ヒンターカイフェック事件の概要まとめ!犯人は誰?事件の真相は? 社会

ヒンターカイフェック事件の概要まとめ!犯人は誰?事件の真相は?

目次

[表示]

シュリッテンバウアーは無くなっていたはずの鍵を使用した?

weinstock / Pixabay

4人の遺体を発見し、シュリッテンバウアー以外の人達は怯えてしまいました。そして彼に「自分たちは一旦外に出るから、納屋の中の通路から母屋に行って、中から鍵を開けてくれ」と頼んだのです。

シュリッテンバウアーはそこで母屋の玄関に向かい、内側から鍵を開けました。彼が母屋の鍵を持っていたことについての警察の聴取に、彼は「鍵は玄関の内側に置いてあった」と主張しています。

しかしその鍵は実は、事件の数日前にアンドレアスが紛失したと言っていた鍵だったのです。それなのになぜ鍵が玄関の近くにあったのでしょうか。

シュリッテンバウアーの供述には不可解なものが多かった?

28703 / Pixabay

4月6日~7日の検視時に、納屋の梁から床まで下がる藁縄が発見されました。第一発見者の1人は、首吊りを警戒していたので遺体発見時にはなかったと断言、遺体を運んだ人も遺体発見時はなかったと供述しました。

しかしシュリッテンバウアーは、犯人が屋根裏から降りるときに使ったものだと供述しており、遺体発見時に藁縄があったことを匂わせています。また彼は、犯人が遺体を埋めようとした穴があったとも言っています。

これは警察も把握していなかったことでした。また、雪の上にあった謎の足跡についても、彼だけが2人分あったと主張するなど不可解な供述が多かったのですが、証拠不十分で逮捕はされませんでした。

ヒンターカイフェック事件のその後は?

MIH83 / Pixabay

数多くの人から証言を得ても、なかなか事件の解決には結びつきませんでした。結局事件はどうなっていったのか、その後の経過を見てみましょう。

被害者6名はヴァイトホーフェンの墓地に埋葬され慰霊碑も建てられた

malsawm / Pixabay

遺体発見の4日後の4月8日、6人の遺体は棺に納められました。頭部はニュルンベルクの霊媒師のところに送ってしまったので、首がないままでした。

埋葬されたのは、6人が毎週日曜にミサに通い、ヴィクトリアが聖歌隊に入っていたヴァイトホーヘンの教会の墓地です。埋葬には3,000人以上もの人が参列したと言われ、慰霊碑も建てられました。

ニュルンベルクに送られた頭部は第二次世界大戦の混乱で消失

icheinfach / Pixabay

被害者6名の頭部は、そこから何も情報を引き出せずニュルンベルクの霊媒師のところに送られたままになっていました。そして第二次世界大戦の混乱の中、どこかに消失してしまったのです。

農場・ヒンターカイフェックは事件翌年に取り壊された

Free-Photos / Pixabay

そして事件翌年の1923年2月~3月にかけて、農場の建物は取り壊されました。農場を引き継いだのはガブリエル家で、農場の相続権は手に入れたものの、彼らは建物を必要としなかったのでした。

法廷ではグルーバー家の遺族たちに相続権を認めていたのですが、法廷外でグルーバー家とガブリエル家で話し合いが行われたそうです。グルーバー家は相続を放棄し、代わりにガブリエル家から金銭を得たのでした。

取り壊しの際、凶器とみられるつるはしが見つかった?

そしてその取り壊しの際に、凶器とみられるつるはしが見つかったのです。つるはしは台所の屋根裏の床下から発見されました。

つるはしには血と、人間の髪の毛がついていましたが、犯人の指紋は検出されなかったのです。つるはしの他に、これも凶器と思われる血のついたナイフと鉄の輪が見つかりました。

その後も捜査が続けられたものの未解決事件へ

brenkee / Pixabay

1986年には、殺されたツェツィーリア(ヴィクトリアの娘)の同級生だった女性に聴取が行われました。しかし何も得るものもなく、ヒンターカイフェック事件は未解決となったのです。

ドイツ警察学校の生徒が独自で調査を行っていた

3844328 / Pixabay

2007年、ドイツの警察学校の生徒達が、ヒンターカイフェック事件の解明を試みたことがありました。多くの資料が消失していることや、事件の関係者が亡くなっていることで完全な解決までには至っていません。

最重要容疑者の名前が伏せられていた?誰だったのか

Pexels / Pixabay

しかし警察学校の生徒達は分析の結果、「最重要容疑者」を特定したと言います。とは言え容疑者の親族の名誉に関わるため、名前を公表することはありませんでした。それはいったい誰だったのでしょうか。

現在でもドイツ犯罪最大のミステリーを解明しようとしている人は多い

Didgeman / Pixabay

結局未解決に終わってしまったヒンターカイフェック事件ですが、現代でもその謎を解き明かそうとしている人は多いです。ドイツでは専門のサイトがあり、膨大な資料がそこに集められています。

そして今でも事件に関するノンフィクション・フィクションの本が出版されているのです。これからも人々は、ヒンターカイフェック事件の謎に挑み続けることでしょう。

ヒンターカイフェック事件を元にした作品

scartmyart / Pixabay

ヒンターカイフェック事件を元にしたフィクションはいくつかありますが、中でも有名なのは「凍える森」です。映画にもなったこの本は、どういった内容だったのでしょうか?

2006年出版の小説「凍える森」がヒンターカイフェック事件を題材に

事件を元にした小説「凍える森」は2006年ドイツで出版され、12万部の大ヒットとなりました。著者はドイツの作家、アンドレア・M・シェンケルです。日本では2007年、集英社文庫から発売されています。

ドイツミステリー大賞を受賞し2009年には映画化

Derks24 / Pixabay

「凍える森」は2007年度には、ドイツミステリー大賞で国内スリラー部門及びグラウザー賞新人賞を受賞しています。そして2009年には映画化もされているのです(日本では未公開)。

小説「凍える森」では作者の独自の視点で犯人を書き出している

DarkWorkX / Pixabay

実際に事件が起きたのは1920年代ですが、小説では1950年代(第二次世界大戦後)に変更されています。第二次大戦当時の政治情勢などと絡めてあり、そうした視点でも読める本です。

小説では、インタビューでの村人の証言を元に話は進んでいき、最後にはちょっと驚くような仕掛けがしてあります。そして作者独自の視点で犯人を描き出しているのです。

ヒンターカイフェック事件のような未解決事件

geralt / Pixabay

世界には、ヒンターカイフェック事件のように未解決の事件が多くあります。その中からいくつかご紹介してみますね。

世田谷一家殺害事件

MichaelGaida / Pixabay

世田谷一家殺害事件は、2000年に一家4人が殺害された事件です。12月30~31日にかけて、被害者の自宅で父(当時44歳)、母(当時41歳)、長女(当時8歳)、長男(当時6歳)が殺されました。

犯人は殺害後、被害者宅で飲み食いし、パソコンを使うなどの異常な行動に出ています。一家全員を殺害し事件現場で飲食するなど、ヒンターカイフェック事件と似た点が多い未解決事件です。

ジョンベネ殺害事件

ジョンベネ殺害事件は、1996年12月26日、自宅の地下室から当時6歳のジョンベネ・パトリシア・ラムジーの遺体が見つかった事件です。誘拐を匂わせるメモがあったのに、自宅に遺体があったのです。

DNA鑑定がなされ、両親を始め隣人や元家庭教師、服役中の囚人などが取り調べを受けましたが、証拠不十分で逮捕には至っていません。この事件は未だ、捜査が続けられています。

ウォーレス事件

PgmJanssen / Pixabay

これは1931年イギリスで、保険外交員ウォーレスの妻ジュリアが殺害された事件です。趣味のチェス協会にかかってきた電話や存在しない住所、盗まれたのは4ポンドのみなど謎が多いことで有名です。

この事件では真っ先に夫のウォーレスが疑われましたが、証拠不十分で無罪となっています。しかしウォーレスは誹謗中傷などに悩まされ、事件の2年後に腎臓疾患で亡くなりました。

フィレンツェ怪物事件

sopwithxiii1918 / Pixabay

この事件は1968~1985年にかけて(81~85年には毎年)、フィレンツェで連続して起こった殺人事件です。事件の特徴は、夏場にカップルが狙われること、射殺されていることなどです。

また女性被害者へはめった刺しにしたり、性器を切り取るなどの異常な犯行が目立ちます。逮捕された一人は誤審であることが判明、他の人も係争中に死亡したり決定的な証拠がなく、未解決のままです。

ボドム湖殺人事件

SplitShire / Pixabay

これは1960年、フィンランドのボドム湖で3人の若者が殺害され、1人は重傷を負った事件です。最初に犯人と思われた人物は、自分が犯人であることを書き残して自殺してしまいます。

後にある医師が、自分が診察したKGBの諜報員が犯人だと言い出しますが、警察はアリバイを主張。そして生き残った1人が疑われ裁判にかけられたものの、無罪が確定し、今でも犯人は不明となっています。

日本で起こった未解決事件

MasashiWakui / Pixabay

ここでは、世田谷一家殺害事件以外の日本での未解決事件をご紹介します。中には有名な事件もあるので、ご存知の方も多いかもしれませんね。

日本テレビ郵便爆弾事件

jackmac34 / Pixabay

これは1994年の12月、日本テレビに爆弾が送られてきた事件です。郵便物(女優の安達祐実さん宛)が爆発し、一人が左手の親指を失い、一人が軽い怪我を負いました。

郵便物は12月18~19日の間に芝局内のポストに投函されたことが分かっています。しかし犯人につながる情報は得られず、2009年12月に当時は15年だった時効が成立してしまいました。

警察庁長官狙撃事件

Free-Photos / Pixabay

これは、警察庁長官が1995年3月30日に狙撃された事件です。当時の警察庁長官の國松孝次さんが出勤しようとしたところ、自宅前で狙撃されました。國松さんは腹部に3発の銃弾を受けてしまったのです。

國松さんは重傷にはなったものの、一命をとりとめることができました。犯人はオウム真理教説や強盗殺人未遂犯説などがありましたが、2010年に時効を迎えてしまいました。

北海道神宮放火事件

igorovsyannykov / Pixabay

北海道神宮放火事件は、1974年11月10日に起きた事件です。21時40分頃火災が発生し、御神体以外はすべて焼失しました。人が侵入した形跡があり周囲には火の気がなかったため、放火と確定。

翌々日、北海道新聞にアイヌモシリという人物から届いた犯行声明では、神宮はアイヌの神を冒涜するもので、アイヌに関するテロの犯人釈放を要求するとありました。この事件も未だ未解決となっています。

ヒンターカイフェック事件の謎を解くのは誰?

8470024 / Pixabay

ヒンターカイフェック事件は、閉鎖的な村・近親相姦・犯人の異常な行動・オカルティックな捜査方法など多くの注目されやすい要素がありました。そのため様々な推理がされましたが、未だ解決していません。

これからも人々は事件の真相解明へ向けて、取り組んでいくことでしょう。もしかしたらその謎を解くのは、この記事を読んでいるあなたかもしれませんね。

3/3