校門圧死事件とは?ブラック校則見直しのきっかけになった事件? 社会

校門圧死事件とは?ブラック校則見直しのきっかけになった事件?

兵庫県の神戸高塚高校で起き、世間を騒がせた「校門圧死事件」。高校の教諭が加害者となり校長は一切責任を取らなかったことでも非難が集中しました。校門圧死事件のその後や少女の死因について関連本からの引用を含めて詳しくまとめましたので、事件をゼロから振り返りましょう。

目次

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ブラック校則の闇?校門圧死事件とは?

日本で最初に「校門圧死事件」が起きたのは、1990年のことでした。いたいけな少女がひとりの教諭、そして高速の犠牲になったということで、当時は世間的にも大きく取り上げられました。

校門圧死事件の概要は?被害者は当時15歳だった石田僚子さん

世間的にも大々的に取り上げられた神戸高塚高校の校門圧死事件は、1990年に起きました。当時15歳だった石田僚子さんが登校時に閉まりかけた校門にはさまれて結果的に死亡したという痛ましい事件です。

校門を閉めたのは神戸高塚高校で生活指導を担当していた教諭。遅刻は1秒たりとも許さないというスタンスで、当日も制限時刻と同時に校門を容赦なく閉めたところ、すり抜けようとした石田さんがはさまれました。

加害者となった細井敏彦教諭は当時、石田さんが頭蓋骨粉砕骨折の末に死亡したということもあって「冷酷非道な高校教諭」としてバッシングを受け、後に自身で手記を発表しています。

事件が起きた神戸高塚高校の門の大きさは?写真はある?

校門をすり抜けようとした生徒がはさまれて圧死する、といっても、その場の様子を見ていなければ具体的にイメージできなかったのかもしれません。

神戸高塚高校の校門は想像以上に頑丈で、高さ1.5メートル、230キログラムと相当な門扉になります。完全に閉め切るためには相当な力が必要で、細井教諭もあっ、と思った時にはもう遅かったのでしょう。

加害者は高校の教諭・細井敏彦?

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神戸高塚高校の生徒だった石田僚子さんを直接的に死に至らしめたのは、校門を閉めた当人である細井敏彦教諭です。

細井教諭は当時、神戸高塚高校の生活指導を担当しており、ローテーションを組んで早朝の登校指導を校門の前で行っていました。

もちろん、細井教諭自身に石田さんに対する殺意はなく、校門を閉めた瞬間も石田さんの存在に気づいていなかったそうですが、たとえ過失にしても責任は免れませんよね。

神戸高塚高校は「研究指定校」だった?

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校門圧死事件によって不名誉なかたちで有名になってしまった神戸高塚高校ですが、実は、当時は兵庫県でも有数の「研究指定校」として知られていました。

研究指定校とは教育、安全などさまざまな面で特別な取り組みをしている学校に与えられる肩書のことで、事件当時は日本に5校しかありませんでした。

神戸高塚高校の場合、安全に関する取り組みが評価されていたとのことですが、そんな高校で校門圧死事件のような悲惨すぎる事件が起きるとは、何とも皮肉ですよね。

校則を破った生徒には罰が課されていた?

日本でも5校しかない「研究指定校」に選ばれていた神戸高塚高校。良く言えば教育に力を入れていた高校のようですが、反面、校則を守らない生徒には厳しい罰が課されていたそうです。

校門圧死事件が起きた当日も数人の生活指導教諭が拡声器片手にかなり厳しく「遅刻するな!」などと煽っていたみたいですから、遅刻に対しても相当厳しかったことがうかがえます。

この事件はブラック校則が引き起こしたものだった?

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ここでちょっと視点を変えて、神戸高塚高校が自由な校風だったら何が起きていたのだろう、と考えてみましょう。

遅刻をそれほど問題視しなければ、当然、「制限時刻ぴったりに門扉を閉める」という機械のような心ない対応をする必要もなく、校門圧死事件のような悲惨で無意味な事件が起きることもなかったでしょう。

つまり石田さんは、大人たちがつくった杓子定規な校則の犠牲者だったのです。

この事件を防ぐにはどうしたらよかったのか?

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校門圧死事件の原因を考えるためにはまず、「ルールと人間」という関係性について見つめ直す必要があります。

ルール違反に対する寛容性が少しでも神戸高塚高校の教諭側にあったなら、遅刻寸前の石田さんが校門にはさまれて圧死することもなかったでしょう。

校門圧死事件は悲惨すぎる事件でしたが、その後の日本に、校則とは何か、教育とは何か、ということについて深く問いかけるきっかけとなりました。

本当に教員が悪いのか?女子生徒に非はない?

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神戸高塚高校の校門圧死事件に関しては、いたいけな少女が犠牲になったということもあり、学校側が完全に悪者であるかのように報道されました。

事件からある程度時間が経つとその反動として、犠牲となった石田さんのほうに非があったのではないか、という論調も強まりましたが、それは完全なる誤りです。

教育機関としてはいかなる理由があろうとも死者を出してはならず、「ルール違反を犯したから犠牲者にも非がある」という論調を許してはなりません。

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ひどすぎる?校門圧死事件での学校の対応は?

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石田さんの死について、神戸高塚高校側はどのように対応したのでしょうか。時系列を追って見ていきましょう。

当日、試験は予定通り実施された

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校門圧死事件が起きた当日、神戸高塚高校では期末試験の期間中でした。圧死事件は早朝に起きているのですから、常識的に考えれば試験を中止し、きちんと警察に届けるべきだったと思われます。

しかし、試験は中止にはならず、石田さんをたんなる事故として処理したうえで警察にも報告しませんでした。石田さんの死を軽く見ているとしか思えません。

女子生徒に関しては「命に別状はない」と説明

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石田さんが校門にはさまれる瞬間は数人の女子生徒に目撃されています。当然、石田さんの安否を気遣う声が女子生徒からも上がりましたが、学校側は一貫して「命に別状はない」と説明しています。

1990年7月20日、全体保護者会を実施

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校門圧死事件の2週間後、1990年7月20日に高校側は事件に関する全体説明会を開いていますが、この際の対応も非常にお粗末なものでした。

事件に関する責任を全面的に認めるかと思いきや、高校側はあたかも「誰がこの情報をマスコミにリークしたのか」という言い方を繰り返し、謝罪らしい謝罪をしたのはずっとあとのことでした。

録音テープ問題が起きる

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さらに、7月20日の保護者向け全体説明会後には「録音テープ問題」が持ち上がりました。

保護者会は早くから説明会の録音テープの公開をもとめていたにもかかわらず、兵庫県および高校側は「請求事由にあたらない」として公開を長らくさけてきました。

テープが公開されたのは事件から8年後?

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録音テープが公開され、校門圧死事件の全貌が世間的に明らかになったのは、事件からおよそ8年後のことです。

死者まで出した事件の対応としては、あまりにも遅すぎますよね。

事件が起こった時PTAが取るべき対応は?

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校門圧死事件に際しての神戸高塚高校の対応は、ネガティブな意味でも、「PTAの事件対応」という面で非常に示唆的でした。

どんな事件であれ、それが公になった以上、PTAとしてはまず学校側に情報の開示を要求するべきです。そして、そのうえで責任の所在を明らかにし、今後の対応策を学校とともに考える、という姿勢が重要です。

初動の段階で情報を隠したり、曖昧な言い訳を繰り返すような学校は保身に走っているだけであり、不誠実と言わざるを得ません。

教育業界の腐敗が露見している?

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神戸高塚高校の校門圧死事件が明らかにしたのは、ブラック校則問題ばかりではありませんでした。

保護者向け全体説明会でも、高校は責任の所在を明らかにせず、教諭、教頭、校長と役職が重くなるほど処分が軽くなる、という理不尽な対応が行われました。

情報の隠蔽体質にも、日本の教育業界の病理が表れていたと言わざるを得ません。

学校側にこのような対応をされた時はどうする?

神戸高塚高校の校門圧死事件は30年近く前の出来事ですが、事件の教訓は現代にも充分に通じるものがあります。

万が一、あなた自身がこのような事件の当事者になった場合、まずは第三者機関に相談しましょう。場合によってはマスメディアに情報をリークしても良いかもしれません。

校門圧死事件をはじめ、教育現場での理不尽なトラブルはマスコミに拡散されることによって世間に広く周知され、少しずつ状況が好転していく、という側面をもっています。

事件のその後の影響は?門撤去?

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校門圧死事件から、もうすぐ30年が経とうとしています。あの事件の後、神戸高塚高校ではどのような対応が取られたのでしょうか。

犯人の教諭は懲戒免職に

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校門圧死事件において直接的に校門を閉め、石田さんを死に至らしめた細い敏彦教諭は事件後、懲戒免職処分となっており、これは当然の措置であると言えます。

教諭は書類送検・起訴された?判決は?

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石田さんという死者が出たということで、校門圧死事件には警察が介入し、細井教諭は業務上過失致死の罪で書類送検され、起訴されています。

そして、裁判の末に細井被告は有罪となっており、「生徒への教育上の配慮に欠けていた」ことが判決の理由となっているようです。

教諭は懲戒免職を不服として異議申し立てを行っていた?

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事件を受けて書類送検の末に懲戒免職処分になった細井教諭ですが、処分後に懲戒免職を不当だとして異議申し立てを行っています。

校長や教頭などの管理職員への処分は?

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細井俊彦教諭は事件後、懲戒免職処分となりましたが、当時の校長は戒告、教頭のほうは訓告処分となっています。なお、校長のほうは事件後に辞任をしています。

戒告のほうが訓告よりも処分としては重いため、学校長の責任を司法としてはより重く見た、ということのようです。

被害者女子生徒の遺族と示談が成立

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校門圧死事件については、最終的に高校側と被害者となった石田さんの遺族の間で6000万円の示談が成立しています。

決してお金で解決できるような問題ではありませんが、この示談によって遺族にとってせめてもの救いがおとずれたのではないでしょうか。

学校側は門を撤去!住民との小競り合いが起きた?

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事件後、高校側は事件の原因ともいえる門扉を撤去しようとしますが、「事件をなかったことにするな!」という保護者の批判を受け、一時は撤去を断念しています。

高校側としてはせめてもの配慮のつもりだったのかもしれませんが、本当の事件の原因は門扉ではなく、保守的すぎた教員のほうだったのではないでしょうか。

高校はIH出場、指定校推薦も辞退

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当然といえば当然ですが、事件の翌年以降、神戸高塚高校はインターハイの出場および指定校推薦を辞退しています。

ただ、事件に直接関係がなく、部活に熱心に打ち込んできた生徒たちの心情を考えると、きっと相当に歯がゆかったでしょうね。

加害者教諭・細井敏彦はその後、本を出版

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事件の加害者となった細井敏彦教諭は懲戒免職処分となったあと、校門の時計だけが知っている―私の「校門圧死事件」という手記を出版しています。

細井敏彦の現在は?

事件から3年後に手記を出版した細井教諭ですが、現在の情報はほとんどありません。ただ、もうすでに一線を退いているはずであり、事件をどのように受け止めているか、ということが気になります。

事件の様子を版画で伝える人が存在?

校門圧死事件は各方面に波紋を広げました。イラストレーターの大竹奈緒子さんは事件を風化させないために版画というかたちで事件の顛末を描きつづけています。

原画のほうもぜひともチェックなさってください。

校門圧死事件の原因?ブラック校則の実態は?

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校門圧死事件はなぜ起きてしまったのでしょうか。忌まわしき校門圧死事件を再発させないために、事件の原因を深く探っていきましょう。

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