田辺靖雄と妻・九重佑三子は夫婦の絆で病気から復帰?現在の活動は? エンタメ

田辺靖雄と妻・九重佑三子は夫婦の絆で病気から復帰?現在の活動は?

歌手、田辺靖雄さんをご存じですか?年配の方であれば思わず曲を口ずさんでしまう人や、多数の有名人が所属した六本木野獣会を思い出す人もいるでしょう。妻に九重佑三子さん、息子に音楽プロデューサーの田辺晋太郎さんを持つ、そんな田辺靖雄さんの現在までをまとめてみました。

目次

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田辺靖雄の現在は?難病から回復した?

歌手として輝かしい経歴を持ち、今も歌手以外にも様々なご活躍を続ける田辺靖雄さん。60代以上の人たちであればその名前を知らない人はいらっしゃらないでしょう。

また、若い世代の人たちにも、デビュー曲である梓みちよさんとのデュエット曲『ヘイ・ポーラ』などは、聞き覚えがあるかもしれません。

そんな世代を超えて愛される歌手、田辺靖雄さんですが、一時期は難病に苦しめられたこともありました。

田辺靖雄のプロフィール!現在の年齢は?

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  • 名前:田辺靖雄
  • 出生名:田邊靖雄
  • 愛称:ヤッチン
  • 生年月日:1945年(昭和20年)4月5日
  • 年齢:74歳(2019年6月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:O型
  • 身長:171センチ

御年74歳となりますが、今もテレビにコンサートにと、元気にご活躍なさっています。

田辺靖雄が患った病気は、原因不明?ストレスが影響?

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2008年ごろ、田辺靖雄さんは突然『足が動かなくなる』という病気を患います。当時、芸能ニュースなどでも話題になっていました。

それまでは病気をしても1日寝れば治ってしまうというくらい健康体の田辺靖雄さんでしたが、この『足が動かなくなる』病気だけは、どんなに検査しても病院では原因がわからなかったそうです。

実は田辺靖雄さん、若いころから緊張が高まると足がしびれるといった兆候があったそうで、そういったことから原因は心因性(ストレス)によるものではないかと言われています。

田辺靖雄はリハビリを乗り越え回復!

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「このまま症状が進行すれば歩行が不可能になる恐れがある」と、医者には強く入院を勧められたそうですが、それを断って自宅に連れ帰ったのは妻の九重佑三子さんでした。

そんな九重佑三子さんの献身的な介助もあり、1年後、田辺靖雄さんは厳しいリハビリを乗り越え、病を克服します。

その後、田辺靖雄さんは「治った自分に何か出来ることはないか?」と考え、自分と同じように苦しんでいる人たちの為にとボランティア団体に車いす2,000台を寄贈されています。

現在もNHK「歌謡コンサート」ほか、様々な音楽番組に出演している!

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歌謡界の大御所として今も人気の高い田辺靖雄さん。もちろん現在もNHKの『歌謡コンサート』をはじめ、『テレビ東京開局50周年特番』など、音楽番組に多数ご出演されています。

また、2017年には千葉で開催された『第35回昭和の歌人たち』というコンサートで、今は亡き永六輔さんをテーマにご自分の持ち歌である『いつもの小道で』を妻の九重佑三子さんと一緒に熱唱されました。

他にも、2019年1月にはBSテレ東『徳光和夫の名曲にっぽん』にて石原裕次郎さんの曲を歌っていました。そんな今も精力的な田辺靖雄さんですが、同世代の歌手にはこんな方もいらっしゃいました。

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田辺靖雄は芸能界きってのおしどり夫婦!妻は歌手の九重佑三子!

田辺靖雄さんといえば、妻の九重佑三子さんとは芸能界でもおしどり夫婦として有名です。今でもお2人でシングルをリリースされたり、コンサートを開いたりしていらっしゃいます。

そんな人もうらやむようなおしどり夫婦、田辺靖雄さん、九重佑三子さんご夫妻の出会いからをご紹介していきましょう。

田辺靖雄は1973年に歌手の九重佑三子と結婚

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1973年に田辺靖雄さん、九重佑三子さんのお2人は結婚されましたが、実は結婚に至るまではちょっとした障害もあったようです。

数々のヒット曲に加え、初代『コメットさん』としても当時人気絶頂だった九重佑三子さんは、事務所から男性芸能人と口をきいてはいけないと言われていたそうです。

さて、それではそんなお2人が、どうやって結婚にまで至れたのでしょうか?

2人の出会いは「ヒットパレード」

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お2人が初めて出会ったのは、当時の人気音楽番組『ヒットパレード』でした。田辺靖雄さんの第一印象は「ちょっと変わった生意気な女の子」だったそうですが「そこに男心をくすぐられた」とも語っています。

そして、実は九重佑三子さんは当時から田辺靖雄さんのファンだったそうです。どうやらお2人は、出会った時から惹かれあっていたようです。

その後、ドラマでの共演を切っ掛けに田辺靖雄さんは俳優、森繁久彌さんと出会い、その縁で森繁久彌さんがお2人の仲人、媒酌人を務められ、1973年にめでたくゴールインしました。

妻・九重佑三子とはおしどり夫婦として有名

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結婚後、九重佑三子さんは出産、育児のために一時芸能活動を休止しています。その間、田辺靖雄さんはソロで活動されており、寺尾聰さんと歌った『十六の夏』などがヒットしています。

1986年に九重佑三子さんが復帰すると、お2人でテレビやラジオに多数出演し、コンサートやディナーショーなど精力的に活動を始めます。

また、現在はあの足の病気を切っ掛けに、お2人で全国チャリティーコンサートなどの福祉活動も行われているようです。

田辺靖雄が病気に倒れた時は妻・九重佑三子が献身的に介護した

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田辺靖雄さんが足の病気を患った時、妻の九重佑三子さんは強く入院を勧めてくる医者を振り切り、「私が治す!」と言って田辺靖雄さんを連れ帰ったそうです。

しかし、田辺靖雄さんも弱気になっていたのか、車いすを「居心地がいい」と言い出してしまったそうです。そんな田辺靖雄さんを九重佑三子さんは強く叱咤し、心を鬼にして厳しく治していこうと決断したそうです。

その頃を振り返り、田辺靖雄さんは「なにくそッ、と思いながらリハビリに励んだ」と語っています。そんな風に田辺靖雄さんを奮い立たせたのは、やはり九重佑三子さんの支えがあってのことでしょう。

田辺靖雄の家族は?息子や父親は?

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人気歌手として数々の業績を上げてきた田辺靖雄さんですが、妻の九重佑三子さんだけではなく、ご家族も豪華な顔ぶれのようです。

田辺靖雄には息子が2人!

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田辺靖雄さんには2人の息子さんがいらっしゃいます。その内、1978年に誕生した長男は、音楽プロデューサーとして、またその他にも様々な活躍を見せる田辺晋太郎さん(41)です。

田辺晋太郎さんは、2001年『Changin’ My Life』というユニットのギターとしてデビューしたのですが、このユニット、実は往年のアニメファンにはわりと有名なユニットです。

3枚目のシングル『Myself』がテレビ東京系アニメ『満月(フルムーン)をさがして』のEDテーマ曲として使われた為です。この曲は田辺晋太郎さんが作曲し、5万枚のセールスを記録しました。

長男・田辺晋太郎は音楽プロデューサーとして活躍

田辺晋太郎さん(写真右側)は、2003年に自らの音楽活動の幅を広げるため『Changin’ My Life』脱退しますが、その後は音楽プロデューサーとしてめざましい活躍を見せます。

2012年にAKB48の渡辺麻友さんに『ヒカルものたち』という曲を提供、プロデュースし、この曲はオリコンチャート初登場1位、4万枚以上のセールスを記録しました。

また、俳優の城田優さん、瀬戸康史さん、海外アーティストでいうとパク・ヨンハさん、フェイルンハイさん、ヴァネス・ウーさんなど、そうそうたる顔ぶれに楽曲提供やプロデュースをしています。

田辺晋太郎は「マツコの知らない世界」にも出演している

音楽プロデューサーとして素晴らしい才能を持つ田辺晋太郎さんですが、最近は肉マイスターとしても有名なようです。なんでも収入の八割を肉につぎ込んでいるのだとか。

それほどに肉を愛する田辺晋太郎さん。自ら一般社団法人『食のコンシェルジュ協会』を立ち上げると、『焼き肉コンシェルジュ検定』を行うなど、肉マイスターの称号に相応しい活動を見せています。

2016年1月にはTBS『マツコの知らない世界』に出演し、フライドチキンの素晴らしさを紹介していました。

現在、田辺晋太郎は本村由紀子と結婚して2児の父

そんな田辺晋太郎さんですが、2007年3月にご結婚されています。お相手はフリーアナウンサーの本村由紀子さん(写真左から2番目)です。

本村由起子さんは、経済ニュースのキャスターをやっていたことから『株の女神』とも呼ばれているようです。また、その美しさもさることながら、TOEIC975点という才女でもあります。

田辺晋太郎さん、本村由紀子さんご夫妻は、結婚前にはすでにお子さんを授かっていたようで、2007年8月には長男のゆうせいくんがお生まれになっています。また2012年には次男が誕生しています。

長男のゆうせいくんはすでに歌手?!

長男のゆうせいくんは、『マスコットボイスTV』というYouTube番組でその歌声を披露しています。

その素晴らしい歌声は、やはり家系と言わざるえません。田辺靖雄さん、九重佑三子さんご夫妻も、お孫さんの将来に期待を寄せていることでしょう。

父・田辺正晴は初代紅白歌合戦の司会者だった!

田辺靖雄さんのお父様は、田辺正晴さんと言い、NHKのアナウンサーとして『NHK紅白歌合戦』の初代司会者を勤めた有名な方です。

田辺正晴さんは、現在の『NHK紅白歌合戦』の前身番組である『紅白音楽試合(1945年放映)』で司会を勤められたあと、1951年、52年の第1回、第2回の紅白歌合戦でも総合司会をされました。

その後、田辺靖雄さんも1963年の第14回、64年の第15回のNHK紅白歌合戦に出場し、親子二代にわたっての出演を果たされています。

田辺靖雄は4人兄弟!兄はアナウンサー?

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田辺靖雄さんは四人兄弟の次男として生まれ、兄の田辺よしのぶさんはお父様と同じNHKのアナウンサーだったそうです。

また、姉の伊都子さんは歌手の三原さと志さんの元妻であり、伊都子さんの息子、つまり田辺靖雄さんの甥に当たる方にはミュージシャンの小山田圭吾さんがいらっしゃいます。

田辺靖雄の歌は?ヒット曲5選!【動画あり】

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さて、ここからは田辺靖雄さんの代表曲を紹介していきましょう。

「ヘイ・ポーラ」

言わずと知れた田辺靖雄さんのデビュー曲です。この曲は1962年『ポールとポーラ』というアメリカ人デュオが発表したヒットナンバー『Paul and Paula(オリジナルタイトル)』を原曲にしています。

1963年に梓みちよさんとのデュエットで発表されると大ヒットし、田辺靖雄さんは瞬く間にスター歌手の仲間入りを果たしました。

動画の通り、結婚後は妻の九重佑三子さんとご一緒に歌っています。

「よせばいいのに」

https://www.youtube.com/watch?v=JhwkdXgzNeM

この曲は1976年5月に『三浦弘とハニーシックス』の楽曲でシングル発売された曲です。

田辺靖雄さんがこの曲をカバーシングルとして歌ったのはその3年後の1979年で、同年に『敏いとうとハッピー&ブルー』もカバーシングルで発表、競作曲となりました。

「おれでよければ」

この曲は、1980年2月にリリースされた曲です。

田辺靖雄さん以外にも、『秋庭豊とアローナイツ』など、たくさんの歌手の方が歌われています。

「東京で一番淋しい女」

この曲は1981年2月にリリースされた曲です。(注:動画は本人歌唱のものではありません)

カラオケでは人気のナンバーのようで、DAMでは生音でも配信されています。

「すてきな新学期」

1964年3月に梓みちよさんとのデュエットで発表された曲です。この曲も『ヘイ・ポーラ』と同じく、原曲は『ポールとポーラ』によるものです。

この曲は、『ミュージックライフ』編集長、シンコーミュージック・エンターテイメント会長を務めた漣健児さんが訳詞をされました。

田辺靖雄の経歴は?六本木野獣会とは?

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デビューと同時に一気にスターダムへと駆け上がった田辺靖雄さん。当時はアイドルとして、現在は大御所歌手として輝かしい経歴を残しています。

しかし、そんな田辺靖雄さんにも、やんちゃだった時代があったようです。

1961年に渡辺プロダクションからスカウトされ芸能界に

高校在学中、作曲家のすぎやまこういちさんと一緒に『六本木野獣会』というティーンエイジャーのグループを結成したのを切っ掛けに1961年に渡辺プロダクションからスカウトされます。

この『六本木野獣会』からは田辺靖雄さん以外にも、多数の芸能人がデビューされています。

1963年には梓みちよとの曲「ヘイ・ポーラ」が大ヒット

スカウトから2年後の1963年に梓みちよさんとの『ヘイ・ポーラ』が大ヒットを記録すると、1964年には『二人の星をさがそうよ』が続けてヒットします。

また、1965年から俳優としても活躍され始めます。TBSドラマ『光る海』に出演したのを皮切りに多数のドラマに出演、1976年~77年にはNHK朝の連続テレビ小説『火の国に』にも出演されました。

田辺靖雄は「日本歌手協会」の代表理事として貢献

2010年7月、田辺靖雄さんはその功績から一般財団法人『日本歌手協会』の代表理事に就任されます。そして、杉良太郎さんと共に日本の歌謡界を盛り立てようと、社会貢献を中心に活動を始めます。

東日本大震災の時には、ご自身の主催イベントをすべてチャリティ活動としたり、熊本地震の時にもチャリティ活動を行い、今も全国チャリティコンサートなどを主催されています。

数々の芸能人が参加していた「六本木野獣会」とは?

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『六本木野獣会』とは、田辺靖雄さんとすぎやまこういちさんが中心となって作ったティーンエイジャーの遊び人グループです。

元々は野獣会というグループだったそうですが、当時、流行の最先端であった六本木に集まっていたことから六本木族とも言われ、それがいつの間にか重なり、六本木野獣会となったそうです。

メンバーはそうそうたる顔ぶれで、峰岸徹さん、中尾彬さん、大原麗子さん、小川知子さん、ムッシュかまやつさん、井上順さん、福澤幸雄さんなど、皆さんこの六本木野獣会を切っ掛けにデビューされたそうです。

大女優の大原麗子も参加して芸能界入りしていた?

田辺靖雄さんが六本木野獣会に誘ったことにより、2009年に他界された国民的大女優、大原麗子さんが女優の道に入ったのは、有名な話です。

田辺靖雄さんは初出演映画『高校生と女教師 非情の青春』で、エキストラで出演されていた当時15歳の大原麗子さんを見つけると一目で気に入り、「野獣会に入らないか?」と誘ったそうです。

晩年、大原麗子さんは、「ヤッチンが誘ってくれなかったら女優にはなっていなかった」と語っていたそうです。

初代コメットさん!トップアイドル九重佑三子!

田辺靖雄さんの妻、九重佑三子さんは、1962年にデビューされ、当時はアイドルとして人気絶頂でした。

ここでは、そんな九重佑三子さんの経歴をご紹介しましょう。

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