
草笛光子は現在何歳?いつまでもきれいな秘訣とは?子供はいる?
目次
[表示]草笛光子は結婚して夫がいる?子供は?
こちらでは、あまり知られていない草笛光子さんの結婚歴とお子さんについてまとめます。
1960年に芥川也寸志と結婚したが1962年に離婚
草笛光子さんの元配偶者は「羅生門」や「蜘蛛の糸」などの名作を手がけた文豪・芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)さんの三男で、自身は作曲家として活躍した芥川也寸志(あくたがわやすし)さんです。
草笛光子さんと芥川也寸志さんは、草笛光子さんが27歳の時に結婚されましたが、2年後の1962年には離婚されています。
ちなみに、草笛光子さんは芥川也寸志さんが初婚ですが、芥川也寸志さんは草笛光子さんの前にも結婚されており、草笛光子さんとは再婚となります。
離婚の理由は元旦那・芥川也寸志の連れ子だった?
芥川也寸志さんには、前妻との間に2人の娘さんをもうけており、噂ではありますがその娘さんが原因で離婚に至ったのではないかと実しやかに囁かれています。
とはいえあくまで噂の域を出ておらず、結婚当初の草笛光子さんはまだ30歳にもならない若さと、女優として輝き始めた時期であったことを加味すれば離婚に至る理由は様々だったのかもしれません。
草笛光子には子供がいない、息子がいるという噂はデマ
また、草笛光子さんの噂に関する内容で良く耳にするものとして「草笛光子さんにはイケメンの息子がいる」というものがあります。
確かに、美人女優である草笛光子さんとイケメン作曲家の芥川也寸志さんの息子さんがいるのならさぞイケメンでしょうが、残念ながら草笛光子さんに子供さんはいないようです。
草笛光子の自宅がニューヨークという噂は本当?
草笛光子さんの洗練されたファッションセンスと装いから、現在の自宅はニューヨークにあるという噂があります。
こちらでは、草笛光子さんのご自宅に関する噂の真相をまとめます。
草笛光子は国内在住
草笛光子さんがニューヨークに在住されているというのは噂に過ぎず、実際は東京都杉並区に自宅があるそうです。
ちなみに、2019年の「住みたい街ランキング」では東京都杉並区阿佐ヶ谷が全国中13位です。
13位に選ばれた理由として、治安が良い・緑が多い・住宅都市として機能しているなどが挙げられていました。
噂の原因はミュージカルの本場ニューヨークに行くことが多いため?
草笛光子さんがニューヨークに自宅を構えていると噂が立ったのには、草笛光子さんが本場のミュージカルを鑑賞するためにニューヨークに足繁く通っている為だと思われます。
ニューヨークといえば、数え切れないほどの名作を世に送り出したブロードウェイミュージカルが有名です。
舞台女優として現在も活躍する草笛光子さんは、今でも常に新しいミュージカルを取り入れているようです。
草笛光子の若い頃から現在を振り返る動画集
こちらでは、草笛光子さんの若い頃から現在に至るまでの動画をまとめます。
「光子の窓」第130回オープニング
まずは、草笛光子さんが司会を務めていた「光子の窓」から26、7歳の頃の草笛光子さんです。
若い頃から歌唱力に定評のあった草笛光子さんの初司会番組「光子の窓」は、日本初の音楽バラエティ番組でした。
NHKラジオ歌謡・昭和31年「すみれの花」
昭和31年にNHKラジオ歌謡で取り上げられた「すみれの花」は、草笛光子さんと丘十四夫(おかとしお)さんが作曲を担当し、八洲秀章(やしまひであき)さんが作詞しています。
草笛光子さんは作詞と唄も担当されており、23歳の草笛光子さんの伸びやかで美しい歌声が印象的な作品となっています。
CM「養命酒」2000年放送
こちらは、2000年に放送された「養命酒」のCMに出演されている動画です。養命酒製造株式会社が製造している養命酒は14種類もの生薬が配合されています。
健康的な美しさを持つ草笛光子さんは、健康効果が期待される養命酒のイメージキャラクターにぴったりです。
「ばぁちゃんロード」予告編
2018年4月14日に公開された映画「ばぁちゃんロード」にて、草笛光子さんは主人公・田中夏海の祖母を演じています。
足を患って以来、疎遠になっていた孫娘とバージンロードを歩くため辛いリハビリに立ち向かう、草笛光子さん扮するキヨの姿を描いています。
「バラ色の人生」を歌う草笛光子
こちらは、作詞家のなかにし礼(れい)さんの作詞家・作家生活が50年になった記念に出されたアルバム「なかにし礼と13人の女優たち」に収録されている「バラ色の人生」を草笛光子さんがレコーディングしている様子です。
「なかにし礼と13人の女優たち」では、草笛光子さんをはじめとして日本を代表する名女優の方々が、なかにし礼さんの作詞した名曲を歌い上げています。
草笛光子の学歴・経歴
こちらでは、草笛光子さんの学歴と、現在に至るまでの経歴をまとめます。
神奈川県立横浜平沼高等学校卒業
草笛光子さんは、当時は「神奈川を代表する才媛学校」として名高かった神奈川県立横浜平沼高等学校(神奈川県立横浜第一高等女学校)に通われていたそうです。
女学生として学校生活を送っていた草笛光子さんですが、友人が草笛光子さんに松竹歌劇団の入団を勧めたことで高校を中退し、松竹の音楽舞踊学校に入学しました。
1950年に松竹歌劇団に入団、1953年に映画「純潔革命」でデビュー
草笛光子さんは、松竹の音楽舞踊学校卒業後の1950年に松竹歌劇団第5期生として松竹歌劇団に入団します。
入団した3年後の1953年には、映画「純潔革命」にてスクリーンデビューを果たしました。
1954年にSKD退団、1956年から東宝専属になる
順風満帆かと思われた草笛光子さんの女優人生ですが、1954年には松竹歌劇団(SKD)を脱退し、東宝の専属女優となります。
映画配給会社である東宝の専属女優となった草笛光子さんは「犬神家の一族」「金田一耕助シリーズ」などの名作に出演されました。
1958年から冠司会番組「光子の窓」で人気となる
草笛光子さんの当時の人気を裏付けるものの1つとして、草笛光子さんが司会をつとめた音楽番組「光子の窓」があります。
日本では初めての音楽バラエティ番組であった「光子の窓」は、音楽とコメディを楽しめるエンターテイメント性の強い内容が受け、司会をつとめていた草笛光子さんの人気に拍車をかけました。
「社長シリーズ」など多くの東宝喜劇で多彩な役柄を演じた
東宝専属の女優となった草笛光子さんは、東宝喜劇の人気シリーズ「社長シリーズ」を始めとした作品に数多く出演し、多彩な役柄を演じました。
ミュージカル界の先駆者としても活躍、紫綬褒章や朝日小綬章を受章
草笛光子さんは日本のミュージカル界での活躍が評価され、1999年に芸術の分野において多大な功績を残した人に送られる紫綬褒章を受章しています。
また、2005年には一個人として素晴らしい業績を国に与えた人に送られる旭日小綬章を受章しています。
2009年に長年のフリーから転向しオスカープロモーションと契約
長らく実母をマネージャーとしてフリーのまま活動されていた草笛光子さんですが、マネージャーである実母が亡くなった事をきっかけに、芸能事務所「オスカープロモーション」と契約を結びます。
オスカープロモーションとは、草笛光子さんだけではなく、女優の米倉涼子(よねくらりょうこ)さんやモデルの藤田ニコル(ふじたニコル)さんなど多くの有名タレントを抱える指折りの芸能事務所です。
舞台「新・6週間のダンスレッスン」でTOKIO・松岡昌宏と共演
2018年9月16日には、ジャニーズ事務所所属の人気グループ「TOKIO」のメンバー・松岡昌宏(まつおかまさひろ)さんと舞台「新・6週間のダンスレッスン」にて共演されています。
「新・6週間のダンスレッスン」は、草笛光子さん扮する68歳の未亡人と松岡昌宏さん扮する45歳のダンスインストラクターが、ダンスレッスンを通じて心を通わせ合うストーリーです。