山田らの集団とは?オウム・アレフの分派?代表の山田美沙子は何者? 雑学・ライフスタイル

山田らの集団とは?オウム・アレフの分派?代表の山田美沙子は何者?

今回は山田らの集団について紹介していきます。山田らの集団は、オウムとアレフの分派なのか?代表の山田美沙子はどんな人物なのか?麻原彰晃の三女のアーチャリーとの関係は?山田らの集団は、ヤクルトと呼ばれている?拠点は金沢と吉祥寺にあるなど詳しいことも触れていきます。

目次

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山田らの集団とは?オウム真理教の後継団体?

山田らの集団とは一体どんな団体なのでしょうか。地下鉄サリン事件などで有名になったオウム真理教の後継団体といわれていますが、実際にはどうなのでしょうか。みていきます。

山田らの集団はオウム真理教の後継団体・アレフの派生団体

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山田ら集団とは、オウム真理教の後継団体です。アレフと呼ばれるオウム真理教から改称した宗教団体から分派した団体でもあり、現在30人ほどの信者がいると言われています。

山田らの集団の教祖は山田美沙子

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山田らの集団の教祖は、山田美沙子という人物です。山田という人物はオウム真理教の時代からオウムの教祖麻原彰晃に慕っていた自分の1人のようです。

しかしどこ出身で、現在何歳なのか、実名なのか情報がないので詳しいことはわかりません。

正式な名称は不明?山田らの集団は公安がつけた呼び名

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山田らの集団という団体名が正式名称なのかは不明です。山田らの集団というのは、オウム真理教やアレフなど国内のテロ組織の調査を行う公安調査庁が名付けた呼称といわれています。

山田らの集団の集団の住所はどこ?石川県金沢市昌永町?

山田らの集団は、石川県金沢市昌永町13-4にあります。上記の写真は同住所に建てられている山田らの集団の建物です。

googleではアレフ金沢道場と表示される?

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そしてGoogleの地図検索で「石川県金沢市昌永町13-4」や「山田ら集団の住所」などど検索をすると、アレフの金沢道場と表示されることがあります。

これは元々ここはアレフの金沢支店があった為の関係しているようで、そういったこともあり表示されるようです。

山田らの集団の現在に信者数は30人程度?

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先ほども紹介した通り、山田らの集団の信者は、現在30人ほどいるようです。

これはオウム真理教やアレフの信者との差はありますが、オウム真理教やアレフの信者だった人が山田らの集団の信者になっている人が多いようです。

少数だが武闘派集団であるという噂も

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山田らの集団は、ごく一部の少人数による行動ですが、暴力や暴行を行うなどヤクザのような行動をとる武闘派集団なのではないかと言われています。

そしてそれは周辺住民のみ危害を及ぶことをしているかもしれないとも噂されています。

近隣住民は警戒パトロールを行っている

これは、昨年死刑執行されたオウム真理教の教祖麻原彰晃の誕生日があり、その日にちなんで誕生祭を行われることがあります。そして山田らの集団も誕生祭を行うのではないかと言われています。

その為、住民に被害が及ぶ可能性も考え、住民らが金沢市の山田らの集団事務所を中心にパトロールを行いました。ただ結果的に何もなかったようです。

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山田らの集団はどのようにして生まれた?

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山田らの集団という宗教団体は、どのようにして生まれたのでしょうか。みていきます。

山田らの集団の源流・オウム真理教とは?

山田らの集団の源流でもあるオウム真理教というのは、教祖である麻原彰晃(本名松本智津夫)が1989年に設立した宗教団体です。しかし2000年に名称が消滅しました。

その理由は、1988年から1995年にかけてオウム真理教事件が多発し、それを理由に1998年に宗教法人として法人権を失いました。

そして名称が消滅した後は、山田らの集団のように教義や信者などが引き継がれていきました。

オウム真理教が起こした事件①坂本弁護士一家殺害事件

オウム真理教が起こした事件の1つ目は、坂本弁護士一家殺害事件です。この事件は、1989年11月4日に、オウム真理教の幹部が、オウムの対応をしていた弁護士の坂本堤と家族の3人を殺害した事件です。

事件の発端は、弁護士であった坂本が、依頼人から教団の脱会について相談されたことがきっかけで坂本は、オウムに対する批判などをするなど教団に対して挑発的な態度をとることが多くなりました。

テレビのインタビューなどに出演するなどもしようとしましたが、教団側は放送停止をテレビ局に依頼し、爆破予告をすることもあるなど対抗するようになりました。

そしてオウム真理教の幹部だった村井秀夫、早川紀代秀、岡﨑一明、新実智光、中川智正が坂本堤と家族の3人を殺害しました。

当初の予定では、仕事場に向かう坂本を横浜市磯子区の洋光台駅で待ち伏せし、見つけたら車の中に連れ込み、毒殺しようとしていました。しかしこの日は、祝日だった為、坂本は駅に現れませんでした。

その為、予定を変更し、坂本の自宅で殺害することを決め、深夜に坂本の自宅に侵入し、坂本と妻、子供が寝ているのを見つけ、3人とも抵抗した為、毒殺することができず、窒息をさせて殺害を行いました。

オウム真理教が起こした事件②松本サリン事件

オウム真理教が起こした事件の2つ目は、松本サリン事件です。この事件は、1994年6月27日に長野県松本市で、オウム真理教教徒が神経ガスのサリンを巻き、8人の死者が出たテロ事件です。

この事件を起こしたオウムの当初の目的は、創価学会の教祖である池田大作の殺害でした。その為、教徒で教団の化学者でもある土谷正実が、ブルーサリンと呼ばれる青色サリン溶液を製造し、保管されていました。

オウムの教祖である麻原彰晃は、そこでオウムの村井秀夫、中川智正ら幹部4人を呼び出し、松本の裁判所に、土谷が製造した青色サリン溶液を撒いて実験の効果を調査してくるよう指示をしました。

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事件が発生する翌日の6月27日に、村井秀夫ら幹部4人は、松本市内に入り、裁判所前を偵察など犯行を行う前の調査などを行い、麻原の許可をもらうなど犯行の準備をしていたようです。

そして翌日の6月28日に、松本市内で村井たちは、神経ガスのサリンを散布しました。そしてサリンを吸った男性5人、女性2人の計7人が死亡、約600人以上の負傷者が出ました。

当初は、なぜサリンが散布されたのか原因を掴むことができません。しかしその後、オウムの犯行だということ判明。さらには事件から14年に、同事件の被害者である女性が死亡、負傷者も最終的に4人に絞られました。

オウム真理教が起こした事件③地下鉄サリン事件

オウム真理教が起こした事件の3つ目は、地下鉄サリン事件です。この事件は1995年に霞ケ関駅でサリンが撒かれた同時多発テロです。オウムが起こした事件の中で多くの人が知っている事件ではないのでしょうか。

事件を行った目的は、オウムの教祖である麻原彰晃が、自分たちの力で日本を転覆させようとしていたことがあげられます。前年に、オウムは松本サリン事件を起こし、世間からも恐れる犯罪組織団として認知されました。

そしてその事件により、オウムは警察の捜査を受けていました。しかし1995年は1月に阪神淡路大震災が発生し、その影響で警察は麻原の捜査を行わなくなり、麻原の逮捕などは免れるのではないかと思っていました。

しかし警察は、麻原に対して強制捜査をするのではないかと噂されました。それに危機感を覚えた麻原は、阪神淡路大震災に匹敵するような恐ろしい事件を起こすことを決意しました。

そして1995年3月20日、朝の通勤ラッシュ中に東京メトロ(当時は帝都高速度交通営団)の霞ケ関駅で、サリンを散布しました。この事件により、死亡者は13人、負傷は約6300人という大事件が発生しました。

事件発生後、警察は首謀は麻原彰晃で、オウム真理教の犯行だということを明らかにし、オウム真理教を強制捜査を行う他、教団の幹部を逮捕、さらに犯行者の林郁夫が自首したことで、事件の真相が明らかになりました。

オウム真理教の代表・麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕される

地下鉄サリン事件発生後、警察はオウム真理教を強制捜査しました。そして教団の幹部らを逮捕し、そして教団の代表である麻原彰晃こと松本智津夫も1995年5月16日に逮捕されました。

この事件により、事件に関わったオウムの関係者40人以上が逮捕されるという事態になりました。

オウム真理教は1999年に活動休眠宣言を出す

坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件など世間から恐怖を起こす事件を起こし、教祖や信者が逮捕されたオウム真理教は、1998年に宗教法人の法人格を失うことになりました。

宗教法人という名前は消えたものの、オウムとして活動をしばらく続けました。しかしオウムに対する世間などの目が強くなっていくなどあり、教団は1999年に活動休眠宣言をしました。

そしてそして翌年の2000年にオウム真理教を解散させ、名称も消滅しました。

2002年オウム真理教からアレフが派生する

オウム真理教解散後、2002年にオウムの元信者たちを集め、オウムの教養を一部引き継いだ形で、アレフという宗教団体を設立しました。

しかしオウムの後継団体ということで、源流の教団が事件などを起こしていることから、宗教法人としては認められてはいません。

当初は上祐史浩が実権を握るも派閥争いが起こる

アレフは、当初、オウム真理教の信者でもあった上祐史浩が代表を務め、教団の実権を握ることになりました。しかし上祐が代表に就任したことで派閥争いが教団内で勃発しました。

派閥は大きく分けて2つの派閥に分かれていました。まず1つ目は、上祐を中心とした代表派。この派閥は、オウムの教祖でもある麻原彰晃の教養を変えて、新しい教養にしていくという考え方を持っていました。

そしてもう一つの派閥が、反対派、反上祐派と呼ばれる派閥です。この派閥は、オウム、麻原の教養をしっかり受け継いていくことが大切だと考えており、信者のほとんどがこちらを望んでいたようです。

2007年上祐史浩がアレフを離脱・光の輪を設立

アレフの代表に就任していた上祐史浩は、反対派、反上祐派の反発もあり、2007年にアレフを離脱することを発表しました。そして新たにひかりの輪のという宗教団体を設立しました。

ひかりの輪というのは、反麻原という考え方を持ち、オウムの教養から新しい教養を受けようという形で設立された教団と言われています。その為、オウムの信仰から脱却したい人の為の救いの手として設立されました。

しかし公安調査庁の調査によると、ひかりの輪は、反麻原ではなく、麻原隠しを行っている可能性が高いと考え、再びオウムのような事件を起こさせない為に観察処分を行っています。

2014~2015年アレフから山田らの集団が分派

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さらに2014年から2015年にかけて、オウム真理教の後継団体であったアレフから山田らの集団が分派されました。アレフには、上祐史浩が中心となった代表派と、反対派以外にも派閥がありました。

アレフは、オウムの教祖である麻原彰晃の妻である松本明香里が入会していました。そして松本らが麻原の次男をアレフに入会させようとしました。しかしそれを麻原の娘である松本麗華が反対しました。

そしてそれがきっかけでまた新たなにアレフ内では意見の対立が行われ、その対立の片方が、アレフの幹部構成員であり、のちに山田らの集団の代表者とも言われている山田美沙子でした。

山田らの集団とアレフとの関係は?

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山田らの集団と、アレフとはどんな関係なのでしょうか。みていきます。

山田らの集団はもともとアレフの金沢支部だった

山田らの集団の教団がある石川県金沢市昌永町13-4は、もともとアレフの金沢支部があった場所だと言われています。そして代表の山田美沙子が金沢支部に勤務していたこともあり、金沢を拠点にしたようです。

アレフ内での代表者争いが分派の原因だった?

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先ほど紹介した通り、アレフ内では派閥争いが勃発していました。そしてそれが原因で、アレフと山田らの集団が分裂したのではないかとも言われています。

具体的にどんな理由で分裂する羽目になったのかみていきましょう。

麻原彰晃の妻らは次男をアレフの代表に推していた

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オウム真理教の教祖だった麻原彰晃の妻、松本明香里が麻原の次男をアレフの代表にしたいと考えていたようです。

またさらにアレフは元々代表が上祐史浩でした。上祐は、オウムの教養や麻原の考え方を変え、新しい考えた方を入れた宗教団体をアレフにしようと考えていたそうです。

反対派が光の輪・山田らの集団として独立

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アレフの代表を麻原の息子にさせようとする麻原の妻松本明香里の行動に対して、アレフ内では意見の対立となりました。

麻原の娘でもある松本麗華、山田美沙子らアレフの幹部に対して麻原の息子の代表就任を辞めるよう命じるなどしました。しかし中々意見が反映されず、山田は山田らの集団として独立しました。

さらにアレフの代表であった上祐史浩の考え方に、反対する人もとても多く、上祐もアレフを離脱しました。そしてひかりの輪として教団を立ち上げ、独立をしています。

現在も山田らの集団は金沢市で活動している

山田らの集団は、現在も信者は30人ほどと決して多い教団ではありませんが、石川県金沢市内を拠点に活動をしています。

山田らの集団は麻原彰晃の帰依を望んでいる

山田らの集団は、源流であるオウム真理教の教祖麻原彰晃の帰依を望んでいる信者が多いようです。

麻原の思想やオウムの教養をしっかりと受け継ぎ、後世にも伝えていきたいという信者が多い教団ともいわれています。

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