【閲覧注意】熊事件は世界中で発生中!実際の事件と対策を解説! 社会

【閲覧注意】熊事件は世界中で発生中!実際の事件と対策を解説!

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石狩沼田幌新事件発生の原因

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ヒグマが最初に人々を襲った現場の近くには、斃死した馬の死体が熊に埋められていました。

獲物を埋めていた場所の近くの夜に人間が通ったことで、獲物をとられると勘違いし、襲ったと考えられています。

最初に襲った後は、本能のままに人々を襲い、殺して食べる行為を繰り返していたと思われます。

石狩沼田幌新事件における死傷者数や被害

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石狩沼田幌新事件では、村田幸次郎15歳、ウメ56歳、与四郎18歳、長江政太郎56歳、上野由松57歳、の5名が死亡し、林謙三郎19歳、村田三太郎54歳、折笹徳治の3名が重傷を負いました。

当事件のヒグマについて

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石狩沼田幌新事件で射殺されたヒグマは、体長2m、体重340㎏と巨大で、解剖された胃の中からはザル1杯分の人骨と、消化しきれていない人の指が出てきたといわれています。

石狩沼田幌新事件のその後

射殺されたヒグマの毛皮は事件後幌新小学校に保存されていましたが、小学校が昭和42年に廃校となり、その後幌新会館に移され、現在は、沼田町郷土資料館に展示されています。

事件の現場となった場所は、徐々に人々が町を去り、現在は幌ダム貯水池の底となっています。

史上3番目の被害を出した「十和利山熊襲撃事件」

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秋田県で起こった十和田利山熊襲撃事件では、獣害事件で日本史上3番目の被害を出しました。

この事件は、戦後では日本史上最大の獣害事件です。

2016年5月から6月にかけて発生した珍しいケースの事件

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十勝利山熊襲撃事件2016年5月から6月にかけて、秋田県鹿角市十和利山で発生した、戦後では最悪の獣害事件です。

日本史上3番目の獣害事件で、複数の熊が関与していて、ツキノワグマが人を襲うことは滅多にないため、珍しいケースの熊の襲撃事件です。

十和利山熊襲撃事件の概要

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十和利山熊襲撃事件の概要は以下の通りです。

第一の犠牲者

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2016年5月20日で鹿角市十和田大湯字熊取平の竹藪でタケノコを採集していた79歳の地元の男性が行方不明になり、翌朝捜索していた秋田県刑鹿角署員が遺体として発見しました。

また、同じ日にも60歳の女性とその夫がタケノコ採りの最中に熊に襲われましたが、夫がとっさに反撃し、熊は逃げました。

第二の犠牲者

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5月22日に最初の男性が発見された現場から800m離れた地点で、秋田市の78歳の男性と77歳の妻がタケノコ採りをしていたところ、熊に襲われます。

妻は逃げ無事でしたが、男性は6時間後に遺体で発見されました。

第三、第四の犠牲者

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5月29日、遺体発見現場から3km離れた場所でタケノコ採りをしていた青森県新郷村の78歳の女性が熊に襲われ、尻を噛まれて全治1週間の傷を負いました。

また、25日から行方不明になっていた十和田市の65歳の男性が、30日に死後数日たった状態の遺体で発見されました。

6月10日、7日から行方不明になっていた十和田市の74歳の女性が十和田大湯の山林で遺体で発見され、頭部や腹部には傷がありました。

熊の射殺

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6月10日14時ごろ、4人目の犠牲者の遺体が発見された場所から10mほどの場所で、鹿角連合猟友会の斎藤良悦が、体長1.3mで体重約70㎏のメスのツキノワグマを射殺しました。

十和利山熊襲撃事件の原因

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十和利山熊襲撃事件の原因は、最初に人が襲われた時点で周囲を呼びかける看板やチラシがあったにもかかわらず、タケノコ採りをやめなかったことです。

山には私有地や国有林も混じっていたため、入山禁止にはできませんでした。

十和利山熊襲撃事件の死傷者数や被害

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十和利山熊襲撃事件では、79歳の男性、78歳の男性、65歳の男性、74歳の女性の計4人がなくなり、他2名が軽傷、1名が反撃無傷という被害がありました。

この事件は、日本史上3番目に被害を出した獣害事件として知られています。

事件に関わったツキノワグマについて

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今回の事件で射殺されたのは、6、7歳のメス熊で、体長は1.3m、体重は70㎏でした。解剖された胃の中からは、人体の一部が見つかっています。

ツキノワグマは基本的に熊の中でも大人しい性格をしていて、臆病なため滅多に人を襲うことはありません。また、普段は草食で、草や虫などを食べて生活しています。

しかし、今回の事件では自分たちの行動範囲に人間が侵入してきて、防衛のために人を襲い、その時に人の味を覚えてしまったために繰り返し人を襲うようになったのかもしれません。

十和利山熊襲撃事件のその後

十和利山熊襲撃事件では、主犯のメス熊は射殺されたものの、他にも遺体を食べた可能性のある熊は3匹生き延びていると推測されています。

そのうち、若いオス熊と大きな赤毛のメス熊は確実に人を食べていると考えられています。現地では今も人の味を覚えた熊が出没する可能性があるので、厳重な警戒が必要となっています。

ヒグマの強い執着心が発揮された「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件では。ヒグマの持つ強い執着心が発揮されました。

ヒグマの執着心を知らなかったために、起こってしまった事件だともいえます。

1970年に発生した大学生のワンゲル部メンバーを恐怖に陥れた事件

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件は、1970年7月に福岡大学のワンゲル部5名がヒグマに執拗に襲われ、そのうち3名が命を落とした事件です。

福岡大学のワンゲル部は日高山脈カムイエクウチカウシ山で活動中に、雌のヒグマに襲われました。

ワンダーフォーゲルとは、ドイツ語で渡り鳥を意味し、山歩きや自然散策などの活動をすることを言います。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の概要

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の概要は以下の通りです。

ヒグマと遭遇

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福岡大学のワンゲル部5名は、1970年7月12日に列車で博多駅を発車し、14日に新得駅に到着しました。25日に中間地点であるカムイエクウチカウシ山でテントを張ったところ、そこにヒグマが現れました。

ヒグマは荷物をあさり始めたため音を立てて追い払いましたが、その日の夜、またヒグマが現れテントに穴をあけました。26日の早朝にもヒグマがあらわれテントを倒しました。

2人が救助要請のために下山しましたが、途中で北海道学園大学や鳥取大学のグループに出会い、救助要請の伝言をして、3人の元に戻るためまた山を登りました。

ヒグマの襲撃

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救助要請に向かった2人も合流した5人は、テントを修繕しました。夕方ごろ、再び彼らの元にヒグマが現れ居座り、鳥取大学のグループのテントに避難するため夜道を出発しました。

しかし、他の大学グループはすでに避難していたため、彼らは夜道を歩き続けることとなります。ヒグマは彼らに追いつき、その日のうちに1人が、27日に2人が襲われ死亡しました。

2人は逃げ延び、五の沢砂防ダムの工事現場に駆け込み、中札内駐在所へ逃げました。

救助隊

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28日に戸狩山岳連盟の青山義信を体長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などから救助隊が編成されました。帯広警察署は、日高山脈中部への入山を禁止しました。

29日の早朝から捜索が開始され、14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で、福岡大学のワンゲル部の2人の遺体を発見しました。30日には、残りの1人の遺体が鳥取大学のテントで発見されました。

29日の16時半頃に、ヒグマは八の沢カール周辺センターで、ハンター10人の一斉射撃によって射殺されました。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件発生の原因

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ヒグマには自分の獲物をとられると取り返そうとする習性があり、ワンゲル部の荷物をあさった時にワンゲル部は荷物を取り返したため、彼らを敵とみなしたようです。

また、ヒグマは嗅覚が非常に強いため、場所を変えて逃げたワンゲル部のことも見つけることができました。

背中を向けて逃げるものを追いかける習性もあるので、ヒグマから必死に逃げようと背中を向けてしまったことも、ヒグマに追いかけられ襲われた原因のひとつです。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の死傷者数や被害

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件によって亡くなったのは、リーダーだった竹末一敏さん当時20歳、興梠盛男さん当時19歳、河原吉孝さん当時18歳の3名です。

興梠さんは死の直前までメモを書いて残しており、そこには河原さんが襲われた時の状況や恐怖の感情、熊が見えることや出会ったこと、助けを待っていることなどが書かれていました。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件に関わったヒグマについて

福岡大学ワンダーフォーゲル部を襲ったのは、メスで比較的小さめなヒグマでした。

しかし、ヒグマは熊の中で凶暴性が強く、荷物を取られ、逃げるワンゲル部のメンバーのことを敵や獲物だと認識し、襲ったようです。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件のその後

この事件が起こった後は、北海道内でヒグマの目撃情報があった場所は立ち入り禁止になるようになりました。また、福岡大学ワンダーフォーゲル部は当時同好会でしたが、事件の2年後に部に昇格しています。

また、2013年には「奇跡体験アンビリーバボー知られざる海と山の恐怖大特集」でこの事件が取り扱われ、5人全員が実名で放送されました。

眠りを妨げられたヒグマ「札幌丘珠事件」

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札幌丘珠事件では、冬眠中だったヒグマが眠りを妨げられ、そのまま人々を襲ったという事件です。

獣害事件としては、日本史上4番目に大きな被害を出しています。

1878年に発生した日本史上4番目に被害の大きな獣害事件

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札幌丘珠事件は、1878年に発生した日本史上4番目に大きな獣害事件です。冬眠を理不尽な形で妨げられたヒグマが猟師や開拓民夫婦を襲い、3名の死者と2名の重傷者を出しました。

札幌丘珠事件の概要

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明治11年1月11日、札幌で漁師が円山と藻岩山の山間の冬ごもり中の熊を捕りに行きましたが、逆にこの熊に殺されてしまいます。

冬ごもりから起こされたヒグマは空腹のため札幌の町まで降りてきて、駆除隊から逃げ回り、丘殊に向かいました。

1月17日深夜に丘珠の堺さんの家に侵入し、堺さんと乳飲み子の長男を殺害しました。一緒にいた妻と雇われていた女性も熊に襲われ、重傷を負いました。

札幌丘珠事件発生の原因

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今回の事件は、冬眠中の熊を発見した猟師が熊を狩ろうと試みたものの、撃ち損ねてしまったことから冬眠から目覚めた熊が人を襲ったという事件です。

猟師が熊の冬眠を邪魔することがなければ、この事件が起こることはなかったでしょう。

札幌丘珠事件の死傷者数や被害

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札幌丘珠事件では、熊を狩りに行った猟師と堺倉吉さん、堺さんの長男留吉の3名が死亡し、堺さんの妻と雇われていた女性の2名が重傷を負いました。

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