赤木春恵の死因は?経歴や家族の情報も紹介!泉ピン子と不仲説? エンタメ

赤木春恵の死因は?経歴や家族の情報も紹介!泉ピン子と不仲説?

赤木春恵さんは、「渡る世間は鬼ばかり」にて姑の役を演じ、名脇役として名が知られている日本の女優です。今回は彼女の夫の死去について、その死因や葬儀、泉ピン子さんとの不仲説、話題の家族や赤木春恵さんの孫について紹介していきたいと思います。

目次

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赤木春恵とはどんな人物?経歴は?

赤木春恵さんは、「日本のお母さん」として怖い姑のイメージがある名女優です。

今回は彼女の実際の人物像や経歴についてまとめました。また、家族の情報や気になる死因についてもご紹介していきます。

赤木春恵のプロフィール

赤木春恵さんのプロフィールは以下の通りです。

  • 本名:小田章子
  • 生年月日:1923年3月14日
  • 職業:女優
  • 身長:152cm
  • 血液型:B型
  • 事務所:オフィスのいり
  • 出身:満州長春県

「渡る世間は鬼ばかり」への出演で知られる赤木春恵

1990年から始まった、日本でも代表的なドラマシリーズ「渡る世間は鬼ばかり」では、岡倉家の次女である小島皐月の姑、小島キミの役で出演しました。

この出演で、姑としてイビる役柄が人気を呼び、世に知られる存在となりました。

出身は中華民国?

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赤木春恵さんは、意外にも中華民国出身で、1933年から日本の京都に住むようになりました。父親は、南満州鉄道の産婦人科医でしたが、3歳の時に亡くなってしまいました。

1940年に映画「二本松少年隊」でデビュー

赤木春恵さんは1940年に松竹に入社。同年に、「二本松少年隊」という映画に出ることで女優としてデビューしました。

この時の赤木春恵さんの芸名は赤木春生で、映画監督の伊藤大輔さんが名付けたそうです。

赤木春恵の若い頃の写真は?

赤木春恵さんの若い頃の写真はこちらです。目鼻立ちがスッとしていてとても美しいです。

1959年、フリーへと転身

1959年に赤木春恵さんは森繁久彌さん主催の森繁劇団に参加するため、フリーへと転身しました。

1979年から「3年B組金八先生」にレギュラー出演

渡る世間は鬼ばかりでも人気がある赤木春恵さんですが、「3年B組金八先生」のレギュラー出演でも、女性の校長先生の役を演じ、評判でした。

レギュラー出演降板後も、教育関係者から講演会を頼まれるほど、彼女の校長先生の役は当たり役だったようです。

1983年、著書「おばあちゃんの家事秘伝」を発表

1983年には小学館文庫にて「おばあちゃんの家事秘伝」という本を小学館文庫にて出版しています。60万部を超える人気作品となりました。

内容は、赤木春恵さんの長年の主婦の生活から身についた、人間関係、暮らし方などの生きていくヒントを教えてくれる本です。

1990年、「渡る世間は鬼ばかり」放送開始

赤木春恵さんに対する世の中のイメージとも言える、「渡る世間は鬼ばかり」は1990年に放送開始しました。

ほぼ全てのシリーズに出演した赤木春恵さんですが、2005年に一度舞台の仕事に専念したいという理由で降板。しかしその後は復帰されています。

2007年、乳がんが発覚

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2007年に、当時仲が良かった大空真弓さんに相談をし、病院にて診療を受けたところ、秋に乳がんが発覚してしまいました。そして同年、年末に左乳房を全摘出する手術を受けたそうです。

2013年、「ペコロスの母に会いに行く」で初主演

赤木春恵さんは、2013年に「ペコロスの母に会いに行く」にて主演で出演しました。主演での映画出演はこれが初めてで、88歳で主演を演じました。

実はそれまでは、2008年の「ぼくのおばあちゃん」に主演で出演した菅井さんの82歳での初主演出演が、最高齢での主演出演でした。

そのため、2013年に88歳で主演を演じたことは、「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネス世界記録として認定されました。

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赤木春恵の現在は死去?死因や葬儀は?

赤木春恵さんは、2018年に死去して大きな悲しを呼びましたが、その死因、生前の病状、葬儀の様子などまとめました。

赤木春恵は2018年11月29日に都内の病院で死去

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赤木春恵さんは2018年11月29日午前5時7分に心不全により東京都府中市内の病院で亡くなりました。

赤木春恵の死因は心不全?亡くなった時の年齢は?

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死因は心不全で、亡くなった当時の年齢は94歳でした。死因は心不全ですが、亡くなる1ヶ月前から体が衰弱していたそうで、衰弱が原因なのではないかと長女の野杁泉さんは語っていました。

転倒で大腿骨を骨折?パーキンソン病も患っていた?

赤木春恵さんは2015年の9月に都内の自身の家で、左足の大腿骨を転倒が原因で骨折してしまいました。すぐに入院し、翌月にはリハビリを受けられました。

転倒した時にはすでに体が弱っていたようで、2013年の時から車椅子を使った生活をされていたようで、パーキンソン病も患っていたようでした。

死去1ヶ月前「森光子さんが来た」と語っていた

赤木春恵さんが亡くなる約1か月前の10月31日、赤木さんは長女の野杁泉さんに、森光子さんが「あやちゃん」と、自分の本名を呼んでやってきたと伝えたそうです。

恐らく夢を見たという話と思われますが、「潮を噴きあげる魚の話をしたの」と語ったそうです。以前ハワイで2人でホエールウォッチングをした思い出を夢の中で語り合ったようだったとのことです。

葬儀・告別式には数多くの芸能人が参列

赤木春恵さんの通夜は、12月3日午後18時に行われ、葬儀は12月4日の午後13時に東京都杉並区永福1-8-1の築地、本願寺和田堀廟所で行われました。

葬儀の喪主は、長女の野杁泉さんの旦那であり所属事務所の社長の野杁和俊さんが務めました。葬儀委員長は、演出家やプロヂューサーとして活躍している石井ふく子さんが務めています。

葬儀には中村玉緒さん、佐久間良子さん、映画で多数共演した里見浩太朗さん、石井ふく子さん、大空真弓さんなど、芸能関係者500人が参列したそうです。

泉ピン子は参列していない?不仲説も

赤木春恵さんの葬儀には、赤木さんが長年出演した、「渡る世間は鬼ばかり」のメンバーも参列したそうです。しかし、泉ピン子さんが参列しなかったとのことです。

そこで、仲が悪いのではないか?という不仲説がありましたが、実際の理由は葬儀開催時に海外にいて戻れなかったこととのことでした。

家族に配慮?赤木春恵が死の前に行っていた生前手続きとは?

赤木春恵さんは「今日やれることは今日のうちに」、人に迷惑をかけることを嫌う性格だったそうで、自分が死んだ後、野杁泉さんに迷惑をかけないよう、生前にすでに弁護士に相談をされていたそうでした。

それだけでなく、日頃から断捨離という言葉がはやる前から必要でなくなったものはすぐに捨てることを心がけていたそうで、整理整頓が得意な方だったそうです。

赤木春恵さんは遺言は残していなかったそうですが、亡くなる直前に、延命治療は拒み、自分が死んだ時は葬儀もする必要がナイト行っていたそうです。そこに役柄とは反して彼女の優しい性格が見えます。

赤木春恵の家族は?結婚していた?

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赤木春恵さんは、結婚していましたが、本人の死より早くして旦那さんを亡くしております。その夫についてと、芸能界で活躍している孫などについて紹介します。

1947年、東映プロデューサーの栄井賢と結婚

赤木春恵さんは、1947年に東映のプロヂューサーであった、栄井賢さんと結婚しました。そして翌年、旦那さんと同じ会社、東映に移籍し、長年脇役を演じました。

夫は既に亡くなっている?

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1991年に夫の栄井賢さんは肺がんにより亡くなってしまいました。

赤木春恵に子供はいる?

赤木春恵さんには、長女野杁泉さんがいます。しかし、息子さんやその他兄弟の情報は公開されていないため、わかりません。

夫の死去後、娘一家と同居

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夫の栄井賢さんの死後は、娘一家と同居していたそうですが、2017年には要介護度4であったそうです。

孫は舞台やドラマで俳優として活動している

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長女の野杁泉さんの息子さんは野杁希さんで、舞台などに出演して活躍されているそうです。生前、赤木春恵さんは、孫の運動会に行けなかったと語ったこともあったそうで溺愛されていたそうです。

テレビドラマでは、2011年から毎年金曜プレステージに出演されているようで、2018年には「相棒season17」第8話にも出演されています。

赤木春恵の娘が国広富之と二股?

1983年頃、国広富之さんは、水沢アキさんとドラマで共演し、ハワイで挙式をする予定でした。

しかし、その直前に国広富之さんと赤木春恵さんの長女の野杁泉さんとの二股が報道され、水沢アキさんから婚約破棄をしたことが話題となりました。

赤木春恵の主な出演作品は?

赤木春恵さんは、生前数々の日本を代表する名作のドラマシリーズに出演されています。こちらでは、その出演作品について紹介します。

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