松山英太郎の死因は食道がん?弟や父は?妻や子供、家系図もまとめ

松山政路の兄であり、48歳の年齢で亡くなられた松山英太郎の死因は食道がんだったのでしょうか?お父様やお母様はどのような人物だったのでしょう。松山英太郎はどんな俳優だったのか、代表作品や、妻や息子、娘の現在の活動などをまとめました。

俳優・松山英太郎とは?代表作は?

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松山英太郎とは、1942年~1991年までドラマや舞台に出演していた人気俳優です。代表作は、「大岡越前」等の時代劇ものから「時間ですよ」等のホームドラマをメインに出演していました。

主人公をサポートする探偵役が松山英太郎の役風にハマっており、主演として出るのではなく主演のサポート役としてドラマに出演しているのが多い人です。

代表作の1つである「丹下左膳」では主人公の丹下左膳役で主演として出ていました。

松山英太郎のプロフィール!

松山英太郎は1942年7月9日に東京都武蔵野市吉祥寺で生まれました。父である河原崎國太郎が結成した歌舞伎劇団「前進座」で5歳の時に初舞台に出演します。

幼い頃から役者として才能を見せていた松山英太郎は1960年に大成高等学校を中退して俳優座養成所に入ります。1963年には俳優座養成所を卒業し、その翌年に出演した「七人の孫」で一躍人気者になりました。

そして、1990年9月東京宝塚劇場の公演中に体調不良を訴えて入院します。検査の結果食道癌と診断され、闘病生活を送りますが、4か月後の1991年1月11日に48歳という若さで永眠しました。

初舞台は5歳の時の「弁天小僧」?

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松山英太郎の初舞台は5歳の時に出演した弁天小僧になります。この舞台は父親である河原崎国太郎が代表をしていた「前進座」という歌舞伎劇団で上演されました。

高校を中退し養成所に入った?

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松山英太郎は大成高等学校、現在は東京都三鷹市にある新制高等学校に入学しましたが、1960年に中退して俳優座養成所の12期生として入りました。同期には中村敦夫や成田三樹夫等がいたようです。

「七人の孫」でブレイク!俳優として活躍

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養成所を卒業して1年後に「七人の孫」に出演しブレイクしました。七人の孫は大家族ホームドラマで最高視聴率が33.3%も獲得しており、とても人気のあるドラマでした。

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