佐竹雅昭の現在は?空手はまだ続けてる?一時は死亡したという説も!

空手やK-1といった格闘技の世界で活躍してきた佐竹雅昭さんは、現在はどこでどうしているのでしょうか。気になるファンの方も多い佐竹雅昭さんの来歴や現役時代の強さの秘密、さらには趣味やご家族などのプライベートや現在の様子にも迫ってみます。

空手家・​佐竹雅昭の現在は?今どこで何してる?​

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ここでは、佐竹雅昭さんのプロフィールや開設された道場、現在の活動やパンチドランカーの後遺症の懸念、趣味から気になる死亡説までを追います。

佐竹雅昭のプロフィールと画像

佐竹雅昭のプロフィールは以下の通りです。

  • 本名: 佐竹 雅昭
  • ニックネーム::「さたやん」「掟破りの空手家」「怪獣王子」
  • 階級: ヘビー級
  • 誕生日::1965年8月17日
  • 出身地: 大阪府吹田市
  • 身長 :87cm
  • 体重: 105kg
  • 血液型:A型
  • スタイル:フルコンタクト空手、キックボクシング
  • 座右の銘:「闘志天翔」(佐竹雅昭さん自作の造語。“運命を己で切り開き、人生という闘いを通して更なる高みを目指す”という意)

2003年に京都に開設した「佐竹道場」が現在も継続中

佐竹雅昭さんは2003年、京都に「空手道佐竹道場」をオープンさせました。

「佐竹道場」で教えているのは「総合打撃道」で、佐竹雅昭さんのこれまでの経験により培われて出来上がった武道です。心を鍛え基本的礼儀作法も重視しています。

現在でもこの道場では生徒を募集中しています。

空手道 佐竹道場

京都市下京区麩屋町四条入ル八文字町341

075-361-1199

(引用:佐竹道場)

2007年に歯科医師らと立ち上げた平成武師道の活動も続けている

「平成武師道」とは、佐竹雅昭さんを中心とし、京都で歯科医院を開業する山口貴史さんらと立ち上げた会です。

現役の格闘家としての経験を活かし、礼儀や節度を見直し「義」を探求し、後世に伝える精神文化を培うために後半生をかけるため、

30~40代の経営者の方々を中心に身体を鍛えたり経営のあるべき姿を議論するなどの「人間活動学」活動ををしている他、人材育成や講演会、団体研修も行っています。

僧侶同士の交流の場を設ける「無我の会」も設立、こちらも続いている

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佐竹雅昭さんは、宗派が異なるお坊さんどうしの年1回の交流の場を設けるべく、「無我の会」を立ち上げました。

西本願寺と東本願寺にはじまり、現在では天台宗や曹洞宗などの多くの宗派のお坊さんたち140人超の大規模な会となっています。

格闘技関連のイベントにも積極的に参加している

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現在の佐竹雅昭さんは、JFKO(全日本フルコンタクト空手道連盟)など空手道場の団体向けにセミナーを行ったり、格闘技の行事やイベントにも積極的に参加しています。

現役時代に懸念されたパンチドランカーの後遺症は現在無し

現役時代、佐竹雅昭さんはパンチドランカーではないかと思うような症状に悩まされた時期がありました。

実際パンチドランカーにはならずに済みましたが、試合で脳が揺れ動き死の瀬戸際となることが4度ほどあったそうで、試合後は医師に絶対安静を命じられていました。

気になる後遺症については、現在普通に生活されており、目立った後遺症に悩まされているということはないようです。

公式ツイッターでサブカル趣味を爆発させる事も

佐竹雅昭さんは、サブカルチャーに造詣が深く、漫画やフィギュアが大好きなことで知られています。

佐竹雅昭さんのツイッターの画像には多くのフィギュアが登場することからも、サブカルチャーへの並々ならぬ愛が伝わってきます。

本人のフェイスブックも!投稿内容はサブカルや格闘技など様々

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佐竹雅昭さんはFacebookもやっています。内容は仕事の格闘技からサブカルチャーの趣味、さらにはプライベートまでと幅広く、更新もまめに行われています。

ブログはしていない?

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佐竹雅昭さんはブログをされていないようです。FacebookやTwitterの更新がまめに行われ、内容も充実していることから、それらで情報発信をされているようです。

佐竹雅昭には死亡説も流れていた!その理由は?

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佐竹雅昭さんが引退された後一時期死亡説が流布したことがあります。

かねてより佐竹雅昭さんはパンチドランカーのような症状で悩まされていましたが、それが悪化し、死亡に至ったという噂です。

ですが、いうまでもなくまったくのデマであり、こういった噂が流れるのも佐竹雅昭さんの人気や注目度の裏返しと言えるでしょう。

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佐竹雅昭の経歴と生い立ち

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佐竹雅昭さんの経歴や生い立ちはどのようなものだったのでしょう。空手の道を歩み始めてからK-1などの格闘界を経て、現在に至るまでの歩みを振り返ります。

中学時代、大山倍達に感銘を受け、空手の道に足を踏み入れる

佐竹雅昭さんは昔から格闘技好きで、初めはボクサーに憧れていたそうです。しかし中学生のころボクシングの本を買いに出かけた書店で大山倍達氏の本に出合います。

「大山カラテ もし戦わば」というその本を読み、佐竹雅昭さんは空手の達人に憧れてくる日も来る日も公園の木を蹴っていたところ、極真会の人に声を掛けられます。

その人と会ったのはそれきりでしたが、その時「人に笑われること(誰もやらないこと)をやれば日本一になれる」「だから日本一になれる」と言われます。

17歳の頃、正道会館総本部に入門!僅か2年で黒帯となる

高校のころ、佐竹雅昭さんは大阪府福島区にあった極真総本部直轄道場に通い始めます。

その後、友達に見せてもらった正道会館のチラシを見て、月謝の安さとプレゼントのキックミットに惹かれて見学に行き、その後入門します。

日本の一流選手のそろった道場で稽古は非常に厳しいものでしたが、佐竹雅昭さんはあらゆる努力を貪欲に重ね、わずか2年で黒帯をとりました。

大学は関西外国語大学へ、4回生の時に全日本空手道選手権で優勝

佐竹雅昭さんは、大阪府立北千里高校を卒業した後は関西外国語大学英語学科に進学します。

そして大学を卒業する年には正道会館の全日本大会で優勝し、見事空手日本一の目標をかなえます。

そこから3連覇、合計4度全国大会で優勝しています。

テレビ局の内定を蹴り、正道会館の職員となる

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佐竹雅昭さんは大学在学中に関西テレビに内定していましたが、その内定を蹴り、正道会館の専従職員になりました。

佐竹雅昭さんはこのことを著書で振り返っていますが、正道会館の給与はとても低かったそうです。

キックボクサーや熊殺しとも対戦し勝利を収めた

1990年6月、佐竹雅昭さんは全日本キックボクシングに初参戦し、ドン・中矢・ニールセンと対戦しKO勝ちを収めます。

翌年6月にはフルコンタクト空手界で初めて行われた流派対抗戦にて、「熊殺し」の異名をとるUSA大山空手のウィリー・ウィリアムスと対戦し、判定勝ちとなります。

1992年、K-1が設立され佐竹雅昭も参戦!格闘技ブームを盛り上げる!

1992年、正道会館の石井和義氏の主導により発足した日本発祥のキックボクシングイベントK-1の旗揚げには、佐竹雅昭さんも関わりました。

「K」は空手、キックボクシング、カンフー、拳法などの立ち技格闘技、あるいは格闘技そのもの、そしてKINGを指し、1はナンバーワンの意です。

世界最強の格闘家を決定する大会がコンセプトで、佐竹雅昭さんは日本人には珍しいヘビー級で活躍し、一躍スターになります。

1999年、武蔵と戦い判定負け!判定後、石井和義館長と激しい口論に

1999年10月、K-1 GRAND PRIX ’99の1回戦で武蔵と対戦し判定負けとなった佐竹雅昭さんは、石井館長と激しい口論となります。

この試合が佐竹雅昭さんのK-1最後の試合となりました。そして正道会館からも離脱します。

石井館長と佐竹雅昭さんとの関係は、まだ正道会館がK-1で成功する前は良好だったそうですが、K-1が興行として成功を収める過程で関係が変わってしまったようです。

2000年、戦いの場をPRIDEに移す

2000年1月、佐竹雅昭さんは戦いの場を移し総合格闘技PRIDEに参戦します。

佐竹雅昭vs小川直也と夢の対戦カードも

2000年10月31日、大阪城ホールで開催されたPRIDE.11(プライド・イレブン)のセミファイナルで、佐竹雅昭さんは柔道出身の小川直也さんと対決します。

この対戦は空手王vs柔道王として非常に注目度の高いもので、テレビ放送では夕方にもかかわらず、非常に高い18.7%という視聴率となりました。

試合結果は2Rでスリーパーホールドにより佐竹雅昭さんは小川直也さんに敗れました。

プロレスデビューでブッチャーと対戦!

2002年11月には、佐竹雅昭さんはWRESTLE-1でリングネーム「さたやん」でプロレスデビューし、アブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦しますが敗退しました。

翌年2003年1月にもブッチャーと再び戦いますが、前回と同じ技「毒針エルボーからの体固め」により負けを喫してしまいます。

ブッチャーとは二度対戦しましたが、何れも敗北しているということになりました。

2002年、吉田秀彦との対戦を最後にプロ格闘家を引退

2002年12月31日、INOKI BOM-BA-YE2002で佐竹雅昭さんは吉田秀彦さんと対戦しますが、フロントネックロックで一本負けします。

この試合をもって、佐竹雅昭さんはプロ格闘家を引退しました。

引退の理由はパンチドランカ―?

佐竹雅昭さんがなぜ引退したのかについては、はっきりとしたものはあきらかになっていません。ですがパンチドランカーになったからではないかという噂があります。

実際はパンチドランカーではなかったのですが、過酷な状況下でパンチドランカーと同様の症状が発症し、極めて危険な状態にあったことも幾度かあったようです。

このままだとアルツハイマーになる、試合の後は体調急変に備え見張りを付け絶対安静と医師に言われていた様なので、現役続行は厳しい状況であったのは事実です。

2013年、自民党比例代表として選挙に出馬するもあえなく落選した

2013年5月24日、佐竹雅昭さんは第23回参議院議員通常選挙に自由民主党参議院全国比例区公認候補として出馬しましたが、7月21日の選挙の結果は落選でした。

佐竹雅昭さんは現役を引退後は佐竹道場の運営や平成武師道の活動を精力的に行ってきましたが、その活動が周知されていなかったことも敗因かと言われています。

怪獣王子・佐竹雅昭の実力は?強さの秘密は何?

多くのタイトルを獲得し「怪獣王子」の異名をとった佐竹雅昭さんの格闘家としての実力や、強さの秘密に迫ります。

佐竹雅昭の獲得タイトル!

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佐竹雅昭さんは数々のタイトルを獲得していますので、ほんの一部ですがご紹介します。

  • 第6回全日本空手道選手権大会 優勝(1987年)正道会館主催(関西外語大学四回生時・初優勝)
  • 第7回全日本空手道選手権大会 優勝(1988年)正道会館主催(2連覇)
  • 第8回全日本空手道選手権大会 優勝(1989年)正道会館主催(3連覇)
  • カラテワールドカップ’93 優勝(1993年)
  • K-1 JAPAN GP ’97 優勝
  • K-1 JAPAN GP ’98 優勝

現役時代の佐竹雅昭の動画

佐竹雅昭さんの現役時代の動画は数多く残っています。その一つが1993年のK-1グランプリ1回戦のトド・ハリウッド・ヘイズ選手との一戦で、佐竹雅昭さんのK-1グランプリデビュー戦です。

トド・ハリウッド・ヘイズ選手はアポロジム所属、11戦11勝11KOのUKF USヘビー級チャンピオンでしたが、佐竹雅昭さんのキックの威力が引き立つばかりで、ヘイズ選手には見せ場がなく終わります。

強豪外国人も恐れるローキック

佐竹雅昭さんはローキックの破壊力がすごいと恐れられていました。

ピーター・アーツ選手、アーネスト・ホースト選手といった強豪外国人選手達からも、K-1トップクラスの破壊力と恐れられていました。

中学のころ、来る日も来る日も公園の木を蹴り続けていた佐竹雅昭さんは、ローキックが最大の武器になりました。

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