太地喜和子とは?死因は事故?三國連太郎と恋愛関係だった?エンタメ

太地喜和子とは?死因は事故?三國連太郎と恋愛関係だった?

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太地喜和子の母が誰なのか、真相は謎のまま

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当時、広く論争を呼んだ太地喜和子さんの実母が誰なのかという問題でしたが、結局最後まで真相は謎のままでした。

太地喜和子さんの母は、そもそも太地喜和子さんの養母である事自体を強く否定しているので、あくまでも太地喜和子さんが自身に箔を付けるために試みたキャラクター作りだった可能性もありそうです。

奇しくも山田五十鈴の娘・嵯峨三智子の死後2か月で太地喜和子も死去

余談になりますが、山田五十鈴の娘で女優の嵯峨三智子さんは、1992年8月19日、太地喜和子さんが亡くなったわずか2ヶ月後に蜘蛛膜下出血で亡くなっています。

これもまた、不思議な因果の様なものを感じてしまいます。もちろん真相については不明ですが、太地喜和子さんは何かとてつもない運命の流れの中を生きていたのではないかという想像が掻き立てられます。

太地喜和子の学歴・経歴

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ここからは、太地喜和子さんの学歴や芸能界での経歴など、その生涯を振り返って見ていきましょう。

1959年の松蔭高等学校在学中に東映ニューフェイスに合格

太地喜和子さんが、女優への歩みは、松蔭高等学校在学中の1959年に受けた、新人俳優発掘のためのオーディション「東映第6期ニューフェイス」に合格したから始まりました。

東映との専属契約を結び、その後1年間、高校に通いながら本格的な演技のレッスンを受けたのち、志村妙子という芸名で映画の端役などで現場での演技経験を積んでいきます。

1961年に「悪魔の手毬唄」で映画デビュー

デビュー作となったのは1960年に放送された東映の特撮ドラマ「新・七色仮面」でした。翌1961年には金田一耕助シリーズの人気作「悪魔の手毬唄」の1961年映画版に仁礼里子役で出演します。

これまでにも映画には「二人だけの太陽」など、端役として何作品かに出演していたものの、全国的に注目される大作映画としては、この作品が太地喜和子さんの映画デビュー作となりました。

1962年に松蔭高等学校を卒業

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太地喜和子さんは1962年に松蔭高等学校を卒業し、その年も東映制作のドラマや映画など複数本に出演しています。

1963年に東映から離れて俳優座に入団

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高校を卒業したから1年後の1963年には、東映から離れ、劇団「俳優座」の養成所に15期生として入所します。この時の同期には、俳優の前田吟さんや村井国夫さんがいました。

この「俳優座」に所属している時代に、三國連太郎さんとの熱愛のきっかけとなった映画「台風」に配役されています。この時期の太地喜和子さんは、舞台を中心に出演しながら演技力を磨いています。

1967年に文学座に入団し日活映画「花を食う蟲」に主演

1967年、俳優座の養成所を卒業した太地喜和子さんは、のちに自身がその後継者とも目される伝説的女優、杉村春子さんの出演舞台に衝撃を受け、杉村さんが所属する伝統の劇団「文学座」へと入団します。

その年に、日活の映画「花を食う蟲」の主演に抜擢され、映画女優として本格的な活動をこの時期に開始しています。

1968年に映画「藪の中の黒猫」への出演で一躍有名になる

文学座への入団から1年後の1968年、太地喜和子さんは平安時代の農村を舞台にした映画「藪の中の黒猫」で重要な役に抜擢され、ここで見せた全裸をも厭わぬ大胆な演技が大きな反響を呼びます。

この作品をきっかけに、一躍有名になった太地喜和子さんは、映画を中心に出演を増やし、1970年に入る頃にはトップ女優の1人に数えられるようになっています。

1976年に映画「男はつらいよ」で寅さんのマドンナ役を好演

1976年には昭和を代表する映画シリーズともいうべき「男はつらいよ」シリーズの第17作目「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」にてマドンナ役芸者ぼたんの役を演じます。

この作品で太地喜和子さんは、役者の演技に厳しいと有名な山田洋次監督に「寅さんシリーズ最高の傑作」と大絶賛されるほどの演技を見せ「キネマ旬報助演女優賞」などの権威ある女優賞を受賞しています。

1978年にドラマ「白い巨塔」の演技で不動の地位を築く

さらに、その2年後の1978年には、山崎豊子さんの傑作小説原作の大ヒットドラマ「白い巨塔」の1978年版に出演し、主役の財前五郎の愛人花森ケイ子の役を演じます。

野心家ながらも深い葛藤を胸に秘めた財前五郎を影で支える、愛にあふれる女性を演じますが、この時の演技は現在でも太地喜和子さん最高のはまり役として賞賛を集めています。

「杉村春子の後継者」との異名を与えられる

一流女優に成長し、活躍を続けていた太地喜和子さんは、自身の文学座入団のきっかけともなった伝説的女優、杉村春子さんの後継者と目され期待を集めるようになります。

杉村春子さん本人にも、自分の代名詞的役柄であった舞台「欲望という名の電車」のヒロイン・ブランチ役を「太地喜和子にバトンタッチしたい」と言わしめるほど高い評価を受けていたとされます。

1992年に巡業先の事故により死去

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この様に、将来にの日本の女優界を背負って立つ存在として、大きな期待を集めていた太地喜和子さんでしたが、1992年、前述した様に舞台公演のために訪れていた静岡県伊東市で、不慮の死を遂げます。

高校卒業以来、一直線に女優道を突き進み、そのプライベートでも豪胆なエピソードが数多くあり、多くの男性と浮名を流した伝説的女優の壮絶な最期でした。

太地喜和子さんは、一説には自分の死期をなんとなく悟っていたらしいとも言われており、それを裏付ける様に、発見された遺体からは、生きようと足掻いた形跡が全く見られなかったと言われています。

太地喜和子の主な出演作品

続けて、太地喜和子さんのこれまでの代表的な出演作品について見ていきます。ここまでにも何度か登場している作品が複数ありますが、その内容も含めてもう少し詳細に触れみたいと思います。

映画「藪の中の黒猫」

映画「藪の中の黒猫」は文学座に所属したばかりの新人女優、太地喜和子さんを一躍有名にした作品です。舞台は武士が台頭し始めた頃、平安時代の中期です。

ある野武士の一団が、一軒の農家を襲撃して中にいた中年の女と若い娘を犯して殺害、家に火をつけて立ち去ってしまいます。この時の若い娘を演じたのが太地喜和子さんでした。

若い娘は化け猫と化して蘇り、羅生門の近くで武士たちを誑かし、屋敷に招き入れて殺害する事を繰り返します。物語自体も面白いのですが、若い頃の太地喜和子さんのセクシーさとキュートさが際立つ作品です。

映画「火まつり」

1985年に公開された映画「火まつり」は三重県の熊野市の幻想的な雰囲気の中で、土着的な神話を現代映画として描いた作品です。

太地喜和子さん演じる基視子は、北大路欣也さん演じる主役の達男の幼馴染の役です。村でつまはじきにされていた達男は、何十年ぶりに村へと帰ってきた基視子との情事に没頭する様になります。

太地喜和子さんの死後、この撮影中に水を以上に恐れていたというエピソードで有名になった映画ですが、それ以上に、この時の太地喜和子さんの演技は素晴らしく圧倒されるものがあります。

テレビドラマ「風と雲と虹と」

1976年に放送されたNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」には、太地喜和子さんは武蔵という役で出演されています。盗賊の女頭領で、主役の平将門の反乱に呼応して、西国で反乱を起こす藤原純友の恋人役でした。

劇中で殺されてしまいますが、物語に深く関わってくる裏ヒロインともいうべき存在でした。ちなみに、太地喜和子さんはこの作品で共演した俳優の露口茂さんを理想の男性としてあげていた事があります。

テレビドラマ「白い巨塔」

ドラマ「白い巨塔」についてもここまでで何度か触れていますが、太地喜和子さんの代表作としてこの作品はやはり外せません。

これまでに映画、ドラマ合わせて7回映像化されている「白い巨塔」ですが、物語のヒロインともいうべき歴代の花森ケイ子の中で、この太地喜和子さんが演じた花森ケイ子が最高という声が多くあります。

この作品での太地喜和子さんの演じた母性に溢れたいいオンナ花森ケイ子は、今の時代に観ても思わず惚れてしまいそうになります。

書籍も?大下英治著「太地喜和子伝説」

2000年に発売された「太地喜和子伝説」は作家の大下英治さんが太地喜和子さんの壮絶な生涯を詳細に描いた評伝です。

太地喜和子さんが生前に深く交流していた人への著者による綿密な取材を元に書かれており、これまで公になっていなかった裏話的なエピソードも多数収録されています。

太地喜和子の死はオカルト好きの間でも話題に

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太地喜和子さんの突然の死には、公演中だった舞台「唐人お吉」との不思議な因果が感じらる事はここまでで紹介した通りですが、この話は掘り下げていくと、さらに不思議なエピソードがいくつか見つかります。

そのため、太地喜和子さんの水死事故は、現在でもオカルト好きの間で話題になる事があります。ここでは、太地喜和子さんの死にまつわる不思議なエピソードをもう少し詳しく紹介したいと思います。

太地喜和子の水没事故の不可思議な点

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太地喜和子さんの乗る乗用車が海に転落した際、同乗していた二人の俳優と、運転していた地元スナックのママは車から脱出して生還し、太地喜和子さんは泳げなかった為に生還できなかったと言われています。

しかし、実は太地喜和子さんは、その当時、元水泳選手の木原美知子さんに泳ぎを習っており、ある程度泳げるようになっていたという証言が存在するのです。

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また、酒を飲みすぎていた為脱出できなかったとの意見もありますが、太地喜和子さんはずば抜けた酒豪として知られ、事故の直前には意識がはっきりして自分で歩いて海風に当たっているのです。

そして、水没していた車の後部座席と運転席の窓は完全に開いていたそうで、ある程度泳げて意識もはっきりしていたのなら、この状態の車内から脱出できないはずがないという疑問があるのです。

実際のお吉と太地喜和子さんの人生は共通点が多い

太地喜和子さんと、舞台「唐人お吉」で演じた実在の人物「お吉」の人生には不思議なほどに多くの共通点があります。まずお吉は7歳で芸者の元に養子に出されています。

これは、太地喜和子さんが生まれてすぐに母親と話された点と、若くして女優の道へ進んだ事とよく似ています。その後お吉はあるきっかけで人々に差別された事で酒に溺れ、後に入水自殺をする事になります。

太地喜和子さんは人からいわれのない差別を受けたわけではありませんが、酒が好きで毎日の様に飲みまくり、最後は同じ様に水死したという点は、まるでお吉の人生をなぞっているかの様に感じます。

唐人お吉を演じた人の不審死は太地喜和子さんで2人目だった?

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これらは全てこじつけと言ってしまえばそれまでなのですが、実はこの「唐人お吉」でお吉を演じる女優は、稽古に入る前に必ずお吉の墓に参らなければよくない事が起きると噂されていたそうなのです。

そして、実は太地喜和子さんが演じるよりも前に、このお吉の役を演じた女優が、お吉の墓参りをしなかった為に亡くなっているという噂があるのです。

この噂は、どこの誰がいつ亡くなったという情報がないので確かだとは言えないのですが、太地喜和子は、このお吉のエピソードを知りながら、墓参りを後回しにしていたという証言があるのです。

太地喜和子の死亡時刻ちょうどに東京で起きた不思議な出来事

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太地喜和子さんの死には、お吉の呪いだったのではないかと思わせる様な不可思議な状況があり、また、まるで太地喜和子さんはこの運命をなぞる為に人生を歩んだのではないか?と思わせるお吉との共通点があります。

そして、その不可解な死にまつわる、不思議なエピソードがもう一つあります。太地喜和子さんが亡くなったその瞬間、マネージャーの東京の自宅で、オルゴールがネジも巻いていないのに突然鳴り出したそうです。

そして、そのオルゴールは、太地喜和子さんがマネージャーにプレゼントした物だったのだそうです。こうした数々の情報をつなぎ合わせて、太地喜和子さんの死にオカルティックな因果を感じる人が多い様です。

太地喜和子は壮絶な人生を送った伝説的な女優

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今回は昭和の伝説的な女優太地喜和子さんについてまとめました。太地喜和子さんは1992年に車のまま海へと転落し48歳の若さでこの世を去りました。

太地喜和子さんは圧倒的な魅力と演技力で絶大な人気を誇りました。また、生前何人もの大物俳優と浮名を流した奔放な性格も有名で、そのエピソードの数々は現在でも伝説的に語られています。

太地喜和子さんの突然の死は、関係者やファンに衝撃的な悲しみを与えましたが、その生き様は今でもなお多くの人々の心を揺さぶり感動を与え、人々の心の中で生き続けています。

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