大山のぶ代は現在認知症で老人ホーム暮らし?夫の親族との確執とは?

大山のぶ代は「ドラえもん」の声を担当した一流の声優です。しかし、そこに至るまでの道のりは険しいものだったようです。大山を襲った「認知症」や愛する夫の死去、また現在の大山のぶ代や、それまでの苦悶や喜びなどをご紹介してまいります。

大山のぶ代とは?

大山のぶ代は、東京都の出身で演劇に憧れて高校卒業後に俳優座養成所へ入所して女優を目指します。しかし、花開いたのは意外にもコンプレックスを抱いていた「声」を使った声優業でした。

大山のぶ代の代表作といえば、知らない人はいないと言っても過言ではない「ドラえもん」の声優です。では、彼女のプロフィールからみていきましょう。

本当の年齢は?大山のぶ代のプロフィール

一流声優である「大山のぶよ」のプロフィールをご紹介します。

  • 本名:山下 羨代(旧姓・大山)(やました のぶよ)
  • 愛称:ペコ
  • 性別:女性
  • 出生地:東京府東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)
  • 生年月日:1933年10月16日(85歳)
  • 最終学歴:東京都都立三田高等学校卒業
  • 血液型:O型
  • 身長:162 cm
  • 職業:女優、声優、歌手、エッセイスト、タレント
  • 活動期間:1965年~
  • 事務所:アクターズ・セブン
  • 配偶者:砂川啓介

大山のぶ代が当初目標にしていたものは演劇であり、同期の冨士眞奈美とともに俳優座養成所で演劇の勉強に励みました。

そして最愛の夫となる「砂川啓介」と出会い、結婚してからは二人で苦難を乗り越えていきます。

ドラえもん役を26年間演じ続けた大山のぶ代

漫画雑誌で人気だった『ドラえもん』1979年4月からテレビ朝日で放送されました。

大山のぶ代は主人公の「ドラえもん」の声優を担当し、2005年3月までの26年間に渡って子供たちに愛され続けました。

認知症を発症し、現在は老人ホームで暮らしている

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大山のぶ代は、2010年頃から仕事を減らすようになり、番組への出演も控えていたようです。

2015年に夫の砂川啓介がTBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演した際に、妻の大山のぶ代が、アルツハイマー型認知症を発症して闘病していることを公にしました。

また、現在は病状が悪化したため、大山のぶ代が老人ホームで生活している事も報告しています。

2017年に他界した夫・砂川啓介は初代「体操のお兄さん」

大山のぶ代の夫は、NHKの人気子供番組「おかあさんといっしょ」の初代「体操のお兄さん」をしていた砂川啓介です。

大山のぶ代と砂川は、1964年に結婚してから50年以上も連れ添った理想の夫婦でしたが、2017年に砂川啓介は患っていた尿管がんのため、80歳で他界しました。

「大山のぶ代版」と呼ばれる当時のドラえもんに愛着がある人は未だに多い

大山のぶ代は、病気によりドラえもんの声優を後任に譲る事になりましたが、ドラえもんの人気は今も健在でテレビや映画で放送されています。

しかし、「大山のぶ代版」のドラえもんで育った人たちには、現在のドラえもんがシックリしないという声も多く、大山のぶ代とドラえもんが完全に一体であったことが分かります。

しかし、声だけでキャラクターのイメージも変わるようで、最近のドラえもんは悪キャラになったと言う人も多く、大山の声が子供の夢となるドラえもんを作り上げていたともいえます。

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認知症になった大山のぶ代を旦那として献身的に介護した砂川啓介

認知症の診断が下った2012年以降は、大山のぶ代の病状は悪化の一途を辿ったようです。しかし、近所にも言えず、世間にばれないように、殆ど一人で介護をしていたそうです。

大山は、たった5分前のことも忘れるようになり、トイレも自分ではできなくなって、所かまわず粗相をするようになったと言います。

夫の砂川は黙々とそれらを片付けていたそうです。色んなことを一人で抱え込み、それでも愛する大山のぶ代に、夫とはいえ想像には耐えない献身的な介護をしていました。

2008年に心筋梗塞と脳梗塞で倒れた大山のぶ代

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大山のぶ代は、音楽芸術専門学校で校長努めていましたが、2008年4月24日に、その校長室で授業の準備をしていた時に突然倒れました。

「心筋梗塞」と「脳梗塞」を併発していたと診断され、そのまま緊急入院することとなりました。しかし、症状は軽かったようで、4ヶ月後の8月17日に無事に退院しています。

2009年頃から認知症の症状が出始めた

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突然の病魔から立ち直ったにみえた大山でしたが。翌年の2009年からは認知症の症状が出始めていたといわれています。

2012年の秋には医師から「アルツハイマー型認知症」と正式に診断が下されています。

この間は日常生活にも支障がなく、症状も軽かったようで、声優としての活動も続けていました。

砂川啓介が出版した本に認知症公表までの壮絶な介護も記されている

大山のぶ代が医師から認知症だと宣告された時の心境を、夫の砂川は次のように書いています。

妻がある日突然、認知症になってしまった

〈 2012年、秋のある日、ペコがアルツハイマー型の認知症だと突如、診断された。でも、俺はなかなか現実を受け入れることができなかった。どんどん変わっていく君の姿に、戸惑いや苛立ちを隠すことすらできなかった 〉

(引用:newsmatomedia)

そして、倒れてから復帰した仕事も2010年頃から量を減らし、音芸の校長も2013年に引退しています。どんどん進行していく病は想像を絶するもので、介護にあたる夫の砂川の苦労は尋常では無かったようです。

この詳細な内容は、砂川啓介が後日発表した『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』に書かれています。

砂川啓介が尿管がんになり、大山のぶ代を老人ホームに預ける

砂川啓介は2016年の4月に自身が尿道がんである事を知らされます。砂川は、がんの治療ため、愛する大山のぶ代を老人ホームへ預ける事を決心しました。

大山を老人ホームに預けてからも砂川は、「愛する妻を残して逝きたくない」と、自身の治療をしながらも大山に会いにゆき、行く末を心配していたといわれています。

砂川啓介は2017年に死去、「妻を残して逝かない」という願いは叶わなかった

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最後まで大山のぶ代の事を思い、「妻を残して逝かない」と言っていた砂川啓介でしたが、病魔には勝てず、2017年に病状が悪化して帰らぬ人となりました。

啓介は時々大山と面会しつつ治療に励んでいたが、その願いが果たされることなく、翌2017年7月に病状が悪化し、そのまま帰らぬ人となりました。

大山のぶ代にも、死亡説が出ている?

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大山のぶ代を検索すると「死」や「死去」という言葉が付随し、大山のぶ代が死亡したという話まで横行しているようです。

大山のぶ代の死亡説はデマ、症状は進行しているものの健康に生きている

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死亡したという報道もなければ、現状もハッキリしないため、真相を調べてみました。

あまりにも情報が少ないため、勝手に「死」を連想して検索する人が多いようで、検索ワードの順位で表示されてしますようです。

大山のぶ代は健在で、今も老人ホームで元気に暮らしているそうです。死亡説は全くの「デマ」である事を確認しました。

現在、大山のぶ代は老人ホーム暮らしを楽しんでいるという

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大山のぶ代は、楽しい事も悲しい事も、大切なことも忘れてしまったようですが、老人ホームで元気に暮らしているそうです。

砂川が健在な時には許せる範囲で見にいったそうですが、他の老人たちと楽しそうにおしゃべりしていたと綴っています。

認知症になると鬱のようになる人も多いそうですが、大山にはそのようなところは見られず、明るく話していたのが、砂川にも救いだったようです。

大山のぶ代と砂川啓介の間に子供がいなかったわけとは?

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大山のぶ代は、子供ができにくい体質だったそうです。

「結婚後5、6年くらいたっても、子供ができなかった(死産は一度経験)。そして、もし今度妊娠すれば母体が危ないことがわかり、僕の夢だった子供を断念せざるをえなくなったんです。それ以来、(妊娠恐怖症になった)カミさんの体には触れていなかった。そんなこともあって、ふだんの生活は妻というよりも姉か、時には母親の感覚でいたことは事実なんです」(砂川)

(引用:newsmatomedia)

と、夫の砂川が生前に語っているように、大山は32歳で妊娠しまたが、第1子を妊娠7か月の時に死産、38歳の時に生んだ女の子も早産の未熟児で生後3か月で死去しています。

医師からも次は母体も危険だとも言われたようで、不安とトラウマから二人はセックスレスの生活になり、二人の間に子供を授かる事はありませんでした。

最期まで尽くし続けた砂川啓介の大山のぶ代への深い愛情は計り知れない

大山のぶ代が認知症だと分かったあと、砂川は仕事を辞めて介護に専念し、大山のイメージが損なわれないように、周囲には知られないように一人で全てを抱え込んでいました。

妻の排泄物を処理しながらも、大山の将来を案じながら、精神・肉体とも追い詰められた日々を過ごしていたようです。

しかし、自分ができることは大山のために全てやっておこうと思い、自信が病に倒れるまで大山へ尽くした砂川の愛情は、誰も真似できるものではありませんでした。

砂川啓介の親族と大山のぶ代のマネージャーが相続をめぐってピリピリ?

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砂川が大山のことを信じて任せられるただ一人の存在が「マネージャーの小林明子」でしたが、砂川の親族は遺産の相続があることで、お互いの関係は良好ではなかったようです。

特に砂川が死去してからは、小林に支払われているお金の事や、その後の相続も考えて、施設に任せておけばよいのではという意見もあったようです。

しかし、小林は砂川から託されたことと大山への思いもあり、現在も献身的に介護に携わってくれています。

砂川啓介はがん発覚後、大山のぶ代のマネージャーに介護の手伝いを頼んだ

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大山と砂川には、30年に渡ってマネージャーを務めてくれていた小林明子という存在があり、砂川にとって唯一大山を任せられる存在であったようです。

砂川は自信の病気が発症するまでは、一人で大山を支えてきましたが、病気でそれが困難になり早く治して大山の世話に復帰するためにも、小林に介護の手伝いを依頼しました。

ほどなくして砂川が入院する事になり、砂川は「頼むな」と言って、その後の大山のことを小林にお願いしたそうです。

マネージャーにはお世話代が毎月支払われている

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大山のぶ代は、砂川の遺産の3/4を相続する事になり、都内の自宅だけでも1億円以上の価値があり、相当な資産をもっていたと考えられます。

その中から介護に必要なけっこうな金額が支払われるとともに、マネージャーである小林にもお世話代として毎月一定額を渡していました。

この「お世話代」が砂川の親族の気にすることとなり、不信感の原因となったようです。

夫婦の財産管理に関しては成年後見制度を利用している

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砂川啓介は、大山を残して先には逝けないと語っていましたが、自分が癌に侵されてから万が一のことも考えるようになりました。

そうした時に大山が困らないように「成年後見制度」を利用し、夫婦の財産管理を第三者にお願いすることにしました。

国が指定した後見人を利用する事で、砂川に万が一のことがあっても判断能力を持たない大山が財産管理や施設の支払いなどに困らないようにとの配慮でした。

砂川啓介の親族はお世話代に不信感を募らせている?

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砂川啓介は、大山の病気が公になることを恐れ、自分の親族も大山に合せる事を避けていました。それにより、砂川と親族も疎遠になっていたようです。

砂川の親族は、毎月マネージャーの小林に支払われている「お世話代」がきちんと契約されたものなのかも不審に思っているようです。

まして後見人を立てた場合には、大山と小林が結んだ契約を勝手に親族であっても変更できなくなり、砂川の親族が後見人を希望したこともあったようです。

ドラえもんに救われた大山のぶ代、そしてその活躍

ドラえもんの非常に特徴のある声は、大山のぶ代の殆ど地声に近いものだそうです。最初は女優を目指していた大山ですが、自分の声に悩まされていたとも言われます。

そういう時に巡り合ったのが「ドラえもんの声優」で、これにより国民の人気者である「ドラえもん」の声優を長年に渡って務めることになり、一流声優の仲間入りをすることにもなりました。

大山のぶ代は自分の声がコンプレックスだった?

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結果的には大山の特徴ある声が「ドラえもん」の声となり、声優として確固たる地位を築くことになったのですが、当初は自分の声にかなりのコンプレックスを持っていたそうです。

子供の頃も声が原因でいじめられることもあったらしく、話す事も嫌になり引っ込み思案にもなっていたといいます。

中学で放送研究部に入りアナウンスやラジオドラマをやった時も、担任教師をはじめ周囲からやめるように言われたこともあったそうです。

富士子・不二雄も絶賛した大山のぶ代のドラえもん

大山は当時俳優を本業としており、声優は本業と並行して行う程度でした。声優業では他のアニメの声も担当しましたが、しっくりくることはなかったと言います。

ところが、ドラえもんではハマり役となり、原作者の藤子・F・不二雄からも「ドラえもんはこういう声をしていたんだ」と言われるほどでした。

この大山のぶ代が、声のコンプレックスを克服した物語は、小学校の道徳授業の資料にも取り上げられています。

ドラえもん以前、大山のぶ代は一時期声優業から遠ざかっていた

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大山のぶ代が女優デビューした当初は、アニメの粗製乱造によって良質の作品は少なかったそうです。

そのため大山が声優業を担当する事も控えるようになり、しばらくは声の仕事からは遠ざかっていたと言われます。その時期に大山に「ドラえもん」の声優の話があったそうです。

大山が主演を務めた「ハリスの旋風」の録音監督を務めた浦上靖夫氏から誘いを受け、ドラえもんのパイロット版の絵を見て、その可愛さから声優を引き受けることにしたといいます。

大山のぶ代のアドリブで定着した台詞も多い

ドラえもんを見た人ならご存知の台詞、「こんにちは、ぼくドラえもんです」「フフフフフ、どこでもドア」などは、大山のアドリブだったという事です。

他にも、原作の初期ではドラえもんがガサツな口調を使う事も多かったようで、大山は「子供が見るものだから、悪い言葉は使わないようにしよう」と言ってアドリブで変更したそうです。

ドラえもんの一人称を「ぼく」に統一したのも大山で、ドラえもんは「未来から来たねこ型ロボット」だということで、乱暴な言葉はインプットされていないと解釈しての配慮でした。

ドラえもんのイメージを崩さないために他作品への出演を断っていた

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大山のぶ代の活躍した期間を考えると、演じた役があまり多くないことに気付きます。これは大山が他の作品を断ったためで、出演の依頼が少なかったのではありません。

あまりにもハマり役となった「ドラえもん」のイメージを崩さないようにと、大山自身が作品を選んで出演したことによるものです。

一流の声優となり、たくさんのオファーを受けるようになった大山ですが、「ドラえもん」への思い入れは特別なものだったようです。

入院時には病室からいつも通りのアフレコで演じきった

大山のぶ代が2001年に入院した時には、病室でのアフレコに挑戦し、退院までの間も病室でいつものドラえもんを演じきっています。

このとき大山は「悪性の直腸がん」と宣告されますが、気丈にも退院まで不安な様子は声に出さず仕事を全うしました。

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