ひかりごけ事件とは?遭難した船長が人肉を食べた?真相は?社会

ひかりごけ事件とは?遭難した船長が人肉を食べた?真相は?

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損壊された遺体の状況は?

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発見されたリンゴ箱は、番屋から27mほど離れた海岸に漂着していました。箱を結ぶロープをほどくと、中から頭蓋骨、頸骨、椎骨、肋骨、四肢の骨とともに剥ぎ取られた人間の皮膚が出てきたのです。

さらに頭蓋骨は鈍器のようなもので砕かれており、脳は入っていませんでした。手足の末端の肉と皮膚は残っていましたが、他の部分は肉をナイフで切り取ったと思われる痕跡がありました。

それらの骨は、衣服で丁寧に包んで箱の中に納められていました。骨や頭髪の状況から、遺体は船長とともに一度は生き延びた、若い船員のものと判断されました。

その後2体の遺体が発見されたが残りの船員は見つからなかった

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長い冬が明け、雪が溶けて捜索しやすくなったおかげで、新たに2体の遺体が発見され、回収されています。残念ながら残りの2人については発見に至りませんでした。

警察は殺人、死体遺棄、死体損壊の容疑で船長を逮捕

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検分の結果を受け、船長の食人行為はほぼ確実になりました。

警察は、船長が「生命の危機を感じるほどの飢餓から逃れようとして船員を殺害し、その肉を食べた。しかし、食べる部分がなくなってしまったので残骸を箱に詰め、海に流して証拠隠滅を図ろうとした」と判断しました。

船長は殺人、死体遺棄、死体損壊の容疑で逮捕されることになります。

残る2人も船長が食人したのではと言われていた?

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発見されなかった2人については、こちらも船長による食人の対象となったのではないかという疑惑がありましたが、船長自身はこれを否定しています。

その後結局、2人の遺体の一部すらも発見されませんでした。船から退避するときに海に落ちてしまった可能性も考えられますが、真相は謎のままです。

船長の逮捕後の供述は?

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逮捕後、船長へ事件の真相について聴取した時の記録が残っています。

船長は18歳の少年の遺体を食べたことを認めたが殺人は否定

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自宅に警察が訪ねてきた際に、船長はすぐにその理由を悟りました。そして、事件についての事情聴取が始まるとあっさりと食人行為を認めたのです。

船長にはさらに、「食べるために船員を殺害したのではないか」という疑惑も向けられました。しかしそれに対して船長は、「なんで殺さないといけないの」と悲しげに反論しました。

船長は人肉はいまだに経験したことがない美味しさと答えていた

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人肉を口にした時、船長は「いまだに経験したことがない美味しさ」だったと語りました。最初に手をつけた太ももから、全身の肉だけでなく臓器や脳も食べています。

このことは、のちに発見された遺体ににほとんど肉や臓器が残っていなかったことからも、真実であると思われます。

脳みそを食べると精力がついた?

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船長は斧で遺体の頭蓋骨を砕き、脳みそも口にしました。脳みそを食べた時が一番精力がついた気がしたと語っています。

脳みそはその60%が脂肪です。脂肪は他の栄養素と比べて最も効率の良いエネルギー源と言われています。体を温める作用もあるため、今でも極地に住む人々は積極的にアザラシの脂肪を食べて厳しい冬を過ごすのです。

消耗し切っていた船長の体に、脂肪を食べたことによる熱が漲り、「精力がついた」と感じたのでしょう。

ひかりごけ事件の裁判の様子は?判決は?

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1944(昭和19)年7月、釧路地裁で第1回公判が開かれました。

カニバリズムを罰する法律はない?

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日本の刑法には、食人行為そのものを罰する法律はありません。そのため、裁判で食人について問われることはありませんでした。

船長は死体損壊容疑で起訴された

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船長は、死体や遺骨に手を加えて損壊する行為を行っています。これが死体損壊罪と認められました。死体損壊とは、物理的に死体を破壊する行為を指します。一般的にはバラバラ殺人とも呼ばれます。

死体を破壊する理由は、食人の他には「捨てやすい、隠しやすい」「世間への挑戦」「制裁、見せしめに」などが挙げられます。

裁判の様子は?非公開?

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船長の裁判はいずれも、非公開の形で行われました。食人というあまりに刺激の強い内容であったためというのが理由のようです。

現在でも、世間の秩序や公序良俗に反すると判断された場合は非公開で裁判が行われることがあります。

弁護人は無罪を主張

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8月28日の第2回公判で、弁護側は船長の無罪を主張します。吹雪の中で孤立し、命の危機さえ感じる飢餓の中で生き延びるために仕方なく人肉を口にした行動は「緊急避難」にあたるとしました。

緊急避難とは、自分に迫る危機を避けるためにやむなく他人を犠牲にする行為です。例としてしばしば「カルネアデスの板」という寓話が引用されます。

また、極限状態の中で「心神耗弱(しんしんこうじゃく)状態」にあったと主張したのです。つまり、精神的に追い詰められ、正しいこととそうでないことの区別ができない状態にあったとしました。

裁判の判決は?懲役1年に

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判決では「緊急避難」は認められませんでした。しかし、「心神耗弱状態」は認められ、8月に懲役1年の実刑判決が言い渡されました。

その後「ひかりごけ」という小説が発表され、名前の由来に

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ひかりごけ事件はそのあまりに衝撃的な内容から、様々な媒体で世の中の関心を引きました。

1954年、事件が元となった「ひかりごけ」という小説が発表された

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1954年に、武田泰淳氏が事件をモチーフに「ひかりごけ」という小説を発表しました。

小説「ひかりごけ」が「ひかりごけ事件」の名前の由来になっている

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小説「ひかりごけ」は、武田泰淳氏が事件の噂と自身の創作で作り上げた物語です。ここに登場するエピソードが、事件の名前の由来となっています。

「ひかりごけ」の内容は?

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作中では、食人をした者の背中には光の輪が浮かび上がります。その光り方が羅臼の洞窟に自生するひかりごけに似ているというのです。

その光の輪は食人したことのない者にしか見ることができません。しかし物語の最後では事件に関わった裁判長や弁護人、果ては傍聴者の背後にも光の輪が浮かび上がる…という皮肉も盛り込まれています。

「ひかりごけ」は映画化・オペラ化・舞台化された

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映画化にあたっては脚本・監督を熊井啓氏、船長役を三國連太郎氏、共演者として奥田瑛二氏、田中邦衛氏という昭和の名俳優が出演しています。1992年に公開され、三國連太郎氏の鬼気迫る演技が評価されました。

また、團伊玖磨氏の作曲によるオペラ「ひかりごけ」、劇団四季の浅利慶太氏演出の舞台「ひかりごけ」も公開されています。

事件発生時の社会の状況は?

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事件当時は太平洋戦争の真っ只中の物資・食料不足で、日本本土でも薄いおかゆや芋のつる、雑草などを食べてしのいでいる日本人がほとんどでした。

本土の食糧難もさることながら、南方戦線では深刻な食糧不足に陥っていました。それは戦闘で死ぬか、飢餓で死ぬかという危機的レベルのものでした。

食糧不足から、日本兵は敵兵や同僚の死体を食べることもあった

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ジャングルで生き延びるため、セミやトカゲを捕まえて食べることもあった日本兵。毎日が戦闘どころではなく、とにかく口に入れるものを探してさまよう日々でした。

食糧が見つからない場合は、死んでしまった仲間や敵兵の死体を食べて生き延びたという事実もあったようです。

兵たちも最初のうちは仲間の死に涙を流していましたが、慣れとは恐ろしいものでそのうち何も感じなくなり、淡々と死体から肉をとって食べるありさまでした。

食人に対し、司令官が下した判断は?敵兵である場合は許可?

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あまりにも頻繁に隊内で食人行為が起こるため、司令官は止むを得ず「緊急処断令」を出します。その内容は、人肉とわかっていてその肉を食べた場合は死刑にするというものでした。

ただし、敵兵のものである場合はその限りではないとされました。

日常的に敵味方なく食人行為が行われる、地獄絵図の様相であったことが伺えます。

ひかりごけ事件では風評被害も

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ひかりごけ事件の詳細については、唯一の生存者である船長の証言のみが手がかりである上、世間にその詳細が伝えられませんでした。

小説「ひかりごけ」の影響で船長は船員を殺害して食べたと広まった

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加えて、噂と創作をもとに書かれた小説「ひかりごけ」の影響で、船長は仲間の船員を次々に殺害してその死体を食べたのだという認識が一般に広まってしまいます。

周囲から「人食い」と心ない言葉をかけられることもありました。

それに対して船長は、自分には反論する権利もないし仕方がないと、何も言いませんでした。

ひかりごけ事件は新聞報道はされず裁判記録や捜査記録も消失

この事件は新聞での報道は行われず、世間にセンセーショナルな噂話として広まりました。

裁判記録の廃棄、捜査記録の火災による焼失などから事件に関する正確な記録のほとんどが消え去り、その分尾ひれが付く形で広まっていったと考えられます。

羅臼郷土史に難破船事件として記載されるも情報源は噂だった?

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戦後、この事件の全貌が羅臼郷土史に難破船事件として記録されることになりましたが、すでに記録類が焼失していたため、その内容のほとんどは世間の噂を元に構成されました。

そのため、事実と郷土史の内容がどの程度符合しているのかは不明です。

ひかりごけ事件の船長のその後は?

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実刑判決を受けた船長は、その後刑に服します。

船長のその後は?網走刑務所で服役し模範囚として20日早く仮出所をした

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船長の身柄は網走刑務所に移送され、ここで1年の刑に服しました。服役中の模範的な態度を評価され、当初の予定より20日ほど早い1945(昭和20)年6月28日に仮出所しました。

合田一道氏は船長がなくなるまで取材していた

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北海道出身のノンフィクション作家・合田一道氏はこの事件について、15年間に及ぶ船長への取材を続けました。何度か取材を重ねますが、船長は多くを語ろうとしません。

それでも時々船長の口から漏れる断片的とも言える証言をもとに、「裂けた岬・難破船長食人事件の真相」を上梓するに至ります。

極限状態でなぜ食人したのか、自分でも理解できていなかった

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著書によると、船長はあの時確かに心身ともに追い詰められた、まさに極限状態であったのは確かです。

ですが当時の状況や、自分の行為への認識ははっきりしており、閻魔大王の裁きを受ける夢を何度も見たことも覚えていました。しかしなぜ食人するに至ったのかはわからないと証言しています。

事件の後数十年経っても、その疑問が解決することはありませんでした。

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