太地喜和子とは?死因は事故?三國連太郎と恋愛関係だった? エンタメ

太地喜和子とは?死因は事故?三國連太郎と恋愛関係だった?

1992年に48歳の若さでこの世を去った女優太地喜和子さんについてまとめます。太地喜和子さんの死因である事故の詳細、その奔放で魅力的な生き様や霊感、若い頃の写真や画像、三國連太郎さんとのドラマティックな恋や白い巨塔などの代表作についてなど、詳しくまとめます。

目次

[表示]

魔性の大女優・太地喜和子の死因は事故だった?

昭和の時代に活躍した太地喜和子さんは、魔性の女とも言われた奔放な男性関係と豪胆な性格の酒豪キャラとして人気を集めた女優です。その際立った魅力はカリスマ的とも言われました。

そんな太地喜和子さんは、1992年10月13日、48歳の若さでこの世をさっています。死因は自動車ごと車に転落しての事故死でした。壮絶な人生を送った太地喜和子さんについて見ていきます。

太地喜和子のプロフィール!写真・画像は?

太地喜和子さんは、1943年12月2日に東京都中野区に生まれました。松蔭高等学校在学中に、東映の主催する新人俳優発掘のためのオーディション「東映ニューフェイス」に合格し、女優の道を歩み始めます。

高校卒業後の1963年、東映を離れて劇団「俳優座」の養成所に入所、演劇を学んだのち1967年に劇団「文学座」へ入団し、1968年公開の映画「藪の中の黒猫」での大胆な映画が注目され話題の女優となります。

その後は一躍人気女優となり、ドラマや映画、舞台などで多くの話題作に出演しています。現在でもその生涯は伝説的に語られており、ネット上には生前の写真や画像が多く残されています。

ドラマ「白い巨塔」への出演など大女優として活躍した太地喜和子

太地喜和子さんのこれまでの代表作としては、山崎豊子さんの小説を原作に、これまでに何度も映画化やドラマ化がされている名作「白い巨塔」の1978年ドラマ版での花森ケイ役が有名です。

また、1976年には映画「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」でのマドンナ役、芸者のぼたんを演じました。その演技を山田洋次監督に絶賛され「第一回報知映画賞助演女優賞」と「キネマ旬報助演女優賞」を獲得。

演劇の分野でも、大正・昭和の演劇界を支えた大女優杉村春子さんから自身の後継者と目されるなど、その演技力とずば抜けたカリスマ性を発揮して大女優の座を確かなものとしていました。

1992年、車で海に転落する事故により48歳で死去

そんな最中の1992年、太地喜和子さんの突然の訃報が衝撃的に報じられました。同年10月13日の深夜2時頃、太地喜和子さんは静岡県伊東市の観光桟橋から乗用車ごと海に転落して死亡しました。

車を運転していたのは、地元のスナックを経営していた女性で、2人の有名男性俳優と共に、太地喜和子さんは後部座席に乗っていたそうです。太地喜和子さんはまだ48歳の若さでした。

同乗者や運転していたママは脱出したが太地喜和子は泳げなかった

この水没事故の際、運転していたスナックのママと、2人の俳優は車から脱出し助かったものの、太地喜和子さんはそれまでにかなりの量の酒を飲んでいた事と、元々泳げなかった事などから生還できませんでした。

葬儀は文学座の稽古場で行われ、恋仲だった俳優や役者が参列した

太地喜和子さんの突然の死には、多くの関係者やファンに衝撃を与えました。親友だったタレントのカルーセル麻紀さんは、出演中の舞台の上で太地喜和子さんの名前を呼びながら号泣しました。

太地喜和子さんの葬儀は、所属していた劇団「文学座」の稽古場で営まれました。棺の横には太地喜和子さんが舞台で使用した三味線が並べられ、参列した大物俳優勝新太郎さんがそれを寂しそうに弾いていたそうです。

その他、太地喜和子さんと過去に恋に落ちた名だたる俳優たちが参列し、一様に涙を流していたと言います。太地喜和子さんがいかに魅力的な女性であったかが伝わってくるエピソードです。

「志村けんのだいじょうぶだぁ」では追悼企画が放送された

太地喜和子さんは、生前お笑いタレントの志村けんさんの大ファンである事を公言されていて、志村けんさんの伝説的コント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」ではコントにも挑戦されていました。

太地喜和子さんの突然の訃報の後「志村けんのだいじょうぶだぁ」では追悼の特別企画が組まれ、死去から1週間後の1992年10月19日に放送されています。

太地喜和子は霊感がある?死を予感していた?

太地喜和子さんは、舞台「唐人お吉」の公演中に水死してしまいました。太地喜和子さんがこの舞台で演じた「お吉」と言う女性は最期は入水自殺をして亡くなった実在の人物です。

また、実在の「お吉」の母の名前は偶然にも「キワ」と言うのだそうです。こうした不思議な偶然が重なった事で、まるで運命に導かれるように亡くなってしまったと語られています。

太地喜和子さんは、1985年公開の映画「火まつり」に出演しました。この映画は、三重県の霊場熊野を舞台にした幻想的な映画で、太地喜和子さんはヒロイン基視子の役でした。

この映画には小舟の上や川辺など、水場に関わるシーンが多く登場します。太地喜和子さんはこの撮影中に、少し奇妙に映るほど「水が怖い」と何度も口にしていたそうです。

元々霊感が強いと言われ、見えない何かに怯えるようなところもあった太地喜和子さんは、映画「火まつり」撮影時のエピソードから亡くなる数年前から自分の死を予知していたのではないかとも噂されています。

関連する記事はこちら

/2

今もなおファンが多い太地喜和子の画像・動画集

生き様から死に様までを含めて、あまりにもドラマティックな大地喜和子さんは現在でも伝説的に語られ、心酔するファンが多い女優です。ここではそんな太地喜和子さんの画像や動画をまとめます。

太地喜和子の若い頃の画像は?

上の画像は、太地喜和子さんの名前を一躍有名にした映画「藪の中の黒猫」での太地喜和子さんです。太地喜和子さんは当時25歳でしたが、可愛さの中に何とも言えない色気を持つとても魅力的な女性でした。

テレビドラマ「ナショナルキッド」

1960年に放送された東映制作の特撮ドラマ「ナショナルキッド」でヒロイン小畑尚子役を演じた太地喜和子さんの画像をまとめた動画です。当時10代の太地喜和子さんの貴重な姿がまとめられています。

舞台「近松心中物語 それは恋」

蜷川幸雄さん演出で、1979年に初演された舞台「近松心中物語 それは恋」では、太地喜和子さんが主演の「梅川」を演じています。上の動画は、ラストのクライマックスシーンです。

配役を変えて何度も公演されている作品ですが、太地喜和子さんのバージョンを超えるものはないとファンから絶賛されています。

テレビドラマ「白い巨塔」

ドラマ「白い巨塔」の1978年版では、太地喜和子さんが主演の財前五郎の愛人、花森ケイ子を演じています。

この時の、太地喜和子さんの色気と母性を兼ね備えた演技は絶賛され、新たに多くのファンを獲得しました。財前五郎を演じた俳優田宮二郎さんとのラブシーンも話題を集めました。

「だいじょうぶだぁ 爆笑新年会」

太地喜和子さんは、お笑いタレントの志村けんさんの大ファンを公言されており、当時の大人気コント番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」にも常連として出演されています。

上の動画は1992年1月に放送された「志村けんのだいじょうぶだぁ 爆笑新年会」の動画です。太地喜和子さんは、動画後半に登場されます。残念ながらこの年の10月に太地喜和子さんは亡くなられました。

「CLUB紳助」出演時の太地喜和子

1989年には、太地喜和子さんは島田紳助さん司会の人気トーク番組「CLUB紳助」にも出演されています。この時の貴重な動画がアップされていたのですが、残念ながら現在は削除されてしまっています。

太地喜和子は三國連太郎の恋人だった?結婚は?

抜群の演技力と、セクシーさと母性を兼ね備えた様な美貌で人気を集めた太地喜和子さんですが、プライベートでの奔放な恋愛遍歴でも話題を集めました。

その中でも大物俳優三國連太郎さんとの恋は、太地喜和子さんにとって特別なものだった様です。

1962年、19歳のときに妻子ある三國連太郎と恋に落ちる

1962年当時、19歳だった太地喜和子さんは、当時39歳で妻子持ちであった人気俳優三國連太郎さんと恋に落ちます。

熱愛のきっかけとなったのは、三國連太郎が自ら立ち上げたプロダクションによる自主制作映画「台風」に当時まだ志村妙子の名前で活動をしていた太地喜和子さんが新人女優として抜擢された事でした。

この映画の撮影をきっかけにして三國連太郎さんは太地喜和子さんに入れ込み、実家に押しかけて求愛したと言われています。前述の通り、三國連太郎さんは妻子持ちであり、2人は不倫の関係でした。

三國連太郎と同棲をするも数か月で破局

その後、三國連太郎さんは「台風」の撮影の合間を縫って主演映画「飢餓海峡」のロケに北海道へ行くと、太地喜和子さんは寂しさに耐えかね、後を追って三國連太郎さんがロケ地に借りたアパートへ押しかけます。

しかし、そのアパートで日々撮影に赴く三國連太郎さん日々待つ太地喜和子さんは、三國さんが演じる役の相手女性に強い嫉妬を覚える様になり、さらに貪欲に三國さんを求める様になります。

三國さんは、太地喜和子さんの強すぎる情愛にいつしか息苦しさを感じ、本土へと帰る様に言います。その帰り道、三國連太郎さんからの別れを告げる手紙が連絡船のボーイを通じて太地さんに届けられ2人は破局します。

1974年に秋野太作と結婚、ほどなくして離婚している

その後、1974年に太地喜和子さんは、俳優座養成所時代の同期であった俳優秋野太作さんと結婚しますが、わずか2ヶ月後に離婚しています。以降、太地喜和子さんは一度も結婚する事なく生涯独身を通しました。

1975年に中村勘三郎と出会い男女の仲になる

離婚の翌年の1975年、太地喜和子さんは、当時まだ19歳だった歌舞伎俳優の18代目中村勘三郎さんと男女の仲になっています。

出会いのきっかけは、太地喜和子さんが出演していた舞台「桜吹雪 日本の心中」を中村勘三郎さんが観劇した事でした。その舞台に感激した中村勘三郎さんは、その翌日にも舞台を観に行ったそうです。

その後、帰ろうとする中村さんを太地喜和子さんが引き止めた事で交友が始まり、酒を飲みながら演劇について語り合う内に、ほどなくして2人は男女の仲になったそうです。

嫉妬による口論が絶えず、太地喜和子から別れを切り出す

しかし、太地喜和子さんは男性関係が奔放で、まだ若かった中村勘三郎さんは、その様子にひどい嫉妬を覚えてしまい、口論が絶えなかったのだそうです。

それでも、2人の交際は3年続いています。しかし、中村勘三郎さんは22歳の頃に舞台で共演した、当時20歳だった女優大竹しのぶさんに心変わりし、太地喜和子さんへ連絡しなくなります。

しかし、その舞台公演が終わると、まるで嘘の様に大竹しのぶさんへの気持ちは冷めてしまったそうです。それで、太地喜和子さんの元に戻ろうとしたものの、はっきりと別れを告げられてしまったのだそうです。

ほかにも七代目尾上菊五郎や志村けんらとの交際歴がある

太地喜和子さんはその後も、歌舞伎俳優の7代目尾上菊五郎さん、お笑いタレントの志村けんさん、俳優の伊丹十三さんらの錚々たるメンバーとの交際があったと言われています。

恋愛遍歴は多いが三國連太郎だけは特別だったという

以上の様に、恋愛に奔放だった太地喜和子さんは多くの錚々たる男性達との恋愛遍歴を持っています。しかし、のちに太地喜和子さんは「本当に愛したひとは三國さんだけ」と公言しています。

また、三國連太郎さんも後に週刊誌のインタビュー記事で「今までで、惹かれた女優さんは一人だけです」とコメントされています。

唯一無二の存在感を持っていた太地喜和子の秘訣は?

太地喜和子さんは、その圧倒的な存在感で多くの大物男性やファンの心を魅了しました。ここでは、太地喜和子さんの唯一無二とも言える存在感の秘訣について見ていきましょう。

「獄門島」で着崩した着物など着付けがかっこいい

1977年に公開された映画「獄門島」で、太地喜和子さんは分鬼頭巴の役で出演しました。この時に太地喜和子さんの絶妙に着崩した着物の着付けが、かっこよすぎると話題になっています。

この時太地喜和子さんが演じたのは、本家の持つ利権をなんとか奪い取ろうと画策する分家の女将の役でした。この役柄には、きっちりと着物の着付けではまったく雰囲気が出ません。

そこで、太地喜和子さんは着物の着付けのセオリーをあえて外し、独自の着付け方をする事で見事な役作りをしています。そして、それを違和感なくやってしまう所に天才的なセンスがあると言えます。

メイクも既存のルールにとらわれず絶妙にこなれている

また、太地喜和子さんはメイクなども、その時の流行やセオリーには一切とらわれる事なく、その役柄を表現するにはどうすれば良いのかを的確に捉え、独自の方法でメイクして出演されています。

そのメイクが絶妙にこなれているため、観るものになんの違和感も抱かせません。太地喜和子さんがかなり個性的なキャラクターを持ちながら、あらゆるタイプの女性を演じ分けられた理由の一つだと言えるでしょう。

生き方もビジュアルもお洒落な女優だった

ここまで見てきた様に、太地喜和子さんは、その生き方もビジュアルの点でも、唯一無二の自分というものをはっきりと持つ、とてもお洒落で魅力的な女優でした。

生き方の哲学においても、自分自身のビジュアルに対するこだわりにおいても、決して揺らぐことのない確かな何かを持っていた事が、太地喜和子さんが現在まで伝説的に語り継がれる大きな要因だと言えます。

太地喜和子の実母は山田五十鈴?

今もなおその生き様が語り継がれている太地喜和子さんでしたが、その実母は、2000年に文化勲章を女優として初めて受賞した伝説的女優山田五十鈴さんであるという噂があります。

ここでは、太地喜和子さんの出生にまつわるエピソードと、実母は山田五十鈴さんとの噂について見ていきましょう。

生まれてすぐ実母との別離を余儀なくされたと語っている

太地喜和子さんは、自分は生まれてすぐに何か事情があって実母と引き離されて養父母に育てられ、それを高校在学中に初めて知らされたというエピソードを語っています。

そのため、太地喜和子さんの実母として、これまでに多くの有名女優の名前が上がっています。その中でも特に有名かつ大物なのが、日本三大女優の1人にも数えられる山田五十鈴さんでした。

樹木希林に自分の母親は山田五十鈴だと言った?

太地喜和子さんは、新人として文学座の演劇研究所に入った時、先輩女優、樹木希林さんに対して「あたしを誰だと思ってんの。あたしの母親は山田五十鈴なのよ」と啖呵をきったというエピソードがあります。

また、太地喜和子さんは酒に酔うとよく「自分の母親は山田五十鈴」だと話していたそうです。この噂については、多くの芸能記者が裏をとろうと躍起になったそうですが、結局裏は取れなかったそうです。

NEXT:太地喜和子の母が誰なのか、真相は謎のまま
1/2