藤間紫は色恋スキャンダルが多かった?現在は孫も活躍している?エンタメ

藤間紫は色恋スキャンダルが多かった?現在は孫も活躍している?

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1949年に「野口英世」で舞台初出演、「グッドバイ」で映画初出演

藤間紫さんは1949年(昭和24年)に、新国劇の「野口英世」で女優として舞台デビューします。

映画「グッドバイ」にも出演し、映画デビューもしました。映画「グッドバイ」は、太宰治さんの未完の遺作をベースとし、大胆に改変した恋愛コメディです。

1985年に藤間勘十郎と離婚し、1987年に紫派藤間流を創流した

1985年(昭和60年)に起こされた離婚裁判で、夫や娘と対立する事になった藤間紫さんは、1987年に新しく流派を立ち上げ独立します。

紫派藤間流を立ち上げた紫さんは、東京と大阪で毎年舞踏会を開催するようになりました。

1995年に舞台「西太后」の主演を見事に演じて話題になった

https://twitter.com/kunpeides/status/1043159843039629313?s=19

1995年9月に、松竹百年記念九月公演として上演された「西太后」で、藤間紫さんは主役の西太后を演じ、話題になります。以下は観劇された方の感想です。

紫さん演じる西太后の声の感じ、立ち居振舞い、歩き方で、彼女の今置かれている立場、そして心のうち、肩を震わせているのも、怒りからか悲しみからかもすべて感じ取れます。
すごい女優さんだと思いました。

(引用:日々感動&感想日記)

藤間紫さんは「西太后」が初演された時にはすでに70歳を過ぎていましたが、観ている人が圧倒される程、迫力ある西太后を演じられたようです。

2000年に市川猿之助と結婚

2000年2月28日、藤間紫さんと市川猿之助さんは婚姻届を提出し正式に夫婦となります。12歳の猿之助少年は「将来は紫さんと結婚する」と公言していました。半世紀が経ちようやく初恋の人と結ばれたのです。

「喜寿(77歳)のお祝いのときに松の大木を贈ってくれ、『けじめをつけたいから』といただいて」とインタビューで紫さんは話しています。

猿之助さんは「私にとって人生で一番大切なもの。極論すれば愛を教えてくれたのが紫さん」とプロポーズの理由を述べています。

2009年に肝不全のため87歳で死去

猿之助さんの呼び掛けにより、一度は止まった心臓が再び動き出す奇跡が起きたものの、藤間紫さんは2009年3月27日に静かに息を引き取りました。

猿之助さんは憔悴してしまい、その姿を見た周りの人達はとても心配されたようです。

猿之助さんは文書で述べました。「いつまでも少女のような紫さんは、私にとりまして一番大切な人でした。私の歌舞伎俳優としての今日がありますのは、紫さんのおかげです。」

約3000人の弟子がいる紫派藤間流。その切り盛りだけでなく、藤間さんは猿之助が率いる「澤瀉(おもだか)屋」一門の世話にも奔走。猿之助は「流派の総帥であるとともに、私の最高のマネジャーでありました。そして、私の一門の俳優にとりましては、母でもありました」と感謝。スーパー歌舞伎など「澤瀉屋」公演の成功の陰には常に藤間さんの存在があったからだ。

(引用:スポニチアネックス)

藤間紫の主な出演作品

藤間紫さんが女優として出演した作品の中から、代表作や有名なもの等を紹介します。

舞台「野口英世」

https://twitter.com/jiiyayoumou/status/1092416904088608771?s=19

1949年(昭和24年)に新国劇により上演された舞台「野口英世」に、藤間紫さんも出演されています。この出演が、藤間紫さんの女優としての初舞台となりました。

新国劇とは1917年(大正6年)に沢田正二郎さんが結成した劇団で、沢田さんの死後は島田正吾さんや辰巳柳太郎さんが活躍しました。「剣劇」を創始した事で有名です。

俳優の緒形直人さんの父である緒形拳さんも、新国劇出身の俳優でした。新国劇は1979年(昭和54年)に経営不振により倒産し、1987年(昭和62年)8月に解散しています。

舞台「西太后」

舞台「西太后」は、1995年9月に松竹百年記念九月公演として、新橋演舞場で上演されました。藤間紫さんは主役の西太后として出演しています。高い評価を得て、藤間紫さんの代表作となりました。

三代目市川猿之助さんも演出家として舞台に関わっています。体調を崩して降板するまでは、俳優として出演もしていました。

舞踊「小袖曽我」

舞踊「小袖曽我(こそでそが)」は、曽我兄弟の仇討を題材にした能を元に作られています。鎌倉時代の曽我兄弟の敵討ちを描いた曽我物語は、能や人形浄瑠璃、歌舞伎に取り入れられ、上演されるようになりました。

藤間紫さんが舞踊「小袖曽我」に出演している動画がYoutubeに投稿されています。

映画「極道の妻たち」

1986年(昭和61年)に公開された映画「極道の妻たち」は、女性の視点からヤクザの世界を描いた人気シリーズの第一作です。粟津組組長の妻である主役の粟津環を、岩下志麻さんが演じています。

藤間紫さんは、粟津組が属する堂本組の組長の妻、堂本絹江役で出演しています。

時代劇ドラマ「大岡越前」

時代劇ドラマ「大岡越前」は1970年(昭和45年)から1999年までTBS系列で放送されました。江戸の名奉行、大岡忠相の活躍を描いた時代劇です。主人公の大岡忠相を加藤剛さんが演じました。

藤間紫さんは、主人公の妻の母親・静香役で出演しています。

著書「修羅のはざまで 女の自叙伝」

藤間紫さんは、1992年1月に「修羅のはざまで 女の自叙伝」という著書を出版されています。

最初の夫である藤間勘十郎さんとの変則的ともいえる夫婦関係や、娘である高子さんとの確執についても、自叙伝での中で述べているそうです。

紫さんは藤間勘十郎さんについて、夫というよりも常に偉大な芸術家だったと語っています。

日本舞踊と歌舞伎の関係

藤間紫さんと市川猿之助さんの出会いは、猿之助さんが日本舞踊の藤間流の宗家である藤間勘十郎さんに踊りを習いに行った事からでした。歌舞伎役者である猿之助さんが何故日本舞踊を教わりに行ったのでしょうか?

日本舞踊の起源には、諸説が色々ありますが、一番有力なのが、今から約400年前に巫女たちがお守りを売る客寄せの為に始めた「念仏踊り」だと言われています。この中でもとりわけ評判になったのが、出雲の阿国と呼ばれる女性です。阿国は歌舞伎の創始者としても有名ですが、もともとは、歌舞伎と日本舞踊は同じものを指していたようです。現在120を越す流派があり、男性社会の歌舞伎と違って多くの女性が活躍しています。

(引用:日本文化いろは辞典)

…諸説あるようですが、歴史的に日本舞踊と歌舞伎は密接な関係にあるようです。

数多い日本舞踊の流派の中でも、藤間流は特に歌舞伎と深く関わってきたそうで、勘十郎宗家は歌舞伎舞台の振り付けを多く手掛けています。現宗家にも名だたる歌舞伎俳優が師事しています。

なくてはならない人であった藤間紫

日本舞踊家としてだけでなく、女優としても活躍された藤間紫さんについてのまとめでした。

下記は藤間紫さんが亡くなられた時に寄せられた歌舞伎ファンの方のコメントです。

祖父の猿翁、そして父の先代段四朗を相次いで亡くし後ろ盾がなくなった梨園では、それまでの澤瀉家の反骨精神が禍して、歌舞伎界の孤児と云われ、一夜にして逆境におかれた猿之助と当代段四朗。

その中で生きていく為には並みの努力では及ばず、藤間紫さんの厳しい芸の仕込みがなければ、猿之助歌舞伎は成就しなかったのではないかと思うのです。

(引用:趣味人倶楽部)

色んな人を巻き込みながら、自身の愛を貫く生き方には賛否両論あると思います。それでも藤間紫さんと市川猿之助さんは、お互いになくてはならない人だったようです。

二代目市川猿翁に関する記事はこちら

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