サヘルローズとは?生い立ちや日本での生活が壮絶!結婚している? エンタメ

サヘルローズとは?生い立ちや日本での生活が壮絶!結婚している?

イラン国籍のタレント・女優であるサヘル・ローズさんをご存知ですか?現在映画などで幅広く活躍していますが、彼女の経歴を見てみるとその生い立ちが壮絶すぎて衝撃です。サヘルローズさんが日本にやって来たいきさつや、現在結婚しているのかなどについて見ていきましょう。

目次

[表示]

女優・タレントのサヘルローズとは?

サヘルローズさんは、イラン国籍を持つ日本のタレント・女優です。現在ではその国際的な経歴を生かして国際情報番組のキャスターもしています。

そんなサヘルローズさんがどのようにして今の仕事を始めるようになったのか、またその壮絶な生い立ちなどについて見ていきたいと思います。

国籍は?サヘルローズのプロフィール

サヘルローズさんはイラン国籍です。幼い頃に日本へ移住してきました。まずはサヘルローズさんのプロフィールから見ていきましょう。

  • 別名義 :サヘル、滝川クリサヘル
  • 愛称 :さっちゃん
  • 生年月日 :1985年10月21日(現在33歳)
  • 出身地 :イラン
  • 血液型:O型
  • 瞳の色: 茶
  • 毛髪の色 :茶
  • 身長 / 体重:170 cm / 52 kg(BMI 18)
  • スリーサイズ:88 – 59 – 89 cm
  • カップサイズ:D
  • 股下 / 身長比 :70 cm / 41.2 %
  • 靴のサイズ:24.5 cm
  • 活動:タレント、女優、モデル
  • 事務所:エクセリング
  • 日本語、ペルシャ語、ダリー語、タジク語を話す

サヘルローズさんの幼少時代の夢は女優で、イランでも放送されていた「おしん」を見たことがきっかけだそうです。

「探偵バクモン」や国際情報番組のキャスターなどで活躍している

サヘルローズさんは、NHKの「探偵バクモン」という教養番組に出演したり、「いいものプレミアム」という生活情報番組、国際情報番組のキャスターなどで活躍しています。

日本の養護施設をサポートする活動もしている

2012年からサヘルローズさんは、「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」という人権を訴えるNGO団体の代表、土井香苗さんと日本の養護施設をサポートする活動を始めました。

サヘルローズさんは以前、土井さんから日本にも約4万人に近い子供たちが施設で育っているという状況を聞いてとても驚いたそうです。

実際に養護施設にも足を運んだ

FeeLoona / Pixabay

実際に養護施設へ子供たちに会いに行ったサヘルローズさんは、国籍や状況が違っても人から愛されたい気持ちや社会から弾かれて不安になる気持ちは変わりないと思ったそうです。

サヘルローズさんは、今まで日本の人たちに育ててもらった恩返しとして、日本の子供たちに何かできればと思い支援することを決めたそうです。

将来的には自分の国に「サヘルの家」という養護施設を作りたいとも語っていました。

最初に日本に来たときは不法滞在していた?

Skitterphoto / Pixabay

サヘルローズさんが来日したきっかけは義母の知り合いを頼って来たということです。

その時は短期のビザで来ていたそうで、後にビザが切れたということを言っています。詳しい経歴は後程ご紹介しますが、ビザをその後発給してもらったそうです。

その間はオーバーステイであったのかどうか詳しい記述がないのですが、助け船が現れてビザの申請もうまくいったそうです。

サヘルローズの画像は?

サヘルローズさんの画像をここで改めて紹介しましょう。上は舞台「グッドピープル」に出演したときのキャスト紹介の画像です。シンプルなメイクでとても美しいですね。

こちらの画像はサヘルローズさんの写真展が開催された時の画像です。女性らしいメイクとファッションで、上のイメージとはまた違う感じで素敵です。

関連する記事はこちら

サヘルローズの壮絶な生い立ちとは?

goodinteractive / Pixabay

サヘルローズさんには壮絶な生い立ちがあります。日本人の私たちからは、想像できないほど過酷な状況で生き抜いてきた彼女の生い立ちを辿ってみることにしましょう。

11人兄弟の末っ子として誕生、十分な食事もままならないような生活だった

Tama66 / Pixabay

サヘルローズさんは1985年にイラクとイランの国境近くの町で生まれました。11人兄弟の末っ子として生まれたそうです。家は土を塗り固めて乾燥させただけの粗末な家に住んでいたそうです。

父親は大工をしており、手間賃だけで家族13人分を養いきれず、その日の食べ物を兄姉で奪い合うような生活だったそうです。

そんな苦しい生活のため、サヘルローズさんは養子に引き渡される予定でしたが養子にはならずそのままそこで暮らしていたそうです。

イラクの空爆で4歳にして家族を失うが、フローラジャスミンに救われる

Alexas_Fotos / Pixabay

1989年2月下旬のある夜のことです。イラク軍による大規模な空襲が行われ、サヘルローズさんが住んでいる町の住民400人ほとんどが死亡するという痛ましい出来事がありました。

テヘランから遠く離れた町で大規模な空襲があったという情報が入り、病院の医師や看護師など救助隊員がサヘルローズさんの町へ救助活動にやってきました。

フローラジャスミンが瓦礫の中からサヘルローズを引き出す

RitaE / Pixabay

当時大学生で救助活動を行っていたフローラ・ジャスミンさんという女学生が、瓦礫に埋もれているサヘルローズさんを発見したのです。

瓦礫の中に小さい手が見え、人形の手だと思って引き出すとそれはサヘルローズさんの手だったそうです。助け出された時には空爆から4日間が経っていたそうです。

一命をとりとめたサヘルローズさんでしたが、この空爆でサヘルローズさんは4歳にして家族全員を失ってしまったのです。

孤児院で生活していたが死にたいと口にしていた

Alexas_Fotos / Pixabay

助け出された時には衰弱しきっていたサヘルローズさんですが、徐々に体調も回復していったそうです。体調が回復すると戻る家のないサヘルローズさんは孤児院に送られることになりました。

孤児院では出生年月日も本名も分からなかったので、そこでは「ナイゲス」と呼ばれていたそうです。しかし孤児院ではいつも「死にたい」と口にしていたそうです。

たった4歳にして家族も家も何もかも奪われてしまった彼女の心を考えると、胸が押しつぶされそうになりますよね。

フローラジャスミンを「お母さん」と慕い、養母として引き取ってもらう

孤児院で寂しく暮らしていたサヘルローズさんが7歳になった時、瓦礫の山から自分を助け出してくれたフローラジャスミンさんが孤児院を訪ねてきます。

サヘルローズさんはフローラジャスミンさんを一目見て、「お母さん」と呼んだそうです。

フローラジャスミンはいろいろな施設を周っていた

Free-Photos / Pixabay

フローラジャスミンさんは祖母の元で16歳まで育ち、小さい頃から「大人になったら恵まれない子供たちを救いなさい」と言われて育ったそうです。

彼女は大学生になった時に働いてお金をため、いろいろな施設を周って子供たちと触れ合うようになります。

フローラジャスミンさんは、施設で運命を感じる子供に出合ったらその子を引き取ろうと決めていました。

子供を養子にするには三つの条件があった

Myriams-Fotos / Pixabay

サヘルローズさんが第一声でフローラジャスミンさんのことを「お母さん」と呼んだことで、フローラジャスミンさんはサヘルローズさんを引き取って育てようと決心したそうです。

フローラジャスミンさんはインテリで当時名門と言われるテヘラン大学の学生をしていました。孤児院に来ていたのですが、最初はなかなか引き取ってくれなかったそうです。

それというのも孤児院の子供を引き取って養子にするのには、3つ条件がありその条件を満たさないといけなかったのです。

養子をもらう条件

Engin_Akyurt / Pixabay

まず一つは裕福であること。フローラジャスミンさんの家は裕福で名門の家柄だったので、これはクリアーしています。

二つ目は結婚していること。三つめは子供を産めない体であるということです。

フローラジャスミンはサヘルローズを養子にするために自分を犠牲にした

Engin_Akyurt / Pixabay

フローラジャスミンさんは三つ目の条件を満たしていなかったので、病院に行き体にメスを入れて子供のできない体にしてもらったそうです。

サヘルローズさんを引き取るために自らを犠牲にしてサヘルローズさんを引き取ったのですが、義母の決心には並々ならぬものがあったのです。

養母の家族から追放され、2人で来日することに

Anemone123 / Pixabay

イランで非常に身分の高い家柄であったフローラジャスミンさんでしたが、孤児であるローズサヘルさんを養育することは「家柄に傷がつく」として家族からの大反対にあいます。

しかしフローラジャスミンさんの気持ちは変わりなく、結局実家から追放される形で二人は飢えを凌ぐ生活が始まりました。

フローラジャスミンさんは自分の体に傷をつけてまで引き取ったサヘルローズさんを、家族の反対があったところで手放しはしなかったでしょうね。

フローラジャスミンは日本のフィアンセに連絡をする

ADD / Pixabay

自分の家柄を捨て、子供を産めない体になってまでサヘルローズさんを引き取ったフローラジャスミンさんの決心が凄すぎます。

その後、一族から追い出されて困ってしまったフローラジャスミンさんは日本に来ていたフィアンセに電話で相談します。

フローラジャスミンとサヘルローズは全てを捨てて日本へ

StelaDi / Pixabay

頼れるものは何もなく、一抹の望みをかけてサヘルローズさんとフローラジャスミンさんは祖国を離れました。

フローラジャスミンさんは何もかも捨てて祖国を離れることがとても辛かったようで、飛行機の中ではずっと泣いていたということです。その時フローラジャスミンさんは23歳、サヘルローズさんは8歳でした。

サヘルローズさんはなぜ義母が泣いているのか、その時は分からなかったそうです。しかしイランで「おしん」を見ていたので、「おしん」に会えると言って喜んでいたそうです。

日本で同居していた養母の婚約者による虐待、2人とも追い出される

cocoparisienne / Pixabay

フローラジャスミンさんの婚約者はユニットバス付の6畳一間に住んでおり、彼がサヘルローズさんの小学校入学の手続きなどをしてくれたそうです。

しかし同居してからわずか1週間ほどで義父がサヘルローズさんに暴力を振るい始めたそうです。

スーパーの試食品で飢えを凌ぐ極貧生活

thisguyhere / Pixabay

結局は「好きな人が出来たから出て行ってくれ」と一方的に言われて、サヘルローズさん親子を追い出してしまいます。

行く場所がない二人は公園の土管の中で寝るようになり、スーパーの試食品コーナーで飢えをしのいだり、パンの耳を安く買ってきてはそれをかじるという生活をするようになりました。

ホームレス生活から1人の女性に救われる

そんなホームレスの日々から救い出してくれた一人の女性がいました。それはサヘルローズさんの小学校の給食調理員の女性でした。

その女性は毎日同じ服を着て、給食だけで飢えをしのいでいるサヘルローズさんを見て、「何か困ったことがあるんじゃないの?」と声をかけたのがきっかけです。

この女性はアパートの保証人になってくれ、夕飯の差し入れまでしてくれたそうです。しかもフローラジャスミンさんにペルシャ絨毯を織る仕事まで見つけてくれたそうです。

ビザの申請でもお世話になる

zhivko / Pixabay

そうこうしているうちに、二人の観光ビザが切れてしまいます。ここでもこの給食調理員の女性が手助けをしてくれました。

弁護士代を払ってあげて在留資格を短期ビザから絨毯職人である「技能ビザ」に変更してもらうことができたのです。

サヘルローズさんは当時を思い出して、「いくら感謝してもしきれません」と語っています。

小学校高学年から中学校にかけて壮絶ないじめを経験、自殺も考えた

geralt / Pixabay

その後、サヘルローズさんは小学校6年生の時に埼玉県から東京都に引っ越します。しかしその時から周りとなじめなくなってしまったサヘルローズさんにいじめが始まります。

最初は笑って済ませられるほどの他愛もない程度のいじめだったそうですが、次第にエスカレートしていったと言います。

「イラン人はいらん」などと罵倒されたり、階段から突き飛ばされるなどの壮絶ないじめを受けます。

学校で泣いても家では明るい自分を演じていた

Free-Photos / Pixabay

しかし義母を心配させたくないと学校の帰宅中では泣いていても、家に着くと明るい自分を演じていたそうです。

学校ではサヘルローズさん以外に外国人の子供はいなかったし、担任の教師は見て見ぬふりをしてサヘルローズさんの居場所がなかったそうです。

義母がいないうちに命を絶とうと早い時間に家に帰る

VISHNU_KV / Pixabay

ある日学校を早退したサヘルローズさんは母がいないうちに命を絶とうと家に戻ってきます。家について見ると、いつもはいないはずの義母が家にいて、部屋の隅で泣いていたそうです。

日本に来る飛行機の中でしか義母の涙を見たことが無かったサヘルローズさんは「どうしたの?」と母に尋ねます。すると義母は一言「もう疲れた」と一言、言ったそうです。

NEXT:養母も同じように涙を流しているのを目撃し、恩返しを決意
1/3