フリッツル事件とは?実父に24年間監禁されたエリーザベトの現在 社会

フリッツル事件とは?実父に24年間監禁されたエリーザベトの現在

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1994年三女モニカを出産し、生後10カ月から階上で育てられる

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1994年には4人目の子供の三女モニカが生まれ、この時ヨーゼフは子供たちのために、地下室を35㎡から55㎡に拡張しています。

モニカも、生後10か月の時にリザのように、家の外で見つかりました。

モニカを預けた時エリーザベトから母ロゼマリアに電話がかかり、子供を育てるように頼まれましたが、これはヨーゼフが録音しておいたものだと考えられています。

1996年ミヒャエルと次男アレクサンダーの双子を出産

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1996年には、5人目と6人目の子供のミヒャエル、次男のアレクサンダーの双子を出産しました。

ミヒャエルは生後3日で死亡、遺体はフリッツルが自宅で焼却

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双子の1人のミヒャエルは生後3日で死亡し、ミヒャエルはヨーゼフが自宅の庭で火ミヒャエルを火葬しました。

アレクサンダーは生後15カ月から階上で育てられる

残った双子のアレクサンダーは、生後15か月の頃にリザ、モニカと同じように家の外でダンボールの中に入った状態で発見され、階上でヨーゼフとロゼマリアに育てられました。

2002年三男フェリックス出産

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2002年には、7人目の子供の三男フェリックスを出産しました。

次女、三女、次男は幼児の頃に階上に連れられましたが、フェリックスは、ロゼマリアがこれ以上子供の面倒を見られないという理由で、長女ケルスティン、長男シュテファンとともに地下室に残されました。

長女、長男、三男はエリーザベトと地下室で暮らす

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長女のケルスティン、長男のシュテファン、三男のフェリックスは、エリーザベトが解放される2008年まで、生まれた時からずっと一緒に地下室の中で暮らしていました。

次女、三女、次男はヨーゼフとロゼマリアに育てられる

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次女のリザ、三女のモニカ、次男のアレクサンダーは階上に連れられ、ヨーゼフとロゼマリアに育てられました。

二人は地元の社会福祉事務所の許可を得て、3人の子供を正式に養子として育てていました。

子供はエリーザベトが玄関に置いていったと説明

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ヨーゼフとロゼマリアが育てることとなった子供たちは、エリーザベトが玄関に置いていったとヨーゼフは説明しました。

子供たちを二人の養子として育てる許可を出した社会福祉事務所は、この時のヨーゼフは、エリーザベトが子供を置いていった状況を非常にもっともらしく説明していたと供述しました。

階上で育てられた3人は普通の様子で学校にも通っていた

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階上で育てられていたリゼ、モニカ、アレクサンダーの3人は、他の子供たちと同じように普通の様子で学校にも通っていました。

もちろんこの3人は、地下室で実の母親と兄弟たちが監禁されていること、過去には自分たちも監禁されていたことは知りませんでした。

家族の元には何度もソーシャルワーカーが訪れていましたが、何の不満も聞くことはなく、おかしいとも感じなかったようです。

子供たちを罰する際、ヨーゼフは地下室の電気、食料の供給を止めた

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ヨーゼフは、数日間地下室の電気を消すか、食料の供給を止めるかをして、子供たちを罰していました。

地下室には窓がないため電気が止まると真っ暗になり、食料もないため、非常につらい罰だったと考えられます。

監禁場所となった地下室の様子

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エリーザベトと子供たちが監禁されていた地下室は非常に劣悪な環境で、彼女たちは何度も病気になっていました。

4人目の子供が生まれた時には、ヨーゼフは子供たちのために地下室を拡張し、最終的にはさまざまな家電製品や設備が地下室に揃えられていました。

地下室の中は小さな家のような設備になっていましたが、決して過ごしやすい環境ではありませんでした。

自宅が建てられたのは1980年ごろ

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フリッツル家の自宅が建てられたのは1980年ごろで、この時はまだ地下室は監禁用ではありませんでした。

その後1978年にフリッツルによって、一度増築、拡張がされています。

1981年から地下室を改造

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1981年から1982年にかけて、地下室はヨーゼフによって監禁用に改造されました。つまり、事件が始まる3年も前から、ヨーゼフはエリーザベトを監禁する計画を立てていたことになります。

1983年には一度土地家屋調査士が自宅を訪ねていますが、改造された地下室を発見できず、違法性も確認されませんでした。

監禁開始から10年経った1994年にも、ヨーゼフは子供たちのために地下室を35㎡から55㎡に拡張しています。

天井の高さはわずか1.7mで窓はない

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監禁用に改造された地下室の天井は、階上に音が漏れないように二重構造になっていました。

そのため、天井までの高さはわずか1.7mしかなく、精神的に強い圧迫感を感じる構造になっていました。

また、窓もないため、電気がなければ地下室には光が入ることもありませんでした。

地下室の扉は棚の裏に隠されていた

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監禁用の地下室への扉は、簡単に人に見つけられることがないよう、ヨーゼフの仕事場の棚の裏に隠されていました。

監禁場所に着くまでに8つの扉を開錠

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監禁場所の地下室の扉は遠隔の電気コードで管理されていて、その奥にもさらに扉が続いており、鍵付きの扉が5つありました。

地下牢にたどり着くためには、なんと合計8つの扉を開けなければいけませんでした。この地下室への扉の数からも、ヨーゼフの計画の入念さが感じられます。

1994年には地下室を拡張し家電製品なども与えられる

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三女のモニカが生まれた1994年には、子供たちのために地下室をさらに拡張し、35㎡から55㎡に広げました。

その他にも、料理用のホットプレートや冷蔵庫、テレビ、ラジオなどの家電製品が与えられました。

最終的に小部屋、台所、風呂などの設備も与えられた

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改造された地下室は、最終的に3つの小部屋、台所、風呂、2つの寝室にベッドが4つ与えられました。

空気が悪くエリーザベトと子供が病気になった

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たくさんの家電や部屋、設備が与えられましたが、地下室の空気と臭いは悪く、常にジメジメしていました。

その結果、エリーザベトと子供たちは何度も病気になりましたが、ヨーゼフは風邪薬と咳止めしか与えませんでした。

事件が発覚したきっかけ

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1984年から24年間にわたったエリーザベトと子供たちの監禁生活も、2008年4月に終わりを迎えます。事件発覚は、長女のケルスティンの病気で、不審に思った医師の通報がきっかけでした。

エリーザベトと子供たちは入院したケルスティンの見舞いの為外出の許可を得ますが、そこで警察に拘束されました。

2008年4月19日、長女のケルスティンが突然意識を失う

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事件が発覚したきっかけは、2008年4月19日に、長女のケルスティンが突然意識を失ったことからでした。

エリーザベトはヨーゼフに意識を失ったケルスティンを病院に連れて行くように懇願し、ヨーゼフは病院に連れて行くことを許可して救急車を呼び、ケルスティンを病院に運びました。

この時エリーザベトは、ケルスティンを地下室から運び出すのを手伝い、24年ぶりに外の景色を眺めました。しかし、その後エリーザベトは再び地下室に戻されました。

ケルスティンは重篤な腎不全と診断される

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救急車で病院に運ばれたケルスティンは、命に関わるほどの重篤な腎不全だと診断されました。この腎不全は遺伝的なもので、近親相姦が原因だと考えられます。

ヨーゼフは病院に遅れて到着し、「ケルスティンの母親が描いたノートが見つかった」と医師にノートを渡しました。

しかし、この言葉とノートの内容、病気の症状に矛盾を感じたアルベルト・ライター医師は、その後警察に通報しました。

ケルスティンのポケットに「助けて」のメモを医師が発見し通報

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アルベルト・ライター医師はケルスティンのポケットから、「助けて」と書かれたメモを発見しました。

ノートとヨーゼフの言葉、病気の症状に矛盾があったことと、このポケットのメモが決め手となり、医師は警察に通報し、警察はエリーザベトの捜索を始めました。

ヨーゼフは「エリーザべトはカルト教団に入信した」と主張

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エリーザベトの捜索はテレビでも報道されていて、なんとそこにはヨーゼフ本人も登場していました。

この時もヨーゼフは、「エリーザベトはカルト教団に入信した。手紙は2008年1月にケマンから投函されたものだ。」と主張しました。

該当するカルト教団は見つからず

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警察はヨーゼフの首長から、エリーザベトが入信したとされているカルト教団の情報を集めましたは、該当するカルト教団は見つかりませんでした。

教会でカルト宗教に関する情報を集めているマンフレートは、ヨーゼフの主張のカルト教団の存在を否定し、エリーザベトの手紙はまるで誰かに欠かされたもののようだと指摘しました。

このことから、ヨーゼフがついている嘘が暴かれ始めました。

ケルスティン入院から1週間後、エリーザベトは見舞いの為外出を許可される

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エリーザベトはケルスティンの見舞いに行かせてもらうようヨーゼフに頼みこみ、ケルスティンの入院から1週間後、シュテファンとフェリックスと共に外出の許可を得ました。

ヨーゼフは妻にエリーザベトが「帰ってくることを決意した」と話す

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ヨーゼフは、自分が監禁していた地下室から解放したエリーザベトが病院に訪れることを、妻のロゼマリアに対し、「24年ぶりに帰ってくることを決意した」と説明しました。

妻は監禁されていることを何も知らず、今までずっと行方をくらませていたエリーザベトが急に帰ってくると不自然に思われるため、このような嘘をつきました。

4月26日、ケルスティンが入院している病院に向かう

4月26日、エリーザベトとシュテファン、フェリックスは見舞いの為、ケルスティンが入院している病院に向かいました。

二人が病院を訪れることを知った医師が警察に連絡

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ヨーゼフとエリーザベトの二人が病院に訪れることを知ったアルベルト・ライター医師は、警察に連絡しました。

警察が二人を拘束

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ヨーゼフとエリーザベトが病院につくと、待ち伏せていた警察が二人を拘束し、尋問のために警察署に連行しました。

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