池部良は渋い名俳優!高倉健の昭和残侠伝出演の条件とは?子供は? エンタメ

池部良は渋い名俳優!高倉健の昭和残侠伝出演の条件とは?子供は?

若い頃の姿が、ディーンフジオカさんに似ていると話題になった池部良さん。実の息子なの?なんて勘ぐる人もいるようです。池部良さんはどんな方なのでしょう?気になる方もいるかもしれませんので、ここでは俳優活動や人となりを画像を交えながら紹介してみましょう。

目次

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池部良とは?

池辺良さんがどのような方だったのか、早速プロフィールから見ていきましょう。

昭和を代表する二枚目俳優・池部良のプロフィール!身長は?

  • 生年月日:1918年2月11日
  • 没年月日:2010年10月8日(92歳没)
  • 出生地:東京府東京市大森(現・東京都大田区)
  • 死没地:日本・東京都
  • 身長:178cm
  • 血液型:B型
  • 職業:俳優・随筆家
  • 活動期間:1941年 – 2010年

ちなみに、父親は風刺漫画家として名を馳せた池部鈞さんです。母親は鞘町小町とあだ名された美人さんだったようです。

映画俳優として多くのヒット作品に主演、青春スターとして活躍した

池部良さんは「青い山脈」をはじめ数々の映画に出演しています。当時としては178センチと長身で、知的な雰囲気を持つイケメンでした。

若い頃は青春スターとして、女性の人気を集めていました。

昭和のトップスター・鶴田浩二も直立して礼儀を尽くすほど大きな存在!

池部良さんは、昭和のトップスター・鶴田浩二さんも一目置く大先輩だったようです。あるエピソードがあります。「日本暴力団 組長くずれ」で池部良さんと鶴田浩二さんが共演したときのことです。

撮影初日早めにセットに入り、一番奥の椅子に座って撮影準備を待っていた池部良さん。そこに主演の鶴田浩二さんがやって来て、池部良さんに直立不動の姿勢で「先輩、ご無沙汰してます」と挨拶をしていたそうです。

このように、池部良さんは当時大スタートして活躍していた鶴田浩二さんも礼儀を尽くすほど、映画界では大きな存在感を持っている方でした。

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池部良の学歴・経歴

映画スターとして活躍していた池部良さんですが、どのようにして、俳優になったのでしょう。

自らオーディションを受けたのか、それともスカウトされたのか、このあたりのことを俳優になるまでの経歴を紹介しながら見ていきましょう。

実家は馬込文学圏の臼田坂、入新井第二小学校に通っていた

池部良さんの実家は、NHKの朝ドラ「花子とアン」で知られるようになった馬込文学圏の臼田坂です。ここから地元の入新井第二小学校に通っていました。

学歴は?立教大学文学部英文科卒業

池部良さんは知的な雰囲気を漂わせる俳優さんでしたが、立教大学文学部英文科を卒業しています。

1940年に東宝撮影所のシナリオ研究所に入り、卒業と同時に東宝へ入社

池部良さんは立教大学に通いながら映画監督を志していました。このため、1940年からシナリオ研究所にも通うようになりました。

その後立教大学と東宝撮影シナリオ研究所を同時に卒業し、監督志望で東宝撮影所に入社しています。

監督志望で入社したが、子守役に!

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東宝撮影所には入社できたものの当時は太平洋戦争の真っ只中で、映画の作成本数は減っていました。このため助監督に空きがなく、池部良さんは文芸部に配属されています。

ここで、当時子役スターとして人気だった中村メイコさんの子守り役を勤めるように命じられ、子守りをしています。中村メイコさんは面食いだったらしく、イケメンだった池部良さんに白羽の矢が立ったようです。

中村メイコの話を聞いた島津保次監督からスカウトされ俳優デビュー!

このように映画監督志望が子守り役をすることになった池部良さんでしたが、ある日転機が訪れます。中村メイコさんは池部良さんを大変気に入ったらしく、大絶賛していたそうです。

この話を映画監督島津保次さんが耳にして、映画出演のオファーをしました。こうして、ひょうんなことから池部良さんは俳優としてデビューすることになりました。

池部良の若い頃の画像は?

スカウトされ俳優デビューすることになった池部良さん。若い頃は細身で長身のイケメンだったようです。

映画「闘魚」の出演で注目され若手俳優の期待の星となる

島津保次監督にスカウトされて出演した映画「闘魚」では脇役でした。しかし、その後若手俳優の期待の星と関係者からは注目を集めるようになります。

1942年「緑の大地」クランクアップ後に召集され中国の山東省に派遣される

俳優としての道を歩み始めた池部良さんです。しかし、日本は戦争中で1942年池部良さんのもとにも赤紙が届き、陸軍に招集されてしまいます。

このとき「緑の大地」を撮影していましたが、招集を受けたのはクランクアップの翌日です。招集を受けた池部良さんは、その後中国の山東省に派遣されています。

中尉として終戦まで戦って日本に戻り、再び俳優業へ

池部良さんは陸軍で幹部候補生として、厳しい訓練を受けたそうです。1944年には南方戦線に移動を命ぜられ、この地で終戦を迎えています。終戦戦時には中尉まで昇進しています。

配属されたハルマヘラ島ではアメリカ軍の艦砲射撃や空爆を受けたそうです。ジャングルの中に避難し、食糧不足から食べられるものは何でも食べたようです。

俳優に復帰するか迷っていた!

終戦から1946年6月まで抑留された後に、池部良さんは日本に戻っています。このとき池部良さんは腸チフスを患っており、日本に戻った後俳優を続けるか迷ってしまいます。

しかし、俳優に復帰するように高峰秀子さんに熱心に説得されました。疎開先の茨城県まで女優・高峰秀子さんと市川崑監督がやって来て、ここで説得されて俳優に復帰する決意を固めたようです。

1949年「青い山脈」で好演し、戦後を象徴する映画として大ヒット

俳優復帰後に池部良さんが出演した映画は、次々とヒットしました。なかでも1949年に出演した「青い山脈」は大ヒットしました。戦後の自由な社会の雰囲気のなかを生きる若者を爽やかに演じきっています。

その後も二枚目スターとして君臨しながら演技派俳優としても活躍

青春スタートして、活躍していた池部良さんですが、演技に磨きをかけて次第に文芸作品にも出演をするようになっていきます。出演作品での演技は高く評価され、演技派俳優としての地位も固めていきます。

1965年9月に池部プロダクションを設立したが、1967年に負債を抱え倒産

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池部良さんは東宝所属の俳優として活躍していました。しかし、1965年に東宝を退社し、このときに自ら池部プロダクションを立ち上げています。

ところが、残念ながら池部プロダクションの経営は軌道に乗リませんでした。池部良さんが自ら監督を務め、映画も制作していましたがヒットには至りませんでした。

池部プロダクションは、1967年に多額の負債を抱えて倒産してしまいます。

69歳で初のエッセイを出版、随筆家としても功績を残した

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俳優として大活躍していた池部良さんは、文才にも恵まれていたようです。

俳優・池部良のエッセイ集。 昭和62年、池部が69歳の時、文藝春秋社から発行された。 平成6年、同社で文庫化。 「風が吹いたら」 というタイトルは、同書あとがきにある 「一陣の風が吹いて来たと思ったら今までに発表した原稿がばさっと集まった感じ」 から来ているようだ。(引用:馬込文学マラソン)

随筆家として、毎日新聞に「そよ風とときにはつむじ風」も連載していました。池部良さんは俳優になる前にシナリオ研究所を卒業しているので、ここで文章を書く技術を身に付けていたのかもしれません。

1991年には、「そよ風ときにはつむじ風」が日本文芸大賞を受賞

毎日新聞に連載していた「そよ風とときにはつむじ風」は1991年日本文芸大賞を受賞しています。この受賞から多数のメディアに連載をするようになり、俳優よりも文筆活動が中心になっていきます。

2010年10月8日に92歳で死去、死因は敗血症だった

晩年は文筆活動や講演を中心に活動していた池部良さんですが、2010年に敗血症で亡くなられています。池部良さん満92歳のときでした。

亡くなられたときには「銀座百点」「百歳万歳」など4つの連載を抱えていたそうです。

名優・池部良の活躍を振り返る動画集

若い頃の池部良さんの活躍を知る方は現在少なくなっています。若い方は名前も聞いたことがないといった方もいるかもしれません。

そこで、ここではそんな方に向けてYouTubeにアップされている動画を紹介します。

映画「青い山脈」

 

戦後大ヒットした青春映画「青い山脈」です。池部良さんは旧制高校の学生役を演じています。

映画「早春」ワンシーン

小津安二郎監督作の「早春」では、淡路千景さんと夫婦の離婚危機にある若いサラリーマン役を演じています。

このシーンは若いサラリーマン池部良さんが定年間際の老サラリーマン東野英治郎さんとお酒を飲んでいるシーンです。このころのサラリーマンも現在と同じようにお酒でうさを晴らしていたのでしょうか。

池部良と高倉健の共演シーン

https://www.youtube.com/watch?v=MZzp7sDECG4

こちらは、高倉健さんとの共演シーンです。出入りに向かう二人、目を合わせただけでわかり合える男の関係、渋い演技が光ります。

昭和残侠伝 破れ傘」軒下の仁義

高倉健さんと共演した昭和残侠伝シリーズの名シーン、池部良さんの軒下の仁義です。筋の通った仁義を切る池部良さんです。

流行歌「若い心は華やかに」

俳優として活躍していた池部良さんですが、1951年公開の「若人の歌」では主題歌を歌っています。こちらはその主題歌「若い心は華やかに」です。

スター俳優・池部良に関するエピソード

池部良はトイレには裸で入るほどのキレイ好き?

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池部良さんは超のつくキレイ好きだったようです。週刊誌との対談で、自宅のトイレで大きい方をするときは裸でトイレに入ると話されています。それに、トイレは基本的に洋式しか使わなかったそうです。

理由ですが、大きい方をすると臭いが湯気で上に上がってきます。洋式なら臭いがつくのは上半身で済むけれど和式は全身についてしまうという考えをもっていたようで、和式は避けていたようです。

着替えとオードトワレを用意!

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このほか、仕事に出かけるときにはシャツとネクタイは予備のものを一着用意していたようです。そして、大きいほうをしたときは着替えていたそうです。

紙や首周りにはうオードトワレ「グレイフランネル」をつけておくとも話していました。池部良さんは相当鼻が良かったのでしょうか。臭いをひどく気にしていたようです。

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