フリッツル事件とは?実父に24年間監禁されたエリーザベトの現在 社会

フリッツル事件とは?実父に24年間監禁されたエリーザベトの現在

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「父親と二度と会う必要はない」と約束、エリーザベトは事件のことを語った

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警察に拘束された後でもエリーザベトはなかなか口を開かず、口を開いたのは「父親と二度と会う必要はない」と警察と約束した後のことでした。

そして、エリーザベトの口から24年間にわたる監禁生活や肉体的、性的暴力の事実が語られました。

2008年4月、ヨーゼフが73歳の時に逮捕

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エリーザベトの証言によって、2008年4月、ヨーゼフが73歳の時に、家族に対する不法監禁、強姦、過失致死、近親相姦などの重罪で、逮捕されました。

4月27日にエリーザベトと子供、母のロゼマリアが保護される

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ヨーゼフが逮捕されたのちの4月27日の夜、妻のロゼマリアとエリーザベト、階上にいた子供たち、監禁されていた子供たちが警察によって保護されました。

母親はこの監禁事件について全く気が付いていなかった

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母のロゼマリアは、エリーザベトがヨーゼフによって24年間監禁されていたこの事件について、何が起こっていたのか全く気が付いていませんでした。

フリッツル事件の裁判と判決

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フリッツル事件の裁判は、事件発覚の1年後に行われました。最初はヨーゼフは容疑に対し弁明を続けていましたが、第二審からは態度を改め、それまでの弁明をすべて撤回しています。

裁判中には、エリーザベトが24年間の監禁生活について、11時間語ったビデオが流されました。

裁判の初日ヨーゼフは地下室にツリーを飾っていた

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裁判の初日、ヨーゼフは全く反省の色を見せず、クリスマスには地下室にツリーを飾っていたことや、殺せたのに殺さなかったことを主張し、自分はモンスターではないといいました。

エリーザベトは自伝執筆のために傍聴席に訪れた

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フリッツル事件の裁判は、事件発覚後から約1年後に開かれ、エリーザベトはその裁判の2日目に変装してあらわれました。

この時エリーザベトが裁判の傍聴席に訪れたのは、フリッツル事件の自伝執筆のためでした。

エリーザベトの姿を見たヨーゼフは態度を改めるように

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裁判初日には全く反省の色を見せずに弁明していたヨーゼフですが、裁判の2日目に変装して傍聴席に座っているエリーザベトを見て態度を改めました。

彼女を見ると青ざめて崩れ落ち、それまでの弁明を撤回しました。

裁判中にエリーザベトが24年間の生活を語ったビデオが流された

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フリッツル事件の裁判中には、エリーザベトが2008年7月に警察や精神科医に、監禁生活の詳細を語った11時間のビデオが流されました。

そのビデオの内容はあまりに痛ましいもので、陪審員たちは一度に2時間以上続けてみることができなかったほどだそうです。

陪審員の精神的ダメージを考慮して、裁判には4人の補充陪審員が用意されていました。

裁判の判決は?15年間仮釈放なしの終身刑

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すべての犯行を認めたヨーゼフは、24年間にわたる実娘の不法監禁、近親相姦、強姦、奴隷化、殺人などの罪で、15年間仮釈放なしの終身刑が下されました。

ヨーゼフはこの判決を受け入れ、控訴もしませんでした。

ヨーゼフは現在も、かつて修道院だったオーバーエスターライヒ州のが留守店刑務所にある、精神疾患犯罪者の特別区画に収容されています。

娘を24年間監禁したフリッツルとは?生い立ちは?

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実の娘を24年間も自宅の地下室で誰にも見つからずに監禁していたヨーゼフ・フリッツルとは、いったいどのような人物だったのでしょうか?

彼は過去にも強姦などの犯罪歴がありましたが、フリッツル事件の当時はその記録が破棄されており、発覚が遅れました。

また、エリーザベトは過去にも家出をしていたことがあったことも、事件の発覚が遅れた原因だと考えられます。

1935年に生まれ一人っ子として育てられた

フリッツル事件で逮捕されたヨーゼフ・フリッツルは、1935年4月9日にヨーゼフ・フリッツル・シニアとマリア・フリッツルの間に生まれ、一人っ子として育てられました。

父親はヨーゼフが4歳の頃に出ていった

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ヨーゼフの父親はヨーゼフが4歳の時に家を出て家族を捨て、その後2度と連絡を取ってくることはありませんでした。

ヨーゼフの父はその後第二次世界大戦でドイツ国防軍として戦いに参加し、1944年に戦死しました。

1956年21歳の時にロゼマリアと結婚

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ヨーゼフはリンツの鋼鉄会社ヴォーストアルピナで働き始め、1956年21歳の時に、当時17歳だったロゼマリアと結婚しました。

1967年に看護婦の家に押し入り喉にナイフを当てて強姦

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ヨーゼフは1967年には夫が留守中の24歳の看護婦の家に押し入り、喉にナイフを当てて強姦しました。

同じ年にも他の21歳の女性を強姦しようとしましたが、こちらは未遂に終わりました。

懲役18か月の判決を受ける

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この看護婦の強姦と、強姦未遂の事件により、ヨーゼフは懲役18か月の判決を下されました。

強姦未遂、公然わいせつなどの余罪は他にも

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ヨーゼフの犯罪歴として、明らかになっているのは上記の2件だけですが、実際には他にも強姦未遂や公然わいせつなど、さまざまな罪の被疑者となっています。

しかし、エリーザベトの子供と養子縁組をし、里親となることを申請した時には、この記録が破棄されていたために、過去の犯罪歴に気づかれませんでした。

子の犯罪歴にもっと早くに気づくことができていれば、今回の事件は24年も続かなかったかもしれません。

2男5女、7人の子供に恵まれる

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ロゼマリアと結婚したヨーゼフには、2人の息子と5人の娘、計7人の子供に恵まれました。

フリッツルは近隣住民から人気があった

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フリッツル事件が発覚するまでは、ヨーゼフは無類の釣り好きとして、近隣住民からは人気が高かったようです。

24年間にも渡り妻にもバレないように監禁をしたり、人を巧妙に騙す口のうまさから、頭の切れる人物だったと推測されます。

エリーザベトは1956年に生まれ11歳から性的虐待されていた

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エリーザベトは、ヨーゼフとロゼマリアの間に1986年に生まれ、監禁される何年も前の1977年の11歳の時から、父親に性的虐待を受けていました。

母親のロゼマリアも性的虐待を見て見ぬふりをしていたため、このことでエリーザベトは母親を恨んでいると供述しました。

15歳の時にエリーザベトは家出

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義務教育が終了した15歳の時には、ウェイトレスになるための訓練を受け始め、1983年には家から逃げ出し、仕事仲間と一緒にウィーンに隠れ住みました。

すぐに発見され自宅へ連れ戻された

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家から逃げ出したエリーザベトでしたが、その後3週間ほどで警察に発見され、ヨーゼフとロゼマリアの元に連れ戻されました。

この家出のこともあったため、ロゼマリアは今回エリーザベトが監禁されていることに気が付かなかったのかもしれません。

エリーザベトと子供たちのその後と現在

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監禁されていたエリーザベトとその子供たちは、解放された後もすぐに日常生活を送れるというわけではありませんでした。

地下室との環境の違いや近親相姦による遺伝的な疾患など、さまざまな問題を抱えていました。退院してからも通院が必要で、長い期間の治療が施されました。

警察に保護された後エリーザベトと子供たちは入院

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警察に保護されたエリーザベトと子供たちは、日光に長年当たっていなかったことからビタミンD欠乏症で貧血になっていて、免疫系も未発達であると疑われました。

彼女たちは光に慣れるため、数カ月入院して治療を受けなければいけないと医師は判断しました。

監禁されていた4人は日光に当たっていない為、自然光に耐えられなかった

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監禁されていたエリーザベトとケルスティン、シュテファン、フェリックスの4人は、地下室て生活をしていて窓もないため、ほとんど日光に当たっていませんでした。

ケルスティンとシュテファン、フェリックスは、生まれた時から地下室の中で生活をしていて、地下室には窓もなかったため、解放されるまでは太陽の光を浴びたことがありませんでした。

そのため、非常に青白く、自然光に耐えることができなあったため、解放されてもしばらくはサングラスを手放すことができませんでした。

2008年ケルスティンが昏睡状態から目覚めた

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重度の腎不全で意識を失い、昏睡状態になっていたケルスティンは、2008年に他の家族と合流し、そこで昏睡状態から目覚め、意識を取り戻しました。

2008年4月子供たちの父親がDNA鑑定によって証明された

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2008年4月29日には、DNA鑑定によって、エリーザベトの7人の子供たちが、ヨーゼフの生物学的な子供であることが証明されました。

裁判後、エリーザベトと子供たちはオーストラリア北部に移住

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裁判後、エリーザベトと6人の子供たちはオーストラリアの北部にある無名の村に移住しました。

エリーザベトはロゼマリアから疎遠にされていたものの、階上で育てられたリザ、モニカ、アレクサンダーの3人がロゼマリアの家を定期的に訪れることは認めていました。

6人の子供全員が近親相姦で、生まれた為遺伝的な問題を抱えていた

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エリーザベトとヨーゼフの子供6人は、全員が近親相姦で生まれたため、生まれながらの遺伝的な問題を抱えていました。

6人の子供たちは引っ越し後も、通院での治療が必要でした。

フリッツル事件が世間に与えた影響

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フリッツル事件はオーストラリア内だけでなく世界中で大きく報道され、世間に大きな影響を与えました。そのニュースは日本にも伝わり、その残虐性が報道されました。

この事件をきっかけに、性犯罪に対しての意識も大きく変わり、性犯罪の罪の重さなどに対しても変化がありました。

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