服部晴治の前妻は大竹しのぶ!息子がいる?さんまに送った手紙とは? エンタメ

服部晴治の前妻は大竹しのぶ!息子がいる?さんまに送った手紙とは?

元TBSのディレクターの服部晴治さんの前妻は女優の大竹しのぶさんであることは以外と知られていません。服部さんは結婚して5年後49歳で亡くなっていますが死因はなんだったのでしょうか。ここでは服部さんの画像やプロフィールなどをご紹介します。

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服部晴治とは?前妻は大竹しのぶ

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女優の大竹しのぶさんの元夫といえば、「明石家さんまさんしか知らない」という人も多いのではないでしょうか?

ここからは、大竹しのぶさんの最初の夫である服部晴治さんについてご紹介していきます。

服部晴治のプロフィール!画像は?

服部晴治(はっとりせいじ)さんは、1940年生まれでTBSのプロデューサー、ディレクターをしていました。

当時の人気ドラマを手がけるなどプロデューサーとして活躍していた方ですが、1987年に47歳という若さで亡くなっています。

こちらの画像は、大竹さん、服部さんが映っている家族写真です。

元TBSのディレクターで、人気ドラマの敏腕プロデューサーとしても活躍

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服部さんは元TBSのプロデューサーで1980年10月~12月まで放送されていた人気ドラマ「恋人たち」などを手がけている、大竹さんよりも17歳年上の敏腕プロデューサーでした。

かなりモテていたことでも知られている

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当時「敏腕プロデューサー」として活躍をしていた服部さんは、かなりモテていたようで、大竹さんと結婚する前にすでにバツ2でした。

さらに、服部さんがディレクターを勤めていた人気ドラマ「恋人たち」で、後に結婚する事になる大竹さんと出会いますが大竹さんと出会った時、服部さんには婚約中の女性がいました。

最初の妻は英語の教師、二番目の妻は宝石デザイナー

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服部さんの最初の妻は、英語教師をしていた女性です。この女性との間には子供が二人います。

そして2番目の妻は宝石デザイナーでした。2番目の妻との間にも子供が一人います。

1982年に大竹しのぶと結婚、出会いはドラマ「恋人たち」だった

1980年に放送された「恋人たち」は、立原正秋さんの小説「恋人たち」が原作のドラマです。

このドラマは大竹さんと根津勘八さん主演のドラマで、このドラマの演出担当に服部さんが関わっていた事から二人は出会い交際がスタートします。そして1982年に二人は結婚しました。

当時、服部晴治は中村晃子と交際していたため略奪婚と騒がれた

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ドラマ「恋人たち」で出会い、交際に発展した服部さんと大竹さんですが、実はこの時服部さんには婚約者がいました。

服部さんの婚約者は歌手の中村晃子さんです。当時、服部さんと中村さんは既に同棲していました。中村晃子さんの画像は以下の画像です。

大竹さんが服部さんに好意を抱き、「人目をはばからず服部さんに擦り寄って甘えるなど積極的に服部さんに迫っていた」とういう他の共演者からの目撃情報がありました。

その為「女を使って役を得る女優」と大竹さんとの共演をNGにする俳優、女優も多かったようです。

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そして当時同棲をしていた中村さんは婚約者の服部さんの様子がおかしい事に気がつき仕事が終わった服部さんの後を尾行しました。その結果、大竹さんとキスをしている服部さんの姿を目撃します。

これによって中村さんと服部さんの婚約は解消します。その為、「略奪愛」と当時世間では騒がれ大竹さんは「魔性の女」のレッテルを貼られることになります。

1983年に大竹しのぶとの間に息子の二千翔が誕生

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1983年に服部さん、大竹さんとの間に長男の二千翔(にちか)さんを出産しています。「二十一世紀に羽ばたいて欲しい」という思いから二千翔と名付けたそうです。

こちらの画像の真ん中に映っているのが長男の二千翔さんです。

この写真は、二千翔さんの20歳の誕生日に明石家さんまさんがお祝いにかけつけ一緒に食事をした際の写真なのだそうです。

明石家さんまさんと二千翔さんは血のつながりはありませんが良い親子関係を築けていることが伺えます。

1987年に死去、死因は癌性腹膜炎だった

大竹さんと結婚してから5年後、1987年の時に47歳という若さで服部さんは亡くなりました。

死因は、癌性腹膜炎です。癌性腹膜炎は初期症状があまり出ないことから早期の発見が難しく病気が見つかった時にはすでに末期であることの多い病気です。

末期の癌であることは、妻の大竹さんは服部さんに知らせなかったそうです。しかし、病気発覚後は次第に服部さんは入退院を繰り返すようになります。この間、大竹さんは懸命に看病していたそうです。

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大竹しのぶは服部晴治の看病をしながら明石家さんまに会っていた?

夫である服部さんが闘病生活を続ける中、妻の大竹しのぶさんは「看病をしながら不倫をしていた」という噂がありましたが実際はどうだったのでしょうか?

服部晴治と明石家さんまは家族ぐるみの付き合いをしていた

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明石家さんまさんと服部さん、大竹さんは家族ぐるみでの付き合いがありました。明石家さんまさんと服部さんは一緒にテニスをするほど仲が良かったそうです。

大竹しのぶと明石家さんまの出会いは「男女7人夏物語」

明石家さんまさんとは1986年に放送されたドラマ「男女7人夏物語」で出会いました。

二人はこのドラマで大竹さんと明石家さんまさんは恋人同士の役を演じています。

大竹しのぶは胃癌の服部晴治を看病する傍ら明石家さんまと不倫!?

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大竹さんが癌で闘病中の服部さんの看病を続ける中、「明石家さんまさんと不倫をしていた」という報道がされています。

1985年~1989年まで「好きな男性タレント」で1位を独占し続けていた明石家さんまさんですので当時はかなり話題になっています。

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しかし服部さんは大竹さんと結婚後、銀座のクラブに付き合っている女性が何人かいたそうです。

その為、大竹さんは服部さんの看病をする中かで服部さんのそういった一面を見て明石家さんまさんに惹かれていったのではないか?とも言われています。

服部晴治は生前、明石家さんまに大竹しのぶを託していた?

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服部さんは自分の病状が良くない事を悟ったあと、亡くなる2ヶ月前に明石家さんまさんに手紙を書いて渡しています。

手紙の内容は「大竹さんの事を頼む」という旨の内容だったそうですが、この手紙を大竹さんは見せてもらえなかったそうです。

服部晴治が亡くなった翌年に2人は結婚、4年後の1992年に離婚

夫をなくしたばかりの大竹さんは、そのショックから服部さんの死後眠れない日が続いていたらしく明石家さんまさんに電話で話していたそうです。

明石家さんまさんは「夜中の2時、3時でも電話をしてきてもいい」と言い、そんな優しさに大竹さんが惹かれ交際に発展し服部さんが亡くなった翌年に結婚します。

しかしそれからわずか4年後の1992年に離婚してしまいます。

離婚原因は価値観の違いや野田秀樹との不倫だった?

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大竹さんと明石家さんまさんは「結婚したら家庭に入ると結婚前に約束をしてたそうですが、大竹さんがこの約束を守らず価値観の違いからすれ違いが増えていきました。

さらに、大竹さんと1992年に舞台で共演した演出家の野田秀樹さんと不倫関係にあったことも離婚理由のひとつになっているそうです。

大竹しのぶと明石家さんまの娘はタレントのIMALU

1989年に大竹さんと明石家さんまの子供IMALU(いまる)さんが生まれます。

現在IMALUさんはタレントで、両親が離婚をしても良好な関係を築けているそうです。

大竹しのぶが語る服部晴治の人柄

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ここからは服部さんの妻、大竹しのぶさんが語った服部晴治さんの人柄についてご紹介していきます。

ワンカットごとに演技を褒めてくれたという

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服部さんは、大竹さんが出演し二人が結婚するきっかけにもなったドラマ「恋人たち」の撮影中に、ワンカットごとに大竹さんの演技を褒めていたそうです。

さらに、大竹さんと一緒に作品を鑑賞するなど服部さんは優しくて細かい気遣いをしてくれる人物だったようです。

明石家さんまを引き合いに出して服部晴治の性格を語っている

服部さんは大竹さんに対して、手が荒れるので洗い物はしなくてもいいなど、大竹さんを「女優」として扱いました。

一方、服部さんの次の大竹さんの夫である明石家さんまさんは、家族の為に家事をして荒れてしまった大竹さんの手を見て愛おしいと感じ、大竹さんにお母さんを求めたそうです。

息子・二千翔がさんまや野田秀樹のこともあっさりと語る姿は大竹しのぶ譲り

大竹さんのこれまでの人生を特集した番組で、大竹さんと長男二千翔さんが出演しています。

この番組では、服部さんの次の夫である明石家さんまさん、その後離婚し事実婚していた野田秀樹さんについての二千翔さんに質問されました。

しかし、二千翔さんは躊躇する事なく二人の父親について笑顔で質問に答えるざっくばらんな性格は母親の大竹さんに譲りかもしれません。

服部晴治の学歴・経歴

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ここからは、服部晴治さんの学歴や経歴についてご紹介していきます。

芸能人ではないためあまり情報が出回っていない

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服部さんに関してのプロフィールなどは、服部さんは芸能人ではないということもあり詳細な情報はあまり出回っていないようです。

東大卒という噂があるが真相は分からない

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服部さんの学歴について「東大卒ではないか?」という噂があります。しかし、学歴などの詳細な情報の記載は少なく真偽は不明です。

TBSの敏腕ディレクターとして数多くの人気テレビドラマを手がけた

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服部さんは敏腕ディレクターとして活躍しており、当時の人気ドラマを数多く手がけています。

服部さんが携わった主な作品は「寺内貫太郎一家」「ムーー族」「時間ですよ」などがあります。

服部晴治が携わった主な作品

ここからは服部晴治さんの携わった作品をご紹介していきます。

「寺内貫太郎一家」

「寺内貫太郎一家」は、1974年に放送され平均視聴率31.1%の当時の人気ドラマです。

「寺内石材店」の主人である寺内貫太郎を中心としたストーリーのホームドラマで主人公は小林亜星、西城秀樹、浅田美代子、左とん平などが出演しています。

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