坂上二郎の死因は?コント55号で大ブレイク!歌手や俳優でも活躍? エンタメ

坂上二郎の死因は?コント55号で大ブレイク!歌手や俳優でも活躍?

坂上二郎さんは、萩本欽一さんとコント55号を結成して一躍人気となりました。代表的なギャグ「飛びます飛びます」や、歌手としては「学校の先生」が大ヒットしました。坂上さんには息子と娘がいますが、2011年には脳梗塞が原因となって死去されました。

目次

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坂上二郎はすでに死亡している?どんな人だった?

坂上二郎さんは、1934年生まれのコメディアンです。萩本欽一さんと組んだ、コント55号での活躍で有名になりました。また、俳優や歌手としても活躍し、多くの人の記憶に残っています。

坂上二郎のプロフィール!画像は?

坂上二郎さんは、1934年生まれのコメディアンです。鹿児島県鹿児島市の出身で、元々は歌手を目指して上京しました。その後、付き人や漫才での活動を経て、お笑いコンビ「コント55号」で一躍有名になりました。

坂上二郎さんのギャグ「飛びます飛びます」は、物まねなどで様々な人がパロディーをしているので、知っている人も多いはずです。

また、俳優や歌手としても幅広く活躍して、多くの人の記憶に残る人物となりました。

坂上二郎はコント55号で大人気に?

坂上二郎さんが大人気になったのは、コント55号での活躍があったからでした。1966年に萩本欽一さんとお笑いコンビ「コント55号」を結成して、演芸ブームに乗って劇場からテレビに進出して人気になりました。

坂上二郎さんはコント55号のボケを担当していて、「飛びます飛びます」「コタローね」などのギャグがヒットしました。

また、「コント55号の裏番組をぶっ飛ばせ!」という番組では、女性タレントを相手に野球拳を行ったことでも話題になりました。

俳優や歌手としても活動

坂上二郎さんは、俳優としても活動していました。コント55号として活動している1972年頃から俳優活動を始めて、連続ドラマ「夜明けの刑事」では主演を果たしました。

また、歌手としても活躍して、1974年には「学校の先生」が30万枚を売り上げるヒットとなりました。

その後も「風まかせ新・諸国漫遊記」のテーマソング「風まかせ」や、ユニコーンとのコラボで「デーゲーム」などを歌っています。

2011年、脳梗塞で死去

坂上二郎さんは2011年に脳梗塞で死去されました。最初に脳梗塞で倒れたのは、2003年のことでしたが、この時はリハビリによって復帰しています。

しかし、2010年8月に再び脳梗塞を発症して、後遺症として麻痺が残ることとなりました。その後、2011年に脳梗塞によって栃木県内の病院で死去されました。

最近の人にはあまり知られていない?

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坂上二郎さんは、最近の人にはあまり知られていないようです。「飛びます飛びます」のギャグも、ものまねでは知っているものの坂上二郎さんのギャグだとは知らない人も多いようです。

また、俳優としての坂上さんを知っていても、コント55号としての活躍を知らないという人もいるようです。

2011年の訃報の際に、コント55号として活躍していた時の映像を初めて見たという人もいたようです。

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坂上二郎の死因は?相方・欽ちゃんからの言葉とは?

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坂上二郎さんは、脳梗塞を繰り返して2011年3月に亡くなりました。相方の欽ちゃんこと萩本欽一さんは「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉にしています。

2003年、ゴルフのプレイ中に脳梗塞で倒れるも、無事復帰

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坂上二郎さんは2003年、ゴルフのプレイ中に脳梗塞で倒れました。一緒にプレイしている仲間に医師がいたので、適切な応急処置を受けてから病院に搬送されました。

この時は幸いにも軽度で済んだので、リハビリに取り組んで2004年には復帰を果たしました。

この時の復帰までの道のりは2005年に「脳梗塞をぶっとばせ!」という著書にまとめて出版されています。

2010年、自宅で再び倒れる

坂上二郎さんは、2010年に自宅で再び脳梗塞で倒れてしまいました。この時は、倒れて頭を強打して、病院に運ばれました。

この脳梗塞により、麻痺の後遺症が残る結果となりました。2011年1月から明治座初春特別講演に出演予定でしたが、この出演はキャンセルすることになりました。

2011年3月、病院で死去

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坂上二郎さんは、2011年3月10日に脳梗塞が原因となって栃木県内の病院で亡くなりました。76歳の時でした。

戒名は、慈照院和道法郎居士(じしょういんわどうほうろうこじ)とのことでした。

相方・萩本欽一からのコメントは?

坂上二郎さんの訃報を受けて、コント55号の相方である萩本欽一さんもコメントを残しています。報道陣に囲まれた萩本欽一さんは「悲しい。二郎さんのばか」と発言しました。

また、坂上二郎さんに「ありがとう。55号最高だったね」ともメッセージを送っています。

さらに、坂上さんが亡くなったのが東日本大震災の前日だったことについて「二郎さんらしい」とも話しました。

関根勤も追悼のコメントを発表

坂上二郎さんと同じ事務所で「カックラキン大放送!!」でも共演している関根勤さんもコメントを発表しています。関根さんにとって坂上さんは「アイドル的存在」で、お笑いを目指すきっかけだったそうです。

また、同じ事務所の後輩の小堺一機さんもコメントしています。坂上二郎さんのような偉大な先輩とお別れをすることが「残念でさびしい」と語りました。

葬儀には萩本欽一も参列、追悼番組も放送された?

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2011年3月13日に、坂上二郎さんの葬儀が那須塩原市内の斎場で家族葬として行われました。東日本大震災の二日後のため、交通機関などが混乱する中での葬儀となりました。

コント55号の相方である萩本欽一さんも参列し、最後の別れをしました。出棺の時には、萩本さんが遺影を抱えて見送りました。

坂上二郎さんが亡くなった翌日に東日本大震災が起こったこともあり、1年後の2012年に「欽ちゃんのありがとう二郎さんツアー」というつい同番組が放送されました。

坂上二郎は結婚していた?妻や子供は?

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坂上二郎さんは、瑤子さんという女性と結婚しています。息子と娘の三人の子供に恵まれて、子供達もタレント活動を行っていました。

1958年に結婚!妻は一般人女性?

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坂上二郎さんは、1958年に瑤子さんという女性と結婚しています。結婚相手は一般女性なので、あまり情報はありません。

また、坂上さんはあまり家族などプライベートを見せたがらない面もあったようです。

子供はいる?娘?

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坂上二郎さんには、三人の子供がいます。息子が一人と娘が二人です。長男は、坂上大樹さん、長女は有紗美希さん、次女は坂上亜樹さんです。

現在の子供たちの情報は、あまり公開されていません。

子供もタレント活動をしている?

坂上二郎さんの子供も、タレント活動をしていました。長男の坂上大樹さんとは、1975年に親子で「二郎さんのOH!マイおやじ」という番組で共演をしています。

長女の有紗美希さんは、松竹歌劇団で活動していました。また、次女の坂上亜樹さんも女優としてテレビドラマなどに出演しています。

しかし、三人の現在に関する情報はあまりありません。坂上二郎さんは長男と共演したドラマの評判が悪かったことをきっかけに、プライベートを見せなくなったのではないかとも言われています。

坂上忍は息子なの?無関係?

タレントとして活躍している坂上忍さんのことを、坂上二郎さんの息子なのではないかと思っている人もいるかもしれません。

しかし、坂上忍さんは息子ではありません。また、血縁関係もなく赤の他人のようです。

コント55号とは?萩本欽一との関係は?

コント55号は、1966年に坂上二郎さんと萩本欽一さんが結成したお笑いコンビです。演芸ブームもあって人気となり、冠番組「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」は高い視聴率を記録しました。

1966年、坂上と萩本が結成したコント55号

コント55号は、坂上二郎さんと萩本欽一さんが1966年に結成したお笑いコンビです。もともと坂上さんと萩本さんはストリップ劇場「浅草フランス座」の幕間コントで共演をしていました。

その後、別の仕事に取り組んでいましたが、1966年に二人は再開してコント55号を結成することとなりました。

もともとは即席のコンビでしたが、浅草松竹演芸場や日本劇場などで人気となり、テレビにも活躍の場を広げていきました。

二人のコント動画は?

コント55号の二人の動画は数多く残っています。時間が経った現在でも、新鮮に楽しめる内容です。

また、動画のコメント欄には、二人の姿を懐かしむ声も多く寄せられています。

演芸ブームに乗り大ブレイクし、冠番組「裏番組をぶっとばせ!」放送

コント55号は劇場を中心に活動していましたが、当時の演芸ブームに乗って大ブレイクしました。萩本さんの「タレ目」に坂上さんの「ちっこい目」のキャラクターが売りとなりました。

1969年からは日本テレビ系列で「コント55号の裏番組をぶっとばせ!」という冠番組が放送されました。番組の評判はよく、裏番組であるNHK大河ドラマ「天と地と」の視聴率を上回ることに成功しました。

野球拳のコーナーが人気でしたが苦情も多く、番組は1年で終了することとなりました。

萩本欽一は「裏番組をぶっとばせ!」が嫌いだった?

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コント55号の相方、萩本欽一さんは「裏番組をぶっとばせ!」が嫌いだったとも言われています。もともと萩本さんは下ネタが嫌いで、野球拳で脱衣していくような内容が嫌だったようです。

コント55号の本来やるべきコントができず、野球拳のような企画で笑いをとることが許せなかったようです。後に萩本さんは「最も嫌いな番組」とも語っています。

しかしその分、坂上二郎さんが汚れ役を買って出ていたようです。そのため、坂上さんと萩本さんのキャラクターの対比がはっきりとして、番組の人気要素の一つとなりました。

坂上二郎は台本を読ませてもらえず、萩本欽一が方向性を決めていた

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坂上二郎さんは番組の台本などを読ませてもらえずに、萩本欽一さんがコント55号の方向性を決めていたそうです。

萩本さんは年下ですが、坂上さんは「好きにやれ」と言って全てを萩本さんに委ねていたようです。そのくらい、二人の信頼関係は厚いものだったのだと言えます。

坂上二郎のギャグ「飛びます飛びます」とは?

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「飛びます飛びます」は坂上二郎さんの代表的なギャグです。高い声と手の動きが特徴で、コント55号のネタの中に登場したギャグです。

当初は話題になりませんでしたが、片岡鶴太郎さんがモノマネで有名になりました。

「飛びます飛びます」ってどんなギャグ?動画は?

坂上二郎さんといえば「飛びます飛びます」のギャグが有名です。坂上二郎さんをよく知らない世代でも、このフレーズを聞いたことがある人は多いかもしれません。

コント55号のネタ中に生まれた?

坂上二郎さんのギャグ「飛びます飛びます」はコント55号のネタ中に生まれました。コント「結婚コンサルタント」の中で、両手で飛行機を表して「飛びます飛びます」と高い声で発したことがきっかけです。

片岡鶴太郎によって定着?

コント55号のネタに出てきた「飛びます飛びます」のギャグは、長い間注目されることはありませんでした。しかし、1980年代に片岡鶴太郎さんがモノマネで取り上げたことで話題になりました。

片岡鶴太郎さんが坂上さんのモノマネをする時に「飛びます飛びます」を繰り返したことで、定着しました。それ以降、坂上二郎さんの代表的なギャグとして知られることとなりました。

「飛びます飛びます」をやるときのコツは?

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「飛びます飛びます」をやるときには、手を口に近づけるのではなく、顔を手に近づけることがコツです。両手は飛ぶ直前の飛行機を表しているので、手が上がってしまってはいけないのだそうです。

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