仲宗根美樹の現在は銀座クラブ経営?経歴は?夫や娘・息子について! エンタメ

仲宗根美樹の現在は銀座クラブ経営?経歴は?夫や娘・息子について!

1960年代に活躍した国民的人気歌手仲宗根美樹さんの現在についてまとめます。仲宗根美樹さんの波乱に満ちた経歴をはじめ、2度にわたる結婚と離婚、夫との間に生まれた息子や娘について、現在東京・銀座で経営されているクラブについてなど、詳しくまとめていきます。

目次

[表示]

仲宗根美樹の現在は?

戦後の時代、ブルースや歌謡曲の歌い手として大人気を誇った歌手の仲宗根美樹さん。当時は非常に珍しかった沖縄をルーツに持つ歌手で「沖縄の歌姫」の名で親しまれました。

そんな仲宗根美樹さんの名を一躍有名にした、大ヒット曲「川は流れる」は現在でも語り継がれる名曲です。今回はこの仲宗根美樹さんの現在の様子を詳しく紹介します。

仲宗根美樹のプロフィール!年齢は?【写真画像アリ】

まず最初に、仲宗根美樹さんのプロフィールをおさらいしていきたいと思います。仲宗根美樹さんは太平洋戦争真っ只中の1944年6月23日、沖縄から東京に疎開中だった両親の元に誕生しました。

1961年に日本テレビで放送された刑事ドラマ「東京物語」に女優として出演し、その主題歌だった「愛に生きる」を歌い、同年5月に歌手デビューを果たします。

1961年9月に発表した「川は流れる」が国民的大ヒットを記録し、その翌年には紅白歌合戦への初出場を決めます。その後もヒット曲を連発し、合計5回の紅白出場を果たすなど大人気歌手となります。

1971年の歌手引退後は、2度の離婚や多額の借金を抱えるなどの波乱万丈な人生を送りますが、そうした荒波を乗り越え、2019年6月現在74歳(23日で75歳)となった今は銀座でクラブを経営されています。

1998年テレビ東京「年忘れにっぽんの歌」で25年ぶりに歌手復帰

仲宗根美樹さんは、1971年の1度目の結婚を機に一度芸能界を引退してます。その後、1998年にテレビ東京で放送された歌番組「年忘れにっぽんの歌」への出演をきっかけに25年ぶりの歌手復帰を果たします。

この時のテレビ放送を見た息子さん達に「僕達の事は心配いらないからもう一度歌ってみたら?」と勧められた事で、本格的に歌手としての活動を再開する事を決意されたそうです。

2001年映画「バックステージ」に出演!「I’m a singer」を発売

歌手としての活動を再開した仲宗根美樹さんは、2001年に映画「バックステージ」でヒロイン後藤さやかの母で、かつて一斉を風靡した歌手一色舞子役で出演しています。

仲宗根美樹さんは、この劇中で登場する重要なミュージカル作品「I’m a Singe」の名前を冠する主題歌「I’m a singer」を歌い、約30年ぶりのシングル曲としてリリースしました。

2008年10月長男・國場一成がガンで死去、享年35歳

danigeza / Pixabay

そんな最中、仲宗根美樹さんに突然の不幸が襲います。2008年10月、長男の國場一成さんが35歳という若さで他界したのです。

後で詳しく紹介しますが、この仲宗根美樹さんの長男お國場一成さんは伝説的存在とも呼ばれた天才編集者で、その若すぎる死は多く人々に惜しまれました。

長男が亡くなりうつ病に?

Free-Photos / Pixabay

子供が若くして亡くなってしまう事で、うつ病になってしまう親も多いようです。仲宗根美樹さんは、長男の國場一成さんが亡くなられてから数年の間、ほとんどメディアへの露出がありませんでした。

その事から、仲宗根美樹さんは長男の死が原因でうつ病を患っていたのでは?との噂もある様です。仮にそうだとしても、ここ数年は元気な姿を見せてくれているので回復されていると思われます。

「決定版 仲宗根美樹2014」を発売

その後、仲宗根美樹さんは2013年11月に、キングレコードからベスト盤CD「決定版 仲宗根美樹2014」をリリースされています。

仲宗根美樹の今は経営者?2014年銀座にて「クラブ美樹」を経営!場所は?

仲宗根美樹さんは2014年に、東京銀座にて「クラブ美樹」を開店しました。銀座の高級店ですが「昭和時代のスター仲宗根美樹さんと当時の思い出に浸れる店」として当時のファンの間で評判になっています。

2019年現在も経営されており、住所は「東京都中央区銀座7丁目6-7」となっています。

2017年2月「徹子の部屋」出演、#仲宗根美樹で話題に

https://youtu.be/w6SVrhs83-o

そんな仲宗根美樹さんですが、2017年2月15日に「徹子の部屋」に出演して大きな話題を呼びました。放送日には、TwitterなどのSNSで「#仲宗根美樹」が話題入りするなど注目を集めました。

仲宗根美樹さんは、この「徹子の部屋」への出演がトーク番組初出演で、若い頃の秘話から引退後の波乱に満ちた人生までを赤裸々に明かされました。

番組では早逝された長男國場一成さんの事にも触れ「今が充実していても、長男の事が…」と言葉を詰まらせる場面もあり、やはり最愛の息子の死は現在も仲宗根美樹さんの心に深い傷を残している様でした。

2019年4月息子のNERが品川区議会議員選挙に出馬することを発表

そんな仲宗根美樹さんには長男一成さんの下に2人のお子さんがいます。次男の國場雄大さんは、ニコニコ生放送の人気生主「NER」として知られ、2019年に品川区議会議員の選挙に出馬して話題になりました。

國場雄大さんはNHKの受信料制度に異議を唱える政党として注目されている「NHKから国民を守る党」からこの選挙に出馬し、2532票を獲得して見事当選を果たしています。

「NHKから国民を守る党」で失笑する事件も

この選挙の開票特番がネットで放送され、当選が当確した國場雄大さんが目に涙を浮かべながら、母の仲宗根美樹さんに電話し、当選した事を報告するシーンが話題を呼びました。

仲宗根美樹さんは電話を受け、息子の当選を喜び「ずっとNHKで見てんのよね」と繰り返し「NHKから国民を守る党」からの出馬だった國場雄大さんが思わず苦笑してしまう場面もありました。

このシーンでは、仲宗根美樹さんの母親としての愛情に溢れた顔を見る事ができ、往年のファンの間でも話題を呼びました。息子の國場雄大さんの感極まった様子も感動的でした。

関連する記事はこちら

【動画あり】仲宗根美樹の代表曲は?

仲宗根美樹さんは国民的な人気歌手として活躍し、1960年代に数々のヒット曲を発表しています。その歌声は今聴いても思わず聞き惚れてしまう程です。

ここでは、そんな仲宗根美樹さんのこれまでの代表曲を動画付きで紹介していきたいと思います。

1961年リリース「川は流れる」

仲宗根美樹さんを一躍国民的スターにしたのが、1961年に発表されたデビュー曲「川は流れる」です。

この曲は当初シングル「雨の花園」のB面のカップリング扱いで発表されたにも関わらず、当時流行していた「歌声喫茶」で大評判となり、瞬く間に国民的ヒットソングになります。

これを受けて11月には改めて「川は流れる」の方をA面にして再リリース。レコード売り上げが100万枚を超える大ヒットを記録しています。

「川は流れる」の歌詞にある病葉(わくらば)の意味は?

Santa3 / Pixabay

「川は流れる」の歌詞の冒頭に出てくる印象的な言葉「病葉(わくらば)」とは、病気や虫の影響で変色してしまった葉の事です。

歌詞にある、病葉が都市の狭間にある川を流れていく様子が辛い事が多い人生をイメージさせます。それでも明日は明るく生きようという歌詞が、戦後の復興期を懸命に生きる日本人の心に響いたのかも知れません。

1963年リリース「奄美恋しや」

「奄美恋しや」は1963年に発表された、明るい曲調の歌謡曲でこちらも大ヒットを飛ばしています。

仲宗根美樹さんは、この「奄美恋しや」で1963年の第14回「NHK紅白歌合戦」に2年連続となる出場を果たしています。

こちらは残念あがら仲宗根美樹さん本人が歌う動画はアップされていない様です。

1963年リリース「島育ち」

「島育ち」は1963年発売のシングル曲です。こちらも残念ながら仲宗根美樹さんが歌う動画はアップされていませんでした。ここでは、島唄の人気唄者大島ひろみさんが歌うバージョンを紹介します。

1964年リリース「ドリームファイブ」

https://youtu.be/X8d4NCcFTNQ

1964年にリリースされた「ドリームファイブ」も名曲として知られています。大人っぽい曲調のブルースで、憂いを含んだ仲宗根美樹さんの歌声と合わさって心に響いてきます。

1967年リリース「恋しくて」

1967年には「恋しくて」をリリースし大ヒットを記録します。この曲で仲宗根美樹さんが見せた透き通る様な伸びやかな歌声は、今聴いてもとても魅力的です。

仲宗根美樹さんはこの曲で自身5度目となる「NHK紅白歌合戦」への出場を果たしています。

CM曲「有馬兵衛向陽閣」

有馬温泉の「兵衛向陽閣」のCMソング「有馬兵衛向陽閣」は多くの人の記憶に残っているであろう印象深いCMソングです。実はこのCMの最後の部分「有馬兵衛の向陽閣へ」を仲宗根美樹さんが歌っています。

仲宗根美樹の経歴

ここからは、仲宗根美樹さんの全盛期の経歴について、さらに詳しく見ていきましょう。

東洋音楽学校卒業

stevepb / Pixabay

仲宗根美樹さんは「東洋音楽学校」を卒業されています。現在は「東京音楽大学」の名前で知られる、創立1907年の名門校で、現在も女優として活躍する大空眞弓さんもこの学校に通われていました。

実は大空眞弓さんは、仲宗根美樹さんの母の兄弟の娘で、2人はいとこ同士の関係にあたります。

1960年「東京物語」出演、主題歌「愛に生きる」を歌う

1960年、日本テレビで放送された刑事ドラマ「東京物語」に出演し、その主題歌の「愛に生きる」を歌って1961年には歌手デビューを果たします。

この時、仲宗根美樹さんは高校2年生で、スカウトされた事からの全くの一般人からの芸能界デビューだったそうです。

最初は第1話のみの出演予定だったそうですが、仲宗根美樹さんは監督にとても気に入られ、予定を変更して第5話まで出演する事になったのだそうです。

1961年「川は流れる」がヒット!第3回日本レコード大賞で新人奨励賞受賞

歌手デビューを果たしてからわずか数ヶ月後の1961年9月には「川に流れる」が空前の大ヒットを記録し、仲宗根美樹さんは瞬く間に国民的スターへと躍進します。

この年12月には第3回日本レコード大賞の新人奨励賞を受賞、さらに翌年末にはこの曲で「NHK紅白歌合戦」への出場も果たしています。この出演時、仲宗根美樹さんは紅組のトップバッターを務めました。

「沖縄の歌姫」と呼ばれ活躍する

当時、沖縄はまだアメリカの占領下にあり、日本への返還は果たされていませんでした。

こうした時代背景もあって、沖縄にルーツを持つ歌手、仲宗根美樹さんの存在は非常に珍しく「沖縄の歌姫」の名で呼ばれるなど、大きな注目を集めました。

美人ではなかった?話題性があった

そんな、仲宗根美樹さんの当時の評価としては「ずば抜けた美人というわけではないが、独特の魅力がある女性」というものが多数であったそうです。

当時は沖縄出身の芸能人というのはかなり珍しく、それによる話題性も大きかったと、当時を知る人が語られています。ちなみに仲宗根美樹さんのデビュー時のキャッチコピーは「美しい気怠さ」でした。

1971年歯科医師・本多道明と結婚・芸能界引退

GabrielFerraz / Pixabay

そんな仲宗根美樹さんは、人気絶頂の1971年、歯科医師の本田道明さんと結婚し、この結婚のために芸能界を引退されます。

1972年長男の一成を出産・その後離婚

clem_0704 / Pixabay

結婚翌年の1972年には、夫との間に長男の國場一成さんが誕生しています。しかし、そのすぐ後にやむなき事情により本田道明さんと離婚されています。

白橋栄治と結婚

ただ、仲宗根美樹さんは、そのすぐ後に実業家の白橋栄治さんと2度目の結婚をされています。

かなり慌ただしく、短期間のうちに結婚と出産、離婚から再婚をされた仲宗根美樹さんですが、この辺りの詳しい事情については明かされていません。

白橋栄治はやり手だったが「ビッグマート」が破綻し借金を背負うことに

StockSnap / Pixabay

仲宗根美樹さんの再婚相手、白石栄治さんはやり手の実業家でしたが、1975年に開催された「沖縄海洋国際博覧会」に合わせて展開したショッピングセンター「ビックマート」の経営が破綻し多額の負債を背負います。

1975年仲宗根美樹は東京の神田に「東京エレガンスルーム」開業

Walkerssk / Pixabay

旦那が背負った多額の借金の返済のために、仲宗根美樹さんは1975年12月、東京・神田に「東京エレガンスルーム」を開業し美容系の事業を展開します。

1977年銀座・目抜き通り「仲宗根美樹(審美容)サロン」開設

JordyMeow / Pixabay

仲宗根美樹さんはビジネスが軌道にのると、1977年にエステサロン「仲宗根美樹<審美容>サロン」を東京・銀座の目抜き通りに開店させます。このサロン経営は上手くいき、大繁盛した様です。

しかし、夫の白橋栄治さんは「審美容」が繁盛するのを見て、仲宗根美樹さんにフランチャイズ展開を勧めます。仲宗根美樹さんは最初反対しますが、説き伏せられ事業をフランチャイズ化、全国に展開します。

NEXT:1977年次男の雄大、1978年には長女の亜紀が誕生
1/2