畠山鈴香とは?壮絶な生い立ちと現在【秋田児童連続殺害事件の真相】

今回は秋田児童連続殺害事件を起こした畠山鈴香についてまとめました。その生い立ちには親からの虐待や、心霊写真と呼ばれた過去や罵倒された卒アルの寄せ書きのいじめの実態がありました。また、判決を見守った弟や本人の現在、更には四柱推命などからその運命も調べてみました。

秋田児童連続殺害事件とは?

2006年に秋田県山本郡藤里町で、2人の児童が殺害されるという事件が起こりました。

この事件は、その特異性、マスメディアの報道の過熱ぶりなどから、「秋田県児童連続殺傷事件」として日本中の話題となりました。

秋田児童連続殺害事件とは2006年に2人の児童が殺害された事件

MabelAmber / Pixabay

秋田児童連続殺害事件と呼ばれるこの事件では、罪もない2人の児童が犠牲になりました。

1人目が2006年4月10日に川岸で発見された畠山彩香ちゃん(当時9歳)で、2人目が5月17日に市道の脇で発見された米山豪憲君(当時7歳)でした。

2006年4月10日当時9歳の畠山彩香ちゃんが水死体で発見された

pixel2013 / Pixabay

第一の被害者、畠山彩香ちゃんは、犯人の畠山鈴香の長女でした。

2006年4月9日、当時小学4年生の彩香ちゃんが行方不明になったと母親から通報がありました。

そして翌日4月10日に自宅から約10Km南に離れた能代市内の川で水死体となって発見されます。

秋田県警察は事故と断定し捜査を打ち切った

Free-Photos / Pixabay

捜査に当たった秋田県警は、彩香ちゃんが不注意により足を滑らせて川に転落した事故死であると判断をしました。

しかし、その後、第二の事件が起こったこと、母親の不審な行動などから、この事故死は再捜査されることになります。

2006年5月18日当時7歳の米山豪憲くんが川岸で遺体で発見された

Pexels / Pixabay

彩香ちゃんが水死体となって発見された約一か月後、彩香ちゃんの友だちであった米山豪憲君が亡くなっているのが見つかりました。

当時7歳であった豪憲君は、5月17日に友だちと約束をしていましたが、その日約束の場所に現れなかったそうです。

そして、翌5月8日に川の近くの草むらから遺体となって発見されるのです。

しかし豪憲くん遺体が発見された事で再び捜査を開始

ar130405 / Pixabay

遺体となって発見された豪憲君には、首を絞められたことによりできる策条痕があり、何者かに殺害された事がわかりました。

そして、この事件がきっかけで、彩香ちゃんの事故と断定されていた件も、殺人事件として再捜査されることになるのです。

6月4日彩香ちゃんの母親である畠山鈴香を逮捕

WikimediaImages / Pixabay

豪憲君の事件の捜査が進むと、畠山鈴香の自宅から豪憲君の血痕などの証拠が発見され、6月4日に畠山鈴香は犯人として逮捕されます。

そして、その後の捜査、畠山鈴香の供述などにより、彩香ちゃんも畠山鈴香によって殺害されたことがわかります。これにより畠山鈴香は綾香ちゃん殺害容疑でも再逮捕されることとなるのです。

彩香ちゃんの死を事件として、きちんと捜査できていれば、豪憲君の事件は起こらなかったもしれません。これを警察の捜査ミスだという声も多く聞かれました。

警察の不祥事に関する記事はこちら

畠山鈴香の生い立ちは?

spirit111 / Pixabay

2人の児童の尊い命を奪った、畠山鈴香ですが、その生い立ちも彼女を形成する上で大きな影響を与えていたようです。

決して幸せとは言えない人生を歩んでいた畠山鈴香の生い立ちを追っていくと、いくつもの闇が見えてきます。

畠山鈴香の写真は?

当時、マスコミでも大々的に取り上げられたことにより、今でも畠山鈴香の写真や映像はインターネット上にも多く残っています。

また、当時の姿だけではなく、学生時代の写真なども出回っていて、その姿を見ることができます。

幼少時代は父親の酒癖が悪く殴る蹴るの虐待を受けていた

Comfreak / Pixabay

ホステスをしていた母親と、その客であった運送会社を営む父親との間に畠山鈴香は生まれました。

父親は酒癖が悪く、幼いころから畠山鈴香は虐待を受けていたそうです。そして、中学に入るころには、殴る、蹴る、髪を引きずり回すなど、その暴力がエスカレートしていったそうです。

その虐待を受けた経験が、畠山鈴香の人格形成に大きな影響を与えていると言う人たちも大勢います。

性的な暴力も受けていたのではないかと言われている

kalhh / Pixabay

父親は「親に飯食わせてもらって以上は、親の言うことを聞け」と言っていたらしく、かなり支配的な人物だったようです。

この父親は性的にも奔放だったらしく、娘である畠山鈴香にも性的な暴力を加えていた可能性は否定できません。

母親は畠山鈴香が暴力を受けていても助けなかった

geralt / Pixabay

父親の暴力が日常茶飯事であった畠山の家庭ですが、母親はそれを見ているだけで止めることはできなかったそうです。母親も失敗などをののしられ、暴力を受けていたという情報もあります。

また、畠山鈴香には5歳年下の弟がいますが、その弟もこの父親を止めることはできなかったようです。その為、畠山一家は、母、娘、息子、全員が父親の支配下にあった家庭だったといえるようです。

小学校でもいじめに合う

geralt / Pixabay

家庭で虐待を受けていた畠山鈴香ですが、小学校でもいじめを受けていたようです。

小学校で始まったいじめはその後も、ずっと続いていくことになります。

いじめの原因は宗教に傾倒していた担任の教師だった?

3dman_eu / Pixabay

そのいじめの原因を作ったのが小学校1年の時の担任の先生だったようです。

宗教に傾倒していたその先生は、畠山鈴香に「水子の霊が憑いている」と言ったそうです。

子どもにその意味はきちんとは分からなかったかもしれませんが、それはいじめのきっかけとなるには十分だったようです。

中学生になるといじめはエスカレート

geralt / Pixabay

学校でのいじめは小学校では終わらず、中学校になっても続きます。

また、そのいじめはさらにエスカレートしていき、畠山鈴香という人格に影を落としていくことになります。

学生時代のあだ名は「ばい菌」「心霊写真」

中学校時代には、「心霊写真」、「ばい菌」、などといったあだ名もつけられていたそうです。

クラスメイトのいじめは当たり前になっていたようで、このようないじめが続いていたことは、卒業時の寄せ書きなどからもわかります。

中学の時は万引きをした文房具を配り、気をひこうとしていた

中学時代には、友だちの気をひくために、万引きをした文房具を配るといったことをしたりもしていたそうです。

しかし、それでもいじめはやむ気配を見せませんでした。

高校では、バトミントン部の部費を盗んで停学に?

TBIT / Pixabay

文房具の万引きから始まった窃盗という犯罪は、金銭の窃盗までエスカレートしていきます。

高校では、バトミントン部に入りますが、部費6万円を盗んで停学処分になったということもありました。

売春行為をしていたとも?

webandi / Pixabay

また、売春行為をしてお金を稼いでいたという噂もありました。どうやら、「お金を払うから、お願いします。」と言われれば、畠山鈴香は素直に行為に及んでいたようです。

父親から性的な暴力を受けていたせいか、男性に体を許すことに大きな抵抗はなくなっていたのではないでしょうか。

むしろ、その後の人生では、自ら体を使って生きてきたような面も見受けられます。

高校の卒アルの寄せ書きには罵倒の言葉ばかり書かれる

家では虐待され、学校ではいじめられ続けていた畠山鈴香ですが、その高校の卒アルには、いじめの事実が如実に書かれていました。

具体的には「帰ってくるな」「今までいじめられた分強くなったべ」「やっと離れられる」など畠山鈴香を罵倒する言葉でした。

将来は「詐欺・強盗・殺人」等、犯罪者となることを予想するのを楽しんでいるような記述もありました。

同級生にも責任があったのではないかという声も

geralt / Pixabay

このようないじめが日常化していたことが、畠山鈴香をゆがめていった一つの原因になったとの言葉も多く聞かれます。

このような同級生たちにも責任があったのではないかという声もあり、彼らを非難するような書き込みなどもあります。

高校を卒業すると栃木県の温泉ホテルで住み込みで働く

AG2016 / Pixabay

高校を卒業すると、父親の暴力から逃げたいとの思いもあり、栃木県の温泉旅館で、住み込みで働くことになります。

仕事仲間とは飲み会やバーベキューなどの良い思い出もあったそうです。

1995年21歳の時に妊娠したためトラック運転手の男性と結婚

Pexels / Pixabay

温泉旅館で住み込みでコンパニオンなどをしていた畠山鈴香は、トラック運転手の男と知り合います。この頃、畠山鈴香は自分からナンパをして男性と肉体的な関係を持つことも多かったようです。

いつものようにこの男と男女の関係になった畠山鈴香でしたが、その時はついに子供ができてしまったのです。そして、その妊娠をきっかけに1995年、21歳で結婚をすることになります。

この時に身ごもったのが、後に手をかけてしまう彩香ちゃんだったのです。

1996年11月彩香ちゃんを出産するが、その後5ヶ月で離婚

geralt / Pixabay

知り合ったトラック運転手と結婚をし、1996年11月に彩香ちゃんを産んだ畠山鈴香ですが、出産後わずか5か月で夫と離婚してしまいます。

この離婚により、シングルマザーとして畠山鈴香は生活をしていくことになります。

離婚の原因は家事放棄とパチンコだった?

PIRO4D / Pixabay

元夫の話では、この離婚の原因は、畠山鈴香の家事放棄、夜遊び、パチンコであったようです。これらに耐えかねて元夫は畠山鈴香と不仲になったと言っています。

畠山鈴香本人は子育ても家事もしていたと言っているので、双方の意見の食い違いはありますが、どちらにせよ夫婦の仲は冷え切り、結果、離婚に至ったということです。

スーパー、パチンコ店などで働くように

ccipeggy / Pixabay

シングルマザーになってから、彩香ちゃんを育てるために畠山鈴香は、スーパー、パチンコなどのパートで生活費を稼いでいました。

コンパニオンの仕事などもしていて、女手一つで子供を育てるために働いていたのは確かのようですが、この頃にも男癖の悪さは健在で、男性と関係を持つ生活は続いていたようです。

生命保険の外交員としても働いていたが、契約をとる為に体の関係も?

KlausHausmann / Pixabay

シングルマザーとして生活費を様々な仕事で稼いでいた畠山鈴香ですが、そのすべてが真面目に稼いだお金であったというわけはなかったようです。

生命保険の外交員の仕事では、契約を取るために、肉体関係を持つこともあったようです。

学生時代に売春行為をしていたように、自分の体を使って稼ぐことには当たり前になっていたのかもしれません。

NEXT 2003年に自己破産をし生活保護を受給する