安藤和津は母の介護でうつを経験?犬養毅の血筋?華麗なる家系図! エンタメ

安藤和津は母の介護でうつを経験?犬養毅の血筋?華麗なる家系図!

エッセイストで、コメンテーターとしても活躍されている安藤和津さんは、元首相「犬養毅」を祖父に持つ超がつくほどのお嬢様。その凄すぎる家系図や、安藤和津さんの若い頃、旦那さんの奥田瑛二さんとのエピソードや、活躍する娘さん達、更には整形疑惑までをまとめました。

目次

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安藤和津とは?現在の活動は?

安藤和津さんは大学卒業後、2年半の間イギリスのケンブリッジベルスクールへ留学、帰国後は現在の旦那さんである俳優・奥田瑛二さんと知り合い、たった半年で同棲期間を経て結婚しました。

その後、生活費を稼ぐためにリポーターやキャスターの仕事をするようになります。2人の娘さんを持つ母でありながら、タレントとしての活動を続けた安藤和津さん。

現在はエッセイストとして執筆や講演活動をする一方で、テレビ番組のパネラー・コメンテーターを務めるなどタレントとしても大活躍されています。

年齢や血液型は?安藤和津のプロフィール

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テレビ番組などで活躍されている安藤和津さん。まずはプロフィールからご紹介します。

  • 氏名:安藤和津(本名:安藤和子)
  • 生年月日:1948年3月6日
  • 出身地:東京都台東区
  • 血液型:A型
  • 出身校:学習院初等科~高等科、上智大学文学部独文学科卒業
  • 所属事務所:株式会社 SPRING SEED

現在71歳の安藤和津さん。とても70歳を超えているとは思えないほどお美しいです。『姓』は、旦那さんである奥田瑛二さん(本名:安藤豊明)と結婚し、旧姓(荻野又は犬養)から安藤に変わっています。

エッセイスト・タレントとして活躍

メディアでの露出が多い安藤和津さんは、タレントとしてバラエティ番組に出演したり、情報番組のコメンテーターとしても大活躍されています。

その一方で執筆活動も長きに渡り行っており、40歳頃から多数の著書を出版されています。過去には絵本「月のうさぎ」を出版。この絵本は旦那さんである奥田瑛二さんがイラストを担当しました。

エッセイストとしても活躍を続ける安藤和津さんは、執筆の傍ら講演会を開催するなど、70歳を超えた現在もとてもアクティブに活動しています。

父親は犬養毅の三男・犬養健、非摘出子でのちに認知される

安藤和津さんの父親は、戦前に内閣総理大臣を務めた「犬養毅」の三男・犬養健さんです。犬養健さんは東大を中退後に小説家として活動。その後、政治家に転身したという経歴を持つ政治家です。

安藤和津さんの母・荻野昌子さんが芸者をしている頃に二人は出会い、27歳の年の差を越え結ばれました。しかし、父である犬養健さんには既に妻子がいたのです。

安藤和津さんの母親は犬養健さんの子を宿し、25歳で出産。出産当時は私生児(非嫡出子)だった安藤和津さんですが、出生から少し経った後に、犬養健さんが自分の子として認知したようです。

安藤和津の現在の活動・出演情報は?

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テレビ番組などでその姿を拝見することの多い安藤和津さんですが、現在はどのような活動をされているのでしょうか。

ここでは、安藤和津さんの現在の活動や出演情報についてご紹介します。

「バイキング」や「情報ライブ ミヤネ屋」に出演中

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タレントとしても活躍している安藤和津さん。近年は、ワイドショーや情報番組などのコメンテーターを務めることも多いようです。

フジテレビ系列で、平日(月曜日~金曜日)の昼の時間帯に放送される情報トークバラエティ番組「バイキング」には、不定期ですがゲストとして度々出演されています。

また、読売テレビ制作・日本テレビ系列で平日に放送されている情報番組「情報ライブミヤネ屋」にもコメンテーターとして不定期に出演されています。

「ウチ、断捨離しました!」にも出演

以前は、BS朝日のドキュメンタリー番組だった断捨離が、2019年4月よりレギュラー番組として放送を開始した「ウチ、断捨離しました」

断捨離のプロフェッショナルであるやましたひでこさんが、各家庭を訪れ断捨離を行う番組です。

安藤和津さんは、5月15日放送回にゲスト出演しています。

教育や介護、環境問題などに関する講演会も積極的に行っている

現在、「法教育推進協議会委員」を務める安藤和津さんは、教育に関する知見も広く、教育問題に関する講演会なども開催されています。

更には自身の介護経験や、環境・エネルギー問題などに関する講演会も積極的に行い、テレビ出演以外にもその活動の場は広く・多岐に渡ります。

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安藤和津は12年にもおよぶ母の介護生活ののち鬱になっいてた?

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安藤和津さんは自身の著書やテレビ番組で、母親の介護生活を告白しています。その介護生活は実に12年にも及ぶもので、在宅介護を選択した安藤和津さんは心身ともに疲弊していきました。

介護生活や仕事による「過労」が原因で、在宅介護はドクターストップが掛かり、ヘルパーに介護を一任するも、その後、母親は転倒し入院。そして寝たきり状態になってしまうのです。

『要介護5』となった母親の介護と仕事の両立でいつしか「うつ病」を患ってしまった安藤和津さん。それは2006年に母親が逝去した後も長く続くものとなりました。

母の言動がおかしくなった!原因はすぐに判明せず

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母・荻野昌子さんの言動がおかしくなり始めたことに気付いたのは、安藤和津さんが40代後半の頃。いつも気丈だったという母親は、人が変わってしまったかのように気性が荒くなったそうです。

ズボンがうまく脱げないとイラついて、ハサミで切り刻んだり、リモコンを投げつけて物を壊してしまうことは日常化していきました。

更には、知り合いに対しても失礼なことを平気で口にしてしまうなど、それまでの母親からは考えられない物言いをするように。しかし、その原因はすぐに判明しなかったそうです。

母の脳腫瘍が見つかって認知症にもなり、在宅介護が始まった

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母親の問題行動は日に日に悪化の一途を辿り、安藤和津さんの母親に対するストレスはどんどん蓄積されていきました。愛し尊敬する母に「死ねばいい」と思うほどの辛い日々だったのです。

ヒステリック、暴力・暴言がエスカレートする中、料理する際の鍋を空焚きすることが頻繁になったことで、嫌がる母を病院に連れて行き、脳の検査をしたのが1998年の頃です。

検査入院の結果、母親の脳には脳腫瘍があることが判明します。以降、母親の在宅介護を開始しましたが、後に”老人性うつ”と”認知症”も既に発症していることが判明したのです。

介護をするうちに鬱になり、介護を終えてもその症状は長く続いた

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母親の介護に「在宅介護」を選択した安藤和津さん。旦那さんである奥田瑛二さんと2人の娘さんも、母親の介護には協力的で、夫々が出来ることを精一杯してくれたといいます。

それでも当時、仕事以外の時間のほぼ全てを母親の介護に要していた安藤和津さんは、1日の平均睡眠時間が僅か2時間。更には金銭的な問題までもが一気に降りかかり家計も逼迫します。

いつしか安藤和津さんは毎晩のように死ぬことを考えるようになり、家族会議の末に心療内科を受診すると「介護うつ」と診断されました。そして介護を終えた後もその症状は長く続くものとなったのです。

孫の存在が救いになったという

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2006年4月に家族全員に看取られこの世を旅立った安藤和津さんの母親・荻野昌子さん。しかし、長い間母親の介護を中心とした生活を送ってきた安藤和津さんは介護うつから抜け出せずにいました。

「母」という偉大な尊敬できる存在を失った悲しみ・寂しやもあり、無気力で何も出来ない日々が続いたそうです。家事はもちろん、母親の遺品の処分も何一つ手つかずな状態がしばらくあったといいます。

しかし、娘さん2人が自立・結婚し、孫が誕生したことが、無気力だった安藤和津さんを蘇らせます。2人の孫の存在が安藤和津さんの「心」を救ったのです。

家族に支えられながらの介護の経験を公表、エッセイも出版している

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12年にも及ぶ介護生活は、安藤和津さんの心身を蝕み「介護うつ」を発症するほど壮絶なものでした。それでも愛する母の最期を家族全員で看取ることができ「最高の見送りができた」といいます。

安藤和津さんにとっては自分の母親ですが、旦那さんである奥田瑛二さんにとっては「義母」、2人の娘さんにとっては「祖母」。皆が母・荻野昌子さんの在宅介護を望んだそうです。

家族にしっかりと支えられながらの長い介護生活を公表した安藤和さんは、母の介護についてのエッセイも出版しています。

安藤和津のエッセイ①:「オムツをはいたママ」

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母・荻野昌子さんの脳腫瘍が見つかり、介護生活を始めてから6年経過した2004年8月に、グラフ社から『オムツをはいたママ』を出版しています。

母親が病を患い、介護を経験したことで「親子とは・家族とは何か」「人の老い・生きる意義」を見つめ、そして自らの母親への気持ちを綴った一冊です。

安藤和津のエッセイ②:「”介護後うつ”」

母親を看取った後も長く安藤和津さんを苦しめ続けた「介護後うつ」ですが、2017年の年末頃ついにうつから抜け出すことが出来たのです。

介護によってうつ病を発症した安藤和津さんが、介護が終わってからも「介護後うつ」によって苦しんだ日々を一冊の本に纏めています。

2018年10月に光文社から出版された『”介護後”うつ』は、安藤和津さんの家族の愛・絆と、介護後も気力と感情を奪い続けた「うつ」の顛末を綴っています。

安藤和津が旦那・奥田瑛二と結婚するきっかけは母の一言だった?

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今年で結婚生活40年を迎える安藤和津さん。旦那さんである俳優・奥田瑛二さんとの出会いからたった半年で結婚を決めた「スピード結婚」でした。

当時はまだ無名に近い役者だった奥田瑛二さんは、安藤和津さんの母親が『結婚する条件』に挙げる理想とは全く真逆のタイプでした。

しかし、結婚には当然敗退するだろうと思うっていた母親が、安藤和津さんに奥田瑛二さんと結婚することを薦めたのです。

安藤和津の夫は俳優の奥田瑛二

安藤和津さんの夫は、映画監督としても活躍されている名俳優・奥田瑛二さんです。安藤和津さんより2歳年下で、現在は69歳。画家としても活動しており、度々個展を開いています。

幼い頃から俳優を志していた奥田瑛二さんですが、20代の頃は役者を目指したり、政治にのめり込んだり(父親は元・春日井市議会議員)とブレた時期もあったようですが、改めて役者を志します。

1979年に出演した映画でその実力が認められると、それ以降、映画・ドラマへの出演は一気に増え大ブレイク。現在も活躍を続ける名優です。近年は映画監督としての活動に力を注いでいます。

安藤和津と奥田瑛二の出会いは知人の誕生日パーティーだった

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大学を卒業後は、「父親の遺言」だからと母親がイギリスへの留学を勝手に決めてしまい、言われるがままに渡英。イギリスでの留学生活はお嬢様育ちだった安藤和津さんを大きく成長させました。

留学から2年半が経過した時に、母親が体調を崩したことで帰国。母親との同居を再開させた安藤和津さんは「働いても良い奥さんになれない」と言われ、花嫁修業に専念します。

そんな中、知人のパーティーに参加し、奥田瑛二さんと出会います。初めて奥田瑛二さんを見たとき「スポットライトが当たったように輝いて見えた」と安藤和津さんは話しています。

箱入り娘の安藤和津に花嫁修業させた母!奥田瑛二との結婚は許されない?

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生まれた時から「超お嬢様」だった安藤和津さん。専用のお手伝いさんがいてどこに行くにも必ず誰かがついてきたそうです。小学生の頃は学校の登下校はハイヤーを使うほどの箱入り娘として育ちました。

母・荻野昌子さんは、安藤和津さんが20歳の頃に突然料亭をたたみ娘の花嫁修業に注力するようになります。それは留学を終え自立心を養い帰国した安藤和津さんに対しても変わりませんでした。

2年半のイギリス留学で養った語学力を活かすことなく、花嫁修業に専念することになった安藤和津さん。奥田瑛二さんは母親が挙げる条件とは程遠いもので、結婚相手として許される人物ではなかったのです。

しかし2人が結婚を意識するきっかけは母の直感の言葉だった

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パーティーで知り合った2人。この頃、ほぼ無名同然の俳優だった奥田瑛二さんは家賃が払えないほどの貧乏役者で、代々木公園などでホームレス同然の生活をしていました。

交際を始めた安藤和津さんは、母親の目を盗んで自宅に奥田瑛二さんを招き入れ、食事を振舞ったり泊めたりしていましたが、母親に見つかり奥田瑛二さんは追い出されることもあったようです。

しかし、安藤和津さん宅で奥田瑛二さんが倒れ1ヶ月ほど看病や身の回りの世話をしていた際「この二人なら上手くいく」と感じた母親が結婚を勧めてくれたことが、結婚を意識するきっかけとなりました。

安藤和津は奥田瑛二とプチトマトが原因で離婚危機に陥った?

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俳優としてブレイクした奥田瑛二さんは、芸能界きっての「モテ男」で、安藤和津さんとの結婚後も合コンを開催したり浮気を繰り返したりと、女性問題は後を絶たなかったようです。

それでも離婚することなく40年もの間連れ添っている安藤和津さんですが、実は女性問題とは別に「プチトマト」が原因で離婚の危機に陥った過去をテレビ番組で告白されています。

お弁当に入れるプチトマトを、奥田瑛二さんは「冷蔵庫の奥のごみみたいなもの」と言い、捨てようとしたことに安藤和津さんが激高。朝方まで大喧嘩をし、本当に離婚を考えた事件だったそうです。

安藤和津と奥田瑛二の娘たちの現在は?

安藤和津さんと奥田瑛二さんには2人の娘さんがいらっしゃいます。現在は2人とも自立し、それぞれに活躍され周知されていますよね。

長女である安藤桃子さんは、1982年3月19日生まれで現在は37歳。安藤和津さんが34歳の時に誕生しています。次女の安藤サクラさんは、1986年2月18日生まれで現在は33歳です。

とても仲の良い姉妹で、妹のサクラさんは「姉がいれば、恋人はいらない」と本気で思っていた時期があったそうです。

長女の安藤桃子は映画監督であり小説家

高校1年の夏に「絵の勉強がしたい」とイギリスの『ケンブリッジ・アーツ&サイエンス』へ留学した安藤桃子さん。その後はロンドン大学の芸術学部へ入学し、飛び級した後次席で卒業します。

更にそこからアメリカに渡りニューヨーク大学へ入学。この時に映画づくりを学ぶ最中、父・奥田瑛二さんの監督作品に美術助手として参加するなどしたことで映画の世界に魅せられたようです。

助監督時代を経て、2010年に映画「カケラ」で監督デビュー。翌2011年には長編小説「0.5ミリ」を出版。2014年には小説「0.5ミリ」を映画化するなど、映画監督・小説家として活躍されています。

一般男性と結婚して子供もいる

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2014年3月に和歌山県の山中で知り合った一般男性と結婚した安藤桃子さん。意気投合した2人はその後交際を開始し結婚に至ります。

安藤桃子さんの旦那さんは、山籠もりし修行を行う「修験者」で、山で狩猟をするなどワイルドな男性。男性の好みが「本能・感性をむき出しにしている人」という安藤桃子にはピッタリです。

翌2015年2月には長女を出産しますが、幸せな結婚生活は長く続かず2018年6月に円満離婚しました。旦那さんが修験者であることと安藤桃子さんの多忙による”すれ違い”が離婚原因のようです。

次女・安藤サクラは演技派女優として数々の賞を受賞している

父・奥田瑛二さんの舞台を鑑賞し、僅か5歳で女優になる夢を抱いた安藤サクラさんは、高校生で女優の道を歩み始めます。2007年、奥田瑛二さんが監督、姉・安藤桃子さん助監督作品で女優デビューします。

2009年に出演した映画『愛のむきだし』でその高い演技力が評価され、ヨコハマ映画祭・助演女優賞を受賞。以降も注目作品に多数出演し、多くの賞を受賞する若手演技派女優として大活躍されています。

2018年10月~2019年3月まで放送された、NHKの連続テレビ小説『まんぷく』に主演として出演。製作統括の真鍋斎氏は「幅が広く役を憑依させる役者」と、安藤サクラさんの演技を高く評価しています。

安藤サクラは榎本明と角替和枝の息子で俳優の榎本佑と結婚した

安藤サクラさんは、父が俳優・コメディアンの柄本明さん、母が女優の故・角替和枝さんの長男で俳優の柄本佑さんと、2012年3月に結婚しています。

「あきた十文字映画祭」に参加した際、夫の柄本佑さんの弟・柄本時生さんの紹介で知り合い、安藤サクラさんの声を聴いた瞬間に『ビビッ』ときた柄本佑さんが、結婚前提の交際を申し込んだそうです。

交際を開始した2人は、3年の交際期間を経て結婚。2017年6月に第一子となる長女を出産しています。又、2018年には「キネマ旬報ベスト・テン」で夫婦揃って主演女優賞・主演男優賞を受賞しています。

安藤和津の家系図がすごい!華麗なる家柄のお嬢様だった

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元小説家でその後政治家に転身し、法務大臣を務めた父・犬養健さんと、元芸者でその後料亭を経営し、女手一つで娘を育てあげた母・荻野昌子さんとの間に非嫡出子として生まれた安藤和津さん。

後に父・犬養健さんが私生児として生まれた安藤和津さんを認知してからは「愛人(妾)の子」という立場となりましたが、父親である犬養健さんは元内閣総理大臣の息子であり華麗な一族の一員でした。

由緒ある「犬養家」の血を引く安藤和津さんも、幼い頃から超お嬢様として育てられています。そんな犬養家の家系図と華麗な家柄である安藤和津さんのお嬢様エピソードとはどのようなものでしょうか。

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