【閲覧注意】熊事件は世界中で発生中!実際の事件と対策を解説! 芸能人

【閲覧注意】熊事件は世界中で発生中!実際の事件と対策を解説!

熊と言えば、アニメなどでかわいらしいイメージを持っている人も多いですが、実際のヒグマやツキノワグマは人を襲うこともあり、たくさんの事件が発生しています。今回は、熊が実際に起こした事件や出会った時の対処法、対策などをまとめてみました。

目次

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世界中で発生しているクマによる人身被害事件

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熊による人身被害事件は、日本だけでなく、世界中で多発しています。

熊による人身被害事件が起こるのには、人間の行動も事件の原因のひとつと考えられることもあります。

国内、海外問わず熊による人喰い事件が発生している

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熊の人喰い事件は、日本国内だけでなく、海外でも多発しています。

日本国内では最大規模の事件で、秋田県鹿角市で起きた人喰い熊の事件で、4人がツキノワグマに襲われ死亡し、駆除された熊の胃からは人の体の一部や毛髪が発見されました。

熊による事故が発生する原因とは?

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熊は基本的には穏やかでおとなしい性格で、くま園などでは子熊にも直接触れ合ことができます。

しかし、熊の学習能力は高く、専門家によれば、防御的に人を襲った時に人が楽に取れる獲物であることを学習していれば、繰り返し人を襲う可能性が十分にあるそうです。

人を襲うことを学習した熊がいる可能性がある以上、山にむやみに近づかない方がいいでしょう。

中には人間のうかつな行動が原因な事件も

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スイスの「ベア・パーク」では、男性が無断で熊の柵の中に入り、熊に襲われるという事件が起こりました。背後から熊に襲われ、男性は血まみれになっていました。

熊の柵に10分間ほど座り込んだフィンランド人男性がその後柵から飛び降り、熊に襲われました。すぐに警察が駆け付け、熊に発砲し麻酔銃を打ち込んで、男性は熊から解放されました。

男性は命に別状はありませんでしたが、人に買われているクマだからとうかつな行動が、このような事故を起こしました。

昨今、熊による人身被害は増加傾向にある

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熊はもともと臆病な性格をしているため、これまでは人里から離れた産地に生息していて、人に出会う可能性の高い農耕地や里山には降りてきませんでした。

しかし、過疎化や高齢化によって濃厚に使われなくなった破棄地が増え、手入れがされなくなったため荒廃し、エサを求め入りやすくなったため、熊が降りてくることが増えました。

また、熊の生息地も拡大していて、市街地や農耕地のすぐ近くまで迫っています。そのため、人と熊が出会うことも増え、熊による人身被害も増加しています。

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一言で熊と言っても、熊には様々は種類があり、種類ごとに少しずつ違った特徴を持っています。

日本に生息している野生の熊は、北海道に住むヒグマ、本州などに住むツキノワグマの2種類です。

ヒグマ

ヒグマの体長は約2.0~2.5m、体重は100~250㎏と巨大な体を持っており、石油缶をも軽く潰し穴をあけるほどの鋭い爪を持っています。

虎よりも大きく人間の骨さえも簡単にかみ砕くあごの力を持っていて、張り手で人間の首をも吹き飛ばすことができます。走る速度も非常に早く、なんと時速40~60km喪の速さがあります。

好奇心と執着心が強いため、一度興味を持ったものを持ち続けていると、ヒグマはいつまでも追いかけてきます。また、臆病でもあるため、激しい動きをすると攻撃されたと勘違いし、襲ってくることがあります。

ツキノワグマ

ツキノワグマの体長は1.0~1.8m、体重は50~150㎏と熊の中では比較的小柄で、胸には大きな三日月型の模様が入っているのが特徴です。基本的には植物を食べ、ドングリやブナなどを食べています。

しかし、ツキノワグマは雑食性なので、人の出したごみを食べるために人里に下りてくることがあります。そこで人に出会い事故が起こることが多く、最近では問題となっています。

臆病で好戦的ではありませんが、自分に危機を感じると人を襲うこともあるので、出会わないようにするのが最善ですまた、。走る速度は時速50kmを超えるので、背中を向けて逃げるのは危険です。

マレーグマ

まれーぐまの体長は1.0~1.5m、体重は25~65㎏と、クマの中でも最小種です。日本には住んでおらず、マレー半島、スマトラ半島、ポルネオ島の森林地帯に生息しています。

性格は非常に大人しく、主に植物た昆虫を食べて生活しています。虫を食べやすいようしたが非常に長く、木の上で多くの時間を過ごしています。

北極熊

北極熊は野生では、北アメリカ大陸北部、ユーラシア大陸北部、北極圏などに生息しています。体長は1.8~2.5m、体重はメスで200~350㎏、オスで400~600㎏と、非常に大きいです。

全身の毛が白いことから白熊とも呼ばれ、耳が小さく寒冷地に適応した体勢になっています。熊の中でも肉食性が強く、歯が特殊でアザラシや魚類、鳥類などや、イルカ、クジラなどの死骸、植物も食べます。

地球温暖化のため生息地が少なくなり、食料を求め人間の居住区にまで侵入してくることが増えてきています。

日本最大の獣害事件「三毛別熊事件」

1915年、日本最大の獣害事件となって長く語り継がれる、「三毛別熊事件」が起こりました。村全体を恐怖に陥れ、多くの被害を出しました。

見たこともないほどの巨大なヒグマが人々を襲い食い、射殺によって事態は収束しました。

1915年に北海道で発生し開拓民が襲われた

日本最大の獣害事件ともいわれる三毛別熊事件は、1915年に北海道の留萌管内苫前村三毛別六線沢の開拓集落で起こった熊の連続襲撃事件です。

「苫前村三毛別事件」とも呼ばれています。それまでは事件現場まで熊がでてくることは滅多になく、本来であれば、事件当時は雪も増えい始め、熊は冬眠している時期でした。

一度事件の少し前の時期にトウモロコシを熊が3回荒らしに来たことがあり、狩人が発砲しましたが、傷を負わせただけで逃げられました。

三毛別熊事件の概要

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日本最大に獣害事件、三毛別熊事件の概要は以下の通りです。

12月9日太田家

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三毛別熊事件は、最初に太田家がクマに襲われ、預けられていた6歳の子供の遺体が見つかりました。

当主の太田三郎は氷橋のための桁材を取りに出かけ、家には6歳の少年蓮見幹雄と、三郎の内縁の妻の阿部マユが残されていました。

妻のマユは、熊に捕まり、引きずって連れらていかれていました。

12月10日捜索

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太田家の襲撃後、早朝から捜索隊が熊の足跡を追跡し、森の中を150mほど進んだところで、巨大なヒグマに出会いました。5丁の内1丁だけが発砲できましたが、熊には逃げられました。

熊に出会った周囲を捜索すると、トドマツの下に埋められたマユの遺体を発見しました。マユは、ひざ下の足と頭部以外は食害された状態でした。

熊が遺体を雪の下に隠そうとしたのは、保存食にするためだったと考えられています。

12月10日太田家

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夜になると幹雄の両親とその知人3名が到着し、幹雄とマユの通夜が行われていました。しかし、人々は熊の襲撃を恐れ、9人しか参加していませんでした。

午後8時ごろ、居間の壁が大きな音とともに崩れ、熊が乱入してきました。熊は棺桶を打ち返し停滞をバラバラにしていました。

野菜置き場や便所に人々は隠れたため、人々は無事でしたが、念のため明景家に退避しました。

12月10日明景家

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太田家が襲撃されていたころ、明景家には10人が避難してきていて、護衛は近隣に食事に出かけていたり、太田家へ出動していたため、男手が1人だけでした。

太田家を襲ったヒグマは午後9時ごろに明景家を襲い、明景金蔵3歳と春義3歳を一撃で撲殺、巌6歳と妊娠していたタケを食い、退治を含めた5人を死亡させました。

他にも3人が重傷を負い、そのうちの1名は3年後に亡くなりました。

12月12日討伐隊

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ヒグマの襲撃事件は北海道庁にも連絡がいいき、北海道警察部保安課から羽幌分署長の菅貢により、討伐隊が結成されました。

ヒグマは獲物を取り戻そうとする傾向があるため、遺体をエサに熊をおびき寄せる作戦が決行されました。熊は家の近くまでは近寄ってきたものの、気配を察知して、森へ引き返していきました。

12月13日、12月14日

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熊は無人になった農家のニワトリや保存食を荒らしていましたが、なかなか発見には至らず、氷橋で撃ち手を手配し、警戒しました。橋で警備していた一人が対岸に熊を発見し、発砲すると闇に姿を消しました。

翌日ヒグマの足跡と血痕を見つけた調査隊は、討伐隊200人と腕利きの漁師山本兵吉を差し向けました。討伐隊と別れた山本兵吉が大木の下にいるヒグマを見つけ、胸と頭に発砲し命中させ、射殺しました。

三毛別熊事件発生の原因

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とても大きな被害を残した三毛別熊事件ですが、人間が居住区を開拓していくなあで、野生動物との活動範囲が重なったことが原因であると言及されています。

人類が自然を破壊し侵したことが、この事件につながったのかもしれません。

また、ヒグマは一度人の味を覚えてしまったため、人を得ものだと判断し、繰り返し人を襲ったのでしょう。

三毛別熊事件の死傷者は?被害は?

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三毛別熊事件では、太田家では子供1人と女性1人が、明景家でも子供3人と女性1人、胎児1人の合計7人が犠牲となっています。

太田家、明景家も当時男性はほとんどおらず、このヒグマは女性や子供ばかりの家を襲っていました。狙いやすい人間や家を選んで、標的にしていたのかもしれません。

当事件のヒグマについて

三毛別熊事件で人々を襲ったヒグマは推定7、8歳のオスで、体長は2.7m、体重は340㎏もありました。前脚の手のひらは20㎝、後脚は30㎝もあり、非常に巨大であることがわかります。

通常はこの事件が起こった時期ヒグマは「冬ごもり」をするのですが、穴持たずという冬ごもりに失敗したヒグマだといわれており、人里に降りて食料を探していたと考えられます。

また、冬眠の時期には食料も少なくなるため、空腹のあまり狂暴性が増したとも考えられます。

三毛別熊事件のその後

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明景家でのヒグマの襲撃によって、生き残った者もいましたが、3名は重傷を受けていました。

ヤヨは頭部に傷を負いながらも順調に回復しましたが、明景梅吉は背負われったまま噛みつかれた後遺症に苦しみ、2年8か月後に傷が元で死亡しました。

村人はこの事件で恐怖心を植え付けられ、徐々に村を去り、下流の辻家を除いて無人の地と化しました。現在では、三毛別熊事件復元地となり、事件を忘れないための観光地となっています。

闇の向こうからの念仏「石狩沼田幌新事件」

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1923年に起こった石狩沼田幌事件では、獣害事件では日本史上2番目となる被害を出しました。

死者、重傷者合わせて8名の被害を出しています。

1923年、祭り帰りの一団をヒグマが襲った事件

1923年8月21日に起こった日本史上2番目の獣害事件で、夏祭りを楽しみに出かけていた住民たちがヒグマに襲われた事件です。

民家に逃げ込んだ後もヒグマは執拗に人を襲い、最終的に5名の死者と3名の重症者がでました。

青年の1人は生きたまま土中に埋められたリ、老人は山中に引きずり込まれ食害されるなどの残虐な行為がありました。

石狩沼田幌新事件の概要

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1923年の石狩沼田幌新事件の概要は、以下の通りです。

8月21日

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祭りは午後11時半頃にお開きとなり、帰宅途中の19歳だった林謙三郎の前に突然巨大なヒグマが現れ、背後から襲いました。

彼は脱出に成功しましたが、一団の先頭を歩いていた村田幸次郎15歳を撲殺し、兄の与四郎さん18歳に重傷を負わせ、生きたまま土中に埋めました。

闇の中の念仏

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一団は現場から300mほどの持地乙松宅に逃げ込み、ヒグマに立ち向かう準備を整えます。30分後くらいにヒグマが幸次郎の遺体を食べながら現れ、玄関の戸を押し倒し、侵入しました。

村田三太郎54歳は熊に立ち向かったものの重傷を負い、熊は三太郎の妻のウメ56歳をくわえて家を出ていきます。ウメの助けを求める声が2、3度聞こえた後、暗闇の中からかすかに念仏が何度も聞こえてきました。

8月22日、23日

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近隣の藪の中で下半身をすべて熊に喰われたウメの遺体が発見され、土の中に埋められた与四郎も見つかりました。与四郎はまだ生きていましたが、病院に贈られたのち容態が悪化し、後日死亡しました。

23日には熊宇内名人の砂澤友太郎ら3人のアイヌの狩人が応援に駆け付けました。

その内の1人の長江政太郎は凶悪なヒグマの話を聞いて怒り、単身でヒグマ退治に山中に乗り込んだものの、数発の銃声を響かせ福栄不明となりました。

8月24日

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24日には在郷軍人、消防団、青年団など総勢300人ほどの応援部隊が札幌新築に到着し、幌新、恵比島の60歳未満の男子が残らず出動し、ヒグマ討伐部隊が結成されました。

しかし、ヒグマは山に入ってすぐに現れ、討伐隊の最後尾にいた上野由松が一撃で撲殺されました。折笹徳治にも重傷を負わせ、その後軍人が放った銃弾が命中し、鉄砲隊の一斉射撃により射殺されました。

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