇貴の父親は現在も歯科医として働いている?
- 10.
渋谷区短大生切断遺体事件と類似した事件は?
- 10.1.
新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件
- 10.2.
酒々井バラバラ殺人事件
- 10.3.
会津若松母親殺害事件
- 10.4.
本郷兄弟決闘殺人事件
- 11.
裁判で家族が明らかにした武藤亜澄の性格
- 11.1.
父親は武藤亜澄を「攻撃的で感謝の念に欠けた」と表現
- 11.2.
母親は武藤亜澄のいじめられていた過去やリストカット癖を暴露
- 11.3.
長男は武藤亜澄へのプレゼントを投げ捨てられた過去を証言
- 12.
渋谷区短大生切断遺体事件は、兄が妹を殺害しバラバラにした事件
渋谷区短大生切断遺体事件の概要は?兄が妹を殺害してバラバラに?
2007年1月、東京都渋谷区で発生した「渋谷区短大生切断遺体事件」は武藤勇貴という予備校に通っていた当時21歳の男が、当時20歳で短大生に通っていた実の妹を殺害してバラバラにした事件です。
事件の猟奇的な内容が報じられると、2007年の年明け早々から社会は騒然となりました。今回は近年でも稀に見る猟奇的殺人事件である渋谷区短大生切断遺体事件について詳しくまとめていきます。
渋谷区短大生切断遺体事件とは?兄が妹を殺害してバラバラに解体した事件
渋谷区短大生切断遺体事件は、渋谷区に住む21歳の予備校生、武藤勇貴が妹の短大生、武藤亜澄さんを殺害してバラバラに解体した事件です。
事件が起こったのは2006年12月30日、東京都渋谷区の自宅
渋谷区短大生切断遺体事件が発生したのは2006年の12月30日の午後でした。事件の現場は東京都渋谷区にある、犯人の武藤勇貴と被害者の武藤亜澄さんの住む自宅でした。
当日、両親と長男は帰省中で亜澄さんと武藤勇貴の二人きりだった
事件当日、武藤勇貴と武藤亜澄さんの母と長男は福島県の母の実家に帰省中で不在でした。また、翌31日に武藤亜澄さんと帰省する予定だった父は東京に残っていましたが、事件発生時には所用で外出していていました。
自宅には、武藤勇貴と武藤亜澄さんの2人だけが残されており、事件後の武藤勇貴の供述によると、2人でいる時に生活態度などを巡って喧嘩になり、そのやり取りの中で武藤勇貴は逆上して殺害に及んだという事でした。
武藤勇貴は亜澄さんの「兄さんには夢がないね」という言葉に逆上
事件の当日の午後3時頃に父親が所用で外出すると、武藤勇貴は、前日の夕食時の武藤亜澄さんと母親との口論について「何故ああいう言い方をするのか?」と普段の生活態度と合わせて注意をしたそうです。
その事がきっかけで兄妹の間で口論が起こり、その中で武藤亜澄さんが口にした「兄さんには夢がないね」という言葉に武藤勇貴が逆上し、殺人事件に発展してしまったという事のようです。
武藤勇貴は亜澄さんを木刀で殴りタオルで首を絞めて殺害
武藤勇貴は口論の中でカッとなって木刀で武藤亜澄さんの頭部を殴り、その後さらに1時間近く話し合いを続けたものの、上述の「兄さんには夢がないね」の言葉に逆上、タオルで亜澄さんの首を絞めます。
180秒ほどタオルで亜澄さんの首を絞めた武藤勇貴は亜澄さんがまだ呼吸を続けていたため、確実に殺害するために、水を張った浴槽に亜澄さんの頭部を沈め、浴槽の底に頭部を押しつけるようにして殺害しています。
武藤勇貴は遺体をのこぎりで15箇所切断
武藤勇貴は、武藤亜澄さんが死亡した事を確認すると、家の中に残った血痕を清掃するなど、証拠の隠滅を図っています。
その後、亜澄さんの遺体を、のこぎりや台所にあった文化包丁などを使って解体します。この時、武藤勇貴は専門家も驚くほどの早さで関節部分などから15箇所ほどに遺体を切断しています。
武藤勇貴は人体解剖の知識があった?
専門家も驚くほどの速さで遺体を解体した事や、事件後の取り調べや裁判で、専門用語などを交えて解体の様子を淡々と正確に説明した事などから、武藤勇貴は人体解剖に関する一定の知識を持っていたとみられています。
武藤勇貴は、歯科医師を志して大学の歯学部を目指しており、浪人をして予備校の歯学部コースに通っていたという事なので、ある程度の医学知識を持っていたという事かも知れません。
翌日武藤勇貴は予備校合宿に参加
妹を猟奇的な方法で殺害した武藤勇貴は、妹の遺体を4つのポリ袋に入れ自室のクローゼットやキャビネットの中に隠し、その翌日の12月31日には、普段と同じような様子で予備校の勉強合宿へと参加しています。
合宿に出発前に帰宅した父親に部屋を開けないよう隠蔽工作をした
武藤勇貴と武藤亜澄の父親は、12月30日の午後11時頃に所用を済ませて自宅へ帰宅していますがこの時には異変に気がつかなかったようです。
その翌日、兼ねてからの予定通り、父親は武藤勇貴を車で予備校へと送っています。この時、武藤勇貴は父親に「観賞用のサメが死んだから異臭がしても部屋を開けないで」と言って隠蔽工作をしています。
2007年1月3日、母親が武藤勇貴の部屋で亜澄さんの遺体を発見
武藤勇貴を予備校へと送ったその足で父親も母親の福島県の実家へと向かい、年末年始をそこで過ごしています。その後、1月2日に両親と長男は自宅へと帰ってきています。
そして、その翌日の1月3日の午後9時頃に、母親が武藤勇貴の自室からの異臭に気がついて調べたところ、部屋の中から袋詰めにされた状態の亜澄さんの遺体を発見します。
父親が通報して事件発覚
遺体発見から約1時間半後の午後10時半頃に、父親が警視庁代々木署へ「娘の遺体が袋に入っている」と通報して事件が発覚します。
この時、父親は「次男と娘が喧嘩してこうなったのかも知れない」とも警察に伝えています。
武藤勇貴は事件の直前、新型の抗うつ薬(覚せい剤類似物質)を摂取?
あくまでも噂ですが、武藤勇貴が事件の直前に覚せい剤に類似した物質の新型抗うつ薬を摂取していたという情報がある様です。この抗うつ薬とは刺激剤系の向精神薬を指していると思われます。
こうした猟奇的な殺人事件を発生させた犯人を調べていくと、ほとんどの場合、覚せい剤類似物質を含む抗うつ薬を摂取しているという噂があり、武藤勇貴もそうした物質を摂っていたと噂されている様です。
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渋谷区短大生切断遺体事件が起こった家族・武藤一家の家族関係まとめ
渋谷区短大生切断遺体事件では、事件の舞台となった武藤家の家族関係が事件の原因となったと考える専門家も多い様です。ここでは、この武藤一家の家族関係について詳しくみていきます。
事件が起こった家族は武藤衛さん一家で歯科医の家系だった!家族構成は?
渋谷区短大生切断遺体事件を起こした武藤勇貴の家族は、歯科医の武藤衛さんを中心とした代々歯科医の家系でした。その家族構成は両親と、武藤勇貴の兄と被害者となった妹、武藤亜澄の3人兄妹の5人家族でした。
両親は共に日本大学歯学部を卒業した歯科医で、父は代々の歯科医で祖父の代には「東京地検嘱託医」の肩書きも持っていたとされます。母親も実家が元歯科医院という筋金入りの歯科医の家系でした。
長男は歯学部に進学
代々の歯科医の家系を絶やさないためか、長男も日本大学歯学部へと進学事件発生当時は5年生(歯学部は6年制)で、その後現役で卒業されています。
このお兄さんはその後アメリカへ留学されたのち、2019年現在は独立して渋谷区幡ヶ谷で歯科医院を経営されている様で、歯科医院の評判はかなり良いとの事です。
殺害された被害者は妹の武藤亜澄さん!
殺害されたのは兄妹の末っ子で、武藤勇貴の1歳下の妹の武藤亜澄さんでした。亜澄さんは名門私立小学校の白百合学園に合格し、エスカレーター式で高校まで進学しています。
しかし、亜澄さんは高校生の時に自らエリートコースを降りて、別の高校へと転校、卒業後は短大へと進学しています。
事件発生当時は、短大に通いながら、都内の小さな劇団に所属して女優を目指し「高峯駆(たかみねかける)」の芸名で精力的に活動されていたという事です。
殺害した犯人は武藤勇貴!歯学部に入るため3浪していた
妹の亜澄さんを殺害し、渋谷区短大生切断遺体事件を起こした次男の武藤勇貴も、両親からの期待を受け幼少期から歯科医を目指していましたが、高校卒業時に日大歯学部への受験に失敗し、事件当時は3浪中でした。
両親は事件後、武藤勇貴をかばい亜澄さんを批判するような手記を発表した?
武藤勇貴の両親は、事件に関しての、社会に対する謝罪と自分たちの現在の気持ちを記した手記を発表しています。
その手記の内容が「亜澄が謝ってさえいれば凶行は起こらなかった」という様な、加害者である武藤勇貴をかばい、殺された被害者である武藤亜澄を批判する様な内容だった事で、物議をかもす事になります。
また、メディアがこぞって報道していた兄妹間の確執も否定し、本当は仲の良い関係であったと説明する内容も含まれていました。これもまた、外面を気にして取り繕っている様な印象を社会に与えました。
両親は裁判でも武藤勇貴の弁護側についた?
さらに、事件の公判が始まった後も、両親は武藤勇貴をかばう姿勢を一切崩しませんでした。母親に至っては、実の娘が殺害されているにも関わらず「寛大な処置をお願いします」とまで言っています。
また、一貫して両親は「息子は本当は優しくて良い子」「亜澄は大変気が強く、自分の非を決して認めない」とまるで武藤勇貴が妹の亜澄さんを殺害したのは仕方のない事と言わんばかりの主張をしています。
これには違和感を覚えた人も多く、ある識者は「この期に及んでまだ甘やかしている」「人を殺してはいけないと親が息子に教えなければならない」と厳しい意見を述べていました。
亜澄さんと武藤勇貴はそれぞれ悩みを抱えていた?
武藤勇貴も武藤亜澄さんも、事件発生当時に自分の人生に関わる様な深い悩みをそれぞれに抱えていました。
武藤勇貴は両親の期待を背負いながら歯科医を目指して努力を続けるも、受験に何度も失敗しています。まるで自分の存在そのものを否定されている様な、もう後がないギリギリの精神状態で過ごしていたと思われます。
一方の武藤亜澄さんは芸能活動も行き詰まり、家族との関係も全くうまく行っておらず、心の中では仲良くしたいと強く願いながらも、自分の気持ちを全く理解してくれない家族に深く苦悩していました。
ネットでは家族関係がどうだったのか話題に?亜澄さんは孤立していた?
こうした状況が明らかになるにつれて、ネットでは武藤家の家族関係に問題があったのではないか?という意見が多く出てくる様になります。
多く言われたのが、両親が子供らに自らの歯科医の家系を守るという夢を背負わせ、それに必死に応えようとする武藤勇貴と、その人生の強制から必死に逃げ出し、自分の意思で道を歩もうとする武藤亜澄さんの構図です。
両親にとって、自分達の夢を背負ってくれる勇貴は可愛い息子で、自分達に反目して逃げようとする娘の亜澄さんは可愛くないという事になり、結果亜澄さんは家族内で孤立していたのではないか?という見方です。
渋谷区短大生切断遺体事件の被害者・武藤亜澄さんについて
続けて、渋谷区短大生切断遺体事件の被害者となった、武藤亜澄さんについて詳しくみていきます。
亜澄さんは我が強い性格だった
武藤亜澄さんは、かなり自分の意思をはっきりと言う我の強い性格だったと言われています。その歯に絹着せぬ物言いで、周りからの反感を買い、トラブルを起こしてしまう事も幼い頃から度々あったとの情報があります。
また、両親や長男の証言や関係者の証言で「気が強い性格だった」と述べている事や、事件に連れて触れたある精神科医が武藤亜澄さんが何らかの人格障害などを持っている事を示唆している事などがあります。
加えて、亜澄さん本人も過去に両親に対して精神科に通わせてほしいと頼んでいたという情報もある様です。こうした情報から考えて、武藤亜澄さんがかなり我の強い性格を持っていた可能性は高いでしょう。
亜澄さんは「高峯駆(たかみね・かける)」という芸名で女優活動をしていた
武藤亜澄さんは殺害される数年前から「キャンパスシネマ」という芸能事務所に所属して「高峯駆(たかみねかける)」という芸名で女優活動を行っていました。
小劇団での舞台出演や、オーディションを受けて合格したというVシネマの端役出演などの活動実績があった様です。
亜澄さんの主な出演作品は?
武藤亜澄さんが出演したVシネマは「くりいむレモン プールサイドの亜美」というタイトルで、亜澄さんが演じたのは紫色の特攻服を着たヤンキー「ミサキ」という役でした。
この映画は、R15指定を受けたピンク映画に近い作品で、亜澄さんの出演時間も数分ほどだったそうです。こうした映画に出演した事は、武藤家の両親や武藤勇貴の反発を受けたのでは?との見方も出ています。
もう一つ明らかになっている、亜澄さんの出演作の舞台は「ジャンピンガー」というタイトルで、自殺志願者をめぐるドタバタ喜劇と紹介されています。「劇団シラタキ」の旗揚げ公演として上演されました。
ドラマやグラビアのオーディションに挑戦し地道な努力を重ねていた
武藤亜澄さんは、上で紹介した「くりいむレモン プールサイドの亜美」の役を初めて受けたオーディションで合格して獲得しています。
しかし、その後も武藤亜澄さんは10数回オーディションを受けたものの、全て落ちてしまったそうです。
関係者からの証言によると、内心かなり悔しかったでしょうが、悔しさをあまり表に出さず、それでも諦めずに女優を目指し努力を重ねていたとの事でした。
亜澄さんには家出の経験もあった
過去に、武藤亜澄さんは何度か家出をしている様です。そのうちの1回は2005年頃だそうで、ある男性(彼氏ではないと言われる)の世話をしながら同居していたという事です。
また、高校の卒業前にも家出をしている様ですが、この時はすぐに連れ戻されているという事です。10代のうちの家出というのは、家にいると危険だとその子供が判断した可能性が高いと心理学の世界では言われます。
噂では、武藤亜澄さんが兄から虐待を受けていたという情報もある様ですが、こちらの真相は不明です。この家出には色々な見方があり、虐待説の他、家族との確執が原因で精神的に限界がきていたという説もあります。
亜澄さんは援助交際をしていたという噂も
また、武藤亜澄さんが援助交際の様なことをしていたのではないか?という噂も存在します。こちらの根拠となっているのは、武藤亜澄さんが愛人願望を持っていたという関係者の証言にあります。
ある劇団関係の関係者が、武藤亜澄さんから「私を愛人にしてほしい」と頼まれた事があるというのです。その理由として、家族とうまく行っていなくて家に帰れないと言っていたという情報も出ています。
また、武藤亜澄さんは寮に住み込みでキャバクラで働いていた過去もあるとされています。この情報も武藤亜澄さんの援助交際の噂に繋がっているのだと考えられます。