元ヤンキー・不良芸能人80人を男女別に紹介!【画像あり】 エンタメ

元ヤンキー・不良芸能人80人を男女別に紹介!【画像あり】

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大島優子

日本人の父親と、日本とアメリカのハーフの母親から生まれたクオーターです。座右の銘は恩師から頂いた「十人十色、己を信じ精進せよ」らしいです。

元々は子役として活躍し、その後はAKB48のメンバーとして総選挙で1位も獲得した歌手の大島優子。中学生の頃から、ヤンキーの仲間入りをして、髪の毛も金髪だったらしい。

AKB時代に、ヤンキーの高校生役を演じた時は周りから「あんなにナチュラルな演技がなぜできてしまうんだ」と声が漏れるほどだったとか。

小泉今日子

1981年にオーディション系テレビ番組「スター誕生」に出演しました。石野真子の「彼が初恋」を歌い見事合格しました。そして、その意思のが所属していた芸能プロダクションに所属することができました。

最近では俳優の豊原功補と堂々の不倫交際をしている歌手の小泉今日子。高校生の頃はヤンキーの彼氏とバイクの二人乗りで学校に通っていたとか。そして、彼女自身がレディースの元総長だったなんて噂もあります。

20年ほど前には、大勢のヤンキーに囲まれた中、くわえタバコをしている彼女が写った写真が出回ったとかで騒ぎになったらしいです。

和田アキ子

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶などで歌い始めました。174cmの長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロの社長、堀から直々にスカウトされました。

すっかり芸能界のご意見番「アッコにおまかせ」の和田アキ子さんです。芸能界きっての女番長ともっぱらの噂です。中学生の頃に酒とタバコを覚えたという驚愕の事実も。

大阪ミナミの街を子分と闊歩し「ミナミのアコ」と呼ばれ、周りから恐れられていたみたいです。しかし、人情味は熱く、恐喝されていた人を助けた、なんてエピソードもあるようです。

元ヤンキー・不良の男性芸能人!【タレント編】

DomyD / Pixabay

芸能界の男性陣だって、もちろん過去は不良だったり、元ヤンキーの人はいます。爽やかな顔をして朝の情報番組の司会をやっていた方や、モノマネタレント、オラオラ系の芸風の方などがいます。

薬丸裕英

1982年にアイドルグループ「シブガキ隊」のメンバーとして歌手デビュー、その後、グループは解散するものの、マルチな才能を発揮して活躍している薬丸裕映。

小学校の高学年の時に既に補導歴があったようです。2回目の補導は中学生の時で、この時は不法侵入と窃盗が理由だったみたいです。

ゲームセンターでは、自分より年下の子を探して、よくカツアゲもしていたようです。

松村邦洋

西田敏行や掛布雅之らのモノマネを得意とする事で有名なおデブタレントの松村邦洋。2009年の東京マラソンでは、急性心筋梗塞で一時意識不明となっているが、現在は復帰してマルチに活躍している。

昔から目立ちたがり屋だった彼は、中学生の時の「面白い不良」という失敗したキャラクターの反省を踏まえて、高校では本格的に不良デビューしたようです。

しかし、喧嘩は弱かったようで、本格デビューした高校でもすぐにボコボコびされてしまい、結局、中学生の時の「面白い不良」に成り下がってしまったようです。

ユージ

2002年に子役モデルとして芸能活動をスタートさせ、その後、俳優、ファッションモデル、司会などマルチに活躍するタレントのユージさん。

彼は、あまり裕福ではなかった家庭に嫌気がさしてしまい、不良になって飛行を繰り返してしまったようです。あまりの素行の悪さに、15歳の時には実の母親から感動されてしまったほどです。

ヒロミ

一時は芸能活動から身を引き、加圧ジムなどの経営者として手腕を発揮していたが、2014年以降バラエティタレントとして本格復帰したヒロミさん。妻は歌手でタレントの松本伊代。

彼は、地元の東京八王子では「スペクター」という暴走族に所属していたらしいです。とにかく威勢良く、ハッタリをかましてヤンキー道を上って行ったようです。

彼のオラオラな芸風も、この時のハッタリが素となっているのかもしれませんね。

元ヤンキー・不良の男性芸能人!【俳優編】

DEZALB / Pixabay

昭和の大スターや、今ではドラマ、映画には欠かせないあの俳優さんも過去には不良で、ヤンキーだったみたいですね。

不良やヤンキーになってしまった理由は人それぞれですが、中には壮絶な経験から不良になってしまった方もいらっしゃるようです。

それでは、過去に不良、ヤンキーだった男性俳優を見ていきましょう。

松田優作

1971年の3月に、劇団「文学座」の入所試験を受けるも一時の筆記試験で不合格となりました。しかし、翌年の1972年4月に文学座付属演劇研究所十二期生となることができました。

刑事ドラマ「太陽にほえろ」のジーパン刑事として人気を獲得して松田優作。癌のため、1989年に40歳の若さで亡くなっています。長男は俳優の松田龍平。次男も俳優の松田翔太です。

松田さんは、とにかくかなりに悪だったようです。育った遊郭地帯の近くでは「刺した刺された」なんて会話が飛び出すほどだったようです。また、俳優時代にも予備校生を襲って逮捕されたりしています。

石原裕次郎

大学在学中に俳優を目指し、東宝と大映、日活のオーディションを受けるも全て不合格でした。しかし1956年に兄・慎太郎の推薦があって「太陽の季節」の映画化の脇役で映画デビューしました。

昭和を代表する歌手で俳優の、石原裕次郎さん。あの「石原軍団」の創始者です。昭和の大スターも52歳という若さで亡くなっています。兄は元都知事の石原慎太郎。

高校時代はとにかく喧嘩に明け暮れていたようです。時には進駐軍とも喧嘩をしていたようですが、一対一だたと体格的に不利なので、お大勢で仕掛けて店の裏でぶん殴っていたようです。

渡哲也

「撮影所に行けば、石原裕次郎に会えるかもしれない」と友人に誘われ、日活の撮影所を訪問しました、その時にスカウトを受けて1964年に日活へ入社しました。

大ヒットドラマ「西部警察」で活躍し、石原裕次郎死後は「石原プロモーション」の社長を務める渡哲也さん。彼は高校時代、何度も謹慎、停学処分を受けていたといいます。

喧嘩もよくしていたらしく、「オトシマエ」と呼ばれる、買ったほうが負けた人間のお金や腕時計をもらうことができるゲームに参加していたと言われています。

中村雅俊

1973年に文学座付属演劇研究所に入所し、大学卒業と同時に文学座に入所しました。そこで、文学座の先輩である松田優作の紹介で岡田晋吉の目に留まりました。

ドラマ「我ら青春」の主役に抜擢され人気を獲得して以降、歌手や俳優として今でも第一線で活躍されている中村雅俊さん。息子で俳優の中村俊太さんは大麻所持で逮捕暦があります。

父親がいないということで馬鹿にされたくない思いが、中村さんをツッパリ不良少年にしてしまったようですね。喧嘩をした思い出もたくさんあるとご本人が語っているようです。

真木蔵人

父親、マイク真木の二世俳優として、プロサーファーや俳優として活躍している真木蔵人さん。過去には恋人に暴行して傷害罪で逮捕された経歴もあります。

中学生ぐらいまではかなりのヤンチャぶりを発揮していた真木さんだが、10代の中頃からサーフィンにハマり、ヤンキーとサーファーの両立が難しくなったため、サーファーの道を選んだといいます。

哀川翔

専門学校在学中に、雑誌「ポップティーン」の創刊時にアルバイトのライターとして飛鳥新社に出入りするようになりました。ライター名は「ショウ・ロンリーリバー」です。

路上パフォーマンス集団「劇団一世風靡」に所属し、現在は「Vシネマの帝王」と呼ばれている哀川翔さん。かなりの昆虫好きという可愛らしい一面もあります。

かなりの悪だったと豪語している哀川さん。学年で君付けで呼ばれていたのは4人だけだったらしく、当然、哀川さんもそのうちの一人だったようです。

伊原剛志

1982年にジャパンアクションクラブに入団しました。1983年、舞台「真夜中のパーティ」で俳優デビューし、1984年「コータローまかりとおる」で映画初出演を果たしました。

数々の話題作に出演しているクールで二枚目俳優の伊原剛志さん。2001年には在日韓国人だと好評しました。事業でも成功を収めているやり手の方のようです。

地元では名の知れた不良だったようで、その名は隣町まで届いていたという伝説的なエピソードもあります。自身の体は小さかったそうですが、喧嘩になると相手に本気を求めていたという漢気がすごいです。

的場浩司

個性的かつ確かな演技力で、幅広い層から支持されている俳優の的場浩司さん。最近ではスイーツマニアぶりでも知られています。

彼は、想像を絶する悪だったようです。喧嘩で何度か入院もしているらしい。1回目の時は、振り返ったら突然木刀が迫ってきて気がついたらベットの上だったらしいです。

その後、退院の日にやり返しに行ったらしいが、自らの武器は松葉杖だったといいます。

赤井英和

高校在学時にボクシングを始め、大学時代にはプロ転向し、12連続KOという日本記録を樹立した。引退後は芸能界デビューし、俳優や、バラエティー番組で活躍されている赤井英和さん。

赤井さんは、中学時代、高校時代は一度も喧嘩に負けたことがないそうです。しまいには自分より喧嘩の強い相手を求めて、勝負を仕掛けていたそうです。

押尾学

幼少期にアメリカで8年過ごしていた帰国子女のため英語が堪能です。「16歳から19歳まで日本の米軍キャンプでハードロックのライブ活動をやっていた」と自称するがその照明はまだされていないようです。

元俳優で歌手の押尾学。元妻は女優の矢田亜希子。2009年には愛人のホステスと六本木のマンションの一室で合成麻薬MDMAを使用して、相手が死に至っている所を放置してしまい、その後逮捕されている。

「やることが他になかったから」という理由で喧嘩に明け暮れていたらしいです。自分は強いんだと周りにアピールして、喧嘩自体がかっこいいものだと思っていたらしいです。

高岡奏輔

映画「パッチギ」で高崎映画祭の最優秀新人俳優賞を受賞した俳優の高岡蒼甫。元妻は女優の宮崎あおい。現在は一般の方と再婚して、2児の父親になっているようです。

「365日あったら350日は悪いことをしていたと思う」と自身が語るほど不良だったようです。千葉の田舎町で育った彼は、喧嘩をしたり単車を乗り回したりして日々過ごしていたようです。

織田裕二

1987年に東映映画「湘南暴走族」に出演者オーディション数万人の参加者の中から、望んでいた石川役に抜擢されてデビューしました。同時に主役デビューの江口洋介と共演しました。

その後、ドラマ「東京ラブストーリー」の永尾完治役で大ブレイクした歌手で俳優の織田裕二。高校時代に受けたいじめが原因で不良になってしまったという噂もあります。

ヤンキー時代は「3倍返しの織田」と恐れられていたらしく、彼に一発食らわすと、3倍になって帰ってきていたなんてエピソードもあります。

保阪尚希

静岡県出身の爽やかでイケメンの印象の保阪尚希さん。元妻は女優の高岡早紀さんです。保坂さんは壮絶な幼少期を過ごしていたらしいです。不良になった理由も7歳の時の両親の自殺らしいです。

両親がいないということで、いじめにあっていた悲しい過去があります。地元ではかなりの不良になった彼は、一人で数十人も相手にして喧嘩していたという伝説的なエピソードがあります。

宇梶剛士

多くのトレンディードラマの脇役で知名度を上げていった俳優の宇梶剛士さん。彼が、暴走族「ブラックエンペラー」の7代目総長だったのはかなり有名な話です。

当時は300人ほど引き連れて、バイクで暴走していたらしく、本職のヤクザからもスカウトがあったというほどです。

190cmほどもあり、ガタイのいい宇梶さんは当時からかなりの威圧感があったようですね。

元ヤンキー・不良の男性芸能人!【歌手・アイドル・ミュージシャン編】

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アイドルや、ミュージシャンの中にも過去にはかなりの不良の方がいらっしゃったようです。あのシンガーソングライターや人気グループのボーカルの方など、どんな武勇伝を持っているのでしょうか。

ブラザー・コーン

元バブルガムブラザーズで、ブラザートムさんの相方、歌手のブラザー・コーンさん。過去には元マネージャーを恐喝して逮捕されたという経歴があります。

地元の東京高円寺に、よそ者を入れるなと、高校生の頃に突っ張っていたいたみたいですね。学校が終わるといつも仲間と高円寺の駅前に集まっていたようです。

新聞沙汰になった「高円寺グループ88人補導事件」の中の一人がブラザー・コーンさんだと豪語しているという噂もあります。

田原俊彦

元ジャニーズ事務所で「トシちゃん」の愛称で人気を確立した田原俊彦さん。1994年に独立後も精力的にかsy活動を行なっており、キレキレのダンスは年齢を感じさせないです。

本人の自伝によると、小学生で既に学校を仕切っていた番長で、中学でも不良の幹部に君臨していたと言います。バイクの無免許運転で補導されたなんてこともしばしばあるみたいです。

最終的には、警察の方と顔馴染みになったらしいです。

徳永英明

大ヒット曲「壊れかけのRadio」で有名なシンガーソングライターの徳永英明。中学3年生の頃からヤンキーの世界へ飛び込んでしまったようです。格好がどんどん派手になっていったようですね。

それが高校3年生の頃になると、どんどんエスカレートしていき上下ヤクザっぽい格好になってしまっていたとか。本人曰く、それが原因でその頃の写真はかなり老けて見えるのだそうです。

錦野旦

「スター錦野」の愛称でテレビ、ディナーショーなどでダイナミックな歌唱力と、軽快なトークを披露している錦野旦さん。

「売られた喧嘩はいつでも買うぜ」と何かにつけて喧嘩をしていた日々を送っていたようです。相手から喧嘩をふっかけられる事が多かったみたいですね。

自伝では、7人相手に喧嘩をした話や、千枚通しで刺されそうになった武勇伝なども語っているようです。

藤井フミヤ

人気グループ「チェッカーズ」のボーカルで、解散後はシンガーソングライターとして活躍している藤井フミヤさん。ヒット曲には「TRUE LOVE」などがあります。

髪の毛は真っ赤で、眉毛は全剃り、もちろん剃りコミも入れていたといいます。そんな状態で暴走族に所属していて、かなりの走り屋だったみたいですね。

バイクに単車など300台ぐらいで発煙筒を焚きながら、一気に突っ走る。天下を取ったような気分になり、面白いし、スッキリしていたと語っているようです。

Zeebra

日本のヒップホップグループ「キングギドラ」のメンバーのZeebraさん。日本のヒップホップシーンを世間に広めた立役者の一人です。

中学2年生ぐらいから不良になっていったというZeebraさん。仲間内での喧嘩も少なくはなかったという噂もあります。

夜の街で酔っ払っている親父に喧嘩を売って、張っ倒したりした事もあったそうです。

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