ヒンターカイフェック事件の概要まとめ!犯人は誰?事件の真相は? 社会

ヒンターカイフェック事件の概要まとめ!犯人は誰?事件の真相は?

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ヒンターカイフェック事件の捜査で分かったことは?

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ここまで、ヒンターカイフェック事件の主要人物や時系列についてお伝えしてきました。ここからは事件発覚後、どのように捜査が行われ、何が分かったのかを解説していきたいと思います。

納屋の屋根裏には藁が敷かれていた

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警察は納屋の屋根裏を捜索しますが、犯人の姿はもちろんありませんでした。しかし床には、通常敷く必要のない藁が敷かれていたのです。藁を敷いたのは、犯人が足音を消すためだと見られています。

犯人が寝ていた跡もあった

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また敷かれた藁の一部にはくぼみがありました。そのくぼみは人が横たわったときにつくような形だったのです。

そのため犯人がそこで寝ていたのではないかと言われています。くぼみが2つあったとの証言もありますが、はっきりした資料は残されていません。

敷地の様子が一望できるよう屋根瓦が数枚外されていた

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警察の捜査によって、母屋と納屋の屋根の一部の瓦がずらされていることも分かりました。瓦をずらすことによって、下の人の中庭への出入りを見渡すことができたのです。

また、瓦をずらすとその下に一部重なっている瓦が露出しますが、その部分は新品同様だったそうです。外気にさらされている瓦は色褪せていたことから、ずらしてからそう時間が経っていないと見られました。

霊能調査のため、被害者らの頭部をニュルンベルクに送付

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検視が終わると警察は、被害者の頭部を切り離し、ミュンヘン大学の病理学研究室に送って標本の形に処置しました。その後、その頭部の標本をニュルンベルクの3人の女性霊媒師の元に送ったのです。

今では考えられないことですが、当時はオカルトを利用した捜査が当たり前に行われていました。しかし結局、その霊能捜査で得るものはなかったのです。

長女のツェツィーリアは犯人の襲撃後しばらく生存していた?

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ところで検視の結果、ヴィクトリアの長女のツェツィーリアは、襲撃された後2~3時間は生きていたのではないかと推測されています。そう推測されるのにはいくつかの理由があります。

まず、彼女の頭から髪がむしり取られた形跡があり、それが彼女の右手に握られていたこと。次に彼女の首には、血で線がついており、それは明らかに彼女の血のついた指でつけられたものだったのです。

つまりツェツィーリアは襲撃後に即死せず、苦しんでいたのです。検視の結論は、もっと早く見つかっていれば助かったかもしれないというものでした。

地域の教会の主任司祭が懺悔を通して何か知っているのではという説もあった

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ところで、ヒンターカイフェック農場の地域では、カトリックが大きな勢力を持っていました。そのため懺悔室で司祭に罪を告白することがあり、そうした方向からも捜査されましたが、成果はありませんでした。

捜査には懸賞金もかけられたが有力情報はなかった

警察は事件発覚の4日後、4月8日には事件についての有力な情報に対して、10万マルクの懸賞金を掛けています。しかし百人を超える人を取り調べたにも関わらず、事件につながる情報は得られませんでした。

懸賞金を上げるも村人たちが協力的ではなかったのは警察にも原因があった

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情報が得られないため、その後懸賞金は50万円にまで引き上げられました。しかし有力な情報は集まらなかったのです。

この理由の一つには、村の人達が協力的でなかったことがあります。これは、警察が取り調べの際に横柄で無礼な態度をとったことや、村の人間の閉鎖的でよそ者を受け入れない体質が原因だと言われています。

叫び声がまったく届かないことが判明

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また、当時の司法委員会はグルーバー家で、ある実験を行いました。それは「叫び声がどれくらい聞こえるのか」というものでした。実験は判事が指揮を執って行われています。

その実験は、納屋の飼料置き場(4人の遺体の発見場所)と家族の寝室とメイド室にそれぞれ人を置き、決められた時間に叫ぶ、というものです。結果、どちらにも全く声は届かなかったのです。

戦死したと言われていたヴィクトリアの夫カール・ガブリエルも疑われた

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ヴィクトリアの夫、カール・ガブリエルは第一次世界大戦で1914年12月に塹壕の中で戦死したとされていました。しかし遺体を確認し埋めたという証言は得られたものの、遺体の確認ができていなかったのです。

そのため、カールは実は生きていて、この事件の犯人だったのではないかとも疑われました。しかし実際には戦没者墓地に埋葬されたことが、近年の調査でわかっています。

当時は100名以上の容疑者が浮かんでいた

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ヒンターカイフェック事件では、100名以上もの容疑者が捜査線上に浮かんでいました。グルーバー家と不仲な村人は多くいましたが、それでも決め手となる犯人の証拠は見つからなかったのです。

事件当時の時代背景は?

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この事件当時、ドイツは第一次世界大戦で敗れ、多額の賠償金を背負い、戦時中に発行した公債や軍人の復員費等々の出費が膨らんでいました。そしてドイツ政府は紙幣を乱発することでしのごうとしたのです。

また、事件の翌年にはベルギーとフランスに、国の経済的中心地であるルール地方を軍事占拠されてしまいます。政情は不安定になり、ストライキや暴動が頻発しました。

この年には紙幣乱発のつけが回り、パン1個が1兆マルクとなるハイパーインフレーションも始まっています。こうした情勢の中、捜査は困難を極めたのです。

第二次世界大戦により1955年に捜査は打ち切りに

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有力な情報が見つからないまま、ハイパーインフレーションの混乱の後1930年には世界恐慌が起こり、ドイツ経済は壊滅的な打撃を受けます。そんな中アドルフ・ヒトラーは1933年、首相に任命されるのです。

ヒトラーの軍事行動によって、1939年には第二次世界大戦に突入します。ドイツ国内も戦場となったため事件の書類は紛失・焼失、1945年に戦争は終結しましたが、捜査は1955年に一旦打ち切られました。

ヒンターカイフェック事件の不可解な点

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ヒンターカイフェック事件が有名になったのには、未解決であるだけでなく不可解な点が多いのもその一因としてあります。ここでは、どんな謎があるのかを見てみましょう。

事件の2~3日前、アンドレアスは不審な足跡を発見していた

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アンドレアスは、事件の2~3日前に近所の村人に、不審な足跡があったことを話していました。誰のものか分からない足跡が森から農場まで雪の上に見つかったが、それが農場から戻った形跡はなかったというのです。

農場内に見慣れない新聞紙があったり鍵が紛失したりしていた

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それに加えて、見慣れない新聞が農場内にあったことも、アンドレアスは話していました。また、農場の鍵が事件の前にいくつかなくなっていましたが、なぜかアンドレアスは警察に届け出ませんでした。

屋根裏から謎の足音が聞こえていた

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そして屋根裏からは誰かの足音がしていたと言います。その足音はずっと続いたため、アンドレアスは意を決して屋根裏を捜索しますが、どういうわけか誰もいなかったのです。

屋根裏を捜索した次の日の3月31日、アンドレアスとヴィクトリアは買い物に出かけます。そしてアンドレアスは、シュローベンハウゼンの金物屋で昨夜の足音の話をしていたそうです。

ヴィクトリアもまた、違う店で足音の話をしていたとの証言もありました。この日はヒンターカイフェック事件が起きた当日で、この後2人は家に帰り、殺害されたことになります。

遺体発見時牛が一頭放たれていた

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「牛が一頭放たれていた」のも気になる点の一つです。実はこの地方では、ある強盗団が問題になっていました。その強盗団のやり口は、家畜小屋の家畜を解き放ち騒ぎを起こすことから始まります。

その騒ぎで家畜小屋におびき寄せた家人を殴り殺し、金品を強奪するのです。しかし事件当時は強盗団のほとんどは逮捕や内部分裂で生き残っておらず、一人だけ生き残っていた者もアリバイが証明されています。

そのため牛については、それを模した犯行や、強盗団の仕業に見せかけるための偽装との見方が強いです。また、事件の前日にも農場で牛が放たれる騒ぎがあり、犯人の予行演習だったのではとの憶測もあります。

カレンダーと新聞と郵便物の謎

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台所の窓には、4月3日に配達された新聞と、郵便物1~2通が挟まっていました。事件が起きたのは3月31日の夕方~4月1日未明ですから、新聞は1日~4日までの4日分あるはずです。

しかしこの地方では新聞の発行日が火木土、配達が月水金だったのです。そのため、新聞は4月3日(月)に配達されたもののみでした。3月31日(金)の新聞があったという噂は、配達人が否定しています。

また、台所にあった日めくりカレンダーは4月1日となっていました。家人が3月31日深夜にめくったのか、犯人がいる間にめくったのかは分かりません。

事件の6ヶ月前に辞めた使用人は「農場は何かにとり憑かれている」と言っていた

ところで、この事件の当日に新しいメイドとしてマリアが到着していますが、これは前任のメイドが6ヶ月前に辞めていたからです。辞めた理由は、「農場は何かにとり憑かれている」というものでした。

しかしこのメイドは当時、2人の素行の悪い男に言い寄られており、うち1人は断ると「殺してやる」と言ったとの証言があります。実際にはこちらが辞めた理由だったのかもしれません。

ヴィクトリアは事件の少し前に多額の献金を教会の懺悔室に置いていった

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事件より10数日ほど前の3月17日ごろ、ヴァイトホーフェンの教会の懺悔室に、700金マルクの献金が置かれていました。それを見つけた神父は、裕福なグルーバー家のだれかが置いたのではと考えました。

そしてヴィクトリアにそのことを尋ねると、彼女はしばらく黙っていましたが、やがて置いたのが自分だと認めたと言います。そして、慈善活動に使ってくれるように言ったのだそうです。

しかしヴィクトリアはけちで有名で、なぜお金を置いたのかは謎です。また、この話の出所の人物の記述には間違ったものが多く、これが本当の話かどうかはよく分かっていません。

物盗りの犯行と思われていたが多額の現金が見つかった

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警察は物盗りの犯行の線でも捜査を進めていました。村人は、屋敷内には10万マルクはあったのではないかと話していましたが、5マルク札一枚以外のお札はすべてなくなっていたのです。

しかしそれ以外の金品、宝石や金製品など貴金属類、金貨・銀貨、有価証券などは見えるところにあったにもかかわらずそのままでした。そのため、物取りの犯行とも断定しにくくなっていたのです。

犯人は事件後も農場に留まっていた

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犯人はなぜか、事件の後もしばらく農場に留まっていた形跡があります。事件から数日経った4月4日に農場を訪れた修理工は、勝手に入り込んで修理をしていましたが、そこで怪しい物音を耳にしたそうです。

また、そのとき犬が南側の玄関の近くにつながれ、吠えていたことを修理工は証言しました。しかし遺体発見時に犬は畜舎内につながれ、顔の右目あたりを怪我していたのです。

犯人が寝泊まりをしていた形跡があり家畜に餌やりをしていた可能性もある

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さらに、犯人がそこで食事をしていたのではないか、との証言もあります。藁のくぼみの近くには、燻製肉の食べかすが残っていたそうです。違う人の証言では、くぼみの近くに人の排せつ物があったとも言います。

台所の屋根裏につるしてあった燻製肉の一つが、半分くらい切り取られていましたが、それをしたのが家人なのか犯人なのかは分かりません。また犯人は家畜に餌を与えていたという説もあります。

しかしそれは、空腹になると家畜が騒ぎ出すから餌を与えていたのではないかという「推測」によるものです。犯人が搾乳をしたとの説も、事件を発見した村人がした可能性が指摘されています。

農場の煙突からは週末も煙が出ていた

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事件後丸1日経った4月1日(土)の深夜、大工がヒンターカイフェック農場脇の道を通ったときに、煙が出ていたという証言もあります。煙は母屋ではなく、パン焼き小屋から出ていました。

鼻をつくような何かを焼く匂いがし、扉の隙間からパン焼き竃の火が見えたので大工は立ち止ったそうです。すると中から大柄な人物が現れ、懐中電灯で大工の顔を照らし、近づいてきたのだと言います。

逆光で相手の顔は見えず、相手はそのまま何も言わずに戻っていったそうです。大工は怖くなり、その場から走って逃げたのだそうですが、これは犯人が何かを焼いていたとも推測されています。

ヒンターカイフェック事件の犯人を推理!真相を解明!

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謎が謎を呼ぶヒンターカイフェック事件ですが、ここで犯人を推理し、真相解明にチャレンジしてみましょう!誰が最重要の容疑者なのでしょうか?

犯人は顔見知りだった?

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前述した通り、アンドレアスはけちで人付き合いが悪く、近親相姦の噂もあったことから村の人達から厭われていました。そのためトラブルもよく起きており、恨みをもった者もいた可能性が高いです。

また農繁期に前科者や浮浪者などを安く雇い、酷使していました。そのためそうしたごろつきの顔見知りが多く、そうした人達が犯人だった可能性もあります。

それと亡くなっていたヴィクトリアの夫のカールも、犯人として名前をあげられていました。彼が実は生きていたという説が、まことしやかに流れたのです。しかしこの説には、信ぴょう性はありませんでした。

犯人は、ヨーゼフの戸籍上の父親・シュリッテンバウアー?

ローレンツ・シュリッテンバウアーは、農場から500mほど離れた土地に住む男で、ヴィクトリアに言い寄られていた人物です。ヴィクトリアより13歳年上で、妻がいましたが1918年に亡くなっています。

ヴィクトリアの夫カールも戦死していたため、二人は良い仲になったのです。しかしアンドレアスには、近親相姦で妊娠した子(ヨーゼフ)をシュリッテンバウアーの子として認知させる思惑があったと言います。

そのため結婚はせずに子供だけ認知しろと言われ、一旦は拒否したものの、後に彼はなぜか急に認知しました。しかしこの件と養育費のことで何度か裁判沙汰を起こしており、殺害の動機はあったと言えます。

シュリッテンバウアーは事件の第一発見者の一人だった

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シュリッテンバウアーは事件の第一発見者の一人です。修理工からグルーバー家に人気がないことを聞き、近所の男性二人と自分の息子二人を連れて現場に行きました。

彼らはまず、納屋で4人の遺体を発見しました。その後シュリッテンバウアーは、あれほど認知や養育費でごたついたヨーゼフについて、俺の息子はどこだと叫びながら母屋に向かおうとしたと言うのです。

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