宇都宮病院事件とは?精神病棟で起きた事件の背景と病院のその後

宇都宮病院事件は日本だけではなく世界に大きな衝撃を与えた事件です。新聞記事となり世間に公にされた事件は2chなどでも話題になりました。事件をモデルとして書かれた「レベル7」という小説も話題になっています。事件の背景や病院の情報をまとめました。

宇都宮病院事件とは?

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宇都宮病院事件は1983年に栃木県宇都宮市の精神病院で起きた事件です。事件を起こした病院の名前は精神科病院報徳会宇都宮病院と言い、他の病院で断られるような症状の患者も受け入れていた大きな病院です。

精神を患っている患者の最後の砦とされていたような病院だったのですが、その内情は凄惨なもので職員は患者の事をまともに扱ってはいませんでした。

宇都宮病院では患者に対して職員による虐待が日常的に行われており、暴力を振るわれた結果死に至った患者もいました。他にも様々な犯罪を行っていたのですが、最終的に告発され事件が公にされました。

栃木県宇都宮市の病院で患者2名が看護師らの暴行により死亡

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宇都宮病院では看護職員の暴力によって2名の患者が死亡しました。1人目は1983年4月に殺害されており、2人目は同年の12月に殺されました。

1人目の患者が殺されるきっかけとなったのは些細な愚痴で、食事に対する不満を述べたというものです。愚痴を言った患者は、看護職員によって20分にも渡る暴力を受け、それが原因でおよそ4時間後に死亡しました。

2人目の被害者となった患者は、見舞いに来ていた知り合いに病院の内情を知らせたという理由で暴力を受け、その翌日に死亡しました。

精神病院ゆえの閉鎖性?患者の死亡事故は公にされなかった

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患者2人が暴力によって殺害された事は、病院側が隠蔽し公にはされませんでした。精神病院という患者が外出する機会も少なく、身内も頻繁に来るような場所では無かった事から、世間には隠されたままとなりました。

宇都宮病院では患者が外部へ連絡をとる手段がなく、面会も禁止されている場合が多かったため、病院の内情を知らせる事が出来ない状態になっていました。

そのような精神病院という閉鎖性が、事件の発覚を遅れさせる要因となりました。

1984年3月14日の新聞記事で事件が報道され、世間から注目される

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内情をひた隠しにしてきた病院でしたが、1984年3月14日に朝日新聞朝刊によって報道され、世間の知る所となりました。あまりに酷い内容に大きな話題となり、注目を浴びました。

この事件が発覚した事で、精神病患者に対する待遇や意識とそれまでの日本の精神病院の在り方が疑問視され、改善されていくきっかけとなりました。

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宇都宮病院事件の詳細は?事件発生までの時系列まとめ

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宇都宮病院事件は病院の様々な違法行為も含まれますが、患者2名を暴行殺人した事を指している場合が多く、その殺害した時の詳細を時系列でまとめています。

患者の外部へ連絡を取る手段が無かった事を利用して、組織的に犯行を重ねていた病院側は、死亡した患者の家族に理由を説明する時も、虐待がバレないように虚偽の報告をしています。

暴行を加えた看護職員は1人ではなく複数人によるもので、集団リンチ殺人事件となっています。

1983年4月24日、統合失調症で入院中のKさんが夕食を食べなかった

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宇都宮病院事件で最初に殺害された患者のKさんは、統合失調症と診断され入院していました。Kさんが暴行を受けるきっかけとなった出来事が起きたのは、1983年4月24日でした。

Kさんはその日出た夕食に不満があり、手を付けませんでした。

看護助手が食事をするよう注意するがKさんはそれを無視

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Kさんが夕食に手を付けていないのを見た看護助手は、食事するように言いました。しかしKさんはそれを無視して、ほとんど食べることなく残飯として処理してしまいました。

Kさんの態度に腹を立てた職員がKさんを数回殴打

Kさんにそのような態度をとられた看護助手は、腹を立ててKさんを数回殴りました。

Kさんは職員の手を噛んで抵抗した

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看護助手に殴られたKさんは、それ以上殴られまいと看護助手の手を噛んで抵抗しました。

Kさんに反抗された事でさらに腹をたてKさんに回し蹴りをする

日頃から患者を見下しており、世話をしてやっているという考えで仕事をしていた看護助手は、殴ったKさんが反抗してきた事で益々腹を立て、Kさんを小ホールまで引きずっていき、回し蹴りを加えました。

その様子を見ていた他の看護助手2人と患者1人が暴行に加わった

小ホールで看護助手がKさんに暴行を加えているのを見た他の看護助手2名と、看護助手として働かされていた患者の1人は一緒になって暴行し、Kさんを集団リンチし始めました。

暴行はエスカレートし金属パイプで20分間Kさんを殴打

殴る蹴るの集団リンチは段々エスカレートしていき、点滴台に使われていた金属パイプで逃げ回るKさんを殴打しました。その後暴行は20分程続き、Kさんは倒れて横たわったまま放置されました。

Kさんは自力で自室へ戻るが4時間後に死亡

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4名による集団リンチを受けたKさんは、何とか立ち上がり自力で部屋に戻りましたが、暴行による痛みに苦しみながら嘔吐を繰り返し、そのままベッドの上で息を引き取りました。

その後介護職員は電気ショックで蘇生を試みましたが、Kさんが息を吹き返す吹き事はありませんでした。

院長は「てんかん発作による心臓衰弱」と家族に説明

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宇都宮病院を開院して院長を務めていた石川文之進は、Kさんの死因について家族に説明した時、てんかん発作による心臓衰弱と偽って説明していました。

まさか病院の職員が患者を集団リンチしているなどとは予想できるはずもなく、Kさんの家族は院長による死因の説明を信じました。

同年12月見舞いに来た知人に患者Sさんが宇都宮病院の不満を話す

2人目の被害者となったSさんが暴行を受けるきっかけとなった出来事は、宇都宮病院の不満を外部の人に話した事でした。Kさんが殺害された同年の1983年12月に、Sさんには知人が見舞いに来ていました。

その時Sさんは見舞いに来た知人に、病院から受けている待遇が酷いという事を話していました。

Sさんはアルコール中毒で入院していた

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Sさんはアルコール依存症で宇都宮病院に入院している患者で、見舞いに来ていた知人に対して病院の待遇が酷すぎる事を訴え、退院させてほしいという事を言っていました。

病院の不満を口にしたためSさんも看護職員たちに暴行を受ける

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病院の不満を漏らした事が原因で、Sさんは看護職員たちの標的となってしまいました。

Sさんはパイプ椅子で殴る、水をかけるなどの暴行を加えられた

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Sさんは3人の看護職員にパイプ椅子で殴られる、水をかけられるといった暴行を激しく加えられ、袋叩きにされました。

暴行が原因で静脈瘤が破裂し死亡

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集団リンチされた翌日に、Sさんは暴行が原因となり静脈瘤が破裂し血を吐きながら死亡しました。

外傷が無かった為「病死」と家族に説明された

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Sさんの死因について家族に説明する時、またもや院長は虚偽の説明をしていました。Sさんの体には暴行を受けたと分かるような外傷が無かった事を理由に、死因は病死と説明していました。

宇都宮病院事件が起こった背景は?国の制度に問題?

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宇都宮病院事件が起こった背景には、精神病院や精神障害者に対する国の制度に問題がありました。戦後の日本が高度経済成長期に突入していた事も関係してきます。

高度経済成長期に突入していた日本では、1950年から精神病院がとてつもない勢いで増えていきました。精神病院にかかる人件費が安く抑えられる制度や、長期低利融資を受けられる制度があり建造も楽に出来ました。

それらに加え当時ドーパミンという神経伝達物質を遮断する効果のある物質が発見されたため、精神病患者に処方する薬の開発が盛んになり、統合失調症の患者の薬物治療が可能になったのも1つの要因です。

1950年に「精神衛生法」が定められた

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戦後から5年経った日本では、大正8年と明治33年に制定された精神病院法、精神病者監護法を統合した精神衛生法が制定され、精神医療や施設に関する基準が設けられました。

当時の精神病患者に対する扱いは、手に負えない人を収容するといったイメージのもので、一般社会から隔離するような形での入院の処置なども多くとられていました。

病院が精神障害患者を収容する事で、国から財政的助成が

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精神病患者を収容する施設のような扱いを受けていた精神病院は、患者を隔離し収容してもらえるという考えで、精神障害者を受け入れてもらった場合は助成金が出る、という制度が作られていました。

そのため、精神障害者を受け入れて助成金を得ようとする精神病院が増えていきました。

私立の精神科病棟が多く作られるように

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当時はまだあまりメンタルヘルスといったような概念がしっかりと意識されてはおらず、精神障害者は収容して隔離、といったような考えの人が多くいました。

精神障害者の人を受け入れて生活させておけば、国から助成金が得られるという考えの人が、大勢現れ精神病院が多くつくられました。

この時に作られた精神科病院は私立の病院となっています。

1958年、精神科病院に特例基準が認められる

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1958年に精神科病院には、特例基準が認められるという通知が出されました。その通知が出た事によって、さらに精神病院の数は増加していきました。

1958年(昭和33年)10月2日には厚生省事務次官通知により、精神科の人員は一般診療科に対して、医師数は約3分の1、看護師数は約3分の2を基準とする特例基準が認められ、更に同年10月6日の医務局長通知で、事情によっては『その特例基準の人員数を満たさなくともよい』ことになったために、一般診療科の病院よりも人件費を抑えることができ、そして、措置入院の国庫負担も5割から8割に引き上げられたことで、一般診療科と比較して精神科病院の経営が容易となった。

(引用:Wikipedia)

措置入院の国庫負担が引き上げられた為、精神科の経営が容易に

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精神病患者の受け入れで助成金が出て、人件費も抑えられる状態となり、さらに重度の精神障害者がとられる事の多い措置入院の場合は、それまで5割だった国庫負担が8割に増え、経営が容易になっていきました。

当時の精神科医のほとんどは内科医、産婦人科医からの転身だった

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当時精神科医となった人は、元々内科医や産婦人科医だった医者で、特別待遇を受けている精神病院の方が儲かるという事で、転身してきたものがほとんどでした。

精神科病棟では、閉鎖された環境で虐待行為が横行していた?

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当時の精神病院では、患者は人の扱いを受けていない場合が多く、金を儲けるために出来るだけ多く収容し、暴力や虐待によって管理していた所が多々ありました。

私怨によって精神に障害を持っていなくても措置入院を受ける患者も多くいました。しかし患者を入れれば入れる程儲かる精神病院は、障害があるかどうかはそこまで気にせず、ただ多くの患者を集めようとしました。

集められた患者は外部との接触や連絡を禁じられ、暴力や虐待を受けていたり、人体実験の材料とされている所もありました。閉鎖的な環境を作り上げ、その中で違法行為を働く人が多かったのです。

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