藤間紫は色恋スキャンダルが多かった?現在は孫も活躍している? エンタメ

藤間紫は色恋スキャンダルが多かった?現在は孫も活躍している?

日本舞踊家で女優の藤間紫さんをご存知ですか?16歳年下の歌舞伎俳優、三代目市川猿之助(現在、二代目市川猿翁)さんとの再婚で話題になりました。けれどもその陰では、女優の浜木綿子さんや俳優の香川照之さん等、色々な人達との愛憎劇がありました。

目次

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藤間紫とは?藤間勘十郎と結婚するも離婚?

藤間紫さんという方の事をお若い方はご存知ないかもしれません。名前を聞いた事はあっても、よくは知らない人が多いのではないでしょうか。

日本舞踊家でありながら女優としても活躍した藤間紫さんとは、どのような人だったのでしょう。

藤間紫のプロフィール!画像は?

  • 1923年(大正12年)5月24日生まれ
  • 2009年3月27日没、享年85歳
  • 東京都中央区日本橋出身
  • 血液型:o型
  • 本名:喜熨斗(きのし)綾子
  • 旧姓:河野、藤間
  • 日本舞踊家、女優

日本舞踏家・女優として数多くの作品で活躍した

芸事を好んだ父親の影響で、藤間紫さんは幼い頃から日本舞踊を習いはじめ、若くして名取となりました。

な‐とり【名取】の意味

芸道で、一定の技能を修得し、家元・師匠から芸名を許されること。また、その人。「踊りの名取」

(引用:goo辞書、デジタル大辞泉(小学館))

戦後は女優としても活躍し、多くの舞台や映画、テレビドラマ等に出演しています。

1944年に24歳年上の藤間勘十郎と結婚

1944年(昭和19年)紫さんは日本舞踊の藤間流宗家、六代目藤間勘十郎さんと結婚します。紫さんが21才の時の事です。勘十郎さんは24才年上でした。

そう‐け【宗家】

一門・一族の中心となる家柄。特に、芸道などで正統を伝えてきた家。また、その家の当主。家元。そうか。「茶の湯の宗家」

(引用:コトバンク、デジタル大辞泉の解説)

紫さんは12才の時に勘十郎さんの踊りを見て、その門下に転じます。

1941年(昭和16年)に勘十郎さんから「紫」の名を貰い名取となり、その後は「藤間紫」の名で舞踏家や女優として活躍しました。

藤間勘十郎とは1985年に離婚している

藤間紫さんは藤間勘十郎さんと1985年(昭和60年)に離婚します。この離婚は泥沼の裁判沙汰になりました。この訴訟をきっかけに宗家藤間流のお家騒動が起こります。

1987年(昭和62年)、藤間紫さんは宗家藤間流を離れ、紫派藤間流を創流します。

この騒動は“藤間流スキャンダル”と呼ばれ話題になりました。

離婚原因は藤間紫が16歳年下の市川猿之助と同棲を始めたため

離婚の理由は、藤間紫さんと三代目市川猿之助(本名:喜熨斗雅彦)さんとの不倫や、性格の不一致によるものでした。

この時の裁判で藤間紫さんと市川猿之助さんは1960年代から同棲している事が発覚します。

二代目市川猿翁に関する記事はこちら

藤間紫と市川猿之助との再婚が壮絶?

藤間勘十郎さんと離婚した藤間紫さんは、市川猿之助さんと再婚します。二人が再婚へと至る経緯やその後について調べてみました。

市川猿之助は浜木綿子と結婚しており、息子の香川照之も生まれていた!

市川猿之助さんは1965年(昭和40年)2月に、宝塚歌劇団の雪組でトップ娘役を務めた女優の浜木綿子(はまゆうこ)さんと結婚します。

その年の12月、浜木綿子さんは長男の照之さんを出産しました。当時浜さんはNHKの大河ドラマ『太閤記』に出演していましたが、妊娠により番組を途中降板しています。

この時に生まれた長男が、長年芸能界で俳優として活躍し、2011年には市川中車として歌舞伎界入りした香川照之さんです。

浜木綿子は悔しくて待ち続けたが1968年に離婚している

1967年(昭和42年)3月、市川猿之助さんは、妻である浜木綿子さんと息子の香川照之さんを置いて家を出てしまいます。結婚から2年後の事でした。その後浜さんは猿之助さんと連絡すら取れない状況が続きます。

11月になり、浜さんはようやく猿之助さんに会う事ができたものの、「別れてくれ」と言うだけで、理由を教えてはもらえません。

浜さんは猿之助さんの帰りを待ちますが、願いは届かず、1968年(昭和43年)1月末に市川猿之助さんと浜木綿子さんは離婚する事となりました。

市川猿之助にとって藤間紫は初恋相手だった

藤間紫さんは市川猿之助さんの初恋の相手でした。紫さんの夫である藤真勘十郎さんの元へ、市川猿之助さんが入門してきて、二人は出会います。その時、紫さんは28歳で、猿之助さんはまだ12歳でした。

美しく、踊りが上手で、立ち居振る舞いの洗練された紫さんに、猿之助さんは尊敬と憧れの念を抱いていたようです。藤真勘十郎さんと紫さんは、熱心に学ぶ猿之助さんの事を可愛がったそうです。

紫さんは、踊りの師匠である藤間勘十郎さんの妻であり、16歳も年上で、二人の子供がいました。市川猿之助さんは紫さんの事は諦め、浜木綿子さんと結婚しますが、結局は諦めきれずに家を出てしまったのです。

2000年に市川猿之助と再婚

妻子を捨てて家を出た市川猿之助さんは、藤間紫さんと共に、まるで駆け落ちのような同棲生活を始めます。

市川猿之助さんは1963年(昭和38年)に祖父から「猿之助」を襲名しますが、同じ年に祖父と父親が立て続けに亡くなるという不幸に見舞われています。猿之助さんは歌舞伎界における後ろ盾を失ってる状況でした。

そんな市川猿之助さんの公演活動を藤間紫さんが支えます。2人は公私に渡るパートナーとして長年生活を共にし、2000年に再婚しています。

香川照之は市川猿之助と和解して息子と歌舞伎界入り!

2011年9月27日、それまで俳優として活躍していた香川照之さんが九代目市川中車(ちゅうしゃ)として、香川さんの長男である正明君が五代目市川團子(だんこ)として、共に歌舞伎界入りする事が発表されます。

市川猿之助さんと香川照之さんは長年絶縁状態で過ごしてきましたが、親子の仲が雪解けした事が香川照之さんの歌舞伎界入りを後押ししたそうです。藤間紫さんが親子の仲を取り持ち、和解へと尽力しました。

当時市川猿之助さんは脳梗塞を患っていましたが、「浜さんありがとう、恩讐の彼方に」と不自由な体で声を絞り出し、別れた妻である浜木綿子さんに対し感謝の言葉を述べました。

2009年の藤間紫の葬儀では市川猿之助が喪主を務めた 

2009年3月27日、藤間紫さんは肝硬変による肝不全で亡くなります。4月30日に葬儀と告別式が行われ、日本舞踊や歌舞伎の関係者約1000人が参列し、別れを告げました。

夫である市川猿之助さんは喪主を務めます。憔悴した様子の市川猿之助さんは「紫とともに抱いた夢を大切に、猿之助一門、紫派藤間流の方々と歩んでいきたい」と文書でコメントしました。

香川照之さんも会場に現れます。脳梗塞で体が不自由な市川猿之助さんの手を取り支える等、親子関係の修復をうかがわせる姿が見られました。

市川猿之助は藤間紫の3回忌後に新しい恋人と同棲生活を始めている

藤間紫さんの死をとても悲しんでいる様に思われた市川猿之助さんでしたが、2011年3月に藤間紫さんの三回忌を終えると、新しい恋人と同棲生活を始めます。

お相手は福岡出身で、当時40代の女性でした。歌舞伎を上演する博多の劇場に勤めていた縁で、猿之助さんと知り合ったそうです。

この女性は、脳梗塞を患う猿之助さんをサポートする為に、地元で介護福祉の専門学校に通い、修了後は上京して猿之助さんのお世話をしています。

藤間紫には子供や孫がいる?

新しく流派を立ち上げ独立した藤間紫さんですが、後を継いでくれる子供や孫はいらっしゃるのでしょうか?

藤間勘十郎とのあいだに娘と息子が1人ずついる

藤間紫さんは藤間勘十郎さんと結婚して二人のお子さんを儲けています。一人は娘の藤間高子(こうこ)さんで、もう一人は息子の藤間文彦(ふみひこ)さんです。

娘の藤間高子さんは1990年9月に藤間流宗家七世藤間勘十郎を襲名します。2002年9月には、高子さんの息子である康詩(みちのり)さんに藤間勘十郎を譲り、高子さんは藤間勘祖三世を名乗るようになりました。

息子の藤間文彦さんは俳優としてテレビドラマ等で活躍します。その後俳優としては第一線から退き、藤間紫さんの夫となった市川猿之助さんの事務所「おもだか」の社長に就任しています。

藤間勘十郎との離婚裁判で息子・藤間文彦が辰巳柳太郎の子だと主張

藤間紫さんの夫であった藤間勘十郎さんは、藤間紫さんに対し、新国劇のスターであった辰巳柳太郎さんや、市川猿之助さんと長年に渡り不貞関係にあったとして、財産分与と慰謝料を請求する裁判を起こします。

藤間勘十郎さん側は、長男の藤間文彦さんは、辰巳柳太郎の子供であると主張します。父・娘と、母・息子が対立し、泥沼の離婚劇となりました。

決着前の1990年12月に、藤間勘十郎さんは亡くなりました。

娘・藤間高子は未婚だが梅若六郎との間に息子・八代目藤間勘十郎 

紫さんの娘である藤間高子さんは、大蔵流狂言師の山本東次郎(当時、山本則寿)さんと結婚しますが、妻子持ちである能楽師の梅若六郎(当時、梅若紀明)さんと交際し子供を儲け、山本さんとは離婚しました。

その子供が八代目藤間勘十郎さんです。母親の藤間高子さんと共に歌舞伎の振り付けを担当し、若手俳優の舞踊の指導や育成をされています。他にも舞台の演出、脚本、作曲、演奏等もこなされるそうです。

子役俳優として活動した事もあり、1987年(昭和62年)の大河ドラマ「伊達正宗」で伊達正宗の幼少期「梵天丸」を演じています。「梵天丸もかくありたい」の台詞は流行語になりました。

藤間文彦の息子はジャニーズJr.の藤間貴彦

藤間紫さんの息子である藤間文彦さんは、女優の島村佳江さんと結婚し、二人の子供が生まれました。一人は男の子で、ジャニーズJr.に所属していた藤間貴彦(たかひこ)さんです。

藤間貴彦さんは、現在はジャニーズJr.を退団されたようで、日本舞踊家として活躍されています。

最近ではわかもと製薬の「アレジフェンス」という商品のCMに出演し、華麗な踊りを披露されています。

藤間文彦の娘・藤間爽子は藤間流紫派の家元を襲名している

藤間文彦さんのもう一人の子供は女の子で、時折テレビにも出演している藤間爽子(さわこ)さんです。爽子さんは紫派藤間流の三代目次期家元です。二代目は三代目市川猿之助さんが継いでいます。

藤間爽子さんは次期家元として、二代目藤間紫である三代目市川猿之助(現在、二代目市川猿翁)さんに師事し、修練を積みながら、日本舞踊家として多くの舞台に出演されています。

CANDID PRODUCEに所属で、テレビドラマやCM、舞台等に出演し、女優としても活躍しています。

孫の藤間爽子が舞う「奏風楽 花影風韻/つばくらめ」

藤間爽子さんは、2018年に国立劇場大劇場で催された第六十一回日本舞踊協会公演、奏風楽「花影風韻(かえいふういん)」に出演されています。

「花影風韻(かえいふういん)」という作品
春はツバメを男に見立てて、初々しい若い娘の恋心を・・・
夏は紫陽花をあでやかな女性に見立てて、その変容ぶりを・・・
秋はへちまを怠け者に見立てて、その怠けぶりを・・・
四季折々の風物を、ユニークに描きます。

(引用:藤間流日本舞踊藤間恵都子翔べ!!恵都子)

藤間爽子の初舞台を観て藤間紫はむくれていた?

藤間爽子さんは6歳の時に歌舞伎座で初舞台を踏みました。祖母である藤間紫さんや、兄の藤間貴彦さん等と共に「鶴亀」を踊ります。

その舞台を見た三代目市川猿之助(現在、二代目市川猿翁)さんが「この子は才能がある」と爽子さんの事を褒めました。それを聞いた紫さんは「私が爽子の年にはもっと踊れたわ!」とむくれたそうです。

そんな紫さんの様子に、爽子さんは女優魂を感じたそうです。

藤間爽子は連ドラ「ひよっこ」や舞台「半神」への出演でも話題になった

藤間爽子さんは、2017年にNHKの朝ドラ「ひよっこ」に出演し、若い頃の「立花富」を演じて話題になりました。2018年には大塚製薬のCM「カロリーメイトゼリー・体操選手と新入社員篇」に出演しています。

2018年7月に開幕した舞台「半神」への出演も話題になりました。乃木坂46の桜井玲香さんとのダブル主演で、藤間爽子さんは双子の妹「マリア」を演じています。

長塚圭史さんが主宰する劇団「阿佐ヶ谷スパイダーズ」に入団し、2018年8月の劇団公演「MAKOTO」に出演しました。劇団の次回公演「桜姫」への出演も決まっています。

藤間紫の経歴

藤間紫さんの経歴について調べてみたのでご覧ください。

12歳で六世藤間勘十郎に入門、天才少女といわれた

藤間紫さんの父親である河野勝斎さんは日本医科大付属病院の理事長で、六代目尾上菊五郎さんの主治医でもありました。河野勝斎さんは歌舞伎好きとしても知られていたそうです。

そのような事から、七代目松本幸四郎さんに女流の藤間章吉さんを紹介され、藤間紫さんは6歳の時から日本舞踊を始めます。紫さんはその舞踊の才能により、天才少女と呼ばれるようになりました。

1935年(昭和10年)紫さんが12歳の時に、川尻清潭の紹介で藤間流六代目宗家・藤間勘十郎さんの門下に転じます。紫さんが勘十郎さんの踊りを見て、憧れを抱いての事でした。

藤間紫の若い頃の画像は?

藤間紫さんの若い頃の姿を知らない人も多いのではないでしょうか?上の画像は、藤間紫さんが30代半ばに出演された映画の一場面です。

若くして名取になり、1944年に藤間勘十郎と結婚

1941年(昭和16年)に藤間紫さんは名取となり、この時から「藤間紫」を名乗るようになります。同じ年に東京音楽学校の講師として出講しています。

1944年(昭和19年)紫さんは21歳で24歳年上の藤間勘十郎さんと結婚し、一男一女を儲けました。

1948年の「淀君」など舞踊劇の創作に注力した

藤間紫さんは舞踊劇の創作にも力を注ぎます。1948年(昭和23年)の「淀君」をはじめとして、帝国劇場での「椎名の里」、明治座での「青銅のキリスト」等を発表しました。

ぶようげき【舞踊劇】

〈しぐさ(科)〉と〈せりふ(白)〉を中心としたいわゆる〈科白劇(かはくげき)〉に対し,舞踊を主要素として仕組んだ劇のこと。歌舞伎風の呼名でいえば,〈所作事(しよさごと)〉〈振事劇(ふりごとげき)〉がこれにあたる。舞踊により単なる場面や情景を舞台上に示すだけでなく,それらの有機的な連関によって,なんらかのストーリーを構成するものをいう。舞踊を主体とする以上,当然,歌謡,音楽を伴うのを普通とする。また一口に舞踊といっても,写実的な動作の模倣を含むものから,抽象的・律動的な運動に終始するものまで,いろいろな種類の形態がある。

(引用:コトバンク、世界大百科事典 第2版の解説)

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