定岡正二の今現在は結婚してる?脳梗塞や歯がボロボロという噂の真相

定岡正二は高校時代の活躍から憧れの巨人に入団して活躍しました。プロ野球を引退した後も、高校からのイケメンぶりは健在で、憎めない性格で「いじられ役」として人気を集めていました。彼の辿った野球人生と、その後の結婚や脳梗塞の噂などの真相を追いかけてみます。

定岡正二の今現在は病気?歯や脳梗塞の噂の真相

プロ野球時には一流の野球選手として人気を博し、引退後も「いじられキャラ」で人気にあった定岡正二は、めっきり表舞台に顔を出す事がなくなりました。

そのためか、彼には歯の病気や脳梗塞が噂されています。その真相と彼の現在の活動状況を調べてみました。

現在の年齢や血液型は?定岡正二のプロフィール

  • 本名:定岡正二(さだおかしょうじ)
  • 生年月日:1956年11月29日
  • 出身地:鹿児島県鹿児島市
  • 最終学歴:歴鹿児島実業高等学校卒業
  • 身長:184 cm
  • 体重:74 kg
  • 所属事務所:エストゥー
  • 愛称:「サダ」「サダさん」「サダ坊」
  • 職業:元プロ野球選手、タレント、野球解説者、野球指導者
  • 投打:右投右打
  • ポジション:投手
  • プロ入り:1974年 ドラフト1位・
  • 所属球団:読売ジャイアンツ(1975 – 1985)
  • 初出場:1977年5月18日
  • 最終出場:1985年10月24日
  • 監督歴:鹿児島ホワイトウェーブ薩摩

1974年巨人にドラフト1位で入団した定岡正二は、「定岡三兄弟」の次男であり、兄の定岡智秋(元南海)、弟の定岡徹久(元広島~日本ハム)ともプロ野球選手になっています。

弟の嫁は元女優の斉藤浩子で、甥の定岡卓摩(智秋の次男)も元プロ野球選手(ダイエーホークス~・・・)になっており、定岡家は鹿児島でも有名な野球一族です。

現在は病気?脳梗塞なの?

geralt / Pixabay

定岡正二は、最近はテレビなどのメディアへの露出が少なくなり、一方では「脳梗塞で闘病中」と噂されています。病気のためにテレビ出演が出来なくなったのかと思う人も多くいたようです。

調査の結果では、定岡正二の「脳梗塞」の話や、他の病気についても全くのデマであり、露出が減ったことからの勝手な推測であったようです。

脳梗塞ではない!噂の原因はシャイとなまりのせい?

RyanMcGuire / Pixabay

脳梗塞になると「言語障害」などの症状があらわれます。定岡は鹿児島県の出身で独特のなまりがあり、また滑舌が良い方でもなかったため、ろれつが回っていないように感じる事もありました。

それらの雰囲気がテレビから伝わって、脳梗塞の症状と間違われたようです。また、彼にはとってもシャイな部分があり、それも人気に1つでしたが、これもテレビでは裏目に出たようです。

長いセリフではカミカミになったりしていたのも、同じく脳梗塞の症状と思われたようで、これらの情報と露出が急に減った事とが相まって「病気説」が浮上したようです。

歯がボロボロになっているのは本当?

彼の滑舌が悪い原因に「歯」の事がいわれますが、特に年令を重ねていってそれが顕著になっていったようです。高校野球の始球式で登場した定岡の歯に注目した人が多くいたようです。

レジエンド始球式の定岡正二を見た人の多くが、定岡の歯の劣化がひどすぎると言っていたようで、実際の画像などを見てもハッキリと歯が抜けているのが確認できます。

歯がボロボロになるのはプロ野球選手あるある?

この異常ともいえる「歯の劣化」は、野球に原因があるそうです。人間は力を入れる時に自然と歯を食いしばるようになっており、実際に歯を食いしばった方が力が出る事も証明されています。

プロ野球選手のクラスになると、歯にかかる力は尋常ではなく、それが何回も何にも渡って負担をかける事になります。そのダメージが引退後などにドッとあらわれるようです。

現在では、そういった理由から専用のマウスピースを着けるプロスポーツ選手も多くなりました。定岡の現役時代にはこうした道具もなく、本人も歯はあまり強い方ではなかったようです。

現在は老けた?歯がボロボロになっている画像は?

高校時代やプロ野球選手の時の定岡正二と現在を見比べると、さすがに60歳を超えたので老けて感じます。しかしイケメンぶりは変わっておらず、老けて見えるのは歯からくる印象も大きいようです。

野球選手に限ったことではありませんが、プロのアスリートの方の歯のダメージについては良く聞きます。

特に先発・完投型の定岡正二の歯には、普通の数倍の負担がかなり長い時間に渡ってかかったため、後遺症として画像のようになってしまったようです。

関連する記事はこちら

定岡正二の今現在は?仕事は何をしている?

定岡正二の現在の仕事は、野球解説と野球の指導者です。野球の解説もテレビ等ですることは少ないようで、主に野球の指導者として活躍しています。

一時期は、プロ野球引退後にタレントとしてテレビに頻繁に出ていたこともあったようですが、野球の指導者にはメディアなどへの制限もあり、指導に集中しているようです。

2012年とんねるずとの番組以降ほぼテレビに出なくなった定岡正二

プロ野球引退後にタレントとして活動していた定岡正二は、1990年代はたくさんの番組に出演していましたが、2012年のとんねるずとの共演を境にテレビへの出演は殆どなくなりました。

巷では「定岡正二」も干されたとの噂も流れたようですが、実際は違ったようです。実はこの頃から元プロ野球の先輩でもあり兄の定岡智秋が高校野球の監督を務めることになったそうです。

野球が大好きだった定岡正二にも「野球指導者としての道」に火がついたようですが、監督業は解説やタレント業などを制限している事から自然とテレビからも離れていったようです。

最近は何をしている?2018年のレジェンド始球式が話題に

100回の記念大会を迎えた2018年の夏の全国高等学校野球選手権記念大会で、定岡正二は大会3日目の始球式に登場して話題になりました。かつての女房役である尾堂栄一捕手と一緒に登場してくれました。

100回大会を記念した2018年は、高校野球を沸かせた有名選手が登場しての「レジェンド始球式」となり、熱狂的な人気を集めた定岡正二も選ばれたという事です。

その定岡は、「野球指導者」としての道を志し、資格取得とともに地元の鹿児島で「薩摩」という社会人チームを2006年に作り、総監督に就任して野球の指導をしています。

【動画あり】巨人vsホークスOB戦にも登場?

巨人の宮崎キャンプ60年とホークスが球団設立80年となった2018年に、記念のOB戦がKIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎で行われました。

ホークスは、南海、ダイエー、ソフトバンクと名前が変わっていますが、変わらず健在で、南海時代の野村勝也氏がOB総監督を務め、ジャイアンツは長嶋茂雄氏が総監督をつとめました。

2月に行われた試合には錚々たるメンバーが揃い、元プロ野球でも第一線で活躍したメンバーが野球を楽しんでいました。定岡正二もジャイアンツの代表として出場しています。

現在は社会人の野球チームを作り監督をしている

定岡正二は、2005年にアマチュアの野球チーム「鹿児島ホワイトウェーブ」を作り監督に就任しました。こととき地元の鹿児島の鴨池球場で「茨城ゴールデンゴールズ」との試合で初采配を揮い勝利しています。

定岡は「鹿児島ホワイトウェーブ」の総監督に坂上二郎氏に依頼して受け入れてもらいました。2006年5月には欽ちゃんチームとの試合で「コント55号対決」が実現し話題にもなりました。

同2006年に定岡正二は、鹿児島県内で2チーム目となる社会人野球チームを作ろうと考え、部員セレクションを行うと同時に監督に就任します。チーム名は「薩摩」とし、レディース部も併設しています。

野球解説の仕事もしている

定岡正二は、ラジオの野球解説の仕事もしています。TBSの「エキサイティングベース」では、毎回ではありませんが、呼ばれる事も多いようです。

他局でも時間と都合が合えば、実況解説をしているようです。

テレビ出演が減った理由は?自ら野球を選んだ?

独特の喋りと天然ぶりが視聴者から愛され、テレビでも人気だった定岡正二ですが、野球の指導者を目指すと決めて、自らテレビ等への出演を控えたようです。

現在は社会人野球の監督をつとめる定岡正二ですが、監督になるための資格取得のための時間があったり、監督になった場合にはテレビへの出演なども制限がされるため露出は自然と減りました。

小さな頃から大好きだった野球を選ぶ決断をしたようです。

定岡正二は現在結婚している?子供は?

高校時代には熱狂的なファンも多かった定岡正ですが、巨人に入団してからやタレント活動している時も、イケメンぶりを発揮して女性の噂は絶えないようでした。

しかし、結婚の話や子供のこのなどは耳にしていません。その辺りの経過や現在についても調べてみました。

若い頃はアイドル的存在だったが結婚している?現在も独身?

Free-Photos / Pixabay

高校野球で2度も甲子園に出場した定岡正二は、テレビでその姿を映され、ルックスの良さから一躍甲子園のアイドルになりました。プロに入っても人気はそのままですが実力が伴いませんでした。

プロでも活躍するようになると、人気は一気に急上昇し、CM等の出演も多くなります。磨きのかかった容姿を女性も放ってはおかなかったようで、たくさんの噂も流れました。

しかし、結婚までには至らなかったようで、結婚した事実や子供の話も全くありませんでした。

独身の原因はイケメンなのにシャイで女性にアタックできないから?!

sipa / Pixabay

これだけルックスが良くて人気もあるのに、なぜ結婚できなかったときかれれば、その原因の1つに彼の性格が挙げられます。とてもシャイな定岡正二は女性に面と向かって体当たりできなかったようです。

野球では、あれだけの度胸を根性を見せながらも、女性の前では別人になってしまうようで、話すことすらおぼつかないのに、告白などできるはずがありません。

何度もテレビに出演しても、番組で美しい女性と出会う機会も多かったようですが、最後の押しの言葉が出てこなかかったようです。

デートの経験はあるが弟や友達でカモフラージュしていた

dzako83 / Pixabay

定岡も女性が嫌いだったわけではなく、それなりに女性と会う機会も設定していたようです。彼の弟の話では結構デートなどもしていたようで、カモフラージュに弟が何度か利用されたと語ってもいます。

過去には浅野ゆう子や国生さゆりとの噂があった

Zizitom / Pixabay

CMやテレビの出演も多かった時には、女優などとの噂も多かった定岡です。有名なのは「浅野ゆう子」との噂で、20年以上前のことになります。

当時は浅野ゆう子は女優ではなく歌手で活躍していた時期でした。また、同じころに国生さゆりとの噂も起き、国生は同じ鹿児島県出身であることから本命視されたこともありました。

残念ながら、どちらも結婚には至らず、その噂の真偽も定かではありません。

イケメン金持ちなのに独身を貫くことでゲイの噂もあった

composita / Pixabay

定岡正二には、困らないだけの財産があり、容姿も良いのに結婚しない事から「ゲイ」ではないかとの噂もされました。実際に性格も良いのことですので、結婚できない理由を探す方が難しいくらいです。

しかし、この「ゲイ」の情報の真偽や、この情報がどこから出たのかもわかっていません。

独身なので息子や娘もなし!今後結婚の可能性はあるのか

GabrielFerraz / Pixabay

彼の現在はというと、あまり浮いた話は聞こえてきません。但し社会人チームには女性チームもあるとの事で、女性との出会いはあるようです。

スポーツ女性との出会いが結婚に発展すればよいのですが、定岡も良い年になりましたので、いくらダンディーとはいえ結婚の対象として見てくれるかは別になります。

60歳も過ぎていますし、恥も外聞も捨ててアタックできるかが鍵となるでしょう。

定岡正二の経歴や活躍について

定岡正二の野球での軌跡から、プロ野球引退後の現在までをご紹介いたします。

高校時代に全国高等学校野球選手権大会に出場

定岡正二は、鹿児島実業高校に在学中に高校球児の憧れの舞台「夏の甲子園」に2回出場しています。2年生の時は打者として代打で出場でしが、3年生ではエースとして出場しました。

この時、鹿子島実業高校は鹿児島県初のベスト4となり、原辰徳率いる東海大相模にも15回の延長を制し勝っています。連投の影響で手首を痛めた定岡は準決勝の3回で交代してサヨナラ負けを喫します。

その時の悲劇的な姿と、端正な顔立ちが見ていた者の心を打ち、大人気となります。「悲劇のヒーロー」の人気はすさまじく、練習場にはファンが殺到し、ファンレターは数え切れなかったと言います。

ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団する

1974年に定岡正二は、社会人から大学生などの全国の魅力的な選手が勢ぞろいするプロ野球ドラフト会議で、最も人気のある球団の「読売ジャイアンツ」から第1位の指名を受けて入団する事になります。

本当は阪神タイガースへ入団したかった?

栄えある「読売ジャイアンツドラフト1位指名」であったにもかかわらず、定岡本人の希望の球団は「阪神タイガース」だったと語っており、ジャイアンツの1位指名の重さも理解していなかったようです。

二軍が続きで一軍での初勝利はプロ入り6年目だった

現在は、高校野球からすぐに1年目で活躍する選手も多くなりましたが、当時は高校生とプロでは身体も全く違う事やシーズンを通して活躍する体力も備わっていないため、2軍から苦労するのが普通でした。

定岡正二も全く同じで、しばらくは二軍での生活が続きました。人気と話題が先行していた定岡は悩んでいました。そしてやっとチャンスが来たのが入団から3年目の1977年です。

この時が初めての1軍での登板でしたが結果が伴わず、以降も1軍での登板はかなわず、やっと1軍での勝利を手にしたのは、プロ入り6年後のことで、対中日戦で6回2失点でしたが初めての勝利を手にします。

その後の活躍は?

入団から6年目で初勝利を手にした定岡正二は、だんだんと自信と実力をつけて1軍でも実績を残すようになります。1980年以降は定岡のピークとも言える期間で投手陣の柱にもなります。

1981年に、個人でも準完全試合となる27人を連続アウトにするなどの活躍で、同年の日本シリーズでも活躍してジャイアンツの日本一に貢献しました。

1982年にはオールスターにも選ばれており、このシーズンは自己最多の15勝を挙げて、江川卓や西本聖とともに「巨人のエース」に成長します。通算で51勝42敗3セーブ、防御率3.83の記録を残しています。

肘の痛みが限界に達し29歳で現役引退

cpastrick / Pixabay

順調に躍進しているようにみえた定岡正二でしたが、1983年頃から調子を落としていきます。高校時代からの連投がたたったようで、肘の痛みが限界に達したのと、持病の腰痛を発症します。

2年後の1985年まで思ったような活躍ができないまま時を重ね、新しい若手の台頭もあり近鉄バファローズへのトレードが発表されますが、移籍を拒否して29歳での現役引退を発表します。

引退時には、当時は浪人中だった長嶋茂雄氏から「米国に行ってみろ」とも言われて、ロサンゼルス・ドジャースのアイク生原オーナー補佐の紹介で渡米しましたが、ここで諦めがついたと語っています。

その後は「生ダラ」でタレントしてブレイク!

定岡正二が第二の人生に選んだのは「タレント」でした。甘いマスクからも二枚目俳優かと思いきや、ブレイクしたのは思いもしないバラエティー番組でした。

日テレ系列のバラエティー「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」、通称『生ダラ』で石橋貴明のいじられ役がきっかけとなります。滑舌の悪い定岡を石橋や木梨が引き込んで視聴者を笑わせます。

言い間違いから「へなちょこサダ」とも命名されて、お茶の間の人気者となり、他の番組への出演依頼も増えて、タレントとしてもキャラクターは違いますがエース的な存在になりました。

サダの愛称は大人だけではなく子供からも大人気だった

White77 / Pixabay

「いじられキャラ」に定着した定岡正二は、野球人の時とは違うお笑いの魅力で子供たちからも人気者となり、幸か不幸か見知らぬ子供たちから「サダーっ!」と呼び捨てされるようになりました。

音楽ユニット「ANDY’S」を結成しCDデビューもしていた!

TeroVesalainen / Pixabay

『生ダラ』の企画で音楽グループ「ANDY’S」を結成する事になり、デビット伊東と一緒にシングル「FREEDOM」を発表します。この企画も石橋貴明の考えたものです。

「FREEDOM」は、佐野元春がプロデュースを務めたように本格的な楽曲であり、佐野元春からの猛烈なアプローチがあったとも言われます。

残念ながらCDはあまり売れなかったようですが、定岡の歌唱力はまあまあ評価されていたようです。その後も調子に乗ってCDを出しますがヒットはしていません。

NEXT 【動画あり】明治チョコレートのCM出演も!