山本潤子の音楽動画を集めてみた!現在は活動休止中!理由は病気?エンタメ

山本潤子の音楽動画を集めてみた!現在は活動休止中!理由は病気?

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山本潤子と小田和正の関係は?

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山本潤子さんは小田和正さんの番組等にゲスト出演をするなど、2人は親交が深いようで、お互いを「オダくん」「ジュンちゃん」と呼び合っているようです。

小田和正が山本潤子の歌声を大絶賛!

「風のようにうたが流れていた」という小田和正さんのレギュラー番組に山本潤子さんが出演した際、小田さんに「稀代のボーカリスト」と呼ばれ、山本潤子さんの歌声を小田さんは大絶賛していたようです。

最初の出会いは「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」?

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1969年、山本潤子さんは「赤い鳥」として、小田和正さんは「オフコース」として参加した「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」の全国大会にて2人は出会ったようです。

その際、「赤い鳥」は優勝、「オフコース」は準優勝をしたそうです。

山本潤子の性格は?小田和正とは「ジジイ」「ババア」の関係

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小田和正さんはかなりひねくれた性格のようで、ファンの間ではかなり有名なんだそうです。小田和正さんは同年代の女性ファンに対して、ジョークで「ババア」と呼ぶこともあるそうです。

そんな小田さんは山本潤子さんに対しても「潤子ババア」などと呼んでいたようで、山本潤子さんも小田さんの事を負けじと「ジジイ」と呼んでいたそうです。このことから、なんとなく2人の性格が垣間見えます。

コンサートツアーのコーラスとして参加?

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1995年~1996年の「FUN MORE TIME」という小田和正さんのコンサートツアーに参加された他、1997年~1998年の「THRU THE WINDOW」もコーラスとして参加されていました。

小田和正にとって山本潤子は人生を変えたライバル?

1969年の「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」にて出会った時、小田和正さんは山本潤子さんの歌を聞いて、とてもこの方の天性の歌の上手さにはかなわないと思ったそうです。

小田さんはこのコンテストで負けたら音楽活動を辞めようと考えていたそうですが、負けた悔しさからこのままでは引き下がれず、1970年にオフコースとしてデビューしました。

このことから、小田和正さんにとって山本潤子さんは、人生を変えたライバルだったのです。

小田和正はハイ・ファイ・セットへ誘われていた

「赤い鳥」解散後グループが分裂し、「ハイ・ファイ・セット」が結成された時、小田和正さんは誘われていたそうです。もちろん断ったそうです。

山本潤子の経歴

山本潤子さんの、これまでの生い立ちから休養宣言までの経歴をまとめてみましたので、ご紹介します。

山本潤子の家族は?兄弟はいる?

奈良県吉野郡天川村で生まれた山本潤子さんは、生後半年の時、父親の実家である大阪市阿倍野区へ引っ越しました。4人姉妹で末っ子だったそうです。

山本潤子の学歴は出身高校や大学はどこ?

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山本潤子さんは「苗代小学校」「阿倍野中学校」を卒業後、「帝塚山高校」を卒業し、「帝塚山大学」へ進学・卒業されています。

谷村新司にスカウトされて「ヒルビリー・シンガーズ」のボーカルをしていた?

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当時ロック・キャンディーズで活動していた谷村新司に、大阪市阿倍野の歩道橋の上で声をかけられ、「ヒルビリー・シンガーズ」のボーカルとなりました。

しかし、その活動は3ヵ月しか続かなかったそうです。

高校2年生でピーター・ポール&マリーのコピーバンドを結成

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山本潤子さんが高校2年生の時に、アメリカのフォークグループ「ピーター・ポール&マリー」のコピーバンドを結成しました。その親衛隊があったそうです。(2010年1月30日ミューズの晩餐)

1969年「赤い鳥」を結成し、「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」で優勝

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1969年に、後藤悦治郎・平山泰代・山本俊彦・大川茂と共に「赤い鳥」を結成します。

そして同年に「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」の全国大会で「竹田の子守唄」を歌い、準優勝となったオフコースを抑え、見事グランプリを獲得しました。

1970年『人生』でメジャーデビュー後「竹田の子守唄/翼をください」が大ヒット

1970年6月にコロンビアレコードより、「人生」という曲でメジャーデビューしました。

その後アルファ・アンド・アソシエイツという音楽出版社に移籍し、「竹田の子守唄/翼をください」のシングルレコードが大ヒットしました。

1973年4月、メンバーの山本俊彦と結婚

1973年4月に、「赤い鳥」のメンバーとして一緒に活動していた山本俊彦さんと結婚しています。

1974年9月「赤い鳥」が解散し「ハイ・ファイ・セット」結成

1974年9月に「赤い鳥」が解散し、同年の10月に大川茂さん、山本俊彦さんと共に「ハイ・ファイ・セット」を結成しました。

しかし、1994年9月に「ハイ・ファイ・セット」は解散しています。

1977年、NHK紅白歌合戦に出演

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ブラジルのシンガーソングライター「モーリス・アルバート」の「フィーリングス」に歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒットしました。

その同年の1977年12月31日、第28回NHK紅白歌合戦の紅組として初出場をしました。

1998年6月~『LOVELOVEあいしてる』に準レギュラーとして出演

1998年6月から1999年11月まで、「LOVELOVEあいしてる」という番組の準レギュラーとして出演していました。

「LOVELOVEあいしてる」は、1996年10月5日から2001年3月31日までフジテレビ系列で放送されていた音楽バラエティで、Kinki Kids・吉田拓郎が司会を務めていた番組です。

2000年4月、鈴木康博、細坪基佳とユニット「Song for Memories」結成

2000年4月に元オフコースの鈴木康博さんと、元ふきのとうの細坪基佳さんと共に「Song for Memories」というユニットを結成しました。

2001年12月にはディナーショーを開催するなどしていましたが、2009年に活動を終えています。

2001年、森山良子、白鳥英美子と「V3」結成

2001年に森山良子さん白鳥英美子さんと共に、美声の三大歌姫「V3」を結成し、同年の9月29日にコンサートを開催しています。

2011年9月3日の森山良子デビュー45周年記念コンサートにも参加しており、その心境を「V3復活?」と題してBlogにも綴っています。

2014年2月23日、静岡県沼津市でのライブで休養発表

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2014年2月23日に静岡県沼津市民文化センターにて行われたコンサートツアー「Ages of Folk & Pops」にて、ツアー終了後の同年5月より無期限の休養に入ることを発表しました。

その後の2月25日の自身のブログでも明らかにし、同年5月6日の名古屋コンサートを最後に無期限の休養に入りました。

山本潤子さんの歌以外の貴重な動画!

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山本潤子さんは1998年7月8日に「はなまるマーケット」に出演されています。娘さんとのエピソードや、赤い鳥時代のお話、さらに小田和正さんとのお話などをされています。その時の貴重な動画をご紹介します。

山本潤子「はなまるマーケット」出演

https://www.youtube.com/watch?time_continue=195&v=0dUrjNWnO9E

「はなまるマーケット」に出演された山本潤子さんは、娘さん達とのエピソード、赤い鳥時代のデビューのきっかけ、さらに小田和正との関係などについてお話されています。

動画内ではトーク以外にも「翼をください」を弾き語りしていて、司会の薬丸さんと薬丸裕英さんと岡江久美子さんも一緒に歌っています。

山本潤子はパンが好き

はなまるマーケットの「今朝のおめざ」で山本潤子さんがリクエストした食べ物が、「フォション(FAUCHON)」というお店の「パン・コンプレ・オランシュ・エ・ノワ(180円)」というパンでした。

このパンがすごく大好きなようで、番組内では「このパンをきらすとイライラするくらい好き」だとおっしゃっています。ミルクティーと一緒に朝食として食べていたようです。

2人の娘さんの写真公開

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山本潤子さんは「はなまるアルバム」で2人の娘さんの写真を公開しています。当時娘さんは「上が高校1年、下が中学1年」で、あまり自分とは似ていないなどと言っていました。

娘さん達は山本潤子さんが何をしているのか知らなかったようで、お友達から情報を得ていたようです。「翼をください」が母親の曲だと知った時は娘さんがビックリしていた等のお話もされています。

赤い鳥デビューのきっかけはヒルビリー・シンガーズ

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谷村新司さんと組んでいたバンド「ヒルビリー・シンガーズ」でアマチュアコンサートに出場した時に、のちに赤い鳥のメンバーとなる平山泰代さんと後藤悦治郎さんと初めて出会ったそうです。

コンサートの2~3日後に後藤さんからの連絡によって赤い鳥が結成されたようです。

谷村新司のことを「チンペイ」と呼んでいた

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山本潤子さんは谷村新司さんのことを「チンペイ」と呼んでいたそうです。谷村新司さんの若かりし頃は可愛くて、すごくモテていたなどの話もされています。

小田和正とのツーショット写真

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番組内では山本潤子さんと小田和正さんのツーショット写真を公開しています。その写真は小田和正さんのライブの打ち上げの写真で、山本潤子さんはかなり酔っぱらっていたようです。

小田和正は山本潤子さんよりも1年先輩のようで、小田和正さんのコンサートツアーに2回も参加していますが、プライベートでのお付き合いはないようです。

山本潤子さんは番組内で、小田和正さんのことを「小田くん」と呼んでいます。

山本潤子さんは交友関係がとても広い!

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山本潤子さんのお話を聞いていると、たくさんの著名人の方の名前が上がり、とても交友関係が広いことが分かります。

そのキッカケとなったのが、泉谷しげるさんの阪神淡路大震災のチャリティーコンサートだったそうです。そこで仲間と何年かぶりに再開し、仲良くなったとお話されています。

仲間に「昔の曲を歌った方がいい」と後押しされ、「翼をください」を何年ぶりかに歌ったことをキッカケにシングル盤が出たりしたそうで、昔の仲間との再会がすごく良いキッカケになったとお話されています。

山本潤子の歌声は今も愛され続けている

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山本潤子さんの素敵すぎる歌声に魅了されていたファンが多く、現在は無期限の休養中ですが、もう一度その歌声を聞きたいと復活を待ち望む声がとても多いことが分かりました。

「翼をください」が幅広い年代で歌われ続ける中、いつの日か山本潤子さんの歌声で聞ける日が来るのか、動向に注目したいと思います。

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